上 下
2 / 7
第一章 太陽の音を忘れない ~神戸信孝一代記~

02 四国征伐

しおりを挟む
 天正十年五月二十八日。
 「南海の総管」と称された神戸信孝は、四国征伐軍一万四千を率いて住吉に着陣。
 一方でその副将とされた津田信澄は、大坂に着陣した。
 というのも、四国征伐軍が、実際に四国に渡海するにあたって舟が要るためである。
 事前に九鬼水軍に手を回して、鉄甲船九隻に加えて、百艘の船団を用意してあるが、それでも足りず、信孝は堺からさらなる舟二百艘の供出を要求していた。

「あきまへん。そんな仰山ぎょうさんの舟なんて、迷惑や」

 住吉。
 ここの信孝の本陣に招かれた、堺の商人たちは口々にそう言った。
 だが、強情な性格である信孝は、そのような抗議に、耳を貸さない。

「迷惑だろうが、かまわん。出せるものは出せ!」

 並みいる商人たちを睥睨へいげいし、信孝は、自らの旗印を指差した。

「これが目に入らぬか!」

 これ、と言われた旗印。
 それには、弌剣平天下いっけんへいてん、と大書されていた(※脚注参照)。
 一剣をもって天下を平定するという意味であり、信孝のいくさにかける、なみなみならぬ思いがこもっていた。

「さあさあ、どうしたどうした! 天下平定のために、尽くそうとは思わんのか!」

 信孝の言うことにも一理ある。
 天下平定が成されれば、商いもまたやり易くなるであろう、と彼は言いたいのだ。
 ただし、激情家である信孝が、とにかく弌剣平天下、弌剣平天下と吼えたところで、いいから天下平定のために金銭を出せ、という風にしか捉えられなかった。

「…………」

 あいまいな笑みを浮かべる商人たちにしびれを切らし、信孝が刀の柄に手を伸ばしたその時だった。

「あいや、待たれよ」

 津田信澄が大坂から単騎、馬を飛ばして、住吉の信孝本陣に駆けつけた。
 信澄は、二回にわたる謀叛人・織田信行の子であるにもかかわらず、重臣・柴田勝家に養育され、長じては信長の秘書官的役割も果たし、織田家一の将である明智光秀の娘を妻にしていた。
 信澄はこの恩を忘れずにおり、たとえば光秀が徳川家康の接待に失敗したとき、そのあとを受けてこなし、見事、織田家の面目を施している。
 そんな信澄だから、ごくあっさりと信孝に頭を下げた。

「信孝どの、ここはこの信澄に免じて、どうか、どうか」

「……信澄どの、さようなことをされてもだな」

 信孝としては、織田家で自分と同格の信澄が頭を下げてきた以上、無下にはできない。
 黙って刀の柄から手を放した。

「どうであろう、信孝どの、この場はこの信澄にお任せあれば」

「…………」

 信澄め、ここで堺の商人たちに恩を売って、何か策しているのか。
 それは信孝の単なる疑念であり、彼は同格である信澄を思っており、それがこのような解釈を生んだ。
 そしてその解釈は、次なる信孝の言葉を生んだ。
 すなわち、

「面白い。ならば任せよう。舟二百、見事用意してくれ。さすればこの信孝、悪いようにはせぬ」

 元々、二百艘など用意できぬから、堺の商人たちはこのような抗議に出たのである。
 それぐらいは、信孝にも分かる。
 彼は、ならばあるだけ出せ、で話をつけるつもりであった。
 そこへ信澄の横槍が入った。
 奇貨居くべし。
 この機に、信澄を追い落としてくれる。
 これぞ、太陽の音だ。

「よいか! では任せたぞ、信澄どの! ではおれは、蜂谷の居城・岸和田へと向かうことになっておるでな」

 背に信澄の、待ってくれ、という声を聞き流しながら、信孝は、哄笑しながら馬首を南に向けた。

「ふはは、やはりおれには太陽の音が聞こえる! ついている!」



 泉州岸和田。
 岸和田城、城主の間。
 天正十年六月二日。
 信孝はこの城で、城主・蜂谷頼隆とその義兄である丹羽長秀を相手に昼間から痛飲し、大いに盛り上がっていた。

「あの時の信澄の情けない声、二人にも聞かせたかったぞ!」

 信孝は若者特有の残酷さで、酒杯片手に高笑いを上げた。
 頼隆と長秀としては、信澄の苦労が思いやられるが、今後の織田家のことを考えれば、信孝の側についていた方が無難かと思い、追従の笑みを浮かべた。
 ひとしきり笑った信孝が、どれ剣舞でもと立ち上がった時だった。

「伝令! 伝令!」

「なんだ、騒々しい」

 城主である頼隆が、家臣とおぼしき者に苦言をしようとしたが、その者が頼隆に耳打ちすると、

「ばかな」

 頼隆はうめき、近寄った長秀が何事ぞと問うと、次の瞬間それを知った長秀の顔も蒼白となった。

「なんだ、なんだ」

 信孝ひとりだけけ者のような扱いに、彼は憤慨した。
 すると、頼隆は人払いと箝口令かんこうれいを、と言って、城主の間を出て行った。
 あとに残った長秀は、落ち着いて下されと断りを入れてから、を信孝に告げた。

 ――本能寺の変を。



※「弌剣平天下いっけんへいてん」は、「天下布武」と同じ、印章の文字ですが、拙作では演出のため、旗印としました(作者註)
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

前夜 ~敵は本能寺にあり~

四谷軒
歴史・時代
【あらすじ】 織田信忠は、本能寺の変の前夜、父・信長を訪れていた。そして信長から、織田家の――信忠の今後と、明智光秀の今後についての考えを聞く。それを知った光秀は……。 【表紙画像・挿絵画像】 「きまぐれアフター」様より

年明けこそ鬼笑う ―東寺合戦始末記― ~足利尊氏、その最後の戦い~

四谷軒
歴史・時代
【あらすじ】 南北朝時代、南朝の宰相、そして軍師ともいうべき、准后(じゅごう)・北畠親房、死す。 その兇報と共に、親房の臨終の言葉として、まことしやかに「その一言」が伝わってきた。 「年明けこそ鬼笑う」――と。 親房の最期の言葉は何を意味するのか―― 楠木正成、新田義貞、高師直、足利直義といった英傑たちが死し、時代は次世代へと向かう最中、ひとり生き残った足利尊氏は、北畠親房の最期の機略に、どう対するのか。 【登場人物】 北畠親房:南朝の宰相にして軍師。故人。 足利尊氏:北朝の征夷大将軍、足利幕府初代将軍。 足利義詮:尊氏の三男、北朝・足利幕府二代将軍。長兄夭折、次兄が庶子のため、嫡子となる。 足利基氏:尊氏の四男、北朝・初代関東公方。通称・鎌倉公方だが、防衛のため入間川に陣を構える。 足利直冬:尊氏の次男。庶子のため、尊氏の弟・直義の養子となる。南朝に与し、京へ攻め入る。 楠木正儀:楠木正成の三男、南朝の軍事指導者。直冬に連動して、京へ攻め入る。 【表紙画像】 「きまぐれアフター」様より

STRIKE BACK ! ~ 中国大返し、あるいは、この国を動かした十日間を、ねね(北政所)と共に~

四谷軒
歴史・時代
【あらすじ】 天正十年六月二日――明智光秀、挙兵。いわゆる本能寺の変が起こった。 その時、本能寺に居合わせた、羽柴秀吉の妻・ねねは、京から瀬田、安土、長浜と逃がれていくが、その長浜が落城してしまう。一方で秀吉は中国攻めの真っ最中であったが、ねねからの知らせにより、中国大返しを敢行し、京へ戻るべく驀進(ばくしん)する。 近畿と中国、ふたつに別れたねねと秀吉。ふたりは光秀を打倒し、やがて天下を取るために動き出す。 【表紙画像】 「ぐったりにゃんこのホームページ」様より

鎮魂の絵師

霞花怜
歴史・時代
絵師・栄松斎長喜は、蔦屋重三郎が営む耕書堂に居住する絵師だ。ある春の日に、斎藤十郎兵衛と名乗る男が連れてきた「喜乃」という名の少女とで出会う。五歳の娘とは思えぬ美貌を持ちながら、周囲の人間に異常な敵愾心を抱く喜乃に興味を引かれる。耕書堂に居住で丁稚を始めた喜乃に懐かれ、共に過ごすようになる。長喜の真似をして絵を描き始めた喜乃に、自分の師匠である鳥山石燕を紹介する長喜。石燕の暮らす吾柳庵には、二人の妖怪が居住し、石燕の世話をしていた。妖怪とも仲良くなり、石燕の指導の下、絵の才覚を現していく喜乃。「絵師にはしてやれねぇ」という蔦重の真意がわからぬまま、喜乃を見守り続ける。ある日、喜乃にずっとついて回る黒い影に気が付いて、嫌な予感を覚える長喜。どう考えても訳ありな身の上である喜乃を気に掛ける長喜に「深入りするな」と忠言する京伝。様々な人々に囲まれながらも、どこか独りぼっちな喜乃を長喜は放っておけなかった。娘を育てるような気持で喜乃に接する長喜だが、師匠の石燕もまた、孫に接するように喜乃に接する。そんなある日、石燕から「俺の似絵を描いてくれ」と頼まれる。長喜が書いた似絵は、魂を冥府に誘う道標になる。それを知る石燕からの依頼であった。 【カクヨム・小説家になろう・アルファポリスに同作品掲載中】 ※各話の最後に小噺を載せているのはアルファポリスさんだけです。(カクヨムは第1章だけ載ってますが需要ないのでやめました)

信長を斬った女

織田三郎
歴史・時代
私説・本能寺の変。

時雨太夫

歴史・時代
江戸・吉原。 大見世喜瀬屋の太夫時雨が自分の見世が巻き込まれた事件を解決する物語です。

真夏の温泉物語

矢木羽研
青春
山奥の温泉にのんびり浸かっていた俺の前に現れた謎の少女は何者……?ちょっとエッチ(R15)で切ない、真夏の白昼夢。 ※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。

紀伊国屋文左衛門の白い玉

家紋武範
歴史・時代
 紀州に文吉という少年がいた。彼は拾われっ子で、農家の下男だった。死ぬまで農家のどれいとなる運命の子だ。  そんな文吉は近所にすむ、同じく下女の“みつ”に恋をした。二人は将来を誓い合い、金を得て農地を買って共に暮らすことを約束した。それを糧に生きたのだ。  しかし“みつ”は人買いに買われていった。将来は遊女になるのであろう。文吉はそれを悔しがって見つめることしか出来ない。  金さえあれば──。それが文吉を突き動かす。  下男を辞め、醤油問屋に奉公に出て使いに出される。その帰り、稲荷神社のお社で休憩していると不思議な白い玉に“出会った”。  超貧乏奴隷が日本一の大金持ちになる成り上がりストーリー!!

処理中です...