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急の章 天下一の女房、これにあり ──山崎の戦い──
38 山崎の城
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あれから。
明智光秀の行方は知れないが、明智家が支配していた坂本城、丹波亀山城は攻められ、落城した。
坂本城の方は、明智左馬助秀満という武将が守っていたが、羽柴軍・堀秀政の前に敗れた。左馬助は明智家の所蔵する宝物(刀や墨蹟)が失われてしまうのを恐れ、堀秀政にそれらを差し出してから、城に火を放って、光秀の残された妻子と共に、自害したという。
一方の丹波亀山城は、光秀の嫡子・光慶がこもっていたが、これを中川清秀と高山右近が攻めて、占拠することに成功。なおその際、黒田官兵衛から耳打ちをされていた右近がいろいろと動いたらしいが、定かではない。
そして近江の方に戻って、長浜を始めとする諸城も、羽柴秀吉は難なく平定した。その時、阿閉貞征なる武将を捕らえ、これを磔にしたという。
*
「……いずれにせよ、これで終わったわい」
織田家の――天下の行く末を議する清須会議を終えた秀吉は、山崎に城を築いた。山崎城といわれるそれは、秀吉が大坂に城を築くまでの間、彼の居城となる。
「長浜も柴田の勝家に取られてしまったからのう、姫路の城だけじゃと、ちと京から遠いわい」
清須会議の結果、信長の後継者は信忠の子・三法師と決まったが、その三法師を擁する秀吉に対し、織田家の重臣・柴田勝家は物申した。
「お前の居城を、よこせ」
これに対して秀吉はあっさりと長浜城を差し出す。
それどころか。
「お市御料人まで、おれに?」
勝家がかねてから切望していた、信長の妹・市との縁を取り持ってみせた。
さすがにこれには勝家も気をよくし、居城である北ノ庄の城へと帰って行った。
あたかも、凱旋のごとくに、意気揚々として。
「……単純な奴だ」
秀吉はほくそ笑むでもなく、ただ淡々と、そう感想を述べた。
漁色に熱心な彼ではあるが、一線はわきまえていた。
評判の美姫ではあるが、天下という野望の前には、その容色も翳る。
ただ、黒田官兵衛は、難色を示した。
彼は山崎城での軍議の場で、公然と秀吉に問うた。
「これでは、勝家どのが織田の縁者、信長さまの後継者、と見られやせんでしょうか」
それを聞いた秀吉はにんまりと笑った。
「くわんぴょうえよ」
山崎で勝ったのは誰か、と秀吉はうそぶいた。
すると、官兵衛はうやうやしく、それは上様でございますと引き下がるのであった。
*
それから羽柴秀吉は柴田勝家との対決姿勢を強め、それはやがて賤ヶ岳の戦いへと発展していく。
この時、賤ヶ岳の七本槍として活躍し、なかんずく、その筆頭となった槍こそ、福島正則であった。
正則は他の六本槍──六人より抜きん出て所領を加増されることになるが、それはねねの長浜からの逃避行を支えたからであることを、勘定を担当した石田三成が知っていたので、特に問題にはならなかった。
「やれやれ、またいくさ。いくさいくさの毎日」
しかしそんな戦いの日々をよそに、ねねは山崎城の留守居役、あるいは秀吉の代理人として忙しく立ち働いていた。
何しろ、もうひとりの代理人である羽柴秀長も、腹心である藤堂高虎を引き連れて賤ヶ岳へと赴いている。
ここはねねが踏ん張るしかない。
「……来客でございます」
ねねと共に留守居役を務める、長谷川宗仁(秀吉に仕えることになった)がひとりの若い僧侶を伴ってやって来た。
「お久しぶりにございます」
若い僧侶、というよりは僧形の少年である。
「お久しぶりです、光慶……ではない、南国梵桂どの」
少年は頭を掻いた。
「そう言われると、照れます。何だか自分ではないみたいで」
南国梵桂。
彼こそ、明智光秀の遺児・光慶である。
黒田官兵衛の意を受けた高山右近が確保し、妙心寺という寺で出家させた。
そして今、
「和泉国に、寺を作りました」
ねねの話は簡にして要を得ていた。
南国梵桂を開基とする寺を作ったので、そこへ行きなさい――ということである。
「……よろしいのですか?」
南国梵桂としては、明智光秀の遺児である自分に、そこまでして、と疑問に思う。
けれども、ねねは笑った。
「そういう約束ですから。だから光秀どのはその辺を期して、生死不明、杳として知れない、という体で『いなくなった』のでしょう」
約束を守らなかったら「仕返し」してやるぞ、という状態にして、『いなくなる』。
これこそ光秀最大の計略ではないか、と思うねねである。
これには夫の秀吉も、「ま、仕方ない」と頭を掻いて、ねねに委細を任せた。
こうして、明智光秀の遺児、明智光慶あらため南国梵桂は、妙心寺を出て――海雲寺という寺に入ることになった。
……ちなみに、海雲寺――現在では本徳寺という名のその寺には、南国梵桂が描かせたという、明智光秀の肖像画が伝わっている(歴史の本などで出て来る、光秀の肖像画がこれです)。
明智光秀の行方は知れないが、明智家が支配していた坂本城、丹波亀山城は攻められ、落城した。
坂本城の方は、明智左馬助秀満という武将が守っていたが、羽柴軍・堀秀政の前に敗れた。左馬助は明智家の所蔵する宝物(刀や墨蹟)が失われてしまうのを恐れ、堀秀政にそれらを差し出してから、城に火を放って、光秀の残された妻子と共に、自害したという。
一方の丹波亀山城は、光秀の嫡子・光慶がこもっていたが、これを中川清秀と高山右近が攻めて、占拠することに成功。なおその際、黒田官兵衛から耳打ちをされていた右近がいろいろと動いたらしいが、定かではない。
そして近江の方に戻って、長浜を始めとする諸城も、羽柴秀吉は難なく平定した。その時、阿閉貞征なる武将を捕らえ、これを磔にしたという。
*
「……いずれにせよ、これで終わったわい」
織田家の――天下の行く末を議する清須会議を終えた秀吉は、山崎に城を築いた。山崎城といわれるそれは、秀吉が大坂に城を築くまでの間、彼の居城となる。
「長浜も柴田の勝家に取られてしまったからのう、姫路の城だけじゃと、ちと京から遠いわい」
清須会議の結果、信長の後継者は信忠の子・三法師と決まったが、その三法師を擁する秀吉に対し、織田家の重臣・柴田勝家は物申した。
「お前の居城を、よこせ」
これに対して秀吉はあっさりと長浜城を差し出す。
それどころか。
「お市御料人まで、おれに?」
勝家がかねてから切望していた、信長の妹・市との縁を取り持ってみせた。
さすがにこれには勝家も気をよくし、居城である北ノ庄の城へと帰って行った。
あたかも、凱旋のごとくに、意気揚々として。
「……単純な奴だ」
秀吉はほくそ笑むでもなく、ただ淡々と、そう感想を述べた。
漁色に熱心な彼ではあるが、一線はわきまえていた。
評判の美姫ではあるが、天下という野望の前には、その容色も翳る。
ただ、黒田官兵衛は、難色を示した。
彼は山崎城での軍議の場で、公然と秀吉に問うた。
「これでは、勝家どのが織田の縁者、信長さまの後継者、と見られやせんでしょうか」
それを聞いた秀吉はにんまりと笑った。
「くわんぴょうえよ」
山崎で勝ったのは誰か、と秀吉はうそぶいた。
すると、官兵衛はうやうやしく、それは上様でございますと引き下がるのであった。
*
それから羽柴秀吉は柴田勝家との対決姿勢を強め、それはやがて賤ヶ岳の戦いへと発展していく。
この時、賤ヶ岳の七本槍として活躍し、なかんずく、その筆頭となった槍こそ、福島正則であった。
正則は他の六本槍──六人より抜きん出て所領を加増されることになるが、それはねねの長浜からの逃避行を支えたからであることを、勘定を担当した石田三成が知っていたので、特に問題にはならなかった。
「やれやれ、またいくさ。いくさいくさの毎日」
しかしそんな戦いの日々をよそに、ねねは山崎城の留守居役、あるいは秀吉の代理人として忙しく立ち働いていた。
何しろ、もうひとりの代理人である羽柴秀長も、腹心である藤堂高虎を引き連れて賤ヶ岳へと赴いている。
ここはねねが踏ん張るしかない。
「……来客でございます」
ねねと共に留守居役を務める、長谷川宗仁(秀吉に仕えることになった)がひとりの若い僧侶を伴ってやって来た。
「お久しぶりにございます」
若い僧侶、というよりは僧形の少年である。
「お久しぶりです、光慶……ではない、南国梵桂どの」
少年は頭を掻いた。
「そう言われると、照れます。何だか自分ではないみたいで」
南国梵桂。
彼こそ、明智光秀の遺児・光慶である。
黒田官兵衛の意を受けた高山右近が確保し、妙心寺という寺で出家させた。
そして今、
「和泉国に、寺を作りました」
ねねの話は簡にして要を得ていた。
南国梵桂を開基とする寺を作ったので、そこへ行きなさい――ということである。
「……よろしいのですか?」
南国梵桂としては、明智光秀の遺児である自分に、そこまでして、と疑問に思う。
けれども、ねねは笑った。
「そういう約束ですから。だから光秀どのはその辺を期して、生死不明、杳として知れない、という体で『いなくなった』のでしょう」
約束を守らなかったら「仕返し」してやるぞ、という状態にして、『いなくなる』。
これこそ光秀最大の計略ではないか、と思うねねである。
これには夫の秀吉も、「ま、仕方ない」と頭を掻いて、ねねに委細を任せた。
こうして、明智光秀の遺児、明智光慶あらため南国梵桂は、妙心寺を出て――海雲寺という寺に入ることになった。
……ちなみに、海雲寺――現在では本徳寺という名のその寺には、南国梵桂が描かせたという、明智光秀の肖像画が伝わっている(歴史の本などで出て来る、光秀の肖像画がこれです)。
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