STRIKE BACK ! ~ 中国大返し、あるいは、この国を動かした十日間を、ねね(北政所)と共に~

四谷軒

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破の章 覇者の胸中を知る者は誰(た)ぞ ──中国大返し──

18 藤堂高虎

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「そっ、そなた! もしや、藤堂高虎ではないか! 阿閉あつじの那多介や広部の文平を斬って出奔しゅっぽんした!」

「……むっ」

 大男、否、藤堂高虎は言葉に詰まった。
 詰まったが、その歩みは止めない。
 まるで無人の野を行くがごとく、阿閉貞征あつじさだゆきの傭った足軽どもを蹴散らすというか弾き飛ばして、進む。
 それは、意識的に弾き飛ばしているのではない。
 ただ単に、高虎が進み、その行く手に立つ足軽がぶつかって、吹っ飛んでいくだけのことだ。

「……まだあの時のことを覚えている奴がいたとは」



 およそ十年前のこと。
 かつて近江の浅井家にいた高虎は、その浅井家滅亡後、阿閉貞征に仕えた。
 当時、剛の者として名をはせていた高虎は歓迎されたが、それを面白く思わなかった阿閉那多助、広部文平は同僚の高虎に非友好的な態度を取った。

「よそ者が、いい気になるな!」

 主と同じ阿閉と同じ名の者に嫌われ、このままでは阿閉家に居場所がなくなる。
 なくなるどころか、戦場で背を刺されかねない。
 高虎の選択肢はひとつしかなかった。

「こんな家は出る」

 追う那多助と文平を斬り、高虎は出奔した。
 そして浪々の生活を送り、いくつか主を代え、この時点で高虎は、ある人物に仕えていた。
 すなわち、羽柴秀長である。



兄上秀吉から、義姉上ねねが長浜から落ち延びるかもしれないとの話があった。けてくれ、高虎」

 秀長は、秀吉の示唆を受け、即座に腹心にして近江出身のこの男をたせた。高虎は途中、石田三成とすれ違い(お互い、気づくか気づかない程度のすれ違いであるが)、とにかく長浜に至った。至ったところで、高虎はすでに長浜城が争乱のちまたであることを知る。

「まずは退路だ。話はそれからだ」

 滅亡する浅井家から落ち延び、阿閉家から出奔し、何度も主を変えて、時には遁走した高虎には、この手のことにある種の慣れがあった。
 ということで、退路確保に腐心していた高虎だが、事態が急変して、ねねが長浜城から討って出たことを知る。

「話が、ちがうぞ」

 主・秀長からは、ねねが城を捨てて逃げる可能性大と聞いた。討って出るとは聞いていない。

「まあ……仕方ないか」

 くよくよしてもしようがないというのが、高虎の人生哲学である。
 彼は取るものも取りあえず、長浜城外へと向かった。
 長浜を攻めているのは阿閉貞征とはわかっていたので、むろんとしながらである。

「しかし厄介なことになってきたぞ。これじゃ、秀長さまのもとに戻れるのは、だいぶ先になるかも」

 ほどなくして高虎は秀長に復命することになるのだが、まさか高虎も、だいぶ先どころか、十日もかからずにそれとなるとは考えつかなかったに相違ない。



 ようやくにしてねねと福島正則の前に至った藤堂高虎は言った。

「……よし。ねねさま、そしてついでにそこの若造、ついて来い」

「誰が若造だ!」

 正則がかみつくのを制し、ねねは高虎を見つめ、そして礼を施した。

「大儀です。そなたはたしか、秀長さまのところで働いておりましたね」

「はい、秀長さまにはよくしていただいております」

 さすがに主君の正室には丁寧に頭を下げた高虎。
 だが次の瞬間には振り向いて、射すくめるような目で、阿閉の足軽らを見た。

「では、やるか」

 のんびりとした口調だが、手にした槍は素早い。
 ひゅん、ひゅんと二、三回振り回すと、あっという間に周囲の足軽どもを薙ぎ倒す。

「このまま進む。ついて来い」

「言われなくとも!」

 正則はあいかわらずいまいましそうな返しをしたが、ねねは黙して進む。
 高虎の槍が舞い、なみいる足軽、雑兵らは次から次へと倒されるか、弾き飛ばされる。
 おかげで正則はひと息つくことができたほどだ。
 ねねは物問いたげに高虎を見る。
 高虎はその視線を感じ、黙ってあごをしゃくった。

「何じゃ、あの態度」

「市松、黙って」

 ねねは高虎が、その土地鑑から、間道なり何なりを見当つけており、そこを目指していることに気づいた。
 市松こと福島正則は正直な男であるから、それを告げることは敵にそれを露見させることになるだろう。
 だから、高虎はぶっきらぼうな態度をとっているのだ。

「大した御仁だ」

 高虎は口笛を吹きたい気分だった。
 だが実際に吹くことはなく、代わりに懐中から何かを取り出した。

「そろそろいいだろう」

 もうこの時には、阿閉の足軽らは遠巻きにして矢を射かける態勢に入っていた。
 高虎はにやりと笑う。
 その笑いを見て、正則は何か狙っているなと悟り、ねねを抱きかかえる姿勢を取る。
 そういう勘はよく働く正則であった。

「いいぞ。では」

 高虎の間延びした口調を聞いていると、まるでのんびりと飯でも食っているような気分になる。
 それでも正則は流されず、ねねをかかえた。

「…………」

 高虎は何も言わない。
 視線も前を向いたまま。
 しかし。



「おいッ! あの大男、何か投げたぞ!」

印地打いんじうち(投石のこと)か!?」

 阿閉の足軽が動揺する。
 ける。
 逃げる。
 退すさる。
 その間にも高虎の投げたものは飛んで、飛んで。
 足軽らが退いてできた空き地に落ちた。
 落ちて。

「煙……煙幕か!」

 濛々もうもうと白煙がきおこり、足軽らの視界がなくなる。
 見えなくなる。

「くそっ、こんな煙!」

 心ある足軽は、槍をぶんぶんと振り回し、煙を飛ばそうとする。
 それを見た他の足軽も真似をして振り回すが、なかなか煙は晴れない。
 ようやく収まった時には。

「消えた……」

 高虎、正則、ねねは、無言ですでに移動し、高虎の招く間道へと入り、すでに行方をくらませたいた。


 ……阿閉貞征はことの次第を聞き、「捨て置け」とだけ命じた。
 今さら、追ったところで、近江出身の藤堂高虎がついている以上、その潜伏、逃走にはついていけない。
 それよりも、長浜城の城盗りに成功したことを明智光秀に報告し、いかに褒美をかの方が、貞征にとっては大事だった。
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