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第七部 相剋の戦(いくさ)
39 大良(おおら)河原の戦い 後編
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「この信長が殿を引き受ける!」
織田信長の声は大きくて良く響く。
それを合図に、雑人や牛馬、そして将兵らが舟に乗り始めた。
この退却にあたって、まず雑人や牛馬から船に乗せるよう指図したところに、兵站を重視し、そしてまた非戦闘員をかばう信長の胸中がうかがわれる。
木綿藤吉が雑人と牛馬の乗船が終わったことを合図すると、前田利家が「行くぞ」と怒号して将兵らをうながす。
帰蝶はその将兵らの列の一番最後にいた。
彼女がふと、信長の方を見ると、信長のさらに向こうから、一騎の武者が駆けてくるのが見えた。
「……三左!」
森三左衛門可成である。彼は、膝を斬られていた。
「山口取手介、土方久三郎らは討ち死に! 敵将・千石又一が迫っておりまする!」
お早く、と可成は膝から血が流れ出るのも厭わず、信長にそう言上した。
可成はそれ以上のことを、つまり又一と一騎打ちに及び、できる限り時間稼ぎに徹した結果、膝を斬られてしまったことは言わない。
そして、それでも現状を伝えるためにと、恥を忍んで逃げてきたことも、言わない。
「……で、あるか」
信長もそれ以上言わない。しかし可成の言わなかったことは察した。
そして叫んだ。
「三左、よっくぞ戻ったッ! では退き陣じゃ! 帰蝶がまだ乗ってないみたいじゃから、早うしろと言ってやれッ!」
「……承知!」
帰蝶としては信長を気づかって残っていたのにと言いたいところであるが、そこは黙って橋本一巴と共に、可成を担いで舟に乗せた。
「では行けい!」
信長もまた、最後に残った一艘に、ひとり乗った。
手にするは、最新式の鉄砲。
そして、鉄砲術の達人・橋本一巴の仕込んだ弾。
「……これは」
弾は、一巴特製の「二つ玉」と呼ばれるものであった。
すなわち、二つの弾丸をひとつの「玉」にして紙に包んだものである。
一発の射撃で、二発分の弾丸を撃つ。
そういう「二つ玉」である。
「一巴よ……師よ、礼を言うぞ」
一巴は信長の鉄砲術の師である。
その師への感謝の念を述べながら、信長は「二つ玉」を装填した。
すると、前方に、一色義龍の家臣・千石又一とその一隊とおぼしき集団が見えた。
「あれに見えるは、織田の本隊と見た!」
又一の大声。
信長は「二つ玉」を発射した。
ごおん。
そんな音が響いた。
「なっ、ぬわっ」
又一の馬が驚いて棹立ちになった。
「二つ玉」は、又一の一歩手前の地点に着弾し、石や土をえぐり出すように「爆裂」した。
「……玉薬を入れ過ぎだ、一巴」
さすがの信長もあきれる。
おそらく、弾を包んだ紙の中にも、玉薬を仕込んだのであろう……特製の火薬を。
試し撃ちと思って、威嚇の意も込めて適当に撃ったが、適当にしておいて良かったと思うぐらいである。
「……おい、そこのお前!」
しかし信長としては、動揺している又一の隊を手玉に取る良い機会なので、活用させてもらうことにする。
抜け目なく、筒を掃除しながら。
「なっ、何だ!」
「悪いがそこでジッとしておれ! 動くとさっきの弾を撃つ!」
「……なっ、い、いや、そんな弾、いくつもあるか! 今のだけだろう!」
又一は強がりで言っているが、結構真相に迫っていた。
一巴が信長に渡した「二つ玉」は二つである。
しゃれにもならん、と信長は苦笑したが、一巴としても滅多に作れない代物であろうから、それだけにとどめた。
「フン! ……なら、試してみるか? そういえばお前、織田の森三左が世話になったみたいだな? 礼をするのも、悪くない!」
信長が人の悪い笑顔を浮かべると、掃除を終えた筒に「二つ玉」を入れた。
又一が恐怖して、馬をうしろに下げる。
又一麾下の将兵も、同様だ。
「そうだ! そのまま動くなよ! この特製の弾は、貴様らの頭や馬頭を撃砕する! 爆ぜるぞ!」
実際は信長としてもそんな光景は見たくないので、さっさと舟べりから河原を足で蹴って、川の中へと向かう。
「く……くそ……」
又一は頭の中で、信長の次弾が普通の弾か「二つ玉」かで天秤にかけた。
結果、やはり普通の弾であろう、というかそうであってくれという方に傾いた。
「このまま、手をつかねておらりょうか! かかれ……」
「そらよ」
こともなげに信長は発射した。
わりとあっさりと。
「……ひっ、ひっ!」
又一が動揺するが、信長の狙いは水面である(今度は狙った)。
水が爆発した。
「う……わっ」
川の水がまるで豪雨のように降りそそぎ、又一とその隊は狼狽え、その隙に信長は対岸へと一気に距離を稼いだ。
「二つ玉」発射の反動を利用して。
「……しかし、最新の鉄砲でも、やはり二発が限界だな。罅が入っている」
信長は悠々と鉄砲の手入れをしながら、帰蝶らが待つ船団最後尾に追いつき、そしてそのまま尾張へと向かった。
あとに残された千石又一らは虚しく帰り、そして一色義龍は歯噛みして悔しがったという。
織田信長の声は大きくて良く響く。
それを合図に、雑人や牛馬、そして将兵らが舟に乗り始めた。
この退却にあたって、まず雑人や牛馬から船に乗せるよう指図したところに、兵站を重視し、そしてまた非戦闘員をかばう信長の胸中がうかがわれる。
木綿藤吉が雑人と牛馬の乗船が終わったことを合図すると、前田利家が「行くぞ」と怒号して将兵らをうながす。
帰蝶はその将兵らの列の一番最後にいた。
彼女がふと、信長の方を見ると、信長のさらに向こうから、一騎の武者が駆けてくるのが見えた。
「……三左!」
森三左衛門可成である。彼は、膝を斬られていた。
「山口取手介、土方久三郎らは討ち死に! 敵将・千石又一が迫っておりまする!」
お早く、と可成は膝から血が流れ出るのも厭わず、信長にそう言上した。
可成はそれ以上のことを、つまり又一と一騎打ちに及び、できる限り時間稼ぎに徹した結果、膝を斬られてしまったことは言わない。
そして、それでも現状を伝えるためにと、恥を忍んで逃げてきたことも、言わない。
「……で、あるか」
信長もそれ以上言わない。しかし可成の言わなかったことは察した。
そして叫んだ。
「三左、よっくぞ戻ったッ! では退き陣じゃ! 帰蝶がまだ乗ってないみたいじゃから、早うしろと言ってやれッ!」
「……承知!」
帰蝶としては信長を気づかって残っていたのにと言いたいところであるが、そこは黙って橋本一巴と共に、可成を担いで舟に乗せた。
「では行けい!」
信長もまた、最後に残った一艘に、ひとり乗った。
手にするは、最新式の鉄砲。
そして、鉄砲術の達人・橋本一巴の仕込んだ弾。
「……これは」
弾は、一巴特製の「二つ玉」と呼ばれるものであった。
すなわち、二つの弾丸をひとつの「玉」にして紙に包んだものである。
一発の射撃で、二発分の弾丸を撃つ。
そういう「二つ玉」である。
「一巴よ……師よ、礼を言うぞ」
一巴は信長の鉄砲術の師である。
その師への感謝の念を述べながら、信長は「二つ玉」を装填した。
すると、前方に、一色義龍の家臣・千石又一とその一隊とおぼしき集団が見えた。
「あれに見えるは、織田の本隊と見た!」
又一の大声。
信長は「二つ玉」を発射した。
ごおん。
そんな音が響いた。
「なっ、ぬわっ」
又一の馬が驚いて棹立ちになった。
「二つ玉」は、又一の一歩手前の地点に着弾し、石や土をえぐり出すように「爆裂」した。
「……玉薬を入れ過ぎだ、一巴」
さすがの信長もあきれる。
おそらく、弾を包んだ紙の中にも、玉薬を仕込んだのであろう……特製の火薬を。
試し撃ちと思って、威嚇の意も込めて適当に撃ったが、適当にしておいて良かったと思うぐらいである。
「……おい、そこのお前!」
しかし信長としては、動揺している又一の隊を手玉に取る良い機会なので、活用させてもらうことにする。
抜け目なく、筒を掃除しながら。
「なっ、何だ!」
「悪いがそこでジッとしておれ! 動くとさっきの弾を撃つ!」
「……なっ、い、いや、そんな弾、いくつもあるか! 今のだけだろう!」
又一は強がりで言っているが、結構真相に迫っていた。
一巴が信長に渡した「二つ玉」は二つである。
しゃれにもならん、と信長は苦笑したが、一巴としても滅多に作れない代物であろうから、それだけにとどめた。
「フン! ……なら、試してみるか? そういえばお前、織田の森三左が世話になったみたいだな? 礼をするのも、悪くない!」
信長が人の悪い笑顔を浮かべると、掃除を終えた筒に「二つ玉」を入れた。
又一が恐怖して、馬をうしろに下げる。
又一麾下の将兵も、同様だ。
「そうだ! そのまま動くなよ! この特製の弾は、貴様らの頭や馬頭を撃砕する! 爆ぜるぞ!」
実際は信長としてもそんな光景は見たくないので、さっさと舟べりから河原を足で蹴って、川の中へと向かう。
「く……くそ……」
又一は頭の中で、信長の次弾が普通の弾か「二つ玉」かで天秤にかけた。
結果、やはり普通の弾であろう、というかそうであってくれという方に傾いた。
「このまま、手をつかねておらりょうか! かかれ……」
「そらよ」
こともなげに信長は発射した。
わりとあっさりと。
「……ひっ、ひっ!」
又一が動揺するが、信長の狙いは水面である(今度は狙った)。
水が爆発した。
「う……わっ」
川の水がまるで豪雨のように降りそそぎ、又一とその隊は狼狽え、その隙に信長は対岸へと一気に距離を稼いだ。
「二つ玉」発射の反動を利用して。
「……しかし、最新の鉄砲でも、やはり二発が限界だな。罅が入っている」
信長は悠々と鉄砲の手入れをしながら、帰蝶らが待つ船団最後尾に追いつき、そしてそのまま尾張へと向かった。
あとに残された千石又一らは虚しく帰り、そして一色義龍は歯噛みして悔しがったという。
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