上 下
38 / 39
急の章 天下一の女房、これにあり ──山崎の戦い──

38 山崎の城

しおりを挟む
 あれから。

 明智光秀の行方は知れないが、明智家が支配していた坂本城、丹波亀山城は攻められ、落城した。
 坂本城の方は、明智左馬助秀満という武将が守っていたが、羽柴軍・堀秀政の前に敗れた。左馬助は明智家の所蔵する宝物(刀や墨蹟)が失われてしまうのを恐れ、堀秀政にそれらを差し出してから、城に火を放って、光秀の残された妻子と共に、自害したという。
 一方の丹波亀山城は、光秀の嫡子・光慶がこもっていたが、これを中川清秀と高山右近が攻めて、占拠することに成功。なおその際、黒田官兵衛から耳打ちをされていた右近がいろいろと動いたらしいが、定かではない。
 そして近江の方に戻って、長浜を始めとする諸城も、羽柴秀吉は難なく平定した。その時、阿閉貞征あつじさだゆきなる武将を捕らえ、これを磔にしたという。



「……いずれにせよ、これで終わったわい」

 織田家の――天下の行く末を議する清須会議を終えた秀吉は、山崎に城を築いた。山崎城といわれるそれは、秀吉が大坂に城を築くまでの間、彼の居城となる。

「長浜も柴田の勝家に取られてしまったからのう、姫路の城だけじゃと、ちと京から遠いわい」

 清須会議の結果、信長の後継者は信忠の子・三法師と決まったが、その三法師を擁する秀吉に対し、織田家の重臣・柴田勝家は物申した。

「お前の居城を、よこせ」

 これに対して秀吉はあっさりと長浜城を差し出す。
 それどころか。

「お市御料人いちごりょうにんまで、おれに?」

 勝家がかねてから切望していた、信長の妹・市との縁を取り持ってみせた。
 さすがにこれには勝家も気をよくし、居城である北ノ庄の城へと帰って行った。
 あたかも、凱旋のごとくに、意気揚々として。

「……単純な奴だ」

 秀吉はほくそ笑むでもなく、ただ淡々と、そう感想を述べた。
 漁色に熱心な彼ではあるが、一線はわきまえていた。
 評判の美姫びきではあるが、天下という野望の前には、その容色もかげる。
 ただ、黒田官兵衛は、難色を示した。
 彼は山崎城での軍議の場で、公然と秀吉に問うた。

「これでは、勝家どのが織田の縁者、信長さまの後継者、と見られやせんでしょうか」

 それを聞いた秀吉はにんまりと笑った。

よ」

 山崎で勝ったのは誰か、と秀吉はうそぶいた。
 すると、官兵衛はうやうやしく、それは上様でございますと引き下がるのであった。



 それから羽柴秀吉は柴田勝家との対決姿勢を強め、それはやがて賤ヶ岳の戦いへと発展していく。
 この時、賤ヶ岳の七本槍として活躍し、なかんずく、その筆頭となったこそ、福島正則であった。
 正則は他の六本槍──六人より抜きん出て所領を加増されることになるが、それはねねの長浜からの逃避行を支えたからであることを、勘定を担当した石田三成が知っていたので、特に問題にはならなかった。

「やれやれ、またいくさ。いくさいくさの毎日」

 しかしそんな戦いの日々をよそに、ねねは山崎城の留守居役、あるいは秀吉の代理人として忙しく立ち働いていた。
 何しろ、もうひとりの代理人である羽柴秀長も、腹心である藤堂高虎を引き連れて賤ヶ岳へと赴いている。
 ここはねねが踏ん張るしかない。

「……来客でございます」

 ねねと共に留守居役を務める、長谷川宗仁はせがわそうにん(秀吉に仕えることになった)がひとりの若い僧侶を伴ってやって来た。

「お久しぶりにございます」

 若い僧侶、というよりは僧形そうぎょうの少年である。

「お久しぶりです、光慶みつよし……ではない、南国梵桂なんごくぼんけいどの」

 少年は頭を掻いた。

「そう言われると、照れます。何だか自分ではないみたいで」

 南国梵桂。
 彼こそ、明智光秀の遺児・光慶である。
 黒田官兵衛の意を受けた高山右近が確保し、妙心寺という寺で出家させた。
 そして今、

和泉国いずみのくにに、寺を作りました」

 ねねの話は簡にして要を得ていた。
 南国梵桂を開基とする寺を作ったので、そこへ行きなさい――ということである。

「……よろしいのですか?」

 南国梵桂としては、明智光秀の遺児である自分に、そこまでして、と疑問に思う。
 けれども、ねねは笑った。

「そういう約束ですから。だから光秀どのはその辺を期して、生死不明、ようとして知れない、というていで『いなくなった』のでしょう」

 約束を守らなかったら「仕返し」してやるぞ、という状態にして、『いなくなる』。
 これこそ光秀最大の計略ではないか、と思うねねである。
 これには夫の秀吉も、「ま、仕方ない」と頭を掻いて、ねねに委細を任せた。
 こうして、明智光秀の遺児、明智光慶あらため南国梵桂は、妙心寺を出て――海雲寺という寺に入ることになった。

 ……ちなみに、海雲寺――現在では本徳寺という名のその寺には、南国梵桂が描かせたという、明智光秀の肖像画が伝わっている(歴史の本などで出て来る、光秀の肖像画がこれです)。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

待庵(たいあん)

四谷軒
歴史・時代
【あらすじ】 千宗易(後の利休)は、山崎の戦いに臨む羽柴秀吉から、二畳の茶室を作るよう命じられる。この時代、茶室は三畳半ぐらいが常識だった。それよりも狭い茶室を作れと言われ、宗易はいろいろと考える。そして、秀吉の弟・羽柴秀長や、秀吉の正室・ねねに会い、語り、宗易はやがて茶室について「作ったる」と明言する。言葉どおり完成した茶室で、宗易は茶を点て、客を待つ。やって来た客は……。 【表紙画像】 「ぐったりにゃんこのホームページ」様より

織田家の人々 ~太陽と月~

四谷軒
歴史・時代
【あらすじ】 (第一章 太陽の音を忘れない ~神戸信孝一代記~) 神戸信孝は織田信長の三男として知られる。彼は、庶子でありながら、嫡出である信忠・信雄についだ格付けを得るまでにのし上がっていた。 その最たるものが四国征伐であり、信孝はその将として、今、まさに四国への渡海を目前としており、その成功は約束されていた――本能寺の変が、起こるまでは。 (第二章 月を飛ぶ蝶のように ~有楽~) 織田有楽、あるいは織田有楽斎として知られる人物は、織田信長の弟として生まれた。信行という兄の死を知り、信忠という甥と死に別れ、そして淀君という姪の最期を……晩年に京にしつらえた茶室、如庵にて有楽は何を想い、感じるのか。それはさながら月を飛ぶ蝶のような、己の生涯か。 【表紙画像】 歌川国芳, Public domain, ウィキメディア・コモンズ経由で

輿乗(よじょう)の敵 ~ 新史 桶狭間 ~

四谷軒
歴史・時代
【あらすじ】 美濃の戦国大名、斎藤道三の娘・帰蝶(きちょう)は、隣国尾張の織田信長に嫁ぐことになった。信長の父・信秀、信長の傅役(もりやく)・平手政秀など、さまざまな人々と出会い、別れ……やがて信長と帰蝶は尾張の国盗りに成功する。しかし、道三は嫡男の義龍に殺され、義龍は「一色」と称して、織田の敵に回る。一方、三河の方からは、駿河の国主・今川義元が、大軍を率いて尾張へと向かって来ていた……。 【登場人物】 帰蝶(きちょう):美濃の戦国大名、斎藤道三の娘。通称、濃姫(のうひめ)。 織田信長:尾張の戦国大名。父・信秀の跡を継いで、尾張を制した。通称、三郎(さぶろう)。 斎藤道三:下剋上(げこくじょう)により美濃の国主にのし上がった男。俗名、利政。 一色義龍:道三の息子。帰蝶の兄。道三を倒して、美濃の国主になる。幕府から、名門「一色家」を名乗る許しを得る。 今川義元:駿河の戦国大名。名門「今川家」の当主であるが、国盗りによって駿河の国主となり、「海道一の弓取り」の異名を持つ。 斯波義銀(しばよしかね):尾張の国主の家系、名門「斯波家」の当主。ただし、実力はなく、形だけの国主として、信長が「臣従」している。 【参考資料】 「国盗り物語」 司馬遼太郎 新潮社 「地図と読む 現代語訳 信長公記」 太田 牛一 (著) 中川太古 (翻訳)  KADOKAWA 東浦町観光協会ホームページ Wikipedia 【表紙画像】 歌川豊宣, Public domain, ウィキメディア・コモンズ経由で

ブーヴィーヌ ~尊厳王の戦場~

四谷軒
歴史・時代
【あらすじ】 フランス王フィリップ二世は、イングランドとフランスの西半分を支配するプランタジネット朝から、フランスの西半分を獲得しようと画策していた。プランタジネット朝の王妃であるアリエノール・ダキテーヌは、かつて、フィリップの父のルイ七世の王妃だった。アリエノールの生んだリチャード獅子心王を、そしてジョン欠地王相手に謀略をめぐらし、ついにブーヴィーヌの地で決戦を挑み、フィリップは勝利と共に「尊厳王」と称せられるようになる。 【表紙画像および挿絵画像】 オラース・ヴェルネ, Public domain, ウィキメディア・コモンズ経由で

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

河越夜戦 〜相模の獅子・北条新九郎氏康は、今川・武田連合軍と関東諸侯同盟軍八万に、いかに立ち向かったのか〜

四谷軒
歴史・時代
【あらすじ】 今は昔、戦国の世の物語―― 父・北条氏綱の死により、北条家の家督を継いだ北条新九郎氏康は、かつてない危機に直面していた。 領国の南、駿河・河東(駿河東部地方)では海道一の弓取り・今川義元と、甲斐の虎・武田晴信の連合軍が侵略を開始し、領国の北、武蔵・河越城は関東管領・山内上杉憲政と、扇谷上杉朝定の「両上杉」の率いる八万の関東諸侯同盟軍に包囲されていた。 関東管領の山内上杉と、扇谷上杉という関東の足利幕府の名門の「双つの杉」を倒す夢を祖父の代から受け継いだ、相模の獅子・北条新九郎氏康の奮戦がはじまる。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

処理中です...