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はじめに
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【北条家】
北条新九郎氏康:戦国大名。後北条氏三代目。「相模の獅子」として知られる。通り名は新九郎。家督を父・氏綱から受け継いだ時点で、駿河、伊豆、相模、武蔵にわたって、広大な領土を持つ。その領国の南、河東(駿河東部地方)への今川・武田連合軍の侵入により、防戦に向かうが、その一方で、領国の北、河越城が関東諸侯同盟軍八万により包囲されてしまう。
北条氏綱:新九郎氏康の父。後北条氏二代目。はじめて「北条」を称した。実際に、執権北条家横江流の娘を妻としたと言われている。この戦国大名の「北条」氏は、鎌倉時代の執権北条氏との区別のため「後北条氏」と呼ばれる。後北条氏の版図を武蔵まで広げた「相模の獅子」。
伊勢宗瑞:新九郎氏康の祖父。若い時は伊勢新九郎盛時と名乗っていた。室町幕府政所執事・伊勢貞宗の従兄弟であり、かつては幕府の将軍奉公衆であったが、駿河へ下向し、その知略と武略で、伊豆、相模を奪取した風雲児。北条早雲として、のちに知られる人物。後北条氏初代。「二本の大きな杉の木を鼠が根本から食い倒し、やがて鼠は虎に変じる」という霊夢を見て、山内上杉家と扇谷上杉家を倒すことを宿願とした、と伝えられる。
清水小太郎吉政:新九郎氏康の乳兄弟。長じて、金棒を得物として、新九郎氏康の護衛かつ武将として彼を支える、豪放磊落な巨漢。怪力を誇る。伊豆の清水衆という水軍豪族の出身。北条五色備えという、五色で色分けされた五つの部隊のうち、白備えを率いる。
北条孫九郎綱成:今川家の臣、福島正成の息子。正成が武田との戦いに敗れ、その遺族として責を問われ、討たれるところを幼い弟妹と落ち延びた。そして氏綱の養子となり、新九郎氏康の義弟となる。北条家五色備えの黄備えを率いる。その旗印「地黄八幡」の名将として知られる。河越の防衛へ向かったところ、関東諸侯同盟軍八万により、河越城を包囲され、その籠城戦を指揮することになる。
弁千代:孫九郎綱成の弟。小姓として新九郎氏康に仕える少年。まだ赤子の頃、父・正成が武田に敗れたことにより、福島家総領・福島越前守から討たれるところを、兄に抱かれて、妹と共に落ち延びた過去を持つ。
北条宗哲:宗瑞の末子。氏綱の弟。新九郎氏康の叔父として、彼を支える。北条幻庵として、のちに知られる人物。伊勢家の本家である、伊勢貞宗が大成させたという伊勢流故実を修得している。
山中主膳:和歌を嗜む老将。北条御由緒家のひとり。御由緒家とは、かつて伊勢宗瑞が「この中でいずれ大名と成ればその家来となろう」と誓い合った七人の仲間の家の者のこと。
大道寺盛昌:河越城城将。北条御由緒家のひとり。息子の周勝、孫の孫九郎(綱成とは別人)と共に河越城を守っている。
多目元忠:北条五色備え、黒備えを率いる。北条御由緒家のひとり。手堅い用兵が持ち味で、退き鉦を任されている。
風魔小太郎:北条家において、風魔衆と呼ばれる草の者(忍者)をまとめる頭領。初代から引き継いだ二代目である。
北条綱高:北条五色備え、赤備えを率いる。伊勢宗瑞の養女を母としているため、北条を名乗ることを許されている。猛将としての側面はあるが、変則的かつ、柔軟な用兵を得意とする。
北条氏尭:新九郎氏康の実弟。氏康の河東出陣、綱成の河越出兵により、後北条氏の本拠・小田原の留守居役を務める。房総の里見水軍の襲来により、北条水軍を率いて対峙する。
根来金石斎:北条軍の軍師。高齢により、氏尭と共に小田原留守居役を務めていた。氏尭が北条水軍を率いるにあたり、その補佐として出陣とする。兵の運用に練達している。
富永直勝:北条五色備え、青備えを率いる。北条軍最速を誇る。里見家などに対する牽制役として、江戸城に常駐している。
遠山綱景:江戸城城将。主として文官として赴任している。直勝の抑え役でもある。
諏訪左馬助:宗哲の家臣であり、外交に優れた手腕を発揮する。河越を包囲する古河公方との交渉を買って出る。
二曲輪猪助:風魔衆の草の者。早駆けが得意。
【今川家】
今川義元:海道一の弓取り。四男であり、寺に入れられた立場であったが、長兄と次兄が死んだ機会をとらえ、三兄を打倒し、実力によって駿河の国主になった。当主になったときに北条氏綱の支援を受けたが、その氏綱の意向に背いたため、河東(駿河東部地方)を奪われてしまう。そのため、太原雪斎と河東奪還を画策する。
太原雪斎:禅僧。今川義元が出家させられていた際の師である。義元が駿河を手中にした後、今川家の軍事・政治をつかさどる「黒衣の宰相」となる。河東を今川に取り戻すために、山内上杉家と手を結び、北条家を大規模二正面作戦によって追いつめていく。
福島正成:故人。今川家の勇将であったが、雪斎の画策により甲斐へ遠征させられ、そこで原虎胤により敗死。小姓であった息子の綱成は駿河へ逃がれられたが、そこで福島家の総領、福島越前守により、正成の家の者は敗戦の責を取らされ、討たれることになった。しかし綱成は幼い弟妹を連れて、駿河を脱走する。
【武田家】
武田晴信:甲斐の虎。暴力的な父・信虎を駿河へ追放し、甲斐の国主となる。戦国時代を冠絶する名将。北条家と甲相同盟を結んでいるが、父・信虎を押さえている今川義元に逆らえず、河東への出兵を余儀なくされる。
山本勘助:武田軍の軍師。その才知を晴信に見出され、牢人の立場から、一挙に武田軍をその知謀で支える立場となった。たまに牢人時代の素行が表に出てくることがある。
原虎胤:もとは下総の名族、原家の出身だったが、落城の憂き目に遭い、牢人となり、諸国を流浪する。武田信虎によって、その武勇を買われ、足軽大将となる。今川家・福島正成の甲斐侵攻に際して防衛にあたり、その首を討ち取っている。以降、鬼美濃、あるいは夜叉美濃という二つ名を持つ。
真田幸綱:のちに幸隆と名乗る。信濃の名族出身だが、武田や諏訪、山内上杉をめぐる戦いの中で所領を失い、山内上杉家に寄寓するも弱小国人と扱われていた。そこを勘助に見出され、武田家へ帰参を打診される。猿飛、隠ら十人の草の者(忍者)を率いている。
猿飛:真田の草の者(忍者)の頭領的立場の存在。
隠:のちに霧隠と名乗る、真田の草の者。
【扇谷上杉家】
扇谷上杉朝定:足利幕府の名門、扇谷上杉家の当主。幼くして、居城である河越城を北条家に奪われ、家宰の難波田善銀の居城・松山城を提供されている。かつて、相模、武蔵と広大な版図を誇った扇谷上杉家の栄光を取り戻そうと躍起になっている。なお、扇谷上杉家は、山内上杉家から分派した家柄で、両家は犬猿の仲である。
難波田善銀:扇谷上杉家の家宰。勢威を誇った扇谷上杉家を再興するために尽力し、やがてそれは太原雪斎の策動と連動し、宿敵である山内上杉家と手を結び、さらに関東諸侯と会盟し、八万の大軍をもって、河越城の包囲し、かつての扇谷上杉家の居城を取り戻さんとする。
曽我神四郎:扇谷上杉家の馬廻り。武闘派であり、何かと戦うことを主張し、どちらかといえば慎重派である善銀や太田全鑑の言うことを聞かず、先走ることがある。
難波田隼人正:善銀の甥。三人の息子を連れて、朝定の護衛を務める。
太田全鑑:天才・太田道灌を曽祖父に持つ、岩付城城主。扇谷上杉家の対北条家の最前線にあり、歴戦の武将である。河越城包囲を維持し、北条家が音を上げるのを待つという慎重派であったが、ある事件により人生の転換を迎える。
【山内上杉家】
山内上杉憲政:足利尊氏の天下取りを支えた上杉家の嫡流、山内上杉家の当主。関東管領の家柄で、上野を本拠地としている。扇谷上杉家の躍進に押されていた観のある山内上杉家であったが、最終的に関東管領の地位を確保している。しかし、北条家の台頭により、犬猿の仲である扇谷上杉家と手を結び、河越城包囲陣の中心的役割を果たすことになる。
本間近江守:山内上杉家の重臣であり宿将。山内上杉家の家宰・長野業正が上野から出てくるまでは、山内上杉家の兵をまとめていた。業正が河越に出てきたあとは、一部将として扱われるも、それに腐らずに戦いに身を投じていく。
倉賀野三河守:山内上杉家の馬廻り。倉賀野十六騎という精鋭を中心に、倉賀野の兵を率いて河越に参陣。自らとその兵を最強と自負しており、他国者や豪族、国人を弱小と侮る。真田家や千葉家のことを特に弱小呼ばわりする。
本庄実忠:山内上杉家の将。本庄に根拠を持ち、本庄衆を率いる。本庄衆は実忠が手塩にかけて育てた兵で、精強をもって知られている。本庄一族の中に、本庄藤三郎を見出し、山内上杉家の皆朱の槍(最強の証)を与えた。
本庄藤三郎:本庄実忠の本庄一族の者。武辺者であり、山内上杉家中において、皆朱の槍を持つ。上泉信綱に剣を習い、技倆は北条綱成とほぼ同等である。山内上杉家の陣に客将として招かれた太原雪斎の護衛を務める。
長野業正:山内上杉家家宰。上州の黄斑という二つ名を持つ猛将。扇谷上杉家との会盟に反発し、上野から出て来なかった。しかし、河越城の包囲が長引いたことと、ちょうど嫡男の吉業を初陣させようと思い立ち、参陣。雪斎や本間近江守を押しのけて、山内上杉家及び河越城包囲陣を牛耳る。
赤堀上野介:山内上杉家の将。
小幡憲重:山内上杉家の将。業正の女婿。
【古河公方足利家】
足利晴氏:足利家の関東地域における将軍という位置づけの関東公方は、従来鎌倉に本拠を置いていたが、戦乱の中で、古河へ移り、古河公方と称した。晴氏は四代目の古河公方で、北条氏綱の娘を妻にしている。お飾りとして扱われる自分に潜在的な不満を抱いており、その不満を太原雪斎に焚きつけられ、河越へ参陣することになる。
梁田高助:古河公方足利家累代の重臣。関東公方が鎌倉に本拠を置いていた頃から仕えていた家系である。
【里見家】
里見義堯:先代の里見義豊を殺し、下剋上により里見家の当主となる。義豊よりも上であることを示すことが、下剋上を正当化すると信じ、房総に覇を唱え、房総より外へも出兵する。
正木大膳時茂:槍大膳の二つ名で知られる、槍術に巧みな里見家の将。義堯が下剋上をした時より共に戦ってきた悪友でもある。得物は十文字槍。
【下総千葉家】
千葉利胤:下総千葉家の当主。関東諸侯がすべて、関東管領の唱えた同盟に参加し、河越に参陣しているところを、唯一、中立やがて北条方となった諸侯である。病弱であり、戦場に立つことができない。
原胤清:千葉家家宰。千葉の百騎、原の千騎と呼ばれるほどの勢威を誇っている。ただし、彼なりの矜持があり、病弱である利胤を下剋上することをよしとせず、家宰としての立場を崩さず、里見家の襲来に抵抗する。原虎胤の幼馴染み。
【武蔵千葉家】
千葉胤利:武蔵石浜城城主。千葉家の本流はこちらである。下総千葉家が中立の立場を取ったことにより、太原雪斎が策動し、その下総千葉家への当て馬とされてしまう。
【足利将軍家】
足利義政:室町幕府八代将軍を務めた。政治に取り組むも報われず、やがて政治への関心を徐々に失くしていく。代わりに芸術へと傾倒していき、慈照寺(銀閣寺)の観音殿(銀閣)の完成を生涯の夢としている。
伊勢貞宗:伊勢新九郎の従兄弟。室町幕府政所執事。応仁の乱の原因のひとつである、幕府の行政権を一手に担っていた伊勢貞親の息子。伊勢流故実を大成させたことで知られる。
北条新九郎氏康:戦国大名。後北条氏三代目。「相模の獅子」として知られる。通り名は新九郎。家督を父・氏綱から受け継いだ時点で、駿河、伊豆、相模、武蔵にわたって、広大な領土を持つ。その領国の南、河東(駿河東部地方)への今川・武田連合軍の侵入により、防戦に向かうが、その一方で、領国の北、河越城が関東諸侯同盟軍八万により包囲されてしまう。
北条氏綱:新九郎氏康の父。後北条氏二代目。はじめて「北条」を称した。実際に、執権北条家横江流の娘を妻としたと言われている。この戦国大名の「北条」氏は、鎌倉時代の執権北条氏との区別のため「後北条氏」と呼ばれる。後北条氏の版図を武蔵まで広げた「相模の獅子」。
伊勢宗瑞:新九郎氏康の祖父。若い時は伊勢新九郎盛時と名乗っていた。室町幕府政所執事・伊勢貞宗の従兄弟であり、かつては幕府の将軍奉公衆であったが、駿河へ下向し、その知略と武略で、伊豆、相模を奪取した風雲児。北条早雲として、のちに知られる人物。後北条氏初代。「二本の大きな杉の木を鼠が根本から食い倒し、やがて鼠は虎に変じる」という霊夢を見て、山内上杉家と扇谷上杉家を倒すことを宿願とした、と伝えられる。
清水小太郎吉政:新九郎氏康の乳兄弟。長じて、金棒を得物として、新九郎氏康の護衛かつ武将として彼を支える、豪放磊落な巨漢。怪力を誇る。伊豆の清水衆という水軍豪族の出身。北条五色備えという、五色で色分けされた五つの部隊のうち、白備えを率いる。
北条孫九郎綱成:今川家の臣、福島正成の息子。正成が武田との戦いに敗れ、その遺族として責を問われ、討たれるところを幼い弟妹と落ち延びた。そして氏綱の養子となり、新九郎氏康の義弟となる。北条家五色備えの黄備えを率いる。その旗印「地黄八幡」の名将として知られる。河越の防衛へ向かったところ、関東諸侯同盟軍八万により、河越城を包囲され、その籠城戦を指揮することになる。
弁千代:孫九郎綱成の弟。小姓として新九郎氏康に仕える少年。まだ赤子の頃、父・正成が武田に敗れたことにより、福島家総領・福島越前守から討たれるところを、兄に抱かれて、妹と共に落ち延びた過去を持つ。
北条宗哲:宗瑞の末子。氏綱の弟。新九郎氏康の叔父として、彼を支える。北条幻庵として、のちに知られる人物。伊勢家の本家である、伊勢貞宗が大成させたという伊勢流故実を修得している。
山中主膳:和歌を嗜む老将。北条御由緒家のひとり。御由緒家とは、かつて伊勢宗瑞が「この中でいずれ大名と成ればその家来となろう」と誓い合った七人の仲間の家の者のこと。
大道寺盛昌:河越城城将。北条御由緒家のひとり。息子の周勝、孫の孫九郎(綱成とは別人)と共に河越城を守っている。
多目元忠:北条五色備え、黒備えを率いる。北条御由緒家のひとり。手堅い用兵が持ち味で、退き鉦を任されている。
風魔小太郎:北条家において、風魔衆と呼ばれる草の者(忍者)をまとめる頭領。初代から引き継いだ二代目である。
北条綱高:北条五色備え、赤備えを率いる。伊勢宗瑞の養女を母としているため、北条を名乗ることを許されている。猛将としての側面はあるが、変則的かつ、柔軟な用兵を得意とする。
北条氏尭:新九郎氏康の実弟。氏康の河東出陣、綱成の河越出兵により、後北条氏の本拠・小田原の留守居役を務める。房総の里見水軍の襲来により、北条水軍を率いて対峙する。
根来金石斎:北条軍の軍師。高齢により、氏尭と共に小田原留守居役を務めていた。氏尭が北条水軍を率いるにあたり、その補佐として出陣とする。兵の運用に練達している。
富永直勝:北条五色備え、青備えを率いる。北条軍最速を誇る。里見家などに対する牽制役として、江戸城に常駐している。
遠山綱景:江戸城城将。主として文官として赴任している。直勝の抑え役でもある。
諏訪左馬助:宗哲の家臣であり、外交に優れた手腕を発揮する。河越を包囲する古河公方との交渉を買って出る。
二曲輪猪助:風魔衆の草の者。早駆けが得意。
【今川家】
今川義元:海道一の弓取り。四男であり、寺に入れられた立場であったが、長兄と次兄が死んだ機会をとらえ、三兄を打倒し、実力によって駿河の国主になった。当主になったときに北条氏綱の支援を受けたが、その氏綱の意向に背いたため、河東(駿河東部地方)を奪われてしまう。そのため、太原雪斎と河東奪還を画策する。
太原雪斎:禅僧。今川義元が出家させられていた際の師である。義元が駿河を手中にした後、今川家の軍事・政治をつかさどる「黒衣の宰相」となる。河東を今川に取り戻すために、山内上杉家と手を結び、北条家を大規模二正面作戦によって追いつめていく。
福島正成:故人。今川家の勇将であったが、雪斎の画策により甲斐へ遠征させられ、そこで原虎胤により敗死。小姓であった息子の綱成は駿河へ逃がれられたが、そこで福島家の総領、福島越前守により、正成の家の者は敗戦の責を取らされ、討たれることになった。しかし綱成は幼い弟妹を連れて、駿河を脱走する。
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武田晴信:甲斐の虎。暴力的な父・信虎を駿河へ追放し、甲斐の国主となる。戦国時代を冠絶する名将。北条家と甲相同盟を結んでいるが、父・信虎を押さえている今川義元に逆らえず、河東への出兵を余儀なくされる。
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真田幸綱:のちに幸隆と名乗る。信濃の名族出身だが、武田や諏訪、山内上杉をめぐる戦いの中で所領を失い、山内上杉家に寄寓するも弱小国人と扱われていた。そこを勘助に見出され、武田家へ帰参を打診される。猿飛、隠ら十人の草の者(忍者)を率いている。
猿飛:真田の草の者(忍者)の頭領的立場の存在。
隠:のちに霧隠と名乗る、真田の草の者。
【扇谷上杉家】
扇谷上杉朝定:足利幕府の名門、扇谷上杉家の当主。幼くして、居城である河越城を北条家に奪われ、家宰の難波田善銀の居城・松山城を提供されている。かつて、相模、武蔵と広大な版図を誇った扇谷上杉家の栄光を取り戻そうと躍起になっている。なお、扇谷上杉家は、山内上杉家から分派した家柄で、両家は犬猿の仲である。
難波田善銀:扇谷上杉家の家宰。勢威を誇った扇谷上杉家を再興するために尽力し、やがてそれは太原雪斎の策動と連動し、宿敵である山内上杉家と手を結び、さらに関東諸侯と会盟し、八万の大軍をもって、河越城の包囲し、かつての扇谷上杉家の居城を取り戻さんとする。
曽我神四郎:扇谷上杉家の馬廻り。武闘派であり、何かと戦うことを主張し、どちらかといえば慎重派である善銀や太田全鑑の言うことを聞かず、先走ることがある。
難波田隼人正:善銀の甥。三人の息子を連れて、朝定の護衛を務める。
太田全鑑:天才・太田道灌を曽祖父に持つ、岩付城城主。扇谷上杉家の対北条家の最前線にあり、歴戦の武将である。河越城包囲を維持し、北条家が音を上げるのを待つという慎重派であったが、ある事件により人生の転換を迎える。
【山内上杉家】
山内上杉憲政:足利尊氏の天下取りを支えた上杉家の嫡流、山内上杉家の当主。関東管領の家柄で、上野を本拠地としている。扇谷上杉家の躍進に押されていた観のある山内上杉家であったが、最終的に関東管領の地位を確保している。しかし、北条家の台頭により、犬猿の仲である扇谷上杉家と手を結び、河越城包囲陣の中心的役割を果たすことになる。
本間近江守:山内上杉家の重臣であり宿将。山内上杉家の家宰・長野業正が上野から出てくるまでは、山内上杉家の兵をまとめていた。業正が河越に出てきたあとは、一部将として扱われるも、それに腐らずに戦いに身を投じていく。
倉賀野三河守:山内上杉家の馬廻り。倉賀野十六騎という精鋭を中心に、倉賀野の兵を率いて河越に参陣。自らとその兵を最強と自負しており、他国者や豪族、国人を弱小と侮る。真田家や千葉家のことを特に弱小呼ばわりする。
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本庄藤三郎:本庄実忠の本庄一族の者。武辺者であり、山内上杉家中において、皆朱の槍を持つ。上泉信綱に剣を習い、技倆は北条綱成とほぼ同等である。山内上杉家の陣に客将として招かれた太原雪斎の護衛を務める。
長野業正:山内上杉家家宰。上州の黄斑という二つ名を持つ猛将。扇谷上杉家との会盟に反発し、上野から出て来なかった。しかし、河越城の包囲が長引いたことと、ちょうど嫡男の吉業を初陣させようと思い立ち、参陣。雪斎や本間近江守を押しのけて、山内上杉家及び河越城包囲陣を牛耳る。
赤堀上野介:山内上杉家の将。
小幡憲重:山内上杉家の将。業正の女婿。
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足利晴氏:足利家の関東地域における将軍という位置づけの関東公方は、従来鎌倉に本拠を置いていたが、戦乱の中で、古河へ移り、古河公方と称した。晴氏は四代目の古河公方で、北条氏綱の娘を妻にしている。お飾りとして扱われる自分に潜在的な不満を抱いており、その不満を太原雪斎に焚きつけられ、河越へ参陣することになる。
梁田高助:古河公方足利家累代の重臣。関東公方が鎌倉に本拠を置いていた頃から仕えていた家系である。
【里見家】
里見義堯:先代の里見義豊を殺し、下剋上により里見家の当主となる。義豊よりも上であることを示すことが、下剋上を正当化すると信じ、房総に覇を唱え、房総より外へも出兵する。
正木大膳時茂:槍大膳の二つ名で知られる、槍術に巧みな里見家の将。義堯が下剋上をした時より共に戦ってきた悪友でもある。得物は十文字槍。
【下総千葉家】
千葉利胤:下総千葉家の当主。関東諸侯がすべて、関東管領の唱えた同盟に参加し、河越に参陣しているところを、唯一、中立やがて北条方となった諸侯である。病弱であり、戦場に立つことができない。
原胤清:千葉家家宰。千葉の百騎、原の千騎と呼ばれるほどの勢威を誇っている。ただし、彼なりの矜持があり、病弱である利胤を下剋上することをよしとせず、家宰としての立場を崩さず、里見家の襲来に抵抗する。原虎胤の幼馴染み。
【武蔵千葉家】
千葉胤利:武蔵石浜城城主。千葉家の本流はこちらである。下総千葉家が中立の立場を取ったことにより、太原雪斎が策動し、その下総千葉家への当て馬とされてしまう。
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伊勢貞宗:伊勢新九郎の従兄弟。室町幕府政所執事。応仁の乱の原因のひとつである、幕府の行政権を一手に担っていた伊勢貞親の息子。伊勢流故実を大成させたことで知られる。
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歴史・時代
徳川家康を天下に導いた十六人の家臣「徳川十六将」。そのうちの1人「槍の半蔵」と称され、服部半蔵と共に「両半蔵」と呼ばれた渡辺半蔵守綱の一代記。彼の祖先は酒天童子を倒した源頼光四天王の筆頭で鬼を斬ったとされる渡辺綱。徳川家康と同い歳の彼の人生は徳川家康と共に歩んだものでした。渡辺半蔵守綱の生涯を通して徳川家康が天下を取るまでの道のりを描く。表紙画像・すずき孔先生。

短編集「戦国の稲妻」
四谷軒
歴史・時代
【あらすじ】
(朝(あした)の信濃に、雷(いかづち)、走る。 ~弘治三年、三度目の川中島にて~)
弘治三年(1557年)、信濃(長野県)と越後(新潟県)の国境――信越国境にて、甲斐の武田晴信(信玄)と、越後の長尾景虎(上杉謙信)の間で、第三次川中島の戦いが勃発した。
先年、北条家と今川家の間で甲相駿三国同盟を結んだ晴信は、北信濃に侵攻し、越後の長尾景虎の味方である高梨政頼の居城・飯山城を攻撃した。また事前に、周辺の豪族である高井郡計見城主・市河藤若を調略し、味方につけていた。
これに対して、景虎は反撃に出て、北信濃どころか、さらに晴信の領土内へと南下する。
そして――景虎は一転して、飯山城の高梨政頼を助けるため、計見城への攻撃を開始した。
事態を重く見た晴信は、真田幸綱(幸隆)を計見城へ急派し、景虎からの防衛を命じた。
計見城で対峙する二人の名将――長尾景虎と真田幸綱。
そして今、計見城に、三人目の名将が現れる。
(その坂の名)
戦国の武蔵野に覇を唱える北条家。
しかし、足利幕府の名門・扇谷上杉家は大規模な反攻に出て、武蔵野を席巻し、今まさに多摩川を南下しようとしていた。
この危機に、北条家の当主・氏綱は、嫡男・氏康に出陣を命じた。
時に、北条氏康十五歳。彼の初陣であった。
(お化け灯籠)
上野公園には、まるでお化けのように大きい灯籠(とうろう)がある。高さ6.06m、笠石の周囲3.36m。この灯籠を寄進した者を佐久間勝之という。勝之はかつては蒲生氏郷の配下で、伊達政宗とは浅からぬ因縁があった。
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