2 / 4
六花とけて、君よ来い
01 一休
しおりを挟む
「辞世頌」 一休宗純
須弥南畔
誰会我禅
虚堂来也
不直半銭
(作者意訳)
この世界で
誰もわが禅をわかりはしない
祖師の虚堂智愚(一休の七世前の祖師)が来ようとも
半銭に値しない
長きにわたる応仁の乱が終わった。
それは京における幾ばくかの平穏の時を意味するものであったとしても、少なくとも、京の人々は安堵した。
……たとえ前の征夷大将軍、足利義政であったとしても。
「憂いものであった」
文明十三年(一四八一年)冬――義政はそう述懐する。
応仁の大乱についてのものなのか、それとも妻の日野富子についてのものなのか、判然としない。
いずれにせよ、義政はこの機に、かねてから計画していたあることに取り組む。
あること――すなわち、東山山荘(のちの銀閣寺)の造営である。
「かつて――鹿苑院(足利義満)さまが北山に築いた、金閣の、対なるものを」
そうなると人々は、対となる、すなわち銀か、とささやいている。
義政としては、人々の期待に沿うべきかなと思いつつも、そう単純に装飾を決めてもいいものだろうかと逡巡していた。
「予の目指すものは、そういうのでいいのか? もっと、こう……」
義政は東山山荘に、己の粋を尽くしたもの、すなわち侘び、寂びという美を体現したいと目論んでいた。
「であれば銀などいらぬか。むむ……」
義政は悩む。
対となる銀を装飾すれば、それはそれでうつくしいとも思う。
銀のぼんやりとした輝きは、それはそれで金閣の金に比すれば、侘びているとも思う。
それがもし、人々の望んでいるものならば。
「…………」
沈思する義政。
その静寂の中、近侍の伊勢新九郎が現れ、義政の耳にそっと、書状の到来を告げた。
「む」
若き新九郎が去り行くその背を、その俊敏な動作を羨ましそうに眺めていた義政は、やがて書状へと目を落とした。
「一休禅師……」
書状の差出人は、一休宗純。
風狂を旨とする破戒僧。
されど、その人徳は隠れもなく、大徳寺の住持に任ぜられていた。
一休は、その大徳寺に居を構えず、自身の草庵である酬恩庵から寺に通っていた。
書状によると、その一休が、大徳寺にある塔頭を建てたという。
その名は。
「真珠庵……」
真珠の庵か。
銀閣の建立を考えている義政としては、虚心ではいられない。
見ると、是非お越しをと書いてある。
「行くか」
新九郎に輿を持って来させている間に、第の外、空を仰ぐと、ちらほらと雪が見え始めていた。
だが義政は、一休の誘いを断ることはなく、むしろ、より、訪いに赴くという気持ちが、高まっていた。
「真珠の庵に、白い雪。すなわち、六花。うつくしいではないか」
そういえば、漢籍――「韓詩外伝」に「凡草木花多五出、雪花獨六出(草木の花は五角形が多く見られるが、雪は六角形のみ見られる)」とある。転じて、雪は六花という異称を持つ。
「御前。輿にお乗りください」
抜け目なく新九郎が、屋根付きの輿を用意していた。
「うむ」
義政が輿に乗り込むと、新九郎が「では」と号令する。
輿舁きらが立ち上がり、輿は静々と進んだ。
……六花がちらつく中を。
*
大徳寺、真珠庵。
「お頼み申しそうろう、お頼み申しそうろう」
門前にて雪がちらちらと降る中、伊勢新九郎が朗々と足利義政の訪いを告げた。
庵から出て来た一休は、「さあさあ」と方丈へと誘った。
「寒かろう」
一休が方丈の障子を閉める。
薄暗がりの中、一休と義政が時候の挨拶を重ね、その間、一休の弟子が茶器と茶道具を持って現れた。
茶が点てられる。
「うむ。うまい」
義政はそう感想を洩らしたが、それを聞くことなく、すでに弟子は方丈から退出していた。
気づくと、新九郎もいない。
両名とも、一休と義政を二人きりにしよう、という心づかいである。
「……御前。東山に山荘を建てるおつもりで?」
「そのとおりじゃ、一休禅師」
応仁の乱で焼け落ちてしまった浄土寺。
その寺の跡地――東山を義政が気に入っていることは、つとに知られていた。
一休はにじり寄る。
「その山荘には、銀を用いるとか聞くがのう」
「……それは」
人の口に戸は立てられぬ。
まあ、北山に金閣あらば、東山に……というのは、およその人であれば思いつくことだ。
義政が、ふと憫笑を浮かべた。
また、自分は人の思うとおりにしようとしているのか、と。
その結果がどうあろうと、思うとおりにしようとしてしまう自分。
そういえば、最初は東山の土地を気に入ったと洩らしただけだった。
それが、いつの間にやら、北山と東山、それなら、金閣と……という話が、まことしやかにささやかれるようになった気がする。
そんなささやきに、自分は……。
「愚僧が思うに」
義政が思いをめぐらしている間に、一休は眼前にまで迫っていた。
「御前は迷うておられる」
一休の魁偉な容貌を間近に見ると、とても迫力がある。
その迫力ある顔が、息を吹きかからんばかりの近くの顔が、言った。
「ひとつ、愚僧がその迷いを払って進ぜよう」
不意に一休は立ち上がり、方丈の障子のひとつを、開けた。
「雪が」
外は、雪が降り、積もっていた。
いつの間にか、外は白一面の。
「銀、色じゃ……」
そこで義政は己の口を覆った。
自分は今、何と言った。
隣に立つ一休は、それに気づかないのか、淡々と語り出した。
「この、真珠庵の名の由来はのう」
中国、宋の時代――。
ある雪の夜、楊岐山の荒れ寺で、楊岐方会という僧が座禅を組んでいた。
その時、荒れ寺の中へ、雪が舞い込んできた。
これは、真珠か。
楊岐方会はそう思った。
何故なら、その輝きが、あまりにもうつくしかったから。
「――という故事がござっての」
「…………」
方丈の庭は、よく見るとこんもりとしたふくらみが二、三個あり――それは雪が降って覆われた庭石だと思われるが――あたかもそれが真珠だとでもいうのだろうか。
でも。
「禅師」
「何じゃ」
「これは……東山に、金閣ならぬ銀閣を、とささやかれている予への……」
「却説、この庭の楽しみは、実はこれだけではない」
一休は韜晦するように義政の疑念をはぐらかし、わりとあっさりと障子を閉めた。
「あ……」
思わず手を伸ばして、もっと、と言いたくなる義政。
だがその手を一休は優しく握って、とどめる。
「雪が解けたら、もう一度、来なされ」
六花とけて、君よ来いという奴じゃと、一休は笑った。
能楽か何かの詩句を思いついた風である。
須弥南畔
誰会我禅
虚堂来也
不直半銭
(作者意訳)
この世界で
誰もわが禅をわかりはしない
祖師の虚堂智愚(一休の七世前の祖師)が来ようとも
半銭に値しない
長きにわたる応仁の乱が終わった。
それは京における幾ばくかの平穏の時を意味するものであったとしても、少なくとも、京の人々は安堵した。
……たとえ前の征夷大将軍、足利義政であったとしても。
「憂いものであった」
文明十三年(一四八一年)冬――義政はそう述懐する。
応仁の大乱についてのものなのか、それとも妻の日野富子についてのものなのか、判然としない。
いずれにせよ、義政はこの機に、かねてから計画していたあることに取り組む。
あること――すなわち、東山山荘(のちの銀閣寺)の造営である。
「かつて――鹿苑院(足利義満)さまが北山に築いた、金閣の、対なるものを」
そうなると人々は、対となる、すなわち銀か、とささやいている。
義政としては、人々の期待に沿うべきかなと思いつつも、そう単純に装飾を決めてもいいものだろうかと逡巡していた。
「予の目指すものは、そういうのでいいのか? もっと、こう……」
義政は東山山荘に、己の粋を尽くしたもの、すなわち侘び、寂びという美を体現したいと目論んでいた。
「であれば銀などいらぬか。むむ……」
義政は悩む。
対となる銀を装飾すれば、それはそれでうつくしいとも思う。
銀のぼんやりとした輝きは、それはそれで金閣の金に比すれば、侘びているとも思う。
それがもし、人々の望んでいるものならば。
「…………」
沈思する義政。
その静寂の中、近侍の伊勢新九郎が現れ、義政の耳にそっと、書状の到来を告げた。
「む」
若き新九郎が去り行くその背を、その俊敏な動作を羨ましそうに眺めていた義政は、やがて書状へと目を落とした。
「一休禅師……」
書状の差出人は、一休宗純。
風狂を旨とする破戒僧。
されど、その人徳は隠れもなく、大徳寺の住持に任ぜられていた。
一休は、その大徳寺に居を構えず、自身の草庵である酬恩庵から寺に通っていた。
書状によると、その一休が、大徳寺にある塔頭を建てたという。
その名は。
「真珠庵……」
真珠の庵か。
銀閣の建立を考えている義政としては、虚心ではいられない。
見ると、是非お越しをと書いてある。
「行くか」
新九郎に輿を持って来させている間に、第の外、空を仰ぐと、ちらほらと雪が見え始めていた。
だが義政は、一休の誘いを断ることはなく、むしろ、より、訪いに赴くという気持ちが、高まっていた。
「真珠の庵に、白い雪。すなわち、六花。うつくしいではないか」
そういえば、漢籍――「韓詩外伝」に「凡草木花多五出、雪花獨六出(草木の花は五角形が多く見られるが、雪は六角形のみ見られる)」とある。転じて、雪は六花という異称を持つ。
「御前。輿にお乗りください」
抜け目なく新九郎が、屋根付きの輿を用意していた。
「うむ」
義政が輿に乗り込むと、新九郎が「では」と号令する。
輿舁きらが立ち上がり、輿は静々と進んだ。
……六花がちらつく中を。
*
大徳寺、真珠庵。
「お頼み申しそうろう、お頼み申しそうろう」
門前にて雪がちらちらと降る中、伊勢新九郎が朗々と足利義政の訪いを告げた。
庵から出て来た一休は、「さあさあ」と方丈へと誘った。
「寒かろう」
一休が方丈の障子を閉める。
薄暗がりの中、一休と義政が時候の挨拶を重ね、その間、一休の弟子が茶器と茶道具を持って現れた。
茶が点てられる。
「うむ。うまい」
義政はそう感想を洩らしたが、それを聞くことなく、すでに弟子は方丈から退出していた。
気づくと、新九郎もいない。
両名とも、一休と義政を二人きりにしよう、という心づかいである。
「……御前。東山に山荘を建てるおつもりで?」
「そのとおりじゃ、一休禅師」
応仁の乱で焼け落ちてしまった浄土寺。
その寺の跡地――東山を義政が気に入っていることは、つとに知られていた。
一休はにじり寄る。
「その山荘には、銀を用いるとか聞くがのう」
「……それは」
人の口に戸は立てられぬ。
まあ、北山に金閣あらば、東山に……というのは、およその人であれば思いつくことだ。
義政が、ふと憫笑を浮かべた。
また、自分は人の思うとおりにしようとしているのか、と。
その結果がどうあろうと、思うとおりにしようとしてしまう自分。
そういえば、最初は東山の土地を気に入ったと洩らしただけだった。
それが、いつの間にやら、北山と東山、それなら、金閣と……という話が、まことしやかにささやかれるようになった気がする。
そんなささやきに、自分は……。
「愚僧が思うに」
義政が思いをめぐらしている間に、一休は眼前にまで迫っていた。
「御前は迷うておられる」
一休の魁偉な容貌を間近に見ると、とても迫力がある。
その迫力ある顔が、息を吹きかからんばかりの近くの顔が、言った。
「ひとつ、愚僧がその迷いを払って進ぜよう」
不意に一休は立ち上がり、方丈の障子のひとつを、開けた。
「雪が」
外は、雪が降り、積もっていた。
いつの間にか、外は白一面の。
「銀、色じゃ……」
そこで義政は己の口を覆った。
自分は今、何と言った。
隣に立つ一休は、それに気づかないのか、淡々と語り出した。
「この、真珠庵の名の由来はのう」
中国、宋の時代――。
ある雪の夜、楊岐山の荒れ寺で、楊岐方会という僧が座禅を組んでいた。
その時、荒れ寺の中へ、雪が舞い込んできた。
これは、真珠か。
楊岐方会はそう思った。
何故なら、その輝きが、あまりにもうつくしかったから。
「――という故事がござっての」
「…………」
方丈の庭は、よく見るとこんもりとしたふくらみが二、三個あり――それは雪が降って覆われた庭石だと思われるが――あたかもそれが真珠だとでもいうのだろうか。
でも。
「禅師」
「何じゃ」
「これは……東山に、金閣ならぬ銀閣を、とささやかれている予への……」
「却説、この庭の楽しみは、実はこれだけではない」
一休は韜晦するように義政の疑念をはぐらかし、わりとあっさりと障子を閉めた。
「あ……」
思わず手を伸ばして、もっと、と言いたくなる義政。
だがその手を一休は優しく握って、とどめる。
「雪が解けたら、もう一度、来なされ」
六花とけて、君よ来いという奴じゃと、一休は笑った。
能楽か何かの詩句を思いついた風である。
0
お気に入りに追加
2
あなたにおすすめの小説
岩倉具視――その幽棲の日々
四谷軒
歴史・時代
【あらすじ】
幕末のある日、調子に乗り過ぎた岩倉具視は(主に公武合体とか和宮降嫁とか)、洛外へと追放される。
切歯扼腕するも、岩倉の家族は着々と岩倉村に住居を手に入れ、それを岩倉の幽居=「ねぐら」とする。
岩倉は宮中から追われたことを根に持ち……否、悶々とする日々を送り、気晴らしに謡曲を吟じる毎日であった。
ある日、岩倉の子どもたちが、岩倉に魚を供するため(岩倉の好物なので)、川へと釣りへ行く。
そこから――ある浪士との邂逅から、岩倉の幽棲――幽居暮らしが変わっていく。
【表紙画像】
「ぐったりにゃんこのホームページ」様より
待庵(たいあん)
四谷軒
歴史・時代
【あらすじ】
千宗易(後の利休)は、山崎の戦いに臨む羽柴秀吉から、二畳の茶室を作るよう命じられる。この時代、茶室は三畳半ぐらいが常識だった。それよりも狭い茶室を作れと言われ、宗易はいろいろと考える。そして、秀吉の弟・羽柴秀長や、秀吉の正室・ねねに会い、語り、宗易はやがて茶室について「作ったる」と明言する。言葉どおり完成した茶室で、宗易は茶を点て、客を待つ。やって来た客は……。
【表紙画像】
「ぐったりにゃんこのホームページ」様より
短編集「戦国の稲妻」
四谷軒
歴史・時代
【あらすじ】
(朝(あした)の信濃に、雷(いかづち)、走る。 ~弘治三年、三度目の川中島にて~)
弘治三年(1557年)、信濃(長野県)と越後(新潟県)の国境――信越国境にて、甲斐の武田晴信(信玄)と、越後の長尾景虎(上杉謙信)の間で、第三次川中島の戦いが勃発した。
先年、北条家と今川家の間で甲相駿三国同盟を結んだ晴信は、北信濃に侵攻し、越後の長尾景虎の味方である高梨政頼の居城・飯山城を攻撃した。また事前に、周辺の豪族である高井郡計見城主・市河藤若を調略し、味方につけていた。
これに対して、景虎は反撃に出て、北信濃どころか、さらに晴信の領土内へと南下する。
そして――景虎は一転して、飯山城の高梨政頼を助けるため、計見城への攻撃を開始した。
事態を重く見た晴信は、真田幸綱(幸隆)を計見城へ急派し、景虎からの防衛を命じた。
計見城で対峙する二人の名将――長尾景虎と真田幸綱。
そして今、計見城に、三人目の名将が現れる。
(その坂の名)
戦国の武蔵野に覇を唱える北条家。
しかし、足利幕府の名門・扇谷上杉家は大規模な反攻に出て、武蔵野を席巻し、今まさに多摩川を南下しようとしていた。
この危機に、北条家の当主・氏綱は、嫡男・氏康に出陣を命じた。
時に、北条氏康十五歳。彼の初陣であった。
(お化け灯籠)
上野公園には、まるでお化けのように大きい灯籠(とうろう)がある。高さ6.06m、笠石の周囲3.36m。この灯籠を寄進した者を佐久間勝之という。勝之はかつては蒲生氏郷の配下で、伊達政宗とは浅からぬ因縁があった。
【短編】輿上(よじょう)の敵 ~ 私本 桶狭間 ~
四谷軒
歴史・時代
【あらすじ】
今川義元の大軍が尾張に迫る中、織田信長の家臣、簗田政綱は、輿(こし)が来るのを待ち構えていた。幕府により、尾張において輿に乗れるは斯波家の斯波義銀。かつて、信長が傀儡の国主として推戴していた男である。義元は、義銀を御輿にして、尾張の支配を目論んでいた。義銀を討ち、義元を止めるよう策す信長。が、義元が落馬し、義銀の輿に乗って進軍。それを知った信長は、義銀ではなく、輿上の敵・義元を討つべく出陣する。
【表紙画像】
English: Kano Soshu (1551-1601)日本語: 狩野元秀(1551〜1601年), Public domain, ウィキメディア・コモンズ経由で
年明けこそ鬼笑う ―東寺合戦始末記― ~足利尊氏、その最後の戦い~
四谷軒
歴史・時代
【あらすじ】
南北朝時代、南朝の宰相、そして軍師ともいうべき、准后(じゅごう)・北畠親房、死す。
その兇報と共に、親房の臨終の言葉として、まことしやかに「その一言」が伝わってきた。
「年明けこそ鬼笑う」――と。
親房の最期の言葉は何を意味するのか――
楠木正成、新田義貞、高師直、足利直義といった英傑たちが死し、時代は次世代へと向かう最中、ひとり生き残った足利尊氏は、北畠親房の最期の機略に、どう対するのか。
【登場人物】
北畠親房:南朝の宰相にして軍師。故人。
足利尊氏:北朝の征夷大将軍、足利幕府初代将軍。
足利義詮:尊氏の三男、北朝・足利幕府二代将軍。長兄夭折、次兄が庶子のため、嫡子となる。
足利基氏:尊氏の四男、北朝・初代関東公方。通称・鎌倉公方だが、防衛のため入間川に陣を構える。
足利直冬:尊氏の次男。庶子のため、尊氏の弟・直義の養子となる。南朝に与し、京へ攻め入る。
楠木正儀:楠木正成の三男、南朝の軍事指導者。直冬に連動して、京へ攻め入る。
【表紙画像】
「きまぐれアフター」様より
旅 ~芭蕉連作集~
四谷軒
歴史・時代
【あらすじ】
(第一章 芭蕉 ~旅の始まり~)
天和三年。天和の大火のため、甲斐谷村藩家老・高山繁文を頼って、松尾芭蕉は江戸から甲斐、谷村(やむら)に居を移していた。芭蕉は田舎暮らしに満足していながら、なにかたりないと感じていた。やがて芭蕉は江戸に戻り、かつての知己であった八百屋お七のことを機縁に、惣五郎という人物と出会う。惣五郎と、お七のことを話すうちに、芭蕉はある気づきを得る。その気づきとは、やりたいことがあれば、命懸けでやってみろ、という気づきだった。
(第二章 花が咲くまで初見月。)
松尾芭蕉と共に「おくの細道」の旅に出た曾良。彼は句作に悩んでいた。観念的に詠んでしまう自分の句を変えようと模索していた。芭蕉はそんな彼を見て――句を詠んだ。
(第三章 その言葉に意味を足したい ~蝉吟(せんぎん)~)
松尾芭蕉は、「おくのほそ道」の旅の途中、出羽の立石寺(山寺)に立ち寄った。その時、あまりの蝉の声に、弟子の曾良は苦言を呈す。だが、逆に芭蕉は何も言わず、回想に浸っていた。かつての主君であり友である藤堂良忠のことを。良忠は己を蝉にたとえ、その蝉の如き短い生涯を終えた。以来、蝉の鳴く声に、意味はあるのかという想いを抱く芭蕉。そして己の俳諧の「行き先」を求め、旅に出て、山寺に至り、蝉の声を聞いた芭蕉は――良忠に向けて、一句詠んだ。
【表紙画像】
Morikawa Kyoriku (1656-1715), Public domain, ウィキメディア・コモンズ経由で
さよならを覆す最高の方法 〜熱月(テルミドール)九日のクーデター、その裏側に〜
四谷軒
歴史・時代
【あらすじ】
フランス革命は成った。しかし革命政府は混迷し停滞し、そのため司法や行政を「効率的」かつ「合理的」に進めるために、「公安委員会」なる組織を設置。これを取り仕切るのが、マクシミリアン・ロベスピエールである。
革命を保つため、ロベスピエールは邁進するが、その清廉さは独善にも通じ、それは迷走そして暴走し、ギロチンの刃の下に、多くの人が親しい者に別れを告げた。
一方、国民公会議員のジャン・ランベール・タリアンは革命政府の指示の下、ボルドーへ派遣され、そこでテレーズ・カバリュスなる女性と出会い、恋に落ち、溺愛する。
そしてタリアンはテレーズの言われるがままに、反革命分子の処刑に手心を加えるようになる。
これを知ったロベスピエールはタリアンをパリに召還、テレーズも投獄される。
タリアンはテレーズの釈放に尽力するがかなわず、ついにテレーズから「さよなら(オールヴォワール)」という手紙を送られて……。
「さよなら(オールヴォワール)を覆す最高の方法を教えよう」
……そのような誘い文句で、タリアンを反動(クーデター)に誘う者がいた。熱月(テルミドール)の反動に。
その名を、ジョゼフ・フーシェといった。
【表紙画像】
ヴェルサイユ宮殿, Public domain, ウィキメディア・コモンズ経由で
こじき若殿
四谷軒
歴史・時代
父に死なれ、兄は主君と共に京(みやこ)へ――。
継母と共に、亡父の隠居の城に残された若殿は、受け継ぐはずのその城を、家臣に乗っ取られてしまう。
家臣の専横は、兄の不在によるもの――そう信じて、兄の帰郷を待つ若殿。
しかし、兄は一向に京から帰らず、若殿は食うに困り、物を恵んでもらって暮らす日々を送っていた。
いつしか「こじき若殿」と蔑み呼ばれていた若殿。
「兄さえ帰れば」――その希望を胸に抱き、過ごす若殿が、ある日、旅の老僧と出会う。
※表紙画像は「ぐったりにゃんこのホームページ」様より
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる