上 下
2 / 5

02 獅子心王リチャード一世と欠地王ジョン

しおりを挟む
 リチャード一世が従軍した十字軍には、フランス国王フィリップ二世がいた。
 フィリップ二世はリチャードの従軍を褒め称え、ある提案をした。
「十字軍という聖なる行いの前に、私心など不要。互いの領土不可侵を誓おうではないか」
 フィリップが信心からそう言っているとは信じない。
 むしろ、聖地での戦いの最中での侵略を抑えたいのだろう。
 何しろ、リチャードの留守は、母アリエノールが守っている。アリエノールの策動を警戒しているのだろう。
「よかろう。こんな時に私事に煩わされるのは、御免だ」
 根っからの武人であるリチャードにとって、栄えある十字軍の戦いに専念したい。
 こうしてリチャードら十字軍は、イスラムの雄サラディンとの戦いに臨むことになった。

 サラディンとの戦いは、正に死闘。
 リチャードはアッコン陥落という戦果を上げたが、他の諸侯の軍勢は疲弊の極みにあった。
「もうよかろう」
 そのような状況の中、フィリップは病気と称して帰国してしまった。
 不審に思ったリチャードだが、サラディン相手に慣れぬ交渉に身を投じ、苦慮するうちにその不審の念を忘れてしまった。
 が。
ジョンが謀叛だと?」
 正確には、そのような気配があるとの母アリエノールからの知らせであった。
 やられた。
 フィリップは確かに領地争いはしていない。
 ただ、プランタジネットの中に種を蒔いただけだ。
 内乱という種を。

金雀枝プランタジネットの園に蒔かれたは、取り除かねばならない」
 急ぎ帰国の途に着くリチャードだが、思わぬ奇禍が彼を襲った。
 オーストリア公レオポルド五世による拘束である。
 十字軍にいたレオポルドだが、アッコンの戦いで旗を掲げたところ、リチャードの兵に叩き落され、その雪辱を狙っていたのだ。
「奇貨可居居くべし
 フィリップは今のうちにと、ジョンに即位を勧めた。
 しかしイングランド諸侯はそれを認めず、ジョンは中途半端な立ち位置になる。
 そして。
「悪魔が解き放たれた」
 当時のフィリップからジョンへと送られた書状の文面である。
 アリエノールは愛する息子リチャードのために莫大な身代金を払った。
 ついにリチャードは釈放され、金雀枝の国プランタジネットへと舞い戻った。

「二枚舌め」
 激昂するリチャードは、荒れ狂う獅子と化した。リチャードの猛攻はフランス軍を撃破し、フィリップも一時は身一つで逃げ出す羽目になったほどだ。
 だがフィリップは諦めず、リチャードの綻びを待ち続けた。
 そして。
「リチャードが死んだ?」
 攻城中のひと時、鎧を脱いだリチャードは、クロスボウを受け、あっさりと死んでしまった。
 嫡子はなく、近親者における男子は、弟ジョフロワの子アーサーと。
「弟に家督を」
 弟のジョンのみであった。



 欠地王ラックランド
 それは、ジョンが大陸側の領土を失ったことではなく、そもそも父ヘンリー二世が、ジョンに領地を与えなかったことに由来する。
 つまりそれだけジョンは、領土や、ましてや王位から遠い存在と見られていた。
 フランス王フィリップ二世の姦計により、王位を狙うという企みの首謀者とされたが、それにしたところで「成功するまい」と思い、それを理由にリチャードに釈明すると「それもそうか」と許されたほどだ。
 ところが。
リチャードが死んだ?」
 リチャードに嫡子はいない。当初、後継ぎに見られていたのは、リチャードの弟(ジョンの兄)ジョフロワの子、アーサーだった。
 しかしアーサーはフランス王室の庇護下にあり、フィリップ二世に臣従していた。
 それを知ったリチャードは、苦渋の選択でジョンを後継者に指名した。
「そうか」
 後世、失政と敗北に彩られ、史上最低の王として名を残すことになるジョンだが、実は愚かと言い切ることはできない男である。

 ジョンは王となった時、リチャードアリエノールによる国庫の浪費に唖然とした。
「散々だ」
 その浪費の最たるものが、リチャードの釈放のために払われた身代金である。
「このままフランスの攻勢を受け続ければ、じり貧だな」
 ジョンはフランスに対抗するため、離婚をして、新たにイザベラ・オブ・アングレームとの再婚を目指した。
 イザベラはその名のとおり、アングレームという土地の貴族の生まれ。それは大陸領を守る、最適な場所。
「これでアーサーを抑える」
 フランス王の臣下となっていたアーサーは、ジョンの策に歯噛みした。
 だがフィリップは、イザベラに婚約者がいたという点を取り上げた。
「ジョンよ、この非道について釈明を」
 ジョンとしては痛恨の極みであるが、アングレームがなければ、プランタジネットは劣勢。やむを得ずの再婚である。
 そしてフィリップは非道をただすと称して、ジョンに宣戦布告。
 一方アーサーは、ミラボーという城にアリエノールが滞在していることを知り、これを包囲。
 ジョンは追い詰められたかに見えた。

 この時のジョンの反応は早かった。
 彼は母からの救援を求める知らせを受け取ると、即座に進発、一三〇キロ余りある道のりを、二日で進軍した。
 ジョンはミラボー城を包囲するアーサーを逆包囲する。
「アーサーを生け捕りにせよ」
 アーサーは捕らえられ、ジョンの非凡さが光った戦いであったが、その後が悪かった。
「消えた?」
 捕らえたアーサーだが、消息不明となり、以後、歴史に出て来なくなる。
 それはジョンによるアーサーの暗殺とみなされ……諸侯に不審に思われ、大陸領の大半を失ってしまう。

 そして。
わらわがもっと、ジョンのことを……」
 八十歳を越えるアリエノールは、その生涯を終えた。
 アンジュー帝国の没落と、カペー朝の興隆を目の当たりにするという、盛者必衰の人生であった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

年明けこそ鬼笑う ―東寺合戦始末記― ~足利尊氏、その最後の戦い~

四谷軒
歴史・時代
【あらすじ】 南北朝時代、南朝の宰相、そして軍師ともいうべき、准后(じゅごう)・北畠親房、死す。 その兇報と共に、親房の臨終の言葉として、まことしやかに「その一言」が伝わってきた。 「年明けこそ鬼笑う」――と。 親房の最期の言葉は何を意味するのか―― 楠木正成、新田義貞、高師直、足利直義といった英傑たちが死し、時代は次世代へと向かう最中、ひとり生き残った足利尊氏は、北畠親房の最期の機略に、どう対するのか。 【登場人物】 北畠親房:南朝の宰相にして軍師。故人。 足利尊氏:北朝の征夷大将軍、足利幕府初代将軍。 足利義詮:尊氏の三男、北朝・足利幕府二代将軍。長兄夭折、次兄が庶子のため、嫡子となる。 足利基氏:尊氏の四男、北朝・初代関東公方。通称・鎌倉公方だが、防衛のため入間川に陣を構える。 足利直冬:尊氏の次男。庶子のため、尊氏の弟・直義の養子となる。南朝に与し、京へ攻め入る。 楠木正儀:楠木正成の三男、南朝の軍事指導者。直冬に連動して、京へ攻め入る。 【表紙画像】 「きまぐれアフター」様より

晴朗、きわまる ~キオッジャ戦記~

四谷軒
歴史・時代
【あらすじ】 一三七九年、アドリア海はヴェネツィアとジェノヴァの角逐の場と化していた。ヴェネツィアの提督ヴェットール・ピサーニは不利な戦いを強(し)いられて投獄された。その結果、ジェノヴァは、ヴェネツィアの目と鼻の先のキオッジャを占領。ヴェネツィア元首(ドゥージェ)コンタリーニはピサーニを釈放して全権を委ねる。絶体絶命の危機にあるヴェネツィアの命運を賭け、ピサーニと、そしてもう一人の提督カルロ・ゼンの逆転劇――「キオッジャの戦い」が始まる。 【表紙画像】 「きまぐれアフター」様より

燃ゆる湖(うみ) ~鄱陽湖(はようこ)の戦い~

四谷軒
歴史・時代
一三六三年、中国は元末明初という群雄割拠の時代にあった。中でも、江西・湖北の陳友諒(ちんゆうりょう)の勢力は強大で、隣国の朱元璋(しゅげんしょう)は食われる運命にあるかと思われた。しかし朱元璋は詭計により陳友諒を退ける。業を煮やした陳友諒は六十万もの兵員を擁する大艦隊を繰り出す。朱元璋もまた二十万の兵を動員して艦隊を編成する。そして両雄は鄱陽湖で激突する。数で劣る朱元璋だが、彼は起死回生の火計にて陳友諒を撃破、その後朱元璋は中国を統一し、明を建国する。 (表紙画像は、「ぐったりにゃんこのホームページ」様より)

【短編】輿上(よじょう)の敵 ~ 私本 桶狭間 ~

四谷軒
歴史・時代
【あらすじ】 今川義元の大軍が尾張に迫る中、織田信長の家臣、簗田政綱は、輿(こし)が来るのを待ち構えていた。幕府により、尾張において輿に乗れるは斯波家の斯波義銀。かつて、信長が傀儡の国主として推戴していた男である。義元は、義銀を御輿にして、尾張の支配を目論んでいた。義銀を討ち、義元を止めるよう策す信長。が、義元が落馬し、義銀の輿に乗って進軍。それを知った信長は、義銀ではなく、輿上の敵・義元を討つべく出陣する。 【表紙画像】 English: Kano Soshu (1551-1601)日本語: 狩野元秀(1551〜1601年), Public domain, ウィキメディア・コモンズ経由で

河越夜戦 〜相模の獅子・北条新九郎氏康は、今川・武田連合軍と関東諸侯同盟軍八万に、いかに立ち向かったのか〜

四谷軒
歴史・時代
【あらすじ】 今は昔、戦国の世の物語―― 父・北条氏綱の死により、北条家の家督を継いだ北条新九郎氏康は、かつてない危機に直面していた。 領国の南、駿河・河東(駿河東部地方)では海道一の弓取り・今川義元と、甲斐の虎・武田晴信の連合軍が侵略を開始し、領国の北、武蔵・河越城は関東管領・山内上杉憲政と、扇谷上杉朝定の「両上杉」の率いる八万の関東諸侯同盟軍に包囲されていた。 関東管領の山内上杉と、扇谷上杉という関東の足利幕府の名門の「双つの杉」を倒す夢を祖父の代から受け継いだ、相模の獅子・北条新九郎氏康の奮戦がはじまる。

桔梗一凛

幸田 蒼之助
歴史・時代
「でも、わたくしが心に決めた殿方はひとりだけ……」 華族女学校に勤務する舎監さん。実は幕末、六十余州にその武名を轟かせた名門武家の、お嬢様だった。 とある男の許嫁となるも、男はすぐに風雲の只中で壮絶な死を遂げる。しかしひたすら彼を愛し、慕い続け、そして自らの生の意義を問い続けつつ明治の世を生きた。 悦子はそんな舎監さんの生き様や苦悩に感銘を受け、涙する。 「あの女性」の哀しき後半生を描く、ガチ歴史小説。極力、縦書きでお読み下さい。 カクヨムとなろうにも同文を連載中です。

空蝉

横山美香
歴史・時代
薩摩藩島津家の分家の娘として生まれながら、将軍家御台所となった天璋院篤姫。孝明天皇の妹という高貴な生まれから、第十四代将軍・徳川家定の妻となった和宮親子内親王。 二人の女性と二組の夫婦の恋と人生の物語です。

葉桜

たこ爺
歴史・時代
一九四二年一二月八日より開戦したアジア・太平洋戦争。 その戦争に人生を揺さぶられたとあるパイロットのお話。 この話を読んで、より戦争への理解を深めていただければ幸いです。 ※一部話を円滑に進めるために史実と異なる点があります。注意してください。 ※初投稿作品のため、拙い点も多いかと思いますがご指摘いただければ修正してまいりますので、どしどし、ご意見の程お待ちしております。 ※なろう、カクヨム、ノベルアップ+でも投稿中

処理中です...