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急 分倍河原の戦い
09 敗走
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さて一種の濁った色の霞のようなものが、雲と雲との間をかき乱して、すべての空の模様を動揺、参差、任放、錯雑のありさまとなし、雲を劈く光線と雲より放つ陰翳とが彼方此方に交叉して、不羈奔逸《ふきほんいつ》の気がいずこともなく空中に微動している。
国木田独歩「武蔵野」
気がつくと、敵に囲まれていた。
上野で挙兵してから七日、新田義貞は幕府軍を次々と撃破し、ついにこの多摩川、分倍河原に到達した。
元弘三年(一三三三年)五月十五日。
義貞は兵らの休息に二日間を充て、時こそ至れりと、武蔵最後の防衛線、多摩川に陣を張る幕府軍に襲いかかった。
「かかれ! 負けっぱなしの幕府軍なんぞ、蹴散らしてやれ!」
だが、その幕府軍が意外にも痛烈な反撃に出た。
「何事」
義貞は動揺する。敵将・桜田貞国のやり方は、これまでの戦闘で把握した。兵法の定石通りに攻め、守る男だ。だがこれからの乱世、やり方などない世の用兵には向かぬ。
そう思っての急襲であったが、幕府軍は最初こそ動揺したものの、即座に立て直して逆襲に転じている。
「妙だな」
義貞は幕府軍の手ごたえに、貞国ではないという違和感を感じた。そしてその違和感の正体は、すぐに明らかになった。
「新田義貞どのとお見受けする!」
その大音声が、敵中から響いてきた。敵兵の中、一騎の壮麗な武者が現れる。
「われこそは北条泰家なり! 執権の命により、汝を討伐せん!」
泰家は鎌倉より十万の援兵を率い、そしてそのまま貞国に代わって幕府軍の総帥となっていた。
今、その十万の軍が新田軍へと襲いかかる。
「退けい!」
新田軍の、敗走が始まった。
北条泰家。十四代執権・北条高時の弟である。高時が病により執権を辞した時、その執権の座を狙うも、外戚・安達氏と内管領・長崎氏の権力抗争により果たせず、それを恥じて出家していた。
しかし、兄・高時が寺に来て、泰家に兵を率いるよう説いた。
「頼む。危急存亡の秋である。西では六波羅が危ないと聞く」
この時点で、後醍醐天皇を征伐するために西に向かった足利高氏が叛旗を翻し、六波羅へ向かったことが伝わっていた。
「この武蔵野では新田が暴れておる。が、桜田貞国は負けた。もはや汝しかおらぬ」
事ここに至った以上、執権かそれに準ずる者が兵を率いねばならぬ。
承久の乱の北条泰時のように。
それを聞いた泰家は呟いた。
「悪くない」
執権の座を諦めたわけではない。
ここで新田を破り、そして西の足利を屠れば。
「おれこそが、執権に」
国木田独歩「武蔵野」
気がつくと、敵に囲まれていた。
上野で挙兵してから七日、新田義貞は幕府軍を次々と撃破し、ついにこの多摩川、分倍河原に到達した。
元弘三年(一三三三年)五月十五日。
義貞は兵らの休息に二日間を充て、時こそ至れりと、武蔵最後の防衛線、多摩川に陣を張る幕府軍に襲いかかった。
「かかれ! 負けっぱなしの幕府軍なんぞ、蹴散らしてやれ!」
だが、その幕府軍が意外にも痛烈な反撃に出た。
「何事」
義貞は動揺する。敵将・桜田貞国のやり方は、これまでの戦闘で把握した。兵法の定石通りに攻め、守る男だ。だがこれからの乱世、やり方などない世の用兵には向かぬ。
そう思っての急襲であったが、幕府軍は最初こそ動揺したものの、即座に立て直して逆襲に転じている。
「妙だな」
義貞は幕府軍の手ごたえに、貞国ではないという違和感を感じた。そしてその違和感の正体は、すぐに明らかになった。
「新田義貞どのとお見受けする!」
その大音声が、敵中から響いてきた。敵兵の中、一騎の壮麗な武者が現れる。
「われこそは北条泰家なり! 執権の命により、汝を討伐せん!」
泰家は鎌倉より十万の援兵を率い、そしてそのまま貞国に代わって幕府軍の総帥となっていた。
今、その十万の軍が新田軍へと襲いかかる。
「退けい!」
新田軍の、敗走が始まった。
北条泰家。十四代執権・北条高時の弟である。高時が病により執権を辞した時、その執権の座を狙うも、外戚・安達氏と内管領・長崎氏の権力抗争により果たせず、それを恥じて出家していた。
しかし、兄・高時が寺に来て、泰家に兵を率いるよう説いた。
「頼む。危急存亡の秋である。西では六波羅が危ないと聞く」
この時点で、後醍醐天皇を征伐するために西に向かった足利高氏が叛旗を翻し、六波羅へ向かったことが伝わっていた。
「この武蔵野では新田が暴れておる。が、桜田貞国は負けた。もはや汝しかおらぬ」
事ここに至った以上、執権かそれに準ずる者が兵を率いねばならぬ。
承久の乱の北条泰時のように。
それを聞いた泰家は呟いた。
「悪くない」
執権の座を諦めたわけではない。
ここで新田を破り、そして西の足利を屠れば。
「おれこそが、執権に」
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