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第四部 陰謀の嵐
21 大義名分
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数日後、清州の城で信長がのこのこと出てくるのを心待ちにしていた織田信友と坂井大膳がふと城外を見ると、土煙が上がっていた。
「この信長を卑怯にも騙し討ちにしようなどという守護代を討つ!」
信長率いる軍勢が、まっしぐらに清洲城を目指して駆けてきていた。
信友と大膳は泡を食って城門を閉じ、ひたすら防御に徹して耐え忍んだ。
萱津合戦で信長の強さは身に沁みている。
それゆえの、防御だった。
……信長が攻めあぐんで清州から去っていくと、まず信友と大膳がやったことは「犯人捜し」であった。
「誰が信長を殺すことを洩らしたか」
案の定、梁田弥次右衛門があっさりと「自分が言った」と告げ、そしてさっさと主である斯波義統の館へと戻って行ってしまった。
それはあまりにも自然な戻りっぷりに、信友と大膳はしばらくしてから「逃げられた」と気づいたくらいである。
結局、斯波義統に弥次右衛門を出してくれと要求することになるが、それはにべもなく断られた。
「予の大事な家来をいかがするつもりじゃ」
「それは……手打ちに」
「あほうか」
それを知っていて、誰が渡すかと義統は叫び、信友もさすがにいらいらとし出して、叫び返した。
「やっかあしいわ! とっととそこな下手人を出せ! 出さんかい! このお飾りが! 誰のおかげで守護の輿に座っておられると思うておる!」
「お? 言うたな? 言うてくれたな? それ言ってもうたら、もう終いじゃ! 去ね! その面、もう見とうもないわ!」
「言われんでも、戻るわい! 覚えとけよ、この輿の上のお飾りが!」
ここで常ならば、守護又代である坂井大膳が間に入って止めるところであるが、大膳もまた信長暗殺計画に噛んでいる。
それを物の見事に覆された上に、信長に清州を攻められるという醜態である。
「落とし前をつけるしか、無かろうかい」
*
その日、天文二十三年七月十二日、信友と大膳が斯波義統に対する敵意をあらわにしていると知られている中、斯波義統の嫡男、義銀は川狩りへと向かおうとしていた。
川狩りとは、川で魚なりを捕らえる催しであり、この季節では涼を取る目的で行われる。そのため、義銀は湯帷子という軽装で、輿に乗ろうとしているところを、父・義統から声がかかった。
「義銀よ」
「父上。何事じゃ」
「そちも聞いておろう、守護代の信友めと守護又代の大膳めのうわさ」
「はい。それが」
「川狩りに行くのはいいが、それでは輿に乗ったそちを討てと言っているようなもの」
尾張において、輿に乗れるは、国主・守護職である斯波家の者に限る。そのため、義統としては、義銀が川狩りにうろついていると、危ないと言いたいのだった。
だが、目に入れても痛くないほどに可愛がっている義銀が、この暑熱に川狩りに行きたいという気持ちも判る。
「……それゆえ、わが家中の強者たちを連れて行け。あやつらの慰労にもなろう」
「そう致します」
義銀の方は、義統が家臣たちのなぐさめに自分の川狩りを活用したのだと考え、笑顔で受け入れた。
こうして義銀は川狩りへと出かけ、それが義統と義銀の今生の別れとなった。
*
織田信友は斯波義銀の川狩りの話を聞き、好機と判断した。
「ばかめ。このような折りに、よりによってまともに戦える奴らを付けて、川狩りに行かせるとは」
信友は、守護又代の坂井大膳に呼びかけ、大膳は織田三位、河尻左馬丞らに呼びかけ、斯波義統の館へと攻め入った。
「守護さまご謀叛である」
と、大膳は怒り心頭で攻めかかったが、義統の家臣も奮戦して、大膳らの軍もかなりの犠牲を出したという。
だが、多勢に無勢ということもあり、とうとう義統は追い込まれ、「もはやこれまで」と火を放ち、一族三十名ほどと共に、切腹して果てた。享年、四十二歳。
大膳らは余勢を駆って、川狩りに興じているはずの義銀を襲撃したが、その時すでに義銀は逃走しており、湯帷子姿のまま、那古野の城へと落ち延びていた。
「奇貨居くべし」
信長は義銀を前にして、そう思った。
思っただけで、発言はしなかった。
場にいる一同も同様で、特に織田信光は意味ありげにうなずいていた。
「では義銀どのにおかれましては、津島の神社にて匿わせていただく」
義銀は何も考えずに、喜んだ。
津島の町は殷賑を極めており、それゆえにこそ、その津島を支配した織田信秀は興隆した。
栄える町の社に居を構えるとは、結構な優遇であると勝手に思ったのだ。
「では叔父上、義銀どのを」
「うけたまわった」
信光は下にも置かない態度で義銀を誘い、そのまま津島神社へと義銀の供の者も連れ込んでしまう。
その一方で、信長は動きを開始する。
「末森の信行に伝えよ。こたびの守護代、守護又代の謀叛は由々しきこと。ゆえに、織田弾正忠家一丸となって対処すべきである、と」
信長が即座に書状を認めると、前田又左衛門利家(前田犬千代が元服した)に「持って行け」と手渡した。
利家がかしこまって出て行くと、「湯漬け」と帰蝶に言い置いて、自身は出陣の用意に入った。
「旨い」
湯漬けをかき込みながら、信長は現状と今後の方針を、かいつまんで帰蝶に説明した。
帰蝶は留守居役としてそれを把握し、後ろ盾である斎藤道三に伝え、認識を共有する役割があるからである。
「……と、いうわけでこれから清州を攻める」
「御武運を」
「ありがたし。ついては、又左(前田利家のこと)を末森に、信行のところへ遣わした」
「……弾正忠家としてのいくさ、ですね」
「……そうだ」
帰蝶の理解の早さに信長は喜んだ。
守護・斯波義統の敵討ちという「大義名分」がある以上、信長以外の弾正忠家の者はそれに従わざるを得ない。
特に信行としては、そういう「伝統」とかを重んじる姿勢を打ち出しているため、そして信長に敵討ちの手柄をひとりじめさせてなるものか、と動き出すだろう。
そうなれば、信行がいざいくさとなれば、まず送り込むのは柴田権六勝家だろう。
「それで又左どのですか」
「ああ、アイツは勝家のことを尊敬しているしな、ちょうどいい。それに」
実は、これある時は又左を勝家のところへ遣わすようにと、かつて生前の平手政秀に耳打ちされていたという。
「爺は飄々としているようで、いろいろと考えてくれていた……」
「ありがたいことですね……」
そして湯漬けを何杯かおかわりしたあと、信長は「出る!」と出陣し、帰蝶はそれを見送るのだった。
「この信長を卑怯にも騙し討ちにしようなどという守護代を討つ!」
信長率いる軍勢が、まっしぐらに清洲城を目指して駆けてきていた。
信友と大膳は泡を食って城門を閉じ、ひたすら防御に徹して耐え忍んだ。
萱津合戦で信長の強さは身に沁みている。
それゆえの、防御だった。
……信長が攻めあぐんで清州から去っていくと、まず信友と大膳がやったことは「犯人捜し」であった。
「誰が信長を殺すことを洩らしたか」
案の定、梁田弥次右衛門があっさりと「自分が言った」と告げ、そしてさっさと主である斯波義統の館へと戻って行ってしまった。
それはあまりにも自然な戻りっぷりに、信友と大膳はしばらくしてから「逃げられた」と気づいたくらいである。
結局、斯波義統に弥次右衛門を出してくれと要求することになるが、それはにべもなく断られた。
「予の大事な家来をいかがするつもりじゃ」
「それは……手打ちに」
「あほうか」
それを知っていて、誰が渡すかと義統は叫び、信友もさすがにいらいらとし出して、叫び返した。
「やっかあしいわ! とっととそこな下手人を出せ! 出さんかい! このお飾りが! 誰のおかげで守護の輿に座っておられると思うておる!」
「お? 言うたな? 言うてくれたな? それ言ってもうたら、もう終いじゃ! 去ね! その面、もう見とうもないわ!」
「言われんでも、戻るわい! 覚えとけよ、この輿の上のお飾りが!」
ここで常ならば、守護又代である坂井大膳が間に入って止めるところであるが、大膳もまた信長暗殺計画に噛んでいる。
それを物の見事に覆された上に、信長に清州を攻められるという醜態である。
「落とし前をつけるしか、無かろうかい」
*
その日、天文二十三年七月十二日、信友と大膳が斯波義統に対する敵意をあらわにしていると知られている中、斯波義統の嫡男、義銀は川狩りへと向かおうとしていた。
川狩りとは、川で魚なりを捕らえる催しであり、この季節では涼を取る目的で行われる。そのため、義銀は湯帷子という軽装で、輿に乗ろうとしているところを、父・義統から声がかかった。
「義銀よ」
「父上。何事じゃ」
「そちも聞いておろう、守護代の信友めと守護又代の大膳めのうわさ」
「はい。それが」
「川狩りに行くのはいいが、それでは輿に乗ったそちを討てと言っているようなもの」
尾張において、輿に乗れるは、国主・守護職である斯波家の者に限る。そのため、義統としては、義銀が川狩りにうろついていると、危ないと言いたいのだった。
だが、目に入れても痛くないほどに可愛がっている義銀が、この暑熱に川狩りに行きたいという気持ちも判る。
「……それゆえ、わが家中の強者たちを連れて行け。あやつらの慰労にもなろう」
「そう致します」
義銀の方は、義統が家臣たちのなぐさめに自分の川狩りを活用したのだと考え、笑顔で受け入れた。
こうして義銀は川狩りへと出かけ、それが義統と義銀の今生の別れとなった。
*
織田信友は斯波義銀の川狩りの話を聞き、好機と判断した。
「ばかめ。このような折りに、よりによってまともに戦える奴らを付けて、川狩りに行かせるとは」
信友は、守護又代の坂井大膳に呼びかけ、大膳は織田三位、河尻左馬丞らに呼びかけ、斯波義統の館へと攻め入った。
「守護さまご謀叛である」
と、大膳は怒り心頭で攻めかかったが、義統の家臣も奮戦して、大膳らの軍もかなりの犠牲を出したという。
だが、多勢に無勢ということもあり、とうとう義統は追い込まれ、「もはやこれまで」と火を放ち、一族三十名ほどと共に、切腹して果てた。享年、四十二歳。
大膳らは余勢を駆って、川狩りに興じているはずの義銀を襲撃したが、その時すでに義銀は逃走しており、湯帷子姿のまま、那古野の城へと落ち延びていた。
「奇貨居くべし」
信長は義銀を前にして、そう思った。
思っただけで、発言はしなかった。
場にいる一同も同様で、特に織田信光は意味ありげにうなずいていた。
「では義銀どのにおかれましては、津島の神社にて匿わせていただく」
義銀は何も考えずに、喜んだ。
津島の町は殷賑を極めており、それゆえにこそ、その津島を支配した織田信秀は興隆した。
栄える町の社に居を構えるとは、結構な優遇であると勝手に思ったのだ。
「では叔父上、義銀どのを」
「うけたまわった」
信光は下にも置かない態度で義銀を誘い、そのまま津島神社へと義銀の供の者も連れ込んでしまう。
その一方で、信長は動きを開始する。
「末森の信行に伝えよ。こたびの守護代、守護又代の謀叛は由々しきこと。ゆえに、織田弾正忠家一丸となって対処すべきである、と」
信長が即座に書状を認めると、前田又左衛門利家(前田犬千代が元服した)に「持って行け」と手渡した。
利家がかしこまって出て行くと、「湯漬け」と帰蝶に言い置いて、自身は出陣の用意に入った。
「旨い」
湯漬けをかき込みながら、信長は現状と今後の方針を、かいつまんで帰蝶に説明した。
帰蝶は留守居役としてそれを把握し、後ろ盾である斎藤道三に伝え、認識を共有する役割があるからである。
「……と、いうわけでこれから清州を攻める」
「御武運を」
「ありがたし。ついては、又左(前田利家のこと)を末森に、信行のところへ遣わした」
「……弾正忠家としてのいくさ、ですね」
「……そうだ」
帰蝶の理解の早さに信長は喜んだ。
守護・斯波義統の敵討ちという「大義名分」がある以上、信長以外の弾正忠家の者はそれに従わざるを得ない。
特に信行としては、そういう「伝統」とかを重んじる姿勢を打ち出しているため、そして信長に敵討ちの手柄をひとりじめさせてなるものか、と動き出すだろう。
そうなれば、信行がいざいくさとなれば、まず送り込むのは柴田権六勝家だろう。
「それで又左どのですか」
「ああ、アイツは勝家のことを尊敬しているしな、ちょうどいい。それに」
実は、これある時は又左を勝家のところへ遣わすようにと、かつて生前の平手政秀に耳打ちされていたという。
「爺は飄々としているようで、いろいろと考えてくれていた……」
「ありがたいことですね……」
そして湯漬けを何杯かおかわりしたあと、信長は「出る!」と出陣し、帰蝶はそれを見送るのだった。
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