22 / 46
第二部 関東争乱
19 城塞 下
しおりを挟む同じ頃。
武蔵。
江戸。
北条五色備え、青備えの長である富永直勝は、真田幸綱と原虎胤を引見していた。
「……して、当家の綱成が、そなたらにこの書状を託した、というわけか」
大柄で、まるで熊のような外見の直勝は、書状をのぞき込むような感じで、読んだ。
「ふうむ。下総千葉家への手当を……か。委細は分かったが、具体的にはどうする? 江戸としては、下総へはうかつに兵を向けられぬぞ」
河越とならんで、武蔵野の要である江戸には、北条家は青備えを常駐させていた。最前線である河越に何かあれば、第二陣として、駆け付けるためである。むろん、房総方面への抑えとして、主に里見家ににらみを利かせるためでもある。
そして今、河越を八万の軍が囲んでおり、直勝率いる青備えとしては救援に向かうべきであるが、里見家の蠢動と、石浜城の武蔵千葉家の存在が、それをさえぎっていた。
「割り切って、房総へと兵を進めても良いが……その時は、河越の八万の軍が、綱成に牙をむくやもしれん」
江戸の青備えが、河越の関東諸侯同盟軍に対する抑止力となり、その総攻撃の可能性を目減りさせていた。
河越を実際に攻撃すれば、江戸の青備えが速攻で北上し、背後を衝いてくるのではないか。
その懸念が河越八万の軍の脳裏にあった。
富永直勝の大きな体からは想像できないが、青備えは早い行軍、進撃を知られていて、五色備え中、最速と噂されていた。
「……で、その房総に向かうにしても、石浜城が邪魔だ。あれさえなければ」
そこまで言いかけたところで、江戸の城将である遠山綱景が、無言で入って来た。綱景は、北条家の先代・氏綱の腹心である遠山直景の息子であり、どちらかというと文官として江戸の城将を務めていた。
「なんだ、ご同輩。話の途中だぞ」
「……急報だ。槍大膳が寄せてきた。下総の千葉から救援の依頼だ」
「何」
これは虎胤の発言である。彼の旧主である千葉家が攻められていると聞き、虚心ではいられない。
「しかし今さら、ちゃんと北条につくから、助けてくれと言われてもなぁ」
直勝は頭をごしごしと掻きながら、愚痴めいた独り言をいう。
「仕方なかろう。藁にもすがる、ということだ」
綱景は、藁よりも頼りないかもしれぬがな、と自嘲した。
「……あの」
それまで遠慮して黙っていた幸綱であるが、ここで発言を求めた。
「何か」
綱景は冷たく言い放つ。虎胤は大丈夫かと思って、幸綱の方を見たが、彼は至って平然としていた。
「その槍大膳とは、何者でしょうか」
「ああ」
綱景は指二本を額にくっつけて、考える姿勢に入る。
「……里見義堯が、前当主・義豊を斃すために立ち上がった時から、彼を支えてきた男だ。名は正木大膳時茂。槍が巧みなことから、槍大膳」
「いいですなあ、二つ名。拙者も欲しいものでござる」
「…………」
幸綱の能天気な言葉に、綱景はまた冷然とした態度でこたえた。
「……で、二つ名があるということは、それなりの武将ということでござるな」
「……左様」
幸綱は綱景の態度を意に介していなかった。彼にしてみれば、山内上杉陣営の方が、もっと酷く、へたをすると個人攻撃までしてくる有り様であった。それに比べれば、野武士に等しい幸綱に対して、特に無視もせず相手をしてくれるだけ、綱景はできた人物だと、幸綱には思えた。
直勝は、ふうっとため息をつく。
「致し方ないから、石浜城を攻めるか。下総の千葉には、間に合わなければ、諦めてもらって」
最悪、石浜城は奪れる。そうすれば、小癪な邪魔を気にせず、河越へ征けるのではないか。
下総佐倉は里見に奪られるかもしれない。しかし、占領に手間をかける必要があるため、その間を利用して、河越へ遠征できるのではないか。
一理あると虎胤は思ったが、別の観点もあると異議を申し立てた。
「下総の千葉は関東管領側の里見に攻められ、北条に助けを求めている。それを見捨てたら、今後、北条に味方するものは誰もいなくなるぞ。それでも良いのか」
「…………」
直勝と綱景が沈黙し、場が飽和する。
そのとき、幸綱がちらりと外を眺めると、猿飛が発声せずに口を動かしていた。その動きを読み取った幸綱は、発言を求めた。
「直勝どの」
「なんだ」
「お手前の青備えの神速は、さきほど、入城したときに見えた、荷駄隊に秘密がござろうな」
「……おい、どうしてそれを」
熊のごとき魁偉な直勝が凄む。だが幸綱は恐れることなく、話をつづける。
「……荷駄の中身は青の甲冑。そして、甲冑をつける者は、別で、戦地にて落ち合うか。あるいは、通り一遍の甲冑をつけて行軍して、現地で着替えるか。そんなところでしょうな」
敵からすると、突然、青備えが出現したことになり、神速かと驚くことになるのでしょうな、と幸綱は付け加えた。
「……それを知られた以上、ただでは済ませんな」
直勝は立ち上がる。熊とたとえられるだけあって、迫力がある。
「話は最後までお聞きくだされ。その仕掛け、もし下総に征くとしたら、石浜城がなるほど邪魔です。荷駄隊を改められたりしたら、ことだ。ならば、まず石浜城から叩き潰してしまいたいというのが人情」
「貴様、それ以上……」
綱景も怒りをあらわにして、立ち上がる。冷然としていたが、綱景は実は熱い男である。本音を言えば、千葉家を救いたいし、何より、河越へ向かって綱成を救いたい。で、あるが、下手に動いては、千葉家や綱成が救えなくなる。それゆえの冷静さであった。
綱景は後年、直勝が同僚の裏切りを察知できず、その責を感じて、無謀ともいえる突撃を敢行したとき、共に征き、共に死ぬという友誼を示した男である。
「待て待て、待たれい」
虎胤は、直勝と綱景の前に立つ。
「虎胤どのとて、容赦はせぬぞ」
「左様。新九郎さま考案の仕掛け。知られた以上……」
幸綱は悠然と立ち上がり、笑顔で、言った。
「そうでござるな。責任を取って、石浜城は拙者が陥として御覧に入れる」
「はあ?」
虎胤は、どこか遠くで、武田軍の軍師がくしゃみをしているのを聞いたような気がした。
*
「やあやあ、われこそは正木大膳時茂。こたび、関東管領の命を受け、わが主・里見義堯に代わり、叛賊・千葉家を討伐に参った。千葉介、いざ尋常に勝負せい」
里見家重臣・正木時茂は、佐倉の千葉家の居城の前にまで迫っていた。
時茂は、自慢の十文字槍を振るって、わざとらしく鎌倉武士のように名乗りを上げ、千葉家に対する挑発をした。
千葉家当主・昌胤と、嫡子・利胤が病にて戦場に出られないことを知った上での挑発である。
「どうした、出てこぬのか? わが槍に恐れをなしたのか!」
「おのれ、言わせておけば」
寝たきりになっている昌胤には聞こえなかったが、利胤には時茂の大音声が聞こえ、さすがに怒りと恥を覚えて、立ち上がった。が、甲冑を身につけるまでもなく、利胤は頭のふらつきを感じ、床に倒れ伏した。
「若!」
こちらはすでに鎧兜を装着した原胤清が駆けつけ、利胤を抱きかかえ、寝所へと連れて行く。
「すまぬ……胤清」
「御無理をなさいますな。ここは原の千騎にお任せあれ」
利胤はそのまま気を失った。胤清は、侍女に利胤を託し、城外へと向かう。
槍大膳。
恐るべき相手だ、自分に勝てるだろうか。
今、自分が勝てなければ、千葉を支える者はいなくなる。
そうなれば、戦をせずとも、千葉は終わりだ。
だが、このまま城にこもって戦に応じなければ、佐倉を劫掠するだろう。
出るしかないか。
「胤清さま、原の千騎、出撃の準備、ととのいましてございます」
若党の声が、胤清を逡巡から現実に立ち戻す。
「うむ。出よう」
「はっ」
城外の時茂は、千葉昌胤と利胤が出てこないので、計画通り、胤清を挑発し出した。
「千葉の百騎が出ぬのなら、原の千騎を出してみろ。かかってこぬのなら……」
「時茂さま、城門が開きます!」
「おう、やっとか」
時茂は槍をしごいて、城門へ向かう。
このまま、胤清と勝負となるのなら、それでよし。
槍で自分に勝てる者はいない。
胤清が勝負に応じないのなら、佐倉にて略奪の限りを尽くす。
その略奪にしびれを切らした時、『そこ』が胤清の、そして千葉家の最期だ。
「どうしたどうした、やっとお出ましか、原どのは! 拙者と槍勝負を所望!」
「ぐっ……」
胤清とて武士。勝負を求められたら、応じたくなるのが人情。しかし、床に伏している利胤を、千葉家を考えると、うかつはできない。
戦端を開くか。
そう考えた胤清が、手綱を握ったのを見て、時茂はほくそ笑んだ。
「馬鹿め、かかりおったわ」
時茂がさんざんに挑発してきたのには、理由があった。彼は、自身を囮として、伏兵のいるところまで、千葉軍を誘い出すつもりだった。
とどめだ、とばかりに時茂は叫んだ。
「どうした原どの! 腰が抜けたか! 原どのがおれに勝ったら、退いてやっても良いぞ!」
突如。
正木大膳時茂の横合いから、一騎の騎馬武者があらわれ、無言でその槍を振りかぶり、振り下ろした。
「ぬっ」
槍大膳と謳われるだけあって、時茂は、その突然の槍撃を食い止め、かろうじてその騎馬武者の槍を押し返した。
「何者だ?」
時茂は、かつてない手のしびれを感じながら、誰何する。
「原美濃守虎胤」
「原……美濃守、虎胤? まさか……鬼美濃か!」
「応」
「甲斐の武田の鬼美濃が、なんで……ここに」
「それはなア」
虎胤は首をこきこきと鳴らしながら回し、時茂を睥睨する。
「お前が、『原どの』とやり合いたいとか抜かすからだよ、槍大膳。貴様の罵詈雑言、甲斐までしっかと届いておったわ」
「虎胤……おぬし、帰って来たのか」
胤清は、目を疑いながら、虎胤の方へ向かおうとする。そのむかし、小弓公方・足利義明に小弓城を奪われた時、別れ別れになった幼馴染同士であった。
「来るな、胤清。お前じゃこいつは無理だ」
虎胤は振り向かずにこたえた。
そして槍を振りかぶって、時茂に向かって吶喊する。
「千葉を……原を虚仮にしおって、その罪をあがなわせてくれるわ!」
「ぬっ……抜かせ! 貴様を屠って、わが武名を高めてくれるわ!」
鬼美濃と槍大膳の槍が、豪風を生じて激突する。
城塞 了
0
お気に入りに追加
20
あなたにおすすめの小説
【短編】輿上(よじょう)の敵 ~ 私本 桶狭間 ~
四谷軒
歴史・時代
【あらすじ】
今川義元の大軍が尾張に迫る中、織田信長の家臣、簗田政綱は、輿(こし)が来るのを待ち構えていた。幕府により、尾張において輿に乗れるは斯波家の斯波義銀。かつて、信長が傀儡の国主として推戴していた男である。義元は、義銀を御輿にして、尾張の支配を目論んでいた。義銀を討ち、義元を止めるよう策す信長。が、義元が落馬し、義銀の輿に乗って進軍。それを知った信長は、義銀ではなく、輿上の敵・義元を討つべく出陣する。
【表紙画像】
English: Kano Soshu (1551-1601)日本語: 狩野元秀(1551〜1601年), Public domain, ウィキメディア・コモンズ経由で
敵は家康
早川隆
歴史・時代
旧題:礫-つぶて-
【第六回アルファポリス歴史・時代小説大賞 特別賞受賞作品】
俺は石ころじゃない、礫(つぶて)だ!桶狭間前夜を駆ける無名戦士達の物語。永禄3年5月19日の早朝。桶狭間の戦いが起こるほんの数時間ほど前の話。出撃に際し戦勝祈願に立ち寄った熱田神宮の拝殿で、織田信長の眼に、彼方の空にあがる二条の黒い煙が映った。重要拠点の敵を抑止する付け城として築かれた、鷲津砦と丸根砦とが、相前後して炎上、陥落したことを示す煙だった。敵は、餌に食いついた。ひとりほくそ笑む信長。しかし、引き続く歴史的大逆転の影には、この両砦に籠って戦い、玉砕した、名もなき雑兵どもの人生と、夢があったのである・・・
本編は「信長公記」にも記された、このプロローグからわずかに時間を巻き戻し、弥七という、矢作川の流域に棲む河原者(被差別民)の子供が、ある理不尽な事件に巻き込まれたところからはじまります。逃亡者となった彼は、やがて国境を越え、風雲急を告げる東尾張へ。そして、戦地を駆ける黒鍬衆の一人となって、底知れぬ謀略と争乱の渦中に巻き込まれていきます。そして、最後に行き着いた先は?
ストーリーはフィクションですが、周辺の歴史事件など、なるべく史実を踏みリアリティを追求しました。戦場を駆ける河原者二人の眼で、戦国時代を体感しに行きましょう!
花倉の乱 ~今川義元はいかにして、四男であり、出家させられた身から、海道一の弓取りに至ったか~
四谷軒
歴史・時代
【あらすじ】
今川義元は、駿河守護・今川氏親の四男として生まれ、幼くして仏門に入れられていた。
しかし、十代後半となった義元に転機が訪れる。
天文5年(1536年)3月17日、長兄と次兄が同日に亡くなってしまったのだ。
かくして、義元は、兄弟のうち残された三兄・玄広恵探と、今川家の家督をめぐって争うことになった。
――これは、海道一の弓取り、今川義元の国盗り物語である。
【表紙画像】
Utagawa Kuniyoshi, Public domain, ウィキメディア・コモンズ経由で
鬼を討つ〜徳川十六将・渡辺守綱記〜
八ケ代大輔
歴史・時代
徳川家康を天下に導いた十六人の家臣「徳川十六将」。そのうちの1人「槍の半蔵」と称され、服部半蔵と共に「両半蔵」と呼ばれた渡辺半蔵守綱の一代記。彼の祖先は酒天童子を倒した源頼光四天王の筆頭で鬼を斬ったとされる渡辺綱。徳川家康と同い歳の彼の人生は徳川家康と共に歩んだものでした。渡辺半蔵守綱の生涯を通して徳川家康が天下を取るまでの道のりを描く。表紙画像・すずき孔先生。

短編集「戦国の稲妻」
四谷軒
歴史・時代
【あらすじ】
(朝(あした)の信濃に、雷(いかづち)、走る。 ~弘治三年、三度目の川中島にて~)
弘治三年(1557年)、信濃(長野県)と越後(新潟県)の国境――信越国境にて、甲斐の武田晴信(信玄)と、越後の長尾景虎(上杉謙信)の間で、第三次川中島の戦いが勃発した。
先年、北条家と今川家の間で甲相駿三国同盟を結んだ晴信は、北信濃に侵攻し、越後の長尾景虎の味方である高梨政頼の居城・飯山城を攻撃した。また事前に、周辺の豪族である高井郡計見城主・市河藤若を調略し、味方につけていた。
これに対して、景虎は反撃に出て、北信濃どころか、さらに晴信の領土内へと南下する。
そして――景虎は一転して、飯山城の高梨政頼を助けるため、計見城への攻撃を開始した。
事態を重く見た晴信は、真田幸綱(幸隆)を計見城へ急派し、景虎からの防衛を命じた。
計見城で対峙する二人の名将――長尾景虎と真田幸綱。
そして今、計見城に、三人目の名将が現れる。
(その坂の名)
戦国の武蔵野に覇を唱える北条家。
しかし、足利幕府の名門・扇谷上杉家は大規模な反攻に出て、武蔵野を席巻し、今まさに多摩川を南下しようとしていた。
この危機に、北条家の当主・氏綱は、嫡男・氏康に出陣を命じた。
時に、北条氏康十五歳。彼の初陣であった。
(お化け灯籠)
上野公園には、まるでお化けのように大きい灯籠(とうろう)がある。高さ6.06m、笠石の周囲3.36m。この灯籠を寄進した者を佐久間勝之という。勝之はかつては蒲生氏郷の配下で、伊達政宗とは浅からぬ因縁があった。
猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~
橋本洋一
歴史・時代
この世が乱れ、国同士が戦う、戦国乱世。
記憶を失くした優しいだけの少年、雲之介(くものすけ)と元今川家の陪々臣(ばいばいしん)で浪人の木下藤吉郎が出会い、二人は尾張の大うつけ、織田信長の元へと足を運ぶ。織田家に仕官した雲之介はやがて内政の才を発揮し、二人の主君にとって無くてはならぬ存在へとなる。
これは、優しさを武器に二人の主君を天下人へと導いた少年の物語
※架空戦記です。史実で死ぬはずの人物が生存したり、歴史が早く進む可能性があります
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる