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04 神聖ローマ帝国皇帝オットー四世

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 神聖ローマ帝国皇帝オットー四世は長身の男で、勇敢さを誇っていたが、同時に愚かだったとも伝えられている。
 臆病ではないが、吝嗇であり強情だったらしい。
 そのせいか、ドイツ諸侯はオットーの招集に応えなかった。
「が、兵は集めた。あとは戦うのみ」
 オットーは、それでも九千の大軍を集めることに成功し、帝国の鷲の紋章旗を掲げ、進軍を命じた。

 一方。
 フランス王フィリップ四世は、王太子ルイとジョン王が持久戦に入った折りに、自ら軍を率いて、北へ。
 その数、六千から七千。
「少ないが、悪くない」
 フィリップは運用に意を用いた。
 かつて獅子心王リチャードにやられた経験から、王の指揮に完全に従う群れを作るよう心がけてきた。
「当たれ。当たらば逃げよ」
 一撃離脱により、フランスはオットーを翻弄した。
「卑怯者め」
「大軍。挟み撃ち。卑怯はそちらでは」
 切歯扼腕するオットーと、挑発するフィリップ。
 オットーが追い詰めると、いつもフィリップはと抜けてしまう。
 そしてオットー率いる軍は疲労の極みに達する。
「頃合いなり
 トゥルネーで、フィリップは軍議を開いた。
「長きにわたるプランタジネットとの争いだが、その終止符を打つ」
 フィリップはその尊厳王オーギュストという名にふさわしく、誇らしく演説をした。
「ジョンが狙うは、大規模な挟み撃ちだ。南北の。だが南は王太子が抑えた。残るは北、つまり皇帝オットーだが……これも今、罠に嵌まりつつある」
「陛下、その罠とは」
 ここで発言を求めたのは、フランス軍の左翼を指揮するドルー伯である。
ここトゥルネーより西、ブーヴィーヌで迎え撃つ」
「迎え撃つ」
 こちらは右翼を指揮するブルゴーニュ公の発言である。
「ブルゴーニュ公、皇帝陛下は焦っておられる。このフィリップを討つことを。であれば、軍としてのていしていなくとも、まず、我先にと攻めかからせるであろう」
 フィリップとしては、戦闘地点を自分たちで設定し、万全を期して会敵するつもりである。
 一方のオットーらは、特にオットーはその性格から、兵らを煽り、一路、ブーヴィーヌへと進撃し、休む間もなく戦いに入るであろうという見立てである。

「ブーヴィーヌだと?」
 オットーがフランス軍を追ってトゥルネーに着くと、フランス軍すでにそこブーヴィーヌへ移っていた。
 オットーはブーヴィーヌへの進撃を命じた。
「かの悪王を討つ!」
 オットーにとって、ジョンやリチャードといった叔父に仇為あだなし、かつ、自らの帝位を狙うフリードリヒ二世の支持者のフィリップは、まさに悪王である。
 勇躍して馬に鞭打つオットーだったが、付き従う将兵からすると、たまったものではなかった。
「皇帝はまだのか。こき使ってくれる」
「このまま戦いになったら負ける」
金銭かねを払ってくれぬしな」
 この厭戦気分に、イングランドから派遣された長剣伯ウィリアムは憂慮した。彼は、ヘンリー三世の庶子であり、異母弟のジョンから特にと頼まれてオットーに随行していた。
「皇帝陛下、お待ちを」
 さしものオットーも、彼の発言は無視できなかった。
「今、忙しいのだが」
「どうか兵らに休息を。伏してお願い奉る」
 長剣伯はその長身と長剣で以てつけられた二つ名であり、そういうウィリアムに迫られると、断れない圧力があった。
「……少しだけだ」
「ありがたき幸せ」

 だがオットーは意味ありげにフランドル伯に目配せした。
 ウィリアムはそれに気づけなかった。



 フィリップ二世はブーヴィーヌに到着すると、早速布陣した。
 中央にフィリップ自身が率いる部隊、左翼にドルー伯、右翼にブルゴーニュ公である。
「おそらくはオットー帝が予に突進してくる。予は耐える。耐えたのちに……ドルー伯とブルゴーニュ公の両翼が討て」
「御意」
「かしこまって候」
 敢えてフィリップ自身が囮となり、オットー四世を引き寄せ、そこを挟み撃ちにする作戦である。
「あたかも、ジョンが予を南北で討たんとしているようにな」
 そのフィリップの諧謔に、二人は笑った。
 フランス軍には、それだけの余裕があった。
 そこへ物見が注進に来た。
「敵ぞ。敵が参った」
「心得た」
 フィリップは「諸卿の活躍に期待する」と挨拶をして、出撃を命じた。

 物見の見つけた敵とは、フランドル伯であった。
 フランドル伯はオットーの目配せを受け、長剣伯ウィリアムを出し抜いて、先駆けして来たのだ。
「イングランドのよそ者が」
 いざとなれば、イングランドに逃げることができるではないか。
 それが、フランドル伯ら大陸側の諸侯の共通する想いである。
 ウィリアムとしてはそんなつもりはないのだが、他ならぬジョンがガスコーニュに引きこもっているのが良くなかった。
「フランドル伯を追わねば」
 せっかくの大軍が、大軍のていさなくなってしまう。
 ウィリアムは飽くまでも兵法に忠実だった。
 オットーはほくそ笑み、馬に鞭をくれるのであった。

「迎え撃て!」
 国王フィリップの号令一下、フランドル伯率いる軍を迎撃するは、右翼のブルゴーニュ公である。
「国王陛下の読み通りだな」
 ブルゴーニュ公は、フランドル伯が単体で攻めてくる姿を確認し、抜剣した。
「歩兵は待機。重装騎兵、軽装騎兵、つづけ!」
 まず騎兵同士でぶつかり、歩兵はこれからに備えることにした。
「侮るな!」
 だが、そのフランドル伯の突進は、ブルゴーニュ公に軽くいなされてしまう。
獅子心王クール・ド・リオンは、もっと強かったぞ!」
 ブルゴーニュ公自ら陣頭に立ち、フランドル伯に向かって突進する。つづくサンセール伯、シャティヨン伯も「かかれ」と叫んで突っ込んでいった。

 フランドル伯はあえなく捕らえられてしまった。
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