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破の章 覇者の胸中を知る者は誰(た)ぞ ──中国大返し──
19 京を目指して
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「京へ?」
豪胆というかのんびりした男、藤堂高虎は、ねねと福島正則を連れて、己の生家――藤堂村に戻っていた。
藤堂村は近江の犬上郡にあり、現在でいうと彦根市の近くである。
長浜城を攻め、今では城主になりおおせた阿閉貞征が詮索に来る可能性があるが(実際は、北の柴田勝家への備えに忙しいためそんな余裕はなかったが)、ここにいれば高虎の父の虎高が領主として健在なので、村の人々に手を回し、ねねたちの存在を守ってくれる。
そういう安全があるから、ここまで逃げて来たというのに。
「京へ行くつもりです」
「……いやいや、ちょっと待って下され」
ちなみにこの時、正則は、「世話になっている礼に」と村人たちの桶を直して回っていたので、いない(正則は少年時代、桶作りの職人の息子として過ごしていた)。
だから高虎はひとりでねねを止めなければならないと思ったが、正則がいたところで、彼はねねの味方をするに相違ない。
高虎は歎息した。
「……わけを聞かせてくださらんか」
高虎はすでにねねから、本能寺から今に至るまでの経緯を聞いている。
聞いているからこそ、明智光秀が盤踞する京に行くことが危険だと思っている。
そもそも、ねねを保護することこそが羽柴秀長からの主命であり、ねねの冒険に随行することが主命ではない。
だからこの藤堂村におとなしく隠れて、やがて来る、羽柴軍の「返し」を待てばいい。
さりとて無下にすることもできず、暗に自分を説得できなければ行かせないという意思を込めて、「わけを」と聞いたのだ。
「まず第一は、明智の動向を探ること」
ねねははきはきと言う。
好感の持てる言い方で、高虎としては、つい言うことを聞きたくなる。
それでもぐっと抑えて、探りは忍びでもできよう、何ならこの高虎が行ってもいいと言った。
「それでは、駄目です。わたしが行かないと」
高虎はそこまで気位の高い男ではないが、密かに能のある男だと自負している。
その自負が、おのれでは不足かと言わせたが。
「今、わたしが考えていることは、おそらくこの天下でわたしか光秀か、あるいは秀吉どのぐらいしか考えておりません」
「ではそれをお聞かせ下され。不肖藤堂高虎、それなりの才はありまする」
「いえ」
ねねが言うには、それを探ることは、光秀の急所を探ることで、露見したら終わりだという。
「ことは細心の注意を要します。それに、時間がありません。こうしている間にも、光秀がそれを成し遂げるやもしれぬ。これは、一番わかっているわたしが行く方が早い」
「そう言われましても……」
ねねを匿えという命令を受けている高虎としては、困ったことになった。
ねねの保護は、羽柴秀長によるものだ(直接的には)。
ところがそれを、ねねは踏み越えようとしている。
京。それは敵地。今となっては明智光秀の本拠地。
そんなところにねねを向かわせるということは、秀長の命令に背くということ。
「ううむ……」
悩む高虎に、ねねは微笑む。
この良将は、きちんと羽柴家のやり方に従おうとしている。
それでいて、ねねの言うことの価値も認めている。
それならば。
「では、こうしましょう。高虎どの」
「はい」
「そなたは秀長どのの命を、たしかに果たしました。それを果たしたことはわたしが認めましょう」
「は、はい」
そこでねねがずいと高虎の前に迫った。
凄い目だ。
深淵のようであり、夜空のようである。
そんなことを思っている高虎の耳に、とんでもない言葉が飛び込んだ。
「果たしたがゆえに……では、次なる主命を与えます。藤堂高虎、貴殿は今この時より、わたしを守ること、助けることを命じます」
「そ、そんなことを言われましても」
何を言っているんだ、この女は。
もういい、この生家に閉じ込めておくか、それとも、強制的に備中高松に送還してしまうか。
そこまで思った時だった。
「あ」
「気づきましたか」
高虎は思い至った。
そんなことをしたら大変だ。
なぜなら、ねねは羽柴家において、秀長より上だ。
しかも、秀吉と同格という扱い。
だからこそ、長浜の留守を任されていた。
「う……」
「秀長さまには、書状を書いておきました」
ねねが取り出した書状には、宛名が秀長と秀吉になっているが、そんなことは今となってはどうでも良いことである。
だって、同じことなのだから。
「高虎、そなたはこの藤堂村に残ることも良しとします。書状には、わたしの命に従った、とのみ書いておりますゆえ」
「……そんなことは致しません」
ここまでお膳立てしてくれて、しかも断るという選択肢まで用意してくれた。
しかし断るということはない。
そんなことをしてみろ、秀長は怒る。秀吉は泡を食う。
いや何よりも。
「この藤堂高虎、おのれの意思で、今、ねねどのの供をしとうござる」
この女丈夫の目指すところ、何か面白いものがある。
いったい、本能寺から今までの体験で、何を見抜いたのか。
そして、何を求めているのか。
その先には、きっと面白いものがある。
あの羽柴秀長が姉として仰ぐこの女には、それを見せる力があると思う。
「では行きましょう。市松が戻ったら、すぐに」
「戻るのは待てません、呼んできましょう」
ねね、福島正則、藤堂高虎。
この三人の密かな上洛により、事態はまたちがう局面を迎える。
豪胆というかのんびりした男、藤堂高虎は、ねねと福島正則を連れて、己の生家――藤堂村に戻っていた。
藤堂村は近江の犬上郡にあり、現在でいうと彦根市の近くである。
長浜城を攻め、今では城主になりおおせた阿閉貞征が詮索に来る可能性があるが(実際は、北の柴田勝家への備えに忙しいためそんな余裕はなかったが)、ここにいれば高虎の父の虎高が領主として健在なので、村の人々に手を回し、ねねたちの存在を守ってくれる。
そういう安全があるから、ここまで逃げて来たというのに。
「京へ行くつもりです」
「……いやいや、ちょっと待って下され」
ちなみにこの時、正則は、「世話になっている礼に」と村人たちの桶を直して回っていたので、いない(正則は少年時代、桶作りの職人の息子として過ごしていた)。
だから高虎はひとりでねねを止めなければならないと思ったが、正則がいたところで、彼はねねの味方をするに相違ない。
高虎は歎息した。
「……わけを聞かせてくださらんか」
高虎はすでにねねから、本能寺から今に至るまでの経緯を聞いている。
聞いているからこそ、明智光秀が盤踞する京に行くことが危険だと思っている。
そもそも、ねねを保護することこそが羽柴秀長からの主命であり、ねねの冒険に随行することが主命ではない。
だからこの藤堂村におとなしく隠れて、やがて来る、羽柴軍の「返し」を待てばいい。
さりとて無下にすることもできず、暗に自分を説得できなければ行かせないという意思を込めて、「わけを」と聞いたのだ。
「まず第一は、明智の動向を探ること」
ねねははきはきと言う。
好感の持てる言い方で、高虎としては、つい言うことを聞きたくなる。
それでもぐっと抑えて、探りは忍びでもできよう、何ならこの高虎が行ってもいいと言った。
「それでは、駄目です。わたしが行かないと」
高虎はそこまで気位の高い男ではないが、密かに能のある男だと自負している。
その自負が、おのれでは不足かと言わせたが。
「今、わたしが考えていることは、おそらくこの天下でわたしか光秀か、あるいは秀吉どのぐらいしか考えておりません」
「ではそれをお聞かせ下され。不肖藤堂高虎、それなりの才はありまする」
「いえ」
ねねが言うには、それを探ることは、光秀の急所を探ることで、露見したら終わりだという。
「ことは細心の注意を要します。それに、時間がありません。こうしている間にも、光秀がそれを成し遂げるやもしれぬ。これは、一番わかっているわたしが行く方が早い」
「そう言われましても……」
ねねを匿えという命令を受けている高虎としては、困ったことになった。
ねねの保護は、羽柴秀長によるものだ(直接的には)。
ところがそれを、ねねは踏み越えようとしている。
京。それは敵地。今となっては明智光秀の本拠地。
そんなところにねねを向かわせるということは、秀長の命令に背くということ。
「ううむ……」
悩む高虎に、ねねは微笑む。
この良将は、きちんと羽柴家のやり方に従おうとしている。
それでいて、ねねの言うことの価値も認めている。
それならば。
「では、こうしましょう。高虎どの」
「はい」
「そなたは秀長どのの命を、たしかに果たしました。それを果たしたことはわたしが認めましょう」
「は、はい」
そこでねねがずいと高虎の前に迫った。
凄い目だ。
深淵のようであり、夜空のようである。
そんなことを思っている高虎の耳に、とんでもない言葉が飛び込んだ。
「果たしたがゆえに……では、次なる主命を与えます。藤堂高虎、貴殿は今この時より、わたしを守ること、助けることを命じます」
「そ、そんなことを言われましても」
何を言っているんだ、この女は。
もういい、この生家に閉じ込めておくか、それとも、強制的に備中高松に送還してしまうか。
そこまで思った時だった。
「あ」
「気づきましたか」
高虎は思い至った。
そんなことをしたら大変だ。
なぜなら、ねねは羽柴家において、秀長より上だ。
しかも、秀吉と同格という扱い。
だからこそ、長浜の留守を任されていた。
「う……」
「秀長さまには、書状を書いておきました」
ねねが取り出した書状には、宛名が秀長と秀吉になっているが、そんなことは今となってはどうでも良いことである。
だって、同じことなのだから。
「高虎、そなたはこの藤堂村に残ることも良しとします。書状には、わたしの命に従った、とのみ書いておりますゆえ」
「……そんなことは致しません」
ここまでお膳立てしてくれて、しかも断るという選択肢まで用意してくれた。
しかし断るということはない。
そんなことをしてみろ、秀長は怒る。秀吉は泡を食う。
いや何よりも。
「この藤堂高虎、おのれの意思で、今、ねねどのの供をしとうござる」
この女丈夫の目指すところ、何か面白いものがある。
いったい、本能寺から今までの体験で、何を見抜いたのか。
そして、何を求めているのか。
その先には、きっと面白いものがある。
あの羽柴秀長が姉として仰ぐこの女には、それを見せる力があると思う。
「では行きましょう。市松が戻ったら、すぐに」
「戻るのは待てません、呼んできましょう」
ねね、福島正則、藤堂高虎。
この三人の密かな上洛により、事態はまたちがう局面を迎える。
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