5 / 6
05 下剋上は梟雄の特権
しおりを挟む
丹波。
亀山城。
「ふざけるんや、ない」
明智光秀は、森蘭丸から上洛の命を聞いて、そう怒鳴った。
「羽柴筑前を助けろォ云われて、兵を集めて、ほンで今からァ備中の秀吉ンところに、この明智十兵衛が行くところだァ」
さすがに高齢らしく、間延びした言い方に、京畿の言葉。
だが怒りは切々と伝わって来て、それが並みいる明智の諸将の怖気を誘った。
蘭丸はどこ吹く風で辞していったが、光秀はその背をじっと見つめ、押し殺した声で言った。
「斬れ」
「父上、それは」
光秀の嫡子、光慶が光秀の言葉を翻そうとする。
が、光秀は聞く耳を持たなかった。
「光慶、ええ加減にせい」
光秀は、まだ十代前半のわが子の肩を抱きすくめ、これはお前のためだと言った。
「わ、私の、ためとは」
「あンな」
光秀は、これまで京の情報を探るために、忍びを洛中洛外に入れて来た。
織田家が京を抑えた今、それは不要と思われたが、光秀は忍びを戻さなかった。
何故なら。
「他ならぬゥ、信長。これを知っておくに如くはなし」
そう言って憚らなかったという。
信長と光秀。
主従であるが、盟友であり、あるいは好敵手のようであった。
「信長が何を考えているか。それを読まずばこの乱世、生きられんわ」
林秀貞や佐久間信盛のように。
気がついたら過去の行状や現在の有り様を元に、始末されるやもしれぬ。
そして埋伏していた忍びは、蘭丸より先に、信長の動きを伝えて来た。
「この光秀から軍団を取り上げるやと?」
最初は、耳を疑った。
しかし、今の明智軍の基となった佐久間家の頭領、信盛の嫡子、信栄の登用というところを見ると、それはかなりの確率でありうべき事態だった。
「さらに、わが婿の津田信澄、細川忠興まで……」
一見、光秀の縁者を採用しているようには見える。
だが、信澄は織田家の者。
忠興は織田信忠の忠の字を賜った者。
「そう来おったか」
しかも明智を食うのは信長ではない。
織田信忠だ。
佐久間信栄は信忠付きだ。
津田信澄は信忠の補佐をしていた。
細川忠興については、言うまでもない。
「ほンでもってこの光秀を食う気か。ハッ、やるやないけ」
しかし光秀は信長のそういうところが、嫌いではない。
「主であっても家臣であっても、食われるンがこの乱世。そういうあり方は正しい」
ただ、このまま自分が食われるつもりはない。
何よりも、まだ若年の嫡子・光慶が成長しきるまでは。
「しかし父上、私はそこまで頼りになりませんか」
「ならん」
光秀はわが子を愛していたが、客観性は失っていなかった。
「たとえば秀吉、お前には勝てん。あの老獪な男に、お前が勝てるか?」
「…………」
「それ見ィ、いわんや、柴田勝家や滝川一益をおいておや」
つまり光秀は、己が亡き者にされたあと、光慶が立ち行かなくなることを憂いているのだ。
「せや、一益にしてみても、奴の姉か妹がァ、信忠の乳母やァないかい」
もはや信忠呼ばわりである。
しかし光秀は意に介さず、ひとり合点がいったような表情をした。
「成る程、一益も信忠の側かい」
成る程成る程と得心したかのように、あるいは周囲の者に敢えて示すためか、大仰にうなずく。
相も変わらず、光慶は不得要領だ。
気づかんかい、と光秀にこづかれる。
「つまり、滝川一益も信忠の味方。柴田勝家は、元は織田信行の臣じゃによって、信行の子ォたる、津田信澄の言うことを聞く。信澄は信忠の下につくさかい、柴田も信忠の味方や」
光秀の脳裏に、日ノ本の地図が浮かぶ。
これで、柴田、滝川は信忠の味方。
となると、あとは例の中国攻めの秀吉。
これについては、考えるまでもない。
「たしか、養子の秀勝……これは、信長の子。信忠の弟」
もう、環ができている。
光秀はそう感じた。
「さながら、光秀包囲網や」
光慶はその光秀の説明を聞いて、そういう風に解釈できるかもしれない、と思った。
だがそれだけだ。
そもそも、織田家の家臣同士ではないか。
嫡子、否、当主である織田信忠を中心に環が形成されても、何の不思議やある。
しかし、光慶はそれを言いだせない。
父・光秀はすでにその妄想に酔っている。
酔っている上に、あたかもそれを碁か将棋かのように――遊戯のように、それを破る手段を思いつこうとしている。
亀山城。
「ふざけるんや、ない」
明智光秀は、森蘭丸から上洛の命を聞いて、そう怒鳴った。
「羽柴筑前を助けろォ云われて、兵を集めて、ほンで今からァ備中の秀吉ンところに、この明智十兵衛が行くところだァ」
さすがに高齢らしく、間延びした言い方に、京畿の言葉。
だが怒りは切々と伝わって来て、それが並みいる明智の諸将の怖気を誘った。
蘭丸はどこ吹く風で辞していったが、光秀はその背をじっと見つめ、押し殺した声で言った。
「斬れ」
「父上、それは」
光秀の嫡子、光慶が光秀の言葉を翻そうとする。
が、光秀は聞く耳を持たなかった。
「光慶、ええ加減にせい」
光秀は、まだ十代前半のわが子の肩を抱きすくめ、これはお前のためだと言った。
「わ、私の、ためとは」
「あンな」
光秀は、これまで京の情報を探るために、忍びを洛中洛外に入れて来た。
織田家が京を抑えた今、それは不要と思われたが、光秀は忍びを戻さなかった。
何故なら。
「他ならぬゥ、信長。これを知っておくに如くはなし」
そう言って憚らなかったという。
信長と光秀。
主従であるが、盟友であり、あるいは好敵手のようであった。
「信長が何を考えているか。それを読まずばこの乱世、生きられんわ」
林秀貞や佐久間信盛のように。
気がついたら過去の行状や現在の有り様を元に、始末されるやもしれぬ。
そして埋伏していた忍びは、蘭丸より先に、信長の動きを伝えて来た。
「この光秀から軍団を取り上げるやと?」
最初は、耳を疑った。
しかし、今の明智軍の基となった佐久間家の頭領、信盛の嫡子、信栄の登用というところを見ると、それはかなりの確率でありうべき事態だった。
「さらに、わが婿の津田信澄、細川忠興まで……」
一見、光秀の縁者を採用しているようには見える。
だが、信澄は織田家の者。
忠興は織田信忠の忠の字を賜った者。
「そう来おったか」
しかも明智を食うのは信長ではない。
織田信忠だ。
佐久間信栄は信忠付きだ。
津田信澄は信忠の補佐をしていた。
細川忠興については、言うまでもない。
「ほンでもってこの光秀を食う気か。ハッ、やるやないけ」
しかし光秀は信長のそういうところが、嫌いではない。
「主であっても家臣であっても、食われるンがこの乱世。そういうあり方は正しい」
ただ、このまま自分が食われるつもりはない。
何よりも、まだ若年の嫡子・光慶が成長しきるまでは。
「しかし父上、私はそこまで頼りになりませんか」
「ならん」
光秀はわが子を愛していたが、客観性は失っていなかった。
「たとえば秀吉、お前には勝てん。あの老獪な男に、お前が勝てるか?」
「…………」
「それ見ィ、いわんや、柴田勝家や滝川一益をおいておや」
つまり光秀は、己が亡き者にされたあと、光慶が立ち行かなくなることを憂いているのだ。
「せや、一益にしてみても、奴の姉か妹がァ、信忠の乳母やァないかい」
もはや信忠呼ばわりである。
しかし光秀は意に介さず、ひとり合点がいったような表情をした。
「成る程、一益も信忠の側かい」
成る程成る程と得心したかのように、あるいは周囲の者に敢えて示すためか、大仰にうなずく。
相も変わらず、光慶は不得要領だ。
気づかんかい、と光秀にこづかれる。
「つまり、滝川一益も信忠の味方。柴田勝家は、元は織田信行の臣じゃによって、信行の子ォたる、津田信澄の言うことを聞く。信澄は信忠の下につくさかい、柴田も信忠の味方や」
光秀の脳裏に、日ノ本の地図が浮かぶ。
これで、柴田、滝川は信忠の味方。
となると、あとは例の中国攻めの秀吉。
これについては、考えるまでもない。
「たしか、養子の秀勝……これは、信長の子。信忠の弟」
もう、環ができている。
光秀はそう感じた。
「さながら、光秀包囲網や」
光慶はその光秀の説明を聞いて、そういう風に解釈できるかもしれない、と思った。
だがそれだけだ。
そもそも、織田家の家臣同士ではないか。
嫡子、否、当主である織田信忠を中心に環が形成されても、何の不思議やある。
しかし、光慶はそれを言いだせない。
父・光秀はすでにその妄想に酔っている。
酔っている上に、あたかもそれを碁か将棋かのように――遊戯のように、それを破る手段を思いつこうとしている。
0
お気に入りに追加
3
あなたにおすすめの小説
【短編】輿上(よじょう)の敵 ~ 私本 桶狭間 ~
四谷軒
歴史・時代
【あらすじ】
今川義元の大軍が尾張に迫る中、織田信長の家臣、簗田政綱は、輿(こし)が来るのを待ち構えていた。幕府により、尾張において輿に乗れるは斯波家の斯波義銀。かつて、信長が傀儡の国主として推戴していた男である。義元は、義銀を御輿にして、尾張の支配を目論んでいた。義銀を討ち、義元を止めるよう策す信長。が、義元が落馬し、義銀の輿に乗って進軍。それを知った信長は、義銀ではなく、輿上の敵・義元を討つべく出陣する。
【表紙画像】
English: Kano Soshu (1551-1601)日本語: 狩野元秀(1551〜1601年), Public domain, ウィキメディア・コモンズ経由で
STRIKE BACK ! ~ 中国大返し、あるいは、この国を動かした十日間を、ねね(北政所)と共に~
四谷軒
歴史・時代
【あらすじ】
天正十年六月二日――明智光秀、挙兵。いわゆる本能寺の変が起こった。
その時、本能寺に居合わせた、羽柴秀吉の妻・ねねは、京から瀬田、安土、長浜と逃がれていくが、その長浜が落城してしまう。一方で秀吉は中国攻めの真っ最中であったが、ねねからの知らせにより、中国大返しを敢行し、京へ戻るべく驀進(ばくしん)する。
近畿と中国、ふたつに別れたねねと秀吉。ふたりは光秀を打倒し、やがて天下を取るために動き出す。
【表紙画像】
「ぐったりにゃんこのホームページ」様より
始まりをいくつ数えた頃に
四谷軒
歴史・時代
【あらすじ】
伊奈忠次は、徳川家康が関東へ移った時に、その関東の開発・行政を担う「関東代官頭」に命じられた。
忠次は家康の信頼に応えるべく旺盛に活動し、そして今、ある水路の開発に取り組んでいた。
もう何度目の再工事―その始まり――を迎えたことだろう、その水路の開発は困難を極めた。
関東平野――武蔵野は平坦なように見えて、水を通すには高低の差を読みづらい。
またしても水を通すことに失敗した忠次は、枕草子からある着想を得る。
【表紙画像】
「ぐったりにゃんこのホームページ」様より
輿乗(よじょう)の敵 ~ 新史 桶狭間 ~
四谷軒
歴史・時代
【あらすじ】
美濃の戦国大名、斎藤道三の娘・帰蝶(きちょう)は、隣国尾張の織田信長に嫁ぐことになった。信長の父・信秀、信長の傅役(もりやく)・平手政秀など、さまざまな人々と出会い、別れ……やがて信長と帰蝶は尾張の国盗りに成功する。しかし、道三は嫡男の義龍に殺され、義龍は「一色」と称して、織田の敵に回る。一方、三河の方からは、駿河の国主・今川義元が、大軍を率いて尾張へと向かって来ていた……。
【登場人物】
帰蝶(きちょう):美濃の戦国大名、斎藤道三の娘。通称、濃姫(のうひめ)。
織田信長:尾張の戦国大名。父・信秀の跡を継いで、尾張を制した。通称、三郎(さぶろう)。
斎藤道三:下剋上(げこくじょう)により美濃の国主にのし上がった男。俗名、利政。
一色義龍:道三の息子。帰蝶の兄。道三を倒して、美濃の国主になる。幕府から、名門「一色家」を名乗る許しを得る。
今川義元:駿河の戦国大名。名門「今川家」の当主であるが、国盗りによって駿河の国主となり、「海道一の弓取り」の異名を持つ。
斯波義銀(しばよしかね):尾張の国主の家系、名門「斯波家」の当主。ただし、実力はなく、形だけの国主として、信長が「臣従」している。
【参考資料】
「国盗り物語」 司馬遼太郎 新潮社
「地図と読む 現代語訳 信長公記」 太田 牛一 (著) 中川太古 (翻訳) KADOKAWA
東浦町観光協会ホームページ
Wikipedia
【表紙画像】
歌川豊宣, Public domain, ウィキメディア・コモンズ経由で

夏目仁兵衛という男(短編)
和田光軍
SF
時は天正10年、有名な戦国武将、織田信長が表舞台から姿を消すことになる事件が起こった年。
21世紀を迎えた今でも謎が残る出来事に、ある武将が立ち会っていた。
その男の名前は夏目仁兵衛(なつめ じんべえ)、素性は尾張の農民の三男坊、幼い時からの付き合いで織田信長に仕えている軍師である。
しかし、どの歴史書を読んでも彼の名前は出てくることはない。
なぜなら彼は、本来農民のまま人生を終えるはずだったからである。
夏目仁兵衛、またの名を夏目仁。
彼はいたって普通の男子高校生だった。
夏休みに入る前日に目が醒めると、知らない天井、知らない人、そして自由に動かない身体の自分がいた。
軽度のオタクでもある彼は即座に理解した、ここは異世界であると。
そして落胆した、ここは異世界ではなく過去の日本であると。
そんな彼と織田信長の別れの事件を描いたものである。
この小説は「小説家になろう」でも掲載しています。
そのほか短編小説と書いてますので是非ご覧ください。

本能のままに
揚羽
歴史・時代
1582年本能寺にて織田信長は明智光秀の謀反により亡くなる…はずだった
もし信長が生きていたらどうなっていたのだろうか…というifストーリーです!もしよかったら見ていってください!
※更新は不定期になると思います。

本能寺燃ゆ
hiro75
歴史・時代
権太の村にひとりの男がやって来た。
男は、干からびた田畑に水をひき、病に苦しむ人に薬を与え、襲ってくる野武士たちを撃ち払ってくれた。
村人から敬われ、権太も男に憧れていたが、ある日男は村を去った、「天下を取るため」と言い残し………………男の名を十兵衛といった。
―― 『法隆寺燃ゆ』に続く「燃ゆる」シリーズ第2作目『本能寺燃ゆ』
男たちの欲望と野望、愛憎の幕が遂に開ける!
織田家の人々 ~太陽と月~
四谷軒
歴史・時代
【あらすじ】
(第一章 太陽の音を忘れない ~神戸信孝一代記~)
神戸信孝は織田信長の三男として知られる。彼は、庶子でありながら、嫡出である信忠・信雄についだ格付けを得るまでにのし上がっていた。
その最たるものが四国征伐であり、信孝はその将として、今、まさに四国への渡海を目前としており、その成功は約束されていた――本能寺の変が、起こるまでは。
(第二章 月を飛ぶ蝶のように ~有楽~)
織田有楽、あるいは織田有楽斎として知られる人物は、織田信長の弟として生まれた。信行という兄の死を知り、信忠という甥と死に別れ、そして淀君という姪の最期を……晩年に京にしつらえた茶室、如庵にて有楽は何を想い、感じるのか。それはさながら月を飛ぶ蝶のような、己の生涯か。
【表紙画像】
歌川国芳, Public domain, ウィキメディア・コモンズ経由で
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる