20 / 39
破の章 覇者の胸中を知る者は誰(た)ぞ ──中国大返し──
20 大返し、始動
しおりを挟む
天正十年六月四日。
羽柴秀吉はねねからの書状を元に行動を開始し、早々に毛利家との和睦交渉、というか和睦それ自体を締結した。
これには秀吉と毛利家との角逐の地、備中高松城が落城寸前まで追い込まれていたことが大きい。
秀吉は備中高松城の開城を条件としたが、代わりに備中高松城主・清水宗治の切腹を以て城兵の命を救うと約した。
毛利家としては、実は瀬戸内海の制海権を侵されつつあり、しかも動員兵力も一万が限界という状況であるので、この和睦は渡りに船であった。
「天晴れ。見事な武者ぶりよ」
和睦の条件を飲んだ清水宗治は、水攻めによって生じた湖の上で、潔く切腹してのけた。
秀吉はそれをじっと見守っていて、そして前述の発言をしたと伝えられている。
だが内心は。
「早う、早う」
本能寺の変で織田信長が死に、秀吉の長浜城も攻められ、妻女・ねねも落ち延びた。
一刻も早く、京畿へ戻らねばならぬ。
その焦りが、秀吉を突き動かしていた。
そして明けて六月五日。
奇しくも、この日は明智光秀が瀬田の唐橋を復旧し、安土城を落とした日である。
その日、秀吉は大音声で命じた。
「返す!」
その一言で、羽柴軍の将兵は理解した。
事前に、「密に」と黒田官兵衛や羽柴秀長からささやかれていたことである。
「京に、変事あり」
それは織田信長に何かあったことを暗示していると、誰もが悟った。
そしてその変事により、返す、つまり姫路城に引き返すのだと。
そうすれば彼らにとって「家」である姫路城に戻り、何があっても対応できる。
帰るんだ。
……この時の羽柴軍の中級以下の将兵はそう思っていた。
「小一郎(羽柴秀長のこと)! 用意はいいか!」
「抜かりなく!」
秀長は秀吉に命じられ、清水宗治切腹当日と翌日、つまり秀吉が備中高松に「我慢して」滞留している間、密かに輜重、荷駄部隊(兵糧を調達し運搬する部隊)を先行して姫路へ向かわせていた。「用意」とは、このことである。
「毛利に何か言われても、もはや戦は終いにて、と言い訳できる」
とは、秀吉の弁である。
この時代、誰よりも兵站(兵糧の供給)というのを考え大事にしてきたのが、他ならぬ秀吉であり、その秀吉が輜重、荷駄を向かわせるということが、どういうことか。
それを理解できるのは、黒田官兵衛、羽柴秀長、そしてねねくらいであろう。
「ならば善し!」
秀吉は相好を崩した。
そして震えた。
武者震いがした。
これからおこなうことを考えると。
「進め! ……大返しじゃ!」
今よりおよそ七日間。
羽柴秀吉率いる二万の軍は、ここ中国から、その七日間で、京畿に達する。
その空前絶後の強行軍は、のちにこう称される。
中国大返し──と。
*
「向かえ! 向かえ!」
馬上、秀吉が叫ぶ。
後世からも困難と評される中国大返しだが、秀吉には勝算があった。
「本来なら、信長さまとその兵をお迎えするはずであった、道々の兵糧、それに人糞、馬糞などの仕置き場、これがみな、使える」
口に入れるものと出すものと。
その両方を考えるからこそ、秀吉は大軍を組織し運用することができた。
だからこそ、中国攻めの仕上げとして、生前の信長の援軍を──大軍を迎え入れる用意が遺漏なくできた。
そして今。
まるで天が「急ぎ京畿に向かえ」と言っているように、秀吉とその軍の通る先々に、兵糧と仕置き場があった。
事前に荷駄隊を進めていたのも、ここで効いてくる。
「進め! 進め! ただひたすらに進め! うしろは気にするな!」
いつもなら、うしろ──最重要な荷駄隊を守るために行軍速度は遅めだったが、今はそれを気にせずに済む。
そして、本来的な意味の「うしろ」も。
「官兵衛、宇喜多には話をつけてあろうの」
黒田官兵衛は、もう何度目だ、とは言わなかった。
この男はこうして、聴かせているのだ。
兵に。
村々の人々に。
毛利に。
そして、ほかならぬ宇喜多に。
「はっ。宇喜多忠家どの、われら羽柴の盾として、備前よりいかなる者をも通さぬと」
敢えて毛利とは言わない。和睦を結んだ相手である。それでも、聞く人が聞けば毛利とはわかる。
そして宇喜多忠家とは、備前の国盗りを果たした梟雄、宇喜多直家の弟である。
直家は備前の土豪であったが、時に詐術、時に暗殺、そして時に合戦を以て成り上がり、そして浦上、毛利、織田と次々と手を組む相手を変え、ついには備前を取った。
だが天正九年に亡くなり、嫡子・秀家が跡を継いだものの、その秀家がわずか十歳のため、今、宇喜多の事実上の当主は忠家である。
その忠家は、羽柴と手を組み、従うことを選択した。
亡き兄・直家であれば、ここで寝技を使って毛利との両天秤を図ったかもしれないが、忠家は己にはそういう器用な真似ができないことを知っていた。
「羽柴に、与する」
この選択が宇喜多の家に栄光と、やがて関ヶ原後の没落を与えることになるが、この時の忠家に、それを知る由は無い。
*
「目指すは、姫路ぞ!」
秀吉は口にしないが、すでに丹波、但馬の方から、石田三成が中国に向かっているとの報があった。
「ねねが向かわせたな」
人選に気が利いている。
秀吉は舌を巻く思いだった。
三成なら、秀吉軍の動静を予期して、あるいは伝え聞いて、必ずや絶好の機にやって来るに相違ない。
そしておそらくや。
「佐吉(石田三成のこと)め、姫路にて落ち合うつもりじゃろう!」
馬の手綱を握る手に力がこもる。
ねねが伝えることは何なのか。
ある程度、予測はついている。
問題は、それを聞いた時に、うまく動けるかだ。
そのためにも、まずは姫路だ。移動だ。早さだ。
つまり、時だ。
「時……今はそれが何よりも大事。時さえあれば、何かあったとしても、合わせることができる」
秀吉はブツブツとつぶやきながら、馬に鞭をくれる。
それを隣で見ながら、官兵衛も馬に鞭をくれる。
この、空前絶後の状況にて。
それでも、勝ちを、天下をつかみ取ろうとする秀吉、そしてねね。
「この方たちなら……やれるやもしれん」
となると、自分の役割は。
「かの名将、明智光秀と……いかなる戦いをするか、だ」
稀代の名軍師は、笑みをこぼした。
羽柴秀吉はねねからの書状を元に行動を開始し、早々に毛利家との和睦交渉、というか和睦それ自体を締結した。
これには秀吉と毛利家との角逐の地、備中高松城が落城寸前まで追い込まれていたことが大きい。
秀吉は備中高松城の開城を条件としたが、代わりに備中高松城主・清水宗治の切腹を以て城兵の命を救うと約した。
毛利家としては、実は瀬戸内海の制海権を侵されつつあり、しかも動員兵力も一万が限界という状況であるので、この和睦は渡りに船であった。
「天晴れ。見事な武者ぶりよ」
和睦の条件を飲んだ清水宗治は、水攻めによって生じた湖の上で、潔く切腹してのけた。
秀吉はそれをじっと見守っていて、そして前述の発言をしたと伝えられている。
だが内心は。
「早う、早う」
本能寺の変で織田信長が死に、秀吉の長浜城も攻められ、妻女・ねねも落ち延びた。
一刻も早く、京畿へ戻らねばならぬ。
その焦りが、秀吉を突き動かしていた。
そして明けて六月五日。
奇しくも、この日は明智光秀が瀬田の唐橋を復旧し、安土城を落とした日である。
その日、秀吉は大音声で命じた。
「返す!」
その一言で、羽柴軍の将兵は理解した。
事前に、「密に」と黒田官兵衛や羽柴秀長からささやかれていたことである。
「京に、変事あり」
それは織田信長に何かあったことを暗示していると、誰もが悟った。
そしてその変事により、返す、つまり姫路城に引き返すのだと。
そうすれば彼らにとって「家」である姫路城に戻り、何があっても対応できる。
帰るんだ。
……この時の羽柴軍の中級以下の将兵はそう思っていた。
「小一郎(羽柴秀長のこと)! 用意はいいか!」
「抜かりなく!」
秀長は秀吉に命じられ、清水宗治切腹当日と翌日、つまり秀吉が備中高松に「我慢して」滞留している間、密かに輜重、荷駄部隊(兵糧を調達し運搬する部隊)を先行して姫路へ向かわせていた。「用意」とは、このことである。
「毛利に何か言われても、もはや戦は終いにて、と言い訳できる」
とは、秀吉の弁である。
この時代、誰よりも兵站(兵糧の供給)というのを考え大事にしてきたのが、他ならぬ秀吉であり、その秀吉が輜重、荷駄を向かわせるということが、どういうことか。
それを理解できるのは、黒田官兵衛、羽柴秀長、そしてねねくらいであろう。
「ならば善し!」
秀吉は相好を崩した。
そして震えた。
武者震いがした。
これからおこなうことを考えると。
「進め! ……大返しじゃ!」
今よりおよそ七日間。
羽柴秀吉率いる二万の軍は、ここ中国から、その七日間で、京畿に達する。
その空前絶後の強行軍は、のちにこう称される。
中国大返し──と。
*
「向かえ! 向かえ!」
馬上、秀吉が叫ぶ。
後世からも困難と評される中国大返しだが、秀吉には勝算があった。
「本来なら、信長さまとその兵をお迎えするはずであった、道々の兵糧、それに人糞、馬糞などの仕置き場、これがみな、使える」
口に入れるものと出すものと。
その両方を考えるからこそ、秀吉は大軍を組織し運用することができた。
だからこそ、中国攻めの仕上げとして、生前の信長の援軍を──大軍を迎え入れる用意が遺漏なくできた。
そして今。
まるで天が「急ぎ京畿に向かえ」と言っているように、秀吉とその軍の通る先々に、兵糧と仕置き場があった。
事前に荷駄隊を進めていたのも、ここで効いてくる。
「進め! 進め! ただひたすらに進め! うしろは気にするな!」
いつもなら、うしろ──最重要な荷駄隊を守るために行軍速度は遅めだったが、今はそれを気にせずに済む。
そして、本来的な意味の「うしろ」も。
「官兵衛、宇喜多には話をつけてあろうの」
黒田官兵衛は、もう何度目だ、とは言わなかった。
この男はこうして、聴かせているのだ。
兵に。
村々の人々に。
毛利に。
そして、ほかならぬ宇喜多に。
「はっ。宇喜多忠家どの、われら羽柴の盾として、備前よりいかなる者をも通さぬと」
敢えて毛利とは言わない。和睦を結んだ相手である。それでも、聞く人が聞けば毛利とはわかる。
そして宇喜多忠家とは、備前の国盗りを果たした梟雄、宇喜多直家の弟である。
直家は備前の土豪であったが、時に詐術、時に暗殺、そして時に合戦を以て成り上がり、そして浦上、毛利、織田と次々と手を組む相手を変え、ついには備前を取った。
だが天正九年に亡くなり、嫡子・秀家が跡を継いだものの、その秀家がわずか十歳のため、今、宇喜多の事実上の当主は忠家である。
その忠家は、羽柴と手を組み、従うことを選択した。
亡き兄・直家であれば、ここで寝技を使って毛利との両天秤を図ったかもしれないが、忠家は己にはそういう器用な真似ができないことを知っていた。
「羽柴に、与する」
この選択が宇喜多の家に栄光と、やがて関ヶ原後の没落を与えることになるが、この時の忠家に、それを知る由は無い。
*
「目指すは、姫路ぞ!」
秀吉は口にしないが、すでに丹波、但馬の方から、石田三成が中国に向かっているとの報があった。
「ねねが向かわせたな」
人選に気が利いている。
秀吉は舌を巻く思いだった。
三成なら、秀吉軍の動静を予期して、あるいは伝え聞いて、必ずや絶好の機にやって来るに相違ない。
そしておそらくや。
「佐吉(石田三成のこと)め、姫路にて落ち合うつもりじゃろう!」
馬の手綱を握る手に力がこもる。
ねねが伝えることは何なのか。
ある程度、予測はついている。
問題は、それを聞いた時に、うまく動けるかだ。
そのためにも、まずは姫路だ。移動だ。早さだ。
つまり、時だ。
「時……今はそれが何よりも大事。時さえあれば、何かあったとしても、合わせることができる」
秀吉はブツブツとつぶやきながら、馬に鞭をくれる。
それを隣で見ながら、官兵衛も馬に鞭をくれる。
この、空前絶後の状況にて。
それでも、勝ちを、天下をつかみ取ろうとする秀吉、そしてねね。
「この方たちなら……やれるやもしれん」
となると、自分の役割は。
「かの名将、明智光秀と……いかなる戦いをするか、だ」
稀代の名軍師は、笑みをこぼした。
0
お気に入りに追加
10
あなたにおすすめの小説
待庵(たいあん)
四谷軒
歴史・時代
【あらすじ】
千宗易(後の利休)は、山崎の戦いに臨む羽柴秀吉から、二畳の茶室を作るよう命じられる。この時代、茶室は三畳半ぐらいが常識だった。それよりも狭い茶室を作れと言われ、宗易はいろいろと考える。そして、秀吉の弟・羽柴秀長や、秀吉の正室・ねねに会い、語り、宗易はやがて茶室について「作ったる」と明言する。言葉どおり完成した茶室で、宗易は茶を点て、客を待つ。やって来た客は……。
【表紙画像】
「ぐったりにゃんこのホームページ」様より
織田家の人々 ~太陽と月~
四谷軒
歴史・時代
【あらすじ】
(第一章 太陽の音を忘れない ~神戸信孝一代記~)
神戸信孝は織田信長の三男として知られる。彼は、庶子でありながら、嫡出である信忠・信雄についだ格付けを得るまでにのし上がっていた。
その最たるものが四国征伐であり、信孝はその将として、今、まさに四国への渡海を目前としており、その成功は約束されていた――本能寺の変が、起こるまでは。
(第二章 月を飛ぶ蝶のように ~有楽~)
織田有楽、あるいは織田有楽斎として知られる人物は、織田信長の弟として生まれた。信行という兄の死を知り、信忠という甥と死に別れ、そして淀君という姪の最期を……晩年に京にしつらえた茶室、如庵にて有楽は何を想い、感じるのか。それはさながら月を飛ぶ蝶のような、己の生涯か。
【表紙画像】
歌川国芳, Public domain, ウィキメディア・コモンズ経由で
輿乗(よじょう)の敵 ~ 新史 桶狭間 ~
四谷軒
歴史・時代
【あらすじ】
美濃の戦国大名、斎藤道三の娘・帰蝶(きちょう)は、隣国尾張の織田信長に嫁ぐことになった。信長の父・信秀、信長の傅役(もりやく)・平手政秀など、さまざまな人々と出会い、別れ……やがて信長と帰蝶は尾張の国盗りに成功する。しかし、道三は嫡男の義龍に殺され、義龍は「一色」と称して、織田の敵に回る。一方、三河の方からは、駿河の国主・今川義元が、大軍を率いて尾張へと向かって来ていた……。
【登場人物】
帰蝶(きちょう):美濃の戦国大名、斎藤道三の娘。通称、濃姫(のうひめ)。
織田信長:尾張の戦国大名。父・信秀の跡を継いで、尾張を制した。通称、三郎(さぶろう)。
斎藤道三:下剋上(げこくじょう)により美濃の国主にのし上がった男。俗名、利政。
一色義龍:道三の息子。帰蝶の兄。道三を倒して、美濃の国主になる。幕府から、名門「一色家」を名乗る許しを得る。
今川義元:駿河の戦国大名。名門「今川家」の当主であるが、国盗りによって駿河の国主となり、「海道一の弓取り」の異名を持つ。
斯波義銀(しばよしかね):尾張の国主の家系、名門「斯波家」の当主。ただし、実力はなく、形だけの国主として、信長が「臣従」している。
【参考資料】
「国盗り物語」 司馬遼太郎 新潮社
「地図と読む 現代語訳 信長公記」 太田 牛一 (著) 中川太古 (翻訳) KADOKAWA
東浦町観光協会ホームページ
Wikipedia
【表紙画像】
歌川豊宣, Public domain, ウィキメディア・コモンズ経由で
ブーヴィーヌ ~尊厳王の戦場~
四谷軒
歴史・時代
【あらすじ】
フランス王フィリップ二世は、イングランドとフランスの西半分を支配するプランタジネット朝から、フランスの西半分を獲得しようと画策していた。プランタジネット朝の王妃であるアリエノール・ダキテーヌは、かつて、フィリップの父のルイ七世の王妃だった。アリエノールの生んだリチャード獅子心王を、そしてジョン欠地王相手に謀略をめぐらし、ついにブーヴィーヌの地で決戦を挑み、フィリップは勝利と共に「尊厳王」と称せられるようになる。
【表紙画像および挿絵画像】
オラース・ヴェルネ, Public domain, ウィキメディア・コモンズ経由で
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
河越夜戦 〜相模の獅子・北条新九郎氏康は、今川・武田連合軍と関東諸侯同盟軍八万に、いかに立ち向かったのか〜
四谷軒
歴史・時代
【あらすじ】
今は昔、戦国の世の物語――
父・北条氏綱の死により、北条家の家督を継いだ北条新九郎氏康は、かつてない危機に直面していた。
領国の南、駿河・河東(駿河東部地方)では海道一の弓取り・今川義元と、甲斐の虎・武田晴信の連合軍が侵略を開始し、領国の北、武蔵・河越城は関東管領・山内上杉憲政と、扇谷上杉朝定の「両上杉」の率いる八万の関東諸侯同盟軍に包囲されていた。
関東管領の山内上杉と、扇谷上杉という関東の足利幕府の名門の「双つの杉」を倒す夢を祖父の代から受け継いだ、相模の獅子・北条新九郎氏康の奮戦がはじまる。
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
『帝国の破壊』−枢軸国の戦勝した世界−
皇徳❀twitter
歴史・時代
この世界の欧州は、支配者大ゲルマン帝国[戦勝国ナチスドイツ]が支配しており欧州は闇と包まれていた。
二人の特殊工作員[スパイ]は大ゲルマン帝国総統アドルフ・ヒトラーの暗殺を実行する。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる