相剋 ~毛利元就、安芸を制すまでの軌跡~ - rising sun -

四谷軒

文字の大きさ
上 下
6 / 38

六 家督

しおりを挟む
「煮え切らぬのう」

 経久は、腹心の亀井秀綱から、毛利家中の動きを聞いて、その台詞とは裏腹にほくそ笑んだ。

「……どれ、もそっと煮詰めてやろうのう」

 経久は秀綱に耳打ちし、伝手つてを作った坂広秀や渡辺勝に対し、尼子家の子を毛利家へ差し向ける話をせよと告げた。

「ではお館さま、御曹司の内、どなたを……」

「たわけ」

 経久は本気で息子の誰かを毛利家に、と考えているわけではない。

「多治比元就と相合元綱、あの両名は『まだ』仲が良い。このままでは、どちらかが家督を継ぐにしろ……元就の方が継ぐだろうが……残り一方を臣下にするとかいう、曖昧な決着を見るだろう」

 温い、まるで意味がないと経久は断じた。

「そう……意味がないのだ。毛利の爪牙そうがを削り落とさねば。最低でも、どちらかは消えてもらう。でないと……孫が尼子を継いだ時に、厄介よ」

 やはり、嫡男の尼子政久の死は、経久の心に、大きな影を落としているのか。
 くらい目をした主君を仰ぎつつ、秀綱はそう歎じた。
 政久の次男、詮久あきひさは元服し、経久の養子という扱いで嫡子となっていた(政久の長男は夭折していた)。詮久は大器を感じさせる男ではあるが、経久としては、その覇道の邪魔になるものを、少しでも多く刈り取っておきたいのだ。

「だからこそ、尼子の子を毛利にとの流言飛語よ。これならば……元就にせよ、元綱にせよ、早急に毛利の家督を継がんと動こうて……『早急に』、のう?」

 雲州の狼。
 その異名のごとく、経久は犬歯を見せて笑うのであった。



「……是非もなし」

 毛利を継ぐと判断した元就は早かった。即座に腹心である粟屋元秀に何事かを命じ、次いで志道広良を呼び出し、家臣らの元就擁立の起請文きしょうもんを取るように頼んだ。

「起請文でございますか?」

「ああ。こたびの家督すること、下手に私が主張するより、その方が良い。でないと……」

 皆まで言わずとも、広良には分かった。尼子経久の触手が、毛利の家のそこかしこに伸びている。
 今、元就一人が毛利の家を継がんとしたところで、その触手の伸びた先の家臣たちがこばめば、どうなろうか。

「そのために、家臣一同の総意として……起請文を、ですな」

 元就は頷く。これ以上は、声高には家督を、と言わないつもりである。壁に耳あり障子に目あり。飽くまでも家臣たちの懇望を受け、という形に持っていきたいのだ。
 これは何も元就の家督への欲求から言っているのではない。そうしておかないと、元綱なり、尼子家の公子なりが己の家督を主張した場合、毛利家は、家臣たちは四分五裂して、瓦解する。

「恐るべきは尼子経久の謀略よ。かような仕儀にまでなるとは……」

 元就は経久の所業に、恐ろしさと同時に悔しさを覚えた。
 今少し、深く考えていれば。
 このような状況にはならなかったものを。
 もしや、元就の鏡城出馬を要請したときから、ここまで考えていたのやも。

 ……そう考えてもおかしくないぐらい、尼子経久の策は図に当たっていた。

「……だが」

 このままでは、済ますものか。
 歯噛みしつつもそう呟く元就であった。



 志道広良は順調に家臣たちの同意を取りつけた。しかも「反対派」と目される坂や渡辺といった家臣たちに、敢えて元就を当主にと迎えに行かせるという離れ業を見せた。

「かくなれば、いざ継がん」

 元就は愛妻・妙玖みょうきゅう(法号であるが、氏名不詳のため、妙玖と記す)と、生まれたばかりの赤子(毛利隆元)と共に、それまでの居城・多治比猿掛城を出で、毛利本家の居城・吉田郡山城へと移った。

 毛利の家 わしのはを次ぐ 脇柱

 とは、当主となった時の連歌の席で、元就がんだ歌である。
 分家である多治比の家(脇柱)であるが、毛利の家を継がせていただく、という意であり、同じく分家である相合あいおうに対しての遠慮が含まれている。
 ……そして、尼子の家など埒外であるという、裏の意味を隠していた。



「……ふん、案の定、か」

 つまらんとばかりに尼子経久はうそぶいた。
 安芸から遠く、月山富田城にいるが、手に取るように毛利家の状況は刻々と伝わってくる。
 経久は、間者に謝礼の粒銀を与えて退室させたあと、しばらく座禅するかのように瞑目めいもくし、やがて腹心の亀井秀綱を呼んだ。
 すると秀綱の側でも経久に用があるらしく、そう間を置かずに経久の前へとやって来た。

「……御前に」

「早いの」

「………」

 黙って頭を下げる秀綱に、経久は何か良くない知らせでもと思った。しかし、こういう場合、主君である経久に用がある言った場合、けして自分からの用は先に告げない男だった。
 それを知っている経久は、気にはしながらも、口を開ける。

「済まんが、また毛利をかき回してくれんか」

「……されば、いかように」

「案の定、元就が毛利元就となったようだが」

 経久は眼光を鋭くする。この場にいない元就を睨むかのように。

「……なったようだが、家臣たちはいかに」

「坂や渡辺といった輩は……不満がありましょう」

 奥歯に物が挟まったような物言いだな、と経久は感じたが、こちらの用件を言い切らないと、秀綱は何も言うまいとも思い、語った。

「煽れ。ちょうど、尼子の子が毛利にならば、側近にしてやるとでも言って」

「…………」

 沈黙する秀綱であったが、やがて口を開いた。

「お館さま」

「なんだ」

「粟屋元秀……覚えておいでですか」

「……むろんだ」

 間が空いたのは、思い出すのに時間がかかったからだ。覚えているかと言われて、少し意地を張った経久である。
 粟屋元秀。
 今となっては「毛利」元就の、懐刀と言われる男だ。

「たしか、鏡城攻めのとき、あの小僧の後見だったな」

 幸松丸を小僧呼ばわりしているところに、経久の本心が透けて見えた。
 だがかまわずに秀綱はつづける。

「かの粟屋元秀、帰還したとの由……みやこより帰還した、と」

「京……だと?」

 経久は思わず立ち上がる。
 くわっと目を見開き、秀綱につかみかからんばかりに、にじり寄る。

「どういうことだ、秀綱。どういうことだ?」

 そう言いながらも経久には答えは分かっていた。分かっていたが、ここは聞かずばなるまいと迫った。

「将軍、足利あしかがよしはる公より、毛利の家督継承の儀、まことに重畳であると……」

「同意を取り付けたと言うのかッ」

 経久はほぞんだ。
 やりやがった。
 そう叫びたかったが、秀綱が見ている前で、それは躊躇ためらわれた。

「おのれ……」

 将軍まで持ち出すとは。
 「毛利」と言及された以上、「尼子」が物申すわけには、いかぬ。
 尼子の子を毛利になど、もっての外だ。
 経久は歯噛みして悔しがる。

「しかし」

 秀綱は自分で言っておいて何だがと思いつつ、その経久の憤りに対し、異を唱えた。

「将軍家の権威は、かの応仁の大乱以来、永正の錯乱さくらんやら何やら、地に落ちました……無視してもよろしいのでは」

「たわけ」

 言うほどとがめ立てする気はない経久は、怒りを収めたのか、やれやれと呟きながら腰を下ろした。
 経久は誰にも言わなかったが、尼子家を天下人の家とすべく、上洛を企図していた。そのため、今この段階において、京の将軍家の意向に背くことは得策ではなかった。

「……ふむ」

 怒りを収めた以上、経久の冷静かつ怜悧な頭脳は活動を始めていた。

「……『毛利』のとの仰せならば、たしかに『尼子』が介入するわけにはいかぬ……いかぬが」

 そこで経久は、にい、と笑った。
 餓狼の笑みだ、と秀綱は少し距離を置いた。
 だが経久はわが意を得たりと微笑みつつ、さらに秀綱に近づいて、その肩をつかんだ。

「秀綱」

「は」

く毛利へ発て。ああいや、吉田郡山ではない、『船山』じゃ」

「ふ……船山? 相合……元綱どのの?」

「さよう」

「ですが……今さら……多治比、否、毛利元就どのの家督継承は……」

「ふむ」

 経久は、耳を貸せと言って、そして……ぬるりと、秀綱の耳に言の葉を吹き込んだ。
 言葉の猛毒を。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

旧式戦艦はつせ

古井論理
歴史・時代
真珠湾攻撃を行う前に機動艦隊が発見されてしまい、結果的に太平洋戦争を回避した日本であったが軍備は軍縮条約によって制限され、日本国に国名を変更し民主政治を取り入れたあとも締め付けが厳しい日々が続いている世界。東南アジアの元列強植民地が独立した大国・マカスネシア連邦と同盟を結んだ日本だが、果たして復権の日は来るのであろうか。ロマンと知略のIF戦記。

【おんJ】 彡(゚)(゚)ファッ!?ワイが天下分け目の関ヶ原の戦いに!?

俊也
SF
これまた、かつて私がおーぷん2ちゃんねるに載せ、ご好評頂きました戦国架空戦記SSです。 この他、 「新訳 零戦戦記」 「総統戦記」もよろしくお願いします。

信玄を継ぐ者

東郷しのぶ
歴史・時代
 戦国時代。甲斐武田家の武将、穴山信君の物語。

織田信長IF… 天下統一再び!!

華瑠羅
歴史・時代
日本の歴史上最も有名な『本能寺の変』の当日から物語は足早に流れて行く展開です。 この作品は「もし」という概念で物語が進行していきます。 主人公【織田信長】が死んで、若返って蘇り再び活躍するという作品です。 ※この物語はフィクションです。

滝川家の人びと

卯花月影
歴史・時代
故郷、甲賀で騒動を起こし、国を追われるようにして出奔した 若き日の滝川一益と滝川義太夫、 尾張に流れ着いた二人は織田信長に会い、織田家の一員として 天下布武の一役を担う。二人をとりまく織田家の人々のそれぞれの思惑が からみ、紆余曲折しながらも一益がたどり着く先はどこなのか。

独裁者・武田信玄

いずもカリーシ
歴史・時代
国を、民を守るために、武田信玄は独裁者を目指す。 独裁国家が民主国家を数で上回っている現代だからこそ、この歴史物語はどこかに通じるものがあるかもしれません。 【第壱章 独裁者への階段】 純粋に国を、民を憂う思いが、粛清の嵐を巻き起こす 【第弐章 川中島合戦】 甲斐の虎と越後の龍、激突す 【第参章 戦争の黒幕】 京の都が、二人の英雄を不倶戴天の敵と成す 【第四章 織田信長の愛娘】 清廉潔白な人々が、武器商人への憎悪を燃やす 【最終章 西上作戦】 武田家を滅ぼす策略に抗うべく、信長と家康打倒を決断す この小説は『大罪人の娘』を補完するものでもあります。 (前編が執筆終了していますが、後編の執筆に向けて修正中です))

忍者同心 服部文蔵

大澤伝兵衛
歴史・時代
 八代将軍徳川吉宗の時代、服部文蔵という武士がいた。  服部という名ではあるが有名な服部半蔵の血筋とは一切関係が無く、本人も忍者ではない。だが、とある事件での活躍で有名になり、江戸中から忍者と話題になり、評判を聞きつけた町奉行から同心として採用される事になる。  忍者同心の誕生である。  だが、忍者ではない文蔵が忍者と呼ばれる事を、伊賀、甲賀忍者の末裔たちが面白く思わず、事あるごとに文蔵に喧嘩を仕掛けて来る事に。  それに、江戸を騒がす数々の事件が起き、どうやら文蔵の過去と関りが……

【架空戦記】蒲生の忠

糸冬
歴史・時代
天正十年六月二日、本能寺にて織田信長、死す――。 明智光秀は、腹心の明智秀満の進言を受けて決起当初の腹案を変更し、ごく少勢による奇襲により信長の命を狙う策を敢行する。 その結果、本能寺の信長、そして妙覚寺の織田信忠は、抵抗の暇もなく首級を挙げられる。 両名の首級を四条河原にさらした光秀は、織田政権の崩壊を満天下に明らかとし、畿内にて急速に地歩を固めていく。 一方、近江国日野の所領にいた蒲生賦秀(のちの氏郷)は、信長の悲報を知るや、亡き信長の家族を伊勢国松ヶ島城の織田信雄の元に送り届けるべく安土城に迎えに走る。 だが、瀬田の唐橋を無傷で確保した明智秀満の軍勢が安土城に急速に迫ったため、女子供を連れての逃避行は不可能となる。 かくなる上は、戦うより他に道はなし。 信長の遺した安土城を舞台に、若き闘将・蒲生賦秀の活躍が始まる。

処理中です...