相剋 ~毛利元就、安芸を制すまでの軌跡~ - rising sun -

四谷軒

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三十六 向背

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 歳月が経ち――尼子家は、尼子経久は隠居し、その嫡孫、尼子詮久あきひさが家督を継いだ。詮久の下、新体制を整えた尼子家は、天下人となるべく、播磨にまで進出した。
 しかし――

「安芸にて、異変」

 その急報に接したのは、出雲いずもにて留守居を務めていた、尼子経久である。
 経久は即座に、その変事を伝えに来た亀井秀綱に詳細を聞いた。

「いかなることぞ」

「安芸、東西条とうさいじょうにて……」

「東西条だと」

 かつて、鏡城という城があった土地の名を聞いて、経久は片方の眉を上げた。

「は、東西条、頭崎かしらざき城……平賀の城が、今や、陥落寸前でございます」

「平賀の……頭崎城が」

 経久はうめいた。
 鏡城を陥落せしめたのち、平賀家は東西条の守りに不安を感じ、新たに城を築いた。それが頭崎城であり、以後、尼子方の安芸の要衝として機能していた。
 先年来、その頭崎城は、大内家の攻勢に遭っていた。しかし、さすがに平賀家が新たなる防御の拠点をと築城した甲斐あってか、これまで持ちこたえていた。
 それが、落城手前とは。

「だ、誰じゃ。誰にだ」

「……毛利です」

「…………」



 毛利元就は経久の隠居を待っていたかのように、嫡男・少輔太郎――すなわち毛利隆元を大内家に人質に出した。ついに、尼子から手を切り、大内についたと旗幟を鮮明にした。
 鏡城の戦い、そして家督相続以来、これまで尼子方の国人として、身を粉にして働いてきた毛利元就の「背信」に、経久は激怒した。

小童こわっぱめが。いきがるな」

 おのれ。
 またしても、相剋の謀略により、害してくれる。
 そう思った経久であるが、孫の新当主・詮久は、一笑に付した。

「良いではありませぬか」

「何故じゃ」

「尼子はこれより天下を目指します。祖父どののおかげをもちまして、尼子は伸びた。もはや、毛利のような一介の国人にかかずらわっている暇はござらん。相手するなら、むしろ、大内」

 だがその大内すらも手玉に取ってみせると意気込む詮久である。
 そこまで言われては、隠居の身である経久には、もう何も言えなくなってしまった。
 期待をかけた嫡孫・詮久が、そこまで言い切るのなら、任せるのが祖父の道と思い、引き下がることにした。
 ……実際、尼子詮久はよくやった。手始めに大内家から石見銀山を奪い取り、そしてかねてから経久と計画していた上洛への戦いを始め、因幡を攻略し、次いで播磨の赤松家を撃破した。
 そして上洛へ指呼しこかんというところまで迫った折りに、この安芸の東西条、頭崎城の落城寸前との報である。安芸の要衝、東西条を大内に取られては、尼子の安芸支配が揺らぐ。
 さらに凶報は重なる。
 頭崎城の急報に前後して、安芸・佐東銀山さとうかなやま城主、安芸武田家・武田光和が急死したのである。

「時こそ、至れり」

 元就はこの機を逃さずに平賀を攻め、撃破した。
 このままでは、東西条・頭崎城に加えて、佐東銀山城――尼子の安芸支配の二大拠点が急速に大内家の方へと吸い寄せられてしまう。

「いかぬ、いかぬぞ」

 安芸が大内の手に戻れば、大内は勢いづく。

「そのまま、出雲へ攻めよという運びにも、なるやもしれぬ」

 そうすると三万もの兵を上洛軍に出している尼子は、押し寄せる大内に対して、すべもなく、攻め滅ぼされるであろう。

「詮久へ使いを出せ」

 経久は、詮久に対して、出雲へ帰るよう要請せざるを得なかった。



 こうなると逆に激怒するのは尼子詮久の方である。

「許せぬ」

 上洛まであと一歩手前のところまで迫りながら、みやこの寸前まで来ておきながら、帰還を余儀なくされる。
 尼子家の覇道が、天下取りがあと少しというところで停滞させられ、若い詮久は怒りに打ち震えた。

「……返すぞ」

 だが一方で冷静さを失わないのが、さすがは雲州の狼の名を継ぐ武将である。詮久とて、自身が京に入ったとしても、他ならぬ安芸、いやさ出雲が大内に盗られたとあっては、面目どころか尼子家は命数を断たれるというのは理解できた。

「……なら、この機に毛利を叩く。二度と逆らえぬように」

 詮久の目には、毛利が尼子の上洛行軍の隙を狙って攻めてきたことが、透けて見えた。

の毒虫を揉み潰し、後顧の憂いを断たん」

 若さに任せた勢いで、怒涛の如く進軍する詮久に、経久はかえって不安を覚えた。

「何かの罠ではないか」

 経久は、弟の久幸に、詮久への目付を頼む。
 ただ、久幸は亀井秀綱のように弁舌に長けているわけではない。剛直の武士らしく、また年長の叔父として、直言して詮久をいさめた。そのため、詮久から煙たがられるという事態に陥った。

「このままでは、いかん」

 この頃になると、経久は、尼子上洛軍進発の頃から感じていた、何者かの謀略の存在に見当をつけ始めていた。

「もしや、毛利が」

 ……と。
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