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06 敵は本能寺にあり
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「せや」
光秀が、何か思いついたようであった。
「利三ゥ、お前の妹ォ、たしか土佐の長宗我部に嫁いでおったな」
「然様」
明智光秀の重臣・斎藤利三は、その異父妹が長宗我部元親の正室となっている。
その縁で、かつて光秀は土佐への取次役として、元親との交渉を持った。
信長も当初は、自らの勢力がまだ四国に及ばなかったこともあり、元親の四国制圧を支援したが、京畿を制して天下を睨むようになってから態度を変えた。
「長宗我部は、土佐と阿波半国のみ」
これに元親が反発したため、織田信孝による四国攻めが予定されるのだが、今の光秀にとっては、どうでもよい。
「それよりむしろ、長宗我部は、大事な手駒や。それに」
光秀は利三に紙と筆を持てと命じた。
利三は、誰ぞに書状ですかとおごそかに問うた。
「せや」
いっそ光秀は有頂天だった。
これほどの思いつき、誰にも思いつけへん、と豪語した。
「あンな」
光秀は芝居がかって、利三の耳に手をあてて、ぼそぼそと話すふりをした。
ふり、というのは、実際には周りの皆に聞こえるように話しているからである。
「阿波におる平島公方に、書状を渡すねん。ちょうど、長宗我部が飼っておるようやし」
平島公方とは、足利幕府の第十一代将軍・足利義澄の次男、足利義維が政争に敗れて阿波平島に流れて来たことからそう呼ばれる、足利家の分流のひとつである。
この平島公方――義維の息子である義栄は、第十四代将軍となって返り咲くことができたのだが、織田信長が足利義昭を擁して上洛してきたため、敗退を余儀なくされ、結局阿波に戻ってそのまま死去する。
そして今では、平島には義栄の弟である義助が平島公方となっている。
「まさか」
光慶は仰天した。
まさか光秀は、その平島公方を担ぐ気か。
かつて、足利義昭を将軍位に就けるため、あれほど尽力したというのに。
「その、まさかや」
光秀はほくそ笑む。
彼には勝算があった。
たとえば、鞆に寓居している足利義昭を御輿にするのも良いが、義昭はあくが強い。
光秀は良くても、若年の光慶には制御できまい。
逆に、操られる虞がある。
ならば、零落著しい平島公方に多大なる恩を売って、光慶に逆らえないようにしてから、将軍位に据えた方が良い。
「なんぼかマシや」
よっしゃ面白くなってきたと叫び、光秀は出陣を命じた。
「出陣とは、いずこに」
これは光慶ではなく利三の問いである。
暗にそれはやめろという言っている問いだ。
だが問われた当人は、酷くつまらなそうな表情で答えた。
「決まっとるやろ」
光秀は耳をほじって、耳垢を指に乗せ、ふっと飛ばした。
「これから首を取る、敵の場所へや」
「敵」
「そうや……敵、織田信忠の居る場所へ出陣や。信忠の首を取れば、織田は終わりや」
場にいる全員、息を呑んだ。
織田といえば信長ではないか。
それが何故、信忠なのか。
そんな諸将の表情を見て、光秀はくぐもった笑いを洩らした。
光秀は元々、こうした人を驚かせるのが好きな、傾奇者である。
「織田といえば信長。そのとおりや。やからこそ、一番守りが厳重なんやないかア。それより、その分、信長の分、守りが薄い信忠の方が楽や。せやろ?」
せやろと言われても、誰も答えることができない。
唖然としているからだ。
だがそれを光秀は賛同とみなして、陶然と話しつづける。
「それに、織田の当主は信忠や。その首ィ取っちまえば、織田はがたつく。次男の信雄や三男の信孝なんぞ、どんぐりの背比べや。互いに争って、譲らん。他の柴田や滝川も、それこそ、自分が自分がとしゃしゃり出て、喧嘩になるぞ」
「ち、父上、それでは、信長さまはどうなさるおつもりですか」
光慶は、父を止めようとした。
しかし光秀の覚悟は、もう決まっていた。
「信長?」
光秀はそこで、待ってましたとばかりに手を打った。
「信長……信長な。信忠が亡うなれば、今までの自分のやって来たことが、ぱあになる。それぐらいは、わかるやろ」
そして動揺して飛び出して来れば、そこを絡める。
最悪、出て来なくてもかまわない。
「封じ込めたる」
今までの軽佻浮薄な態度が、まるで嘘みたいに、底冷えする視線の光秀。
表情は無く、並みいる諸将がたしかに大将として認めた光秀が、そこにいた。
「妙覚寺に封じ込めた信長がどこまで保つか? ま、その間にわいは秀吉を取り込んだり、その裏で毛利を使嗾したりと大忙しよ」
「妙覚寺?」
その光慶の言葉は、ひとりごとと捉えられたのか、光秀は立ち上がって、歩み始めていた。
行くで、出陣やと気勢を上げて。
「敵は本能寺にあり、や。おそらく信長は常宿の妙覚寺に居る。そこは飛ばして、信忠の居る本能寺、や。くっくっく……警戒厳重な自分の宿の鼻先ィを通って、自分の子ォを討たれる信長の面ァ、拝んでみたいのオ」
お待ちくだされ、と光慶が言う間もなく、光秀は出て行った。
これが老人か、と思わせる俊敏さ。
いくさに明け暮れて大身になりおおせた男が、その老いを超越したかのような動きだった。
*
あとに残された光慶は、誰もいないその空間で、呟いた。
「敵は本能寺にあり、か……」
だがその本能寺に信長がいたら、どうなる。
織田の当主は信忠だ。
信忠が妙覚寺にいるかもしれない。
よしんば、本能寺に信長がいたとして、討てたとして。
復仇に燃える信忠を、どう捌く。
「そして信忠さまをも討てたとしても……」
それは、地獄ではないのか。
終わりのないこの乱世。
それに終わりをもたらすはずの、信長と信忠を討ち果たしては。
「一体、どうなるというのだ……」
光慶の懊悩はつづく。
だが、その光慶も知る由はない。
光秀が、本能寺にて信長を討ち、妙覚寺にいた信忠と一戦して破り、その果てに。
たしかに、乱世の終わりがもたらされるということを。
そしてその乱世が終わる前に。
明智も織田も、流れ去っていくということを――。
【了】
光秀が、何か思いついたようであった。
「利三ゥ、お前の妹ォ、たしか土佐の長宗我部に嫁いでおったな」
「然様」
明智光秀の重臣・斎藤利三は、その異父妹が長宗我部元親の正室となっている。
その縁で、かつて光秀は土佐への取次役として、元親との交渉を持った。
信長も当初は、自らの勢力がまだ四国に及ばなかったこともあり、元親の四国制圧を支援したが、京畿を制して天下を睨むようになってから態度を変えた。
「長宗我部は、土佐と阿波半国のみ」
これに元親が反発したため、織田信孝による四国攻めが予定されるのだが、今の光秀にとっては、どうでもよい。
「それよりむしろ、長宗我部は、大事な手駒や。それに」
光秀は利三に紙と筆を持てと命じた。
利三は、誰ぞに書状ですかとおごそかに問うた。
「せや」
いっそ光秀は有頂天だった。
これほどの思いつき、誰にも思いつけへん、と豪語した。
「あンな」
光秀は芝居がかって、利三の耳に手をあてて、ぼそぼそと話すふりをした。
ふり、というのは、実際には周りの皆に聞こえるように話しているからである。
「阿波におる平島公方に、書状を渡すねん。ちょうど、長宗我部が飼っておるようやし」
平島公方とは、足利幕府の第十一代将軍・足利義澄の次男、足利義維が政争に敗れて阿波平島に流れて来たことからそう呼ばれる、足利家の分流のひとつである。
この平島公方――義維の息子である義栄は、第十四代将軍となって返り咲くことができたのだが、織田信長が足利義昭を擁して上洛してきたため、敗退を余儀なくされ、結局阿波に戻ってそのまま死去する。
そして今では、平島には義栄の弟である義助が平島公方となっている。
「まさか」
光慶は仰天した。
まさか光秀は、その平島公方を担ぐ気か。
かつて、足利義昭を将軍位に就けるため、あれほど尽力したというのに。
「その、まさかや」
光秀はほくそ笑む。
彼には勝算があった。
たとえば、鞆に寓居している足利義昭を御輿にするのも良いが、義昭はあくが強い。
光秀は良くても、若年の光慶には制御できまい。
逆に、操られる虞がある。
ならば、零落著しい平島公方に多大なる恩を売って、光慶に逆らえないようにしてから、将軍位に据えた方が良い。
「なんぼかマシや」
よっしゃ面白くなってきたと叫び、光秀は出陣を命じた。
「出陣とは、いずこに」
これは光慶ではなく利三の問いである。
暗にそれはやめろという言っている問いだ。
だが問われた当人は、酷くつまらなそうな表情で答えた。
「決まっとるやろ」
光秀は耳をほじって、耳垢を指に乗せ、ふっと飛ばした。
「これから首を取る、敵の場所へや」
「敵」
「そうや……敵、織田信忠の居る場所へ出陣や。信忠の首を取れば、織田は終わりや」
場にいる全員、息を呑んだ。
織田といえば信長ではないか。
それが何故、信忠なのか。
そんな諸将の表情を見て、光秀はくぐもった笑いを洩らした。
光秀は元々、こうした人を驚かせるのが好きな、傾奇者である。
「織田といえば信長。そのとおりや。やからこそ、一番守りが厳重なんやないかア。それより、その分、信長の分、守りが薄い信忠の方が楽や。せやろ?」
せやろと言われても、誰も答えることができない。
唖然としているからだ。
だがそれを光秀は賛同とみなして、陶然と話しつづける。
「それに、織田の当主は信忠や。その首ィ取っちまえば、織田はがたつく。次男の信雄や三男の信孝なんぞ、どんぐりの背比べや。互いに争って、譲らん。他の柴田や滝川も、それこそ、自分が自分がとしゃしゃり出て、喧嘩になるぞ」
「ち、父上、それでは、信長さまはどうなさるおつもりですか」
光慶は、父を止めようとした。
しかし光秀の覚悟は、もう決まっていた。
「信長?」
光秀はそこで、待ってましたとばかりに手を打った。
「信長……信長な。信忠が亡うなれば、今までの自分のやって来たことが、ぱあになる。それぐらいは、わかるやろ」
そして動揺して飛び出して来れば、そこを絡める。
最悪、出て来なくてもかまわない。
「封じ込めたる」
今までの軽佻浮薄な態度が、まるで嘘みたいに、底冷えする視線の光秀。
表情は無く、並みいる諸将がたしかに大将として認めた光秀が、そこにいた。
「妙覚寺に封じ込めた信長がどこまで保つか? ま、その間にわいは秀吉を取り込んだり、その裏で毛利を使嗾したりと大忙しよ」
「妙覚寺?」
その光慶の言葉は、ひとりごとと捉えられたのか、光秀は立ち上がって、歩み始めていた。
行くで、出陣やと気勢を上げて。
「敵は本能寺にあり、や。おそらく信長は常宿の妙覚寺に居る。そこは飛ばして、信忠の居る本能寺、や。くっくっく……警戒厳重な自分の宿の鼻先ィを通って、自分の子ォを討たれる信長の面ァ、拝んでみたいのオ」
お待ちくだされ、と光慶が言う間もなく、光秀は出て行った。
これが老人か、と思わせる俊敏さ。
いくさに明け暮れて大身になりおおせた男が、その老いを超越したかのような動きだった。
*
あとに残された光慶は、誰もいないその空間で、呟いた。
「敵は本能寺にあり、か……」
だがその本能寺に信長がいたら、どうなる。
織田の当主は信忠だ。
信忠が妙覚寺にいるかもしれない。
よしんば、本能寺に信長がいたとして、討てたとして。
復仇に燃える信忠を、どう捌く。
「そして信忠さまをも討てたとしても……」
それは、地獄ではないのか。
終わりのないこの乱世。
それに終わりをもたらすはずの、信長と信忠を討ち果たしては。
「一体、どうなるというのだ……」
光慶の懊悩はつづく。
だが、その光慶も知る由はない。
光秀が、本能寺にて信長を討ち、妙覚寺にいた信忠と一戦して破り、その果てに。
たしかに、乱世の終わりがもたらされるということを。
そしてその乱世が終わる前に。
明智も織田も、流れ去っていくということを――。
【了】
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