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第一章 太陽の音を忘れない ~神戸信孝一代記~
02 四国征伐
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天正十年五月二十八日。
「南海の総管」と称された神戸信孝は、四国征伐軍一万四千を率いて住吉に着陣。
一方でその副将とされた津田信澄は、大坂に着陣した。
というのも、四国征伐軍が、実際に四国に渡海するにあたって舟が要るためである。
事前に九鬼水軍に手を回して、鉄甲船九隻に加えて、百艘の船団を用意してあるが、それでも足りず、信孝は堺からさらなる舟二百艘の供出を要求していた。
「あきまへん。そんな仰山の舟なんて、迷惑や」
住吉。
ここの信孝の本陣に招かれた、堺の商人たちは口々にそう言った。
だが、強情な性格である信孝は、そのような抗議に、耳を貸さない。
「迷惑だろうが、かまわん。出せるものは出せ!」
並みいる商人たちを睥睨し、信孝は、自らの旗印を指差した。
「これが目に入らぬか!」
これ、と言われた旗印。
それには、弌剣平天下、と大書されていた(※脚注参照)。
一剣を以て天下を平定するという意味であり、信孝のいくさにかける、なみなみならぬ思いがこもっていた。
「さあさあ、どうしたどうした! 天下平定のために、尽くそうとは思わんのか!」
信孝の言うことにも一理ある。
天下平定が成されれば、商いもまたやり易くなるであろう、と彼は言いたいのだ。
ただし、激情家である信孝が、とにかく弌剣平天下、弌剣平天下と吼えたところで、いいから天下平定のために金銭を出せ、という風にしか捉えられなかった。
「…………」
あいまいな笑みを浮かべる商人たちにしびれを切らし、信孝が刀の柄に手を伸ばしたその時だった。
「あいや、待たれよ」
津田信澄が大坂から単騎、馬を飛ばして、住吉の信孝本陣に駆けつけた。
信澄は、二回にわたる謀叛人・織田信行の子であるにもかかわらず、重臣・柴田勝家に養育され、長じては信長の秘書官的役割も果たし、織田家一の将である明智光秀の娘を妻にしていた。
信澄はこの恩を忘れずにおり、たとえば光秀が徳川家康の接待に失敗したとき、そのあとを受けてそつなくこなし、見事、織田家の面目を施している。
そんな信澄だから、ごくあっさりと信孝に頭を下げた。
「信孝どの、ここはこの信澄に免じて、どうか、どうか」
「……信澄どの、さようなことをされてもだな」
信孝としては、織田家で自分と同格の信澄が頭を下げてきた以上、無下にはできない。
黙って刀の柄から手を放した。
「どうであろう、信孝どの、この場はこの信澄にお任せあれば」
「…………」
信澄め、ここで堺の商人たちに恩を売って、何か策しているのか。
それは信孝の単なる疑念であり、彼は同格である信澄をいけ好かなく思っており、それがこのような解釈を生んだ。
そしてその解釈は、次なる信孝の言葉を生んだ。
すなわち、
「面白い。ならば任せよう。舟二百、見事用意してくれ。さすればこの信孝、悪いようにはせぬ」
元々、二百艘など用意できぬから、堺の商人たちはこのような抗議に出たのである。
それぐらいは、信孝にも分かる。
彼は、ならばあるだけ出せ、で話をつけるつもりであった。
そこへ信澄の横槍が入った。
奇貨居くべし。
この機に、信澄を追い落としてくれる。
これぞ、太陽の音だ。
「よいか! では任せたぞ、信澄どの! ではおれは、蜂谷の居城・岸和田へと向かうことになっておるでな」
背に信澄の、待ってくれ、という声を聞き流しながら、信孝は、哄笑しながら馬首を南に向けた。
「ふはは、やはりおれには太陽の音が聞こえる! ついている!」
*
泉州岸和田。
岸和田城、城主の間。
天正十年六月二日。
信孝はこの城で、城主・蜂谷頼隆とその義兄である丹羽長秀を相手に昼間から痛飲し、大いに盛り上がっていた。
「あの時の信澄の情けない声、二人にも聞かせたかったぞ!」
信孝は若者特有の残酷さで、酒杯片手に高笑いを上げた。
頼隆と長秀としては、信澄の苦労が思いやられるが、今後の織田家のことを考えれば、信孝の側についていた方が無難かと思い、追従の笑みを浮かべた。
ひとしきり笑った信孝が、どれ剣舞でもと立ち上がった時だった。
「伝令! 伝令!」
「なんだ、騒々しい」
城主である頼隆が、家臣とおぼしき者に苦言をしようとしたが、その者が頼隆に耳打ちすると、
「ばかな」
頼隆はうめき、近寄った長秀が何事ぞと問うと、次の瞬間それを知った長秀の顔も蒼白となった。
「なんだ、なんだ」
信孝ひとりだけ除け者のような扱いに、彼は憤慨した。
すると、頼隆は人払いと箝口令を、と言って、城主の間を出て行った。
あとに残った長秀は、落ち着いて下されと断りを入れてから、それを信孝に告げた。
――本能寺の変を。
※「弌剣平天下」は、「天下布武」と同じ、印章の文字ですが、拙作では演出のため、旗印としました(作者註)
「南海の総管」と称された神戸信孝は、四国征伐軍一万四千を率いて住吉に着陣。
一方でその副将とされた津田信澄は、大坂に着陣した。
というのも、四国征伐軍が、実際に四国に渡海するにあたって舟が要るためである。
事前に九鬼水軍に手を回して、鉄甲船九隻に加えて、百艘の船団を用意してあるが、それでも足りず、信孝は堺からさらなる舟二百艘の供出を要求していた。
「あきまへん。そんな仰山の舟なんて、迷惑や」
住吉。
ここの信孝の本陣に招かれた、堺の商人たちは口々にそう言った。
だが、強情な性格である信孝は、そのような抗議に、耳を貸さない。
「迷惑だろうが、かまわん。出せるものは出せ!」
並みいる商人たちを睥睨し、信孝は、自らの旗印を指差した。
「これが目に入らぬか!」
これ、と言われた旗印。
それには、弌剣平天下、と大書されていた(※脚注参照)。
一剣を以て天下を平定するという意味であり、信孝のいくさにかける、なみなみならぬ思いがこもっていた。
「さあさあ、どうしたどうした! 天下平定のために、尽くそうとは思わんのか!」
信孝の言うことにも一理ある。
天下平定が成されれば、商いもまたやり易くなるであろう、と彼は言いたいのだ。
ただし、激情家である信孝が、とにかく弌剣平天下、弌剣平天下と吼えたところで、いいから天下平定のために金銭を出せ、という風にしか捉えられなかった。
「…………」
あいまいな笑みを浮かべる商人たちにしびれを切らし、信孝が刀の柄に手を伸ばしたその時だった。
「あいや、待たれよ」
津田信澄が大坂から単騎、馬を飛ばして、住吉の信孝本陣に駆けつけた。
信澄は、二回にわたる謀叛人・織田信行の子であるにもかかわらず、重臣・柴田勝家に養育され、長じては信長の秘書官的役割も果たし、織田家一の将である明智光秀の娘を妻にしていた。
信澄はこの恩を忘れずにおり、たとえば光秀が徳川家康の接待に失敗したとき、そのあとを受けてそつなくこなし、見事、織田家の面目を施している。
そんな信澄だから、ごくあっさりと信孝に頭を下げた。
「信孝どの、ここはこの信澄に免じて、どうか、どうか」
「……信澄どの、さようなことをされてもだな」
信孝としては、織田家で自分と同格の信澄が頭を下げてきた以上、無下にはできない。
黙って刀の柄から手を放した。
「どうであろう、信孝どの、この場はこの信澄にお任せあれば」
「…………」
信澄め、ここで堺の商人たちに恩を売って、何か策しているのか。
それは信孝の単なる疑念であり、彼は同格である信澄をいけ好かなく思っており、それがこのような解釈を生んだ。
そしてその解釈は、次なる信孝の言葉を生んだ。
すなわち、
「面白い。ならば任せよう。舟二百、見事用意してくれ。さすればこの信孝、悪いようにはせぬ」
元々、二百艘など用意できぬから、堺の商人たちはこのような抗議に出たのである。
それぐらいは、信孝にも分かる。
彼は、ならばあるだけ出せ、で話をつけるつもりであった。
そこへ信澄の横槍が入った。
奇貨居くべし。
この機に、信澄を追い落としてくれる。
これぞ、太陽の音だ。
「よいか! では任せたぞ、信澄どの! ではおれは、蜂谷の居城・岸和田へと向かうことになっておるでな」
背に信澄の、待ってくれ、という声を聞き流しながら、信孝は、哄笑しながら馬首を南に向けた。
「ふはは、やはりおれには太陽の音が聞こえる! ついている!」
*
泉州岸和田。
岸和田城、城主の間。
天正十年六月二日。
信孝はこの城で、城主・蜂谷頼隆とその義兄である丹羽長秀を相手に昼間から痛飲し、大いに盛り上がっていた。
「あの時の信澄の情けない声、二人にも聞かせたかったぞ!」
信孝は若者特有の残酷さで、酒杯片手に高笑いを上げた。
頼隆と長秀としては、信澄の苦労が思いやられるが、今後の織田家のことを考えれば、信孝の側についていた方が無難かと思い、追従の笑みを浮かべた。
ひとしきり笑った信孝が、どれ剣舞でもと立ち上がった時だった。
「伝令! 伝令!」
「なんだ、騒々しい」
城主である頼隆が、家臣とおぼしき者に苦言をしようとしたが、その者が頼隆に耳打ちすると、
「ばかな」
頼隆はうめき、近寄った長秀が何事ぞと問うと、次の瞬間それを知った長秀の顔も蒼白となった。
「なんだ、なんだ」
信孝ひとりだけ除け者のような扱いに、彼は憤慨した。
すると、頼隆は人払いと箝口令を、と言って、城主の間を出て行った。
あとに残った長秀は、落ち着いて下されと断りを入れてから、それを信孝に告げた。
――本能寺の変を。
※「弌剣平天下」は、「天下布武」と同じ、印章の文字ですが、拙作では演出のため、旗印としました(作者註)
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