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破の章 覇者の胸中を知る者は誰(た)ぞ ──中国大返し──
18 藤堂高虎
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「そっ、そなた! もしや、藤堂高虎ではないか! 阿閉の那多介や広部の文平を斬って出奔した!」
「……むっ」
大男、否、藤堂高虎は言葉に詰まった。
詰まったが、その歩みは止めない。
まるで無人の野を行くがごとく、阿閉貞征の傭った足軽どもを蹴散らすというか弾き飛ばして、進む。
それは、意識的に弾き飛ばしているのではない。
ただ単に、高虎が進み、たまたまその行く手に立つ足軽がぶつかって、吹っ飛んでいくだけのことだ。
「……まだあの時のことを覚えている奴がいたとは」
*
およそ十年前のこと。
かつて近江の浅井家にいた高虎は、その浅井家滅亡後、阿閉貞征に仕えた。
当時、剛の者として名をはせていた高虎は歓迎されたが、それを面白く思わなかった阿閉那多助、広部文平は同僚の高虎に非友好的な態度を取った。
「よそ者が、いい気になるな!」
主と同じ阿閉と同じ名の者に嫌われ、このままでは阿閉家に居場所がなくなる。
なくなるどころか、戦場で背を刺されかねない。
高虎の選択肢はひとつしかなかった。
「こんな家は出る」
追う那多助と文平を斬り、高虎は出奔した。
そして浪々の生活を送り、いくつか主を代え、この時点で高虎は、ある人物に仕えていた。
すなわち、羽柴秀長である。
*
「兄上から、義姉上が長浜から落ち延びるかもしれないとの話があった。助けてくれ、高虎」
秀長は、秀吉の示唆を受け、即座に腹心にして近江出身のこの男を発たせた。高虎は途中、石田三成とすれ違い(お互い、気づくか気づかない程度のすれ違いであるが)、とにかく長浜に至った。至ったところで、高虎はすでに長浜城が争乱の巷であることを知る。
「まずは退路だ。話はそれからだ」
滅亡する浅井家から落ち延び、阿閉家から出奔し、何度も主を変えて、時には遁走した高虎には、この手のことにある種の慣れがあった。
ということで、退路確保に腐心していた高虎だが、事態が急変して、ねねが長浜城から討って出たことを知る。
「話が、ちがうぞ」
主・秀長からは、ねねが城を捨てて逃げる可能性大と聞いた。討って出るとは聞いていない。
「まあ……仕方ないか」
くよくよしてもしようがないというのが、高虎の人生哲学である。
彼は取るものも取りあえず、長浜城外へと向かった。
長浜を攻めているのは阿閉貞征とはわかっていたので、むろんこそこそとしながらである。
「しかし厄介なことになってきたぞ。これじゃ、秀長さまの許に戻れるのは、だいぶ先になるかも」
ほどなくして高虎は秀長に復命することになるのだが、まさか高虎も、だいぶ先どころか、十日もかからずにそれとなるとは考えつかなかったに相違ない。
*
ようやくにしてねねと福島正則の前に至った藤堂高虎は言った。
「……よし。ねねさま、そしてついでにそこの若造、ついて来い」
「誰が若造だ!」
正則がかみつくのを制し、ねねは高虎を見つめ、そして礼を施した。
「大儀です。そなたはたしか、秀長さまのところで働いておりましたね」
「はい、秀長さまにはよくしていただいております」
さすがに主君の正室には丁寧に頭を下げた高虎。
だが次の瞬間には振り向いて、射すくめるような目で、阿閉の足軽らを見た。
「では、やるか」
のんびりとした口調だが、手にした槍は素早い。
ひゅん、ひゅんと二、三回振り回すと、あっという間に周囲の足軽どもを薙ぎ倒す。
「このまま進む。ついて来い」
「言われなくとも!」
正則はあいかわらずいまいましそうな返しをしたが、ねねは黙して進む。
高虎の槍が舞い、なみいる足軽、雑兵らは次から次へと倒されるか、弾き飛ばされる。
おかげで正則はひと息つくことができたほどだ。
ねねは物問いたげに高虎を見る。
高虎はその視線を感じ、黙ってあごをしゃくった。
「何じゃ、あの態度」
「市松、黙って」
ねねは高虎が、その土地鑑から、間道なり何なりを見当つけており、そこを目指していることに気づいた。
市松こと福島正則は正直な男であるから、それを告げることは敵にそれを露見させることになるだろう。
だから、高虎はぶっきらぼうな態度をとっているのだ。
「大した御仁だ」
高虎は口笛を吹きたい気分だった。
だが実際に吹くことはなく、代わりに懐中から何かを取り出した。
「そろそろいいだろう」
もうこの時には、阿閉の足軽らは遠巻きにして矢を射かける態勢に入っていた。
高虎はにやりと笑う。
その笑いを見て、正則は何か狙っているなと悟り、ねねを抱きかかえる姿勢を取る。
そういう勘はよく働く正則であった。
「いいぞ。では」
高虎の間延びした口調を聞いていると、まるでのんびりと飯でも食っているような気分になる。
それでも正則は流されず、ねねを抱えた。
「…………」
高虎は何も言わない。
視線も前を向いたまま。
しかし。
*
「おいッ! あの大男、何か投げたぞ!」
「印地打ち(投石のこと)か!?」
阿閉の足軽が動揺する。
避ける。
逃げる。
退る。
その間にも高虎の投げたものは飛んで、飛んで。
足軽らが退いてできた空き地に落ちた。
落ちて。
「煙……煙幕か!」
濛々と白煙が湧きおこり、足軽らの視界がなくなる。
見えなくなる。
「くそっ、こんな煙!」
心ある足軽は、槍をぶんぶんと振り回し、煙を飛ばそうとする。
それを見た他の足軽も真似をして振り回すが、なかなか煙は晴れない。
ようやく収まった時には。
「消えた……」
高虎、正則、ねねは、無言ですでに移動し、高虎の招く間道へと入り、すでに行方をくらませたいた。
……阿閉貞征はことの次第を聞き、「捨て置け」とだけ命じた。
今さら、追ったところで、近江出身の藤堂高虎がついている以上、その潜伏、逃走にはついていけない。
それよりも、長浜城の城盗りに成功したことを明智光秀に報告し、いかに褒美をせしめるかの方が、貞征にとっては大事だった。
「……むっ」
大男、否、藤堂高虎は言葉に詰まった。
詰まったが、その歩みは止めない。
まるで無人の野を行くがごとく、阿閉貞征の傭った足軽どもを蹴散らすというか弾き飛ばして、進む。
それは、意識的に弾き飛ばしているのではない。
ただ単に、高虎が進み、たまたまその行く手に立つ足軽がぶつかって、吹っ飛んでいくだけのことだ。
「……まだあの時のことを覚えている奴がいたとは」
*
およそ十年前のこと。
かつて近江の浅井家にいた高虎は、その浅井家滅亡後、阿閉貞征に仕えた。
当時、剛の者として名をはせていた高虎は歓迎されたが、それを面白く思わなかった阿閉那多助、広部文平は同僚の高虎に非友好的な態度を取った。
「よそ者が、いい気になるな!」
主と同じ阿閉と同じ名の者に嫌われ、このままでは阿閉家に居場所がなくなる。
なくなるどころか、戦場で背を刺されかねない。
高虎の選択肢はひとつしかなかった。
「こんな家は出る」
追う那多助と文平を斬り、高虎は出奔した。
そして浪々の生活を送り、いくつか主を代え、この時点で高虎は、ある人物に仕えていた。
すなわち、羽柴秀長である。
*
「兄上から、義姉上が長浜から落ち延びるかもしれないとの話があった。助けてくれ、高虎」
秀長は、秀吉の示唆を受け、即座に腹心にして近江出身のこの男を発たせた。高虎は途中、石田三成とすれ違い(お互い、気づくか気づかない程度のすれ違いであるが)、とにかく長浜に至った。至ったところで、高虎はすでに長浜城が争乱の巷であることを知る。
「まずは退路だ。話はそれからだ」
滅亡する浅井家から落ち延び、阿閉家から出奔し、何度も主を変えて、時には遁走した高虎には、この手のことにある種の慣れがあった。
ということで、退路確保に腐心していた高虎だが、事態が急変して、ねねが長浜城から討って出たことを知る。
「話が、ちがうぞ」
主・秀長からは、ねねが城を捨てて逃げる可能性大と聞いた。討って出るとは聞いていない。
「まあ……仕方ないか」
くよくよしてもしようがないというのが、高虎の人生哲学である。
彼は取るものも取りあえず、長浜城外へと向かった。
長浜を攻めているのは阿閉貞征とはわかっていたので、むろんこそこそとしながらである。
「しかし厄介なことになってきたぞ。これじゃ、秀長さまの許に戻れるのは、だいぶ先になるかも」
ほどなくして高虎は秀長に復命することになるのだが、まさか高虎も、だいぶ先どころか、十日もかからずにそれとなるとは考えつかなかったに相違ない。
*
ようやくにしてねねと福島正則の前に至った藤堂高虎は言った。
「……よし。ねねさま、そしてついでにそこの若造、ついて来い」
「誰が若造だ!」
正則がかみつくのを制し、ねねは高虎を見つめ、そして礼を施した。
「大儀です。そなたはたしか、秀長さまのところで働いておりましたね」
「はい、秀長さまにはよくしていただいております」
さすがに主君の正室には丁寧に頭を下げた高虎。
だが次の瞬間には振り向いて、射すくめるような目で、阿閉の足軽らを見た。
「では、やるか」
のんびりとした口調だが、手にした槍は素早い。
ひゅん、ひゅんと二、三回振り回すと、あっという間に周囲の足軽どもを薙ぎ倒す。
「このまま進む。ついて来い」
「言われなくとも!」
正則はあいかわらずいまいましそうな返しをしたが、ねねは黙して進む。
高虎の槍が舞い、なみいる足軽、雑兵らは次から次へと倒されるか、弾き飛ばされる。
おかげで正則はひと息つくことができたほどだ。
ねねは物問いたげに高虎を見る。
高虎はその視線を感じ、黙ってあごをしゃくった。
「何じゃ、あの態度」
「市松、黙って」
ねねは高虎が、その土地鑑から、間道なり何なりを見当つけており、そこを目指していることに気づいた。
市松こと福島正則は正直な男であるから、それを告げることは敵にそれを露見させることになるだろう。
だから、高虎はぶっきらぼうな態度をとっているのだ。
「大した御仁だ」
高虎は口笛を吹きたい気分だった。
だが実際に吹くことはなく、代わりに懐中から何かを取り出した。
「そろそろいいだろう」
もうこの時には、阿閉の足軽らは遠巻きにして矢を射かける態勢に入っていた。
高虎はにやりと笑う。
その笑いを見て、正則は何か狙っているなと悟り、ねねを抱きかかえる姿勢を取る。
そういう勘はよく働く正則であった。
「いいぞ。では」
高虎の間延びした口調を聞いていると、まるでのんびりと飯でも食っているような気分になる。
それでも正則は流されず、ねねを抱えた。
「…………」
高虎は何も言わない。
視線も前を向いたまま。
しかし。
*
「おいッ! あの大男、何か投げたぞ!」
「印地打ち(投石のこと)か!?」
阿閉の足軽が動揺する。
避ける。
逃げる。
退る。
その間にも高虎の投げたものは飛んで、飛んで。
足軽らが退いてできた空き地に落ちた。
落ちて。
「煙……煙幕か!」
濛々と白煙が湧きおこり、足軽らの視界がなくなる。
見えなくなる。
「くそっ、こんな煙!」
心ある足軽は、槍をぶんぶんと振り回し、煙を飛ばそうとする。
それを見た他の足軽も真似をして振り回すが、なかなか煙は晴れない。
ようやく収まった時には。
「消えた……」
高虎、正則、ねねは、無言ですでに移動し、高虎の招く間道へと入り、すでに行方をくらませたいた。
……阿閉貞征はことの次第を聞き、「捨て置け」とだけ命じた。
今さら、追ったところで、近江出身の藤堂高虎がついている以上、その潜伏、逃走にはついていけない。
それよりも、長浜城の城盗りに成功したことを明智光秀に報告し、いかに褒美をせしめるかの方が、貞征にとっては大事だった。
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