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第三部 傅役(もりやく)の死
17 今、戦いの時
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一方その頃、今川義元は。
頃合いと見て、織田家との和睦を破棄し、尾張・知多への侵攻の意志をあらわにした。そして手始めに鴫原の重原城を落とした。
岡崎城、安城城、重原城と、着々とその触手を伸ばしていく今川義元。
この圧力に音を上げたのか、寺本城の花井という土豪が今川に転向した。
これにより、緒川城の水野信元は、那古野城の織田信長との繋がりを断たれることになる(寺本城は、緒川城から見て、那古野の方にある城)。
信元は、ついに形式上の今川への臣従をかなぐり捨てた。
「もはやこれまで。織田に助けを依頼せよ」
この時点で、東条松平家の松平義春は緒川城の目と鼻の先に村木砦を築き始めていた。
しかし信長はどこまでも冷静で、「やらせておけ」と信元に伝えた。
「砦は作らせておけばよい。砦を作っている最中は、攻めることはあるまい」
実際に義元は信元に対して攻勢に出ることは無く、ただ使いの者を寄越して、「今川につけ」と言ってくるのみであった。
「これは、何としたことじゃ」
緒川城の信元は不審がるが、那古野城の信長は見抜いていた。
「義元め、ついに三国同盟が大詰めじゃな。駿府に戻ったと見える」
甲相駿三国同盟。
今川、武田、北条の、互いの嫡男、姫の婚姻による同盟である。
同盟の証が子どもたちの婚姻であるため、義元としても駿府に戻って直々に手配をする必要があった。
「それゆえにこそ、攻めるのではなくの、砦作りよ。使いの者を寄越すだけよ」
好機だ、と信長は思ったが焦らない。
今少し、もう少し砦の将兵が「いくさは無いんだ」と油断させる時分まで待つ。
*
そして時が来た。
年が変わり、天文二十三年一月。
年を越えたため、これが節目と村木砦を守る松平義春も「今後、義元どのが三河に戻るまで、堅守」として、毎日静かに過ごしていると聞く。
「濃! 義父上に使いを!」
「かしこまってございます」
那古野城の織田信長は、妻であり美濃への外交を担当する帰蝶に、正式に美濃国主・斎藤道三への援軍を依頼するよう言った。
帰蝶は、侍女の吉野に頼んで最も速い駿馬を用意してもらい、自ら美濃・稲葉山城へと向かった。
稲葉山城で待っていたのは、父・道三ではなく、兄・義龍だった。
「何だ、妹よ」
義龍は道三の側室・深芳野の子であるため、正室・小見の方の子であるとされる帰蝶に対し、含むところがあった。
「兄上、かねてから父上と話しておりましたが、援軍を頂戴しとうございます」
「援軍? さようなことを父上が?」
白々しいまでの義龍の態度であった。安藤守就あたりから聞いているはずなのに。
だがそれも帰蝶の想定内である。
「ええ、兄上。夫・信長が清州の守護代・織田信友と、一大決戦を挑む所存です」
「清州?」
これは素の驚きである。義龍は、対今川としての援軍と聞いていたはずなのに、今、帰蝶は「清州」と言った。
だがどちらにせよ断るまでのこと。
今、美濃の覇権を握るために、美濃の兵を、義龍の兵を一兵たりとも損なうわけにはいかない。
「……妹よ」
「何です」
「お互い、知らぬふりはやめよう。聞いておるだろう? その援軍とやら、美濃の誰も手を挙げぬ。判っているはずだ。美濃の誰が、『尾張のため』に血を流したい?」
ただ一人、安藤守就が、一兵も失わず、十日以内なら良いと言うておるがな、と義龍は嘲笑った。
「ではその安藤どのをお願いします」
「……何だと?」
「安藤どのをお願いします、と申し上げました。お互い、知らぬふりはやめるのでしょう? こちらもその安藤どのの『放言』、聞いておりますし、今、他ならぬ兄上自身が言いましたな」
「貴様……」
「勝負あったな、義龍」
義龍が目を見開くと、いつの間にか、場に父・道三が座っていた。
「……わしが許しを与えても良いと思うたがな、義龍。嫡子のお前も許した方が、安藤もやり易いだろうと思うて、の」
唖然とする義龍をしり目に、道三は「安藤を呼べ」と近侍に申し付けた。
「……では、親子仲良く、安藤に命じようではないか。尾張にて、一兵も損なわず、十日以内で、と」
「し、しかし」
「まあ聞け、義龍。帰蝶、安藤にどのように働いてもらうか、義龍に説明せよ」
「かしこまってございます」
帰蝶は信長の策を打ち明け、義龍は「そのようなことが」とうめき、そしてそれ以上は何も言わなかった。
*
尾張。
那古野城。
信長は動き始めていた。
「清州を討つ!」
敵対姿勢をあらわにしている清州の尾張守護代、織田大和守家は騒然とした。
まさか、信長の方から自分たちを討つと言ってくるとは。
「は、話がちがう。話がちがうぞ、大膳」
守護代・織田信友は家老の坂井大膳を呼び寄せて、そう零した。
当初の計画では、今川の村木なり鳴海なりの城砦を信長が攻めたら、その後ろから那古野を奪う、ということになっていた。
それが。
「あ、あべこべではないか、これでは。先に清州が攻められては」
清州が攻められている最中に、今川が那古野を盗る。
これでは、今川の一人勝ちではないか。
坂井大膳も同様の混乱を示し、「とにかく確認を」と言って、清州城にこもって、信長の様子を探るという安全策に出た。
……一人、守護である斯波義統は「そんなことあるかのう」と太平楽を述べながら、息子の義銀と鷹狩に出かけてしまったという。
あとでそれを知った大膳は歯噛みしながらも、織田三位らに後を追わせ、護衛をさせた。
「あの役立たずの守護職めが。人質にされたらどうするのか」
この時の大膳のいらつきが、のちの義統の悲運につながるが、当人同士はまだ知る由も無かった。
頃合いと見て、織田家との和睦を破棄し、尾張・知多への侵攻の意志をあらわにした。そして手始めに鴫原の重原城を落とした。
岡崎城、安城城、重原城と、着々とその触手を伸ばしていく今川義元。
この圧力に音を上げたのか、寺本城の花井という土豪が今川に転向した。
これにより、緒川城の水野信元は、那古野城の織田信長との繋がりを断たれることになる(寺本城は、緒川城から見て、那古野の方にある城)。
信元は、ついに形式上の今川への臣従をかなぐり捨てた。
「もはやこれまで。織田に助けを依頼せよ」
この時点で、東条松平家の松平義春は緒川城の目と鼻の先に村木砦を築き始めていた。
しかし信長はどこまでも冷静で、「やらせておけ」と信元に伝えた。
「砦は作らせておけばよい。砦を作っている最中は、攻めることはあるまい」
実際に義元は信元に対して攻勢に出ることは無く、ただ使いの者を寄越して、「今川につけ」と言ってくるのみであった。
「これは、何としたことじゃ」
緒川城の信元は不審がるが、那古野城の信長は見抜いていた。
「義元め、ついに三国同盟が大詰めじゃな。駿府に戻ったと見える」
甲相駿三国同盟。
今川、武田、北条の、互いの嫡男、姫の婚姻による同盟である。
同盟の証が子どもたちの婚姻であるため、義元としても駿府に戻って直々に手配をする必要があった。
「それゆえにこそ、攻めるのではなくの、砦作りよ。使いの者を寄越すだけよ」
好機だ、と信長は思ったが焦らない。
今少し、もう少し砦の将兵が「いくさは無いんだ」と油断させる時分まで待つ。
*
そして時が来た。
年が変わり、天文二十三年一月。
年を越えたため、これが節目と村木砦を守る松平義春も「今後、義元どのが三河に戻るまで、堅守」として、毎日静かに過ごしていると聞く。
「濃! 義父上に使いを!」
「かしこまってございます」
那古野城の織田信長は、妻であり美濃への外交を担当する帰蝶に、正式に美濃国主・斎藤道三への援軍を依頼するよう言った。
帰蝶は、侍女の吉野に頼んで最も速い駿馬を用意してもらい、自ら美濃・稲葉山城へと向かった。
稲葉山城で待っていたのは、父・道三ではなく、兄・義龍だった。
「何だ、妹よ」
義龍は道三の側室・深芳野の子であるため、正室・小見の方の子であるとされる帰蝶に対し、含むところがあった。
「兄上、かねてから父上と話しておりましたが、援軍を頂戴しとうございます」
「援軍? さようなことを父上が?」
白々しいまでの義龍の態度であった。安藤守就あたりから聞いているはずなのに。
だがそれも帰蝶の想定内である。
「ええ、兄上。夫・信長が清州の守護代・織田信友と、一大決戦を挑む所存です」
「清州?」
これは素の驚きである。義龍は、対今川としての援軍と聞いていたはずなのに、今、帰蝶は「清州」と言った。
だがどちらにせよ断るまでのこと。
今、美濃の覇権を握るために、美濃の兵を、義龍の兵を一兵たりとも損なうわけにはいかない。
「……妹よ」
「何です」
「お互い、知らぬふりはやめよう。聞いておるだろう? その援軍とやら、美濃の誰も手を挙げぬ。判っているはずだ。美濃の誰が、『尾張のため』に血を流したい?」
ただ一人、安藤守就が、一兵も失わず、十日以内なら良いと言うておるがな、と義龍は嘲笑った。
「ではその安藤どのをお願いします」
「……何だと?」
「安藤どのをお願いします、と申し上げました。お互い、知らぬふりはやめるのでしょう? こちらもその安藤どのの『放言』、聞いておりますし、今、他ならぬ兄上自身が言いましたな」
「貴様……」
「勝負あったな、義龍」
義龍が目を見開くと、いつの間にか、場に父・道三が座っていた。
「……わしが許しを与えても良いと思うたがな、義龍。嫡子のお前も許した方が、安藤もやり易いだろうと思うて、の」
唖然とする義龍をしり目に、道三は「安藤を呼べ」と近侍に申し付けた。
「……では、親子仲良く、安藤に命じようではないか。尾張にて、一兵も損なわず、十日以内で、と」
「し、しかし」
「まあ聞け、義龍。帰蝶、安藤にどのように働いてもらうか、義龍に説明せよ」
「かしこまってございます」
帰蝶は信長の策を打ち明け、義龍は「そのようなことが」とうめき、そしてそれ以上は何も言わなかった。
*
尾張。
那古野城。
信長は動き始めていた。
「清州を討つ!」
敵対姿勢をあらわにしている清州の尾張守護代、織田大和守家は騒然とした。
まさか、信長の方から自分たちを討つと言ってくるとは。
「は、話がちがう。話がちがうぞ、大膳」
守護代・織田信友は家老の坂井大膳を呼び寄せて、そう零した。
当初の計画では、今川の村木なり鳴海なりの城砦を信長が攻めたら、その後ろから那古野を奪う、ということになっていた。
それが。
「あ、あべこべではないか、これでは。先に清州が攻められては」
清州が攻められている最中に、今川が那古野を盗る。
これでは、今川の一人勝ちではないか。
坂井大膳も同様の混乱を示し、「とにかく確認を」と言って、清州城にこもって、信長の様子を探るという安全策に出た。
……一人、守護である斯波義統は「そんなことあるかのう」と太平楽を述べながら、息子の義銀と鷹狩に出かけてしまったという。
あとでそれを知った大膳は歯噛みしながらも、織田三位らに後を追わせ、護衛をさせた。
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