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破の章 覇者の胸中を知る者は誰(た)ぞ ──中国大返し──
17 虎、見参
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槍を突き、刀を振るい、馬を馳せ。
福島正則は懸命に前へ進んでいた。
あとにつづくは、羽柴秀吉の正室、ねね。
ふたりは、この長浜の城外をひた進み、京を目指していた。
だが、行く手を阻むは、阿閉貞征に傭われた、足軽雑兵たち。
彼らは手柄を金銭をと欲望を丸出しにして、ふたりに襲いかかっていた。
「……くそっ。きりがない!」
「…………」
毒づく正則にねねが視線を向ける。
だが正則はその視線をかわすように、無言で槍を取った。
言わせない。
自分を置いていけとは言わせない。
長年「おふくろさま」と慕っていたねねのことを、正則は正確に理解していた。
この「おふくろさま」は、「その時」は恬淡と己を捨てる。
そもそも、己が死んだときに備えて、すでに石田三成にすべてを伝え、中国に向かわせている。
これが正則であれば、律儀に中国に向かわずに、己を心配して長浜に舞い戻るであろうことを計算に入れて。
「……じゃが、それはいいのじゃが、おふくろさまはもっと己を大切になされ!」
背後にいるはずのねねからの返答はない。
もしかしたら、「二手に別れる」と言い出す機をうかがっているのではないか。
もし、言い出したらその時は。
「この正則、派手に散ってみせるわ!」
*
……時間や日にちは前後する。
石田三成は、近江を駆け、山城に至り、そこから丹波、但馬へと向かっていく。
その行程は、かつて明智光秀が京へと襲いかかった道の、逆を行く。
常識で考えれば、通るのは避けるべきところであろう。
「だが、敢えてそこを行く。これが軍勢なら誰何《すいか》され問われようが、こうして一騎駆けで行くのなら、何とか」
三成は馬に鞭をくれる。
実は、この丹波路については自信があった。
かつて、摂津にて荒木村重が織田信長から離反し、叛旗をひるがえした時。
羽柴秀吉は播磨攻めのため、姫路にいた。
姫路と京の中間地点が摂津であり、信長からの連絡や補給が見込めず、秀吉は進退窮まった。
「これでは、京や近江との、繋ぎができぬ」
そう歎いた秀吉であったが、すぐに立て直しを図った。
すなわち、まだ服属させていない丹波や但馬を制した上で、その丹波路、但馬路を使った、連絡路の確立である。
秀吉はこれを最も信頼のおける腹心にして弟、羽柴秀長に任せる。
当時、元服するかしないかの三成もこれに従事した。
「たしかその時、但馬の地侍どもを平定した、大柄の男がいたな……」
そう考える三成の横を、滑るようにひとりの騎馬武者がすれ違い、通り過ぎていった。
その騎馬武者は六尺二寸(百九十センチ)の長身で、一瞬、三成の方をちらりと見たが、何も言わずに駆けて行った。
一方の三成は、ちょうどねねに伝えられたことを反芻していたため、特に気づくことはなかった。
*
「……ぐっ」
福島正則は自身の限界を感じ始めていた。
これまで戦場を駆ける時は、そんなものなど、まるで無いがごとくに、どこまでも、いつまでも戦うことができた。
だがそれは、羽柴秀吉という偉大な「おやじさま」がお膳立てをしてくれたからだ。
正則は今、そう思った。
何も、背後にいるねねにそれができないと言っているわけではない。
状況が圧倒的に不利なのは、ねねのせいではない。
問題は、それを覆せない、もしくは、抗えない、己の……。
「力不足じゃッ! おふくろさま、こうなれば……」
周りには足軽雑兵。
気がつくと、阿閉の軍の将とおぼしき者まで来ているのが見える。
自分たちがもう捕まえられると思って、検分を呼んだのか。
槍も刀も捨てて、ねねを抱きかかえて、琵琶湖に飛び込むか。
正則はそう思ったが、ねねが一瞬早く、正則の前へ出た。
「わたしは羽柴秀吉が妻女、ねね! 手柄とせん者は、前に出よッ!」
「おっ、おふくろさま!」
正則はこの期に及んで、正則を生かそうとするねねの胆力に舌を巻いた。
そしてその母性に泣いた。
しかし、逃げることはできない。
ここまでされて、ねねを見捨てたとなれば、許されないだろう。
秀吉にではない。
虎(加藤清正)にでもない。
「己自身が許さんのじゃッ! おふくろさま、いざという時は、おれがあんたを殺す! 殺しておれも死ぬ!」
吼えた。
のちに千軍万馬を従える驍将として名をはせる、福島正則が吼えた。
その咆哮に、一瞬、足軽雑兵どもがたじろぐ。
たじろいだ足軽の一人が、一歩、しりぞくと、背後の何かにぶつかった。
その足軽は、おいどけ、邪魔だと舌を打つ。
すると、その何かは軽々と足軽をつかみ上げた。
「……邪魔なのは、お前だよ」
足軽は目をみはった。
どちらかというと鈍重な自分を、ここまで持ち上がる何か、いや、大男の膂力に目をみはった。
「う……わ! なっ、何じゃおぬし! 離せ! 同じ仲間じゃろう!」
「……仲間?」
六尺五寸はあろうとおぼしき大男は、大きな目をぐいと動かして、足軽を見た。
「あんな生きのいい若いのと女丈夫を追い詰めるような奴と、一緒にすんな」
ぶん。
大男が、足軽を投げた。
足軽はうわああと情けない叫び声を上げながら飛び、正則とねねの前に落下した。
あまりのことに、正則は目を剥き、ねねは口を覆い、他の足軽雑兵らも静止してしまう。
「おい、逃げろ」
大男の、意外とやさしげな声が響いた。
何を、と思うが、今この場で「逃げる」と言えるのは、正則とねねしかいない。
気づくと、大男は足軽雑兵の群れの中、足軽や雑兵を薙ぎ倒しながら、進んで来る。
「おい、ぼさっとすんな、こっちこっち」
大男は自分を指差し、ついて来いと示す。
ここで、あっけに取られていた足軽たちが、ついに気がついた。
正則とねねに、援軍が来た、と。
そして、ちょうど来合わせていた阿閉軍の将が、その大男を見た。
「あっ」
「うっ」
まずい、という表情をして、大男は面を伏せたが、もう遅かった。
「そっ、そなた! もしや、藤堂高虎ではないか! 阿閉の那多介や広部の文平を斬って出奔した!」
……のちに七度主君を代えた男、築城の名人、そして時代に冠絶する政客にして武将として名を残す男、藤堂高虎。
今の主、羽柴秀長に命じられ、ねねを救い出しに参上した次第である。
福島正則は懸命に前へ進んでいた。
あとにつづくは、羽柴秀吉の正室、ねね。
ふたりは、この長浜の城外をひた進み、京を目指していた。
だが、行く手を阻むは、阿閉貞征に傭われた、足軽雑兵たち。
彼らは手柄を金銭をと欲望を丸出しにして、ふたりに襲いかかっていた。
「……くそっ。きりがない!」
「…………」
毒づく正則にねねが視線を向ける。
だが正則はその視線をかわすように、無言で槍を取った。
言わせない。
自分を置いていけとは言わせない。
長年「おふくろさま」と慕っていたねねのことを、正則は正確に理解していた。
この「おふくろさま」は、「その時」は恬淡と己を捨てる。
そもそも、己が死んだときに備えて、すでに石田三成にすべてを伝え、中国に向かわせている。
これが正則であれば、律儀に中国に向かわずに、己を心配して長浜に舞い戻るであろうことを計算に入れて。
「……じゃが、それはいいのじゃが、おふくろさまはもっと己を大切になされ!」
背後にいるはずのねねからの返答はない。
もしかしたら、「二手に別れる」と言い出す機をうかがっているのではないか。
もし、言い出したらその時は。
「この正則、派手に散ってみせるわ!」
*
……時間や日にちは前後する。
石田三成は、近江を駆け、山城に至り、そこから丹波、但馬へと向かっていく。
その行程は、かつて明智光秀が京へと襲いかかった道の、逆を行く。
常識で考えれば、通るのは避けるべきところであろう。
「だが、敢えてそこを行く。これが軍勢なら誰何《すいか》され問われようが、こうして一騎駆けで行くのなら、何とか」
三成は馬に鞭をくれる。
実は、この丹波路については自信があった。
かつて、摂津にて荒木村重が織田信長から離反し、叛旗をひるがえした時。
羽柴秀吉は播磨攻めのため、姫路にいた。
姫路と京の中間地点が摂津であり、信長からの連絡や補給が見込めず、秀吉は進退窮まった。
「これでは、京や近江との、繋ぎができぬ」
そう歎いた秀吉であったが、すぐに立て直しを図った。
すなわち、まだ服属させていない丹波や但馬を制した上で、その丹波路、但馬路を使った、連絡路の確立である。
秀吉はこれを最も信頼のおける腹心にして弟、羽柴秀長に任せる。
当時、元服するかしないかの三成もこれに従事した。
「たしかその時、但馬の地侍どもを平定した、大柄の男がいたな……」
そう考える三成の横を、滑るようにひとりの騎馬武者がすれ違い、通り過ぎていった。
その騎馬武者は六尺二寸(百九十センチ)の長身で、一瞬、三成の方をちらりと見たが、何も言わずに駆けて行った。
一方の三成は、ちょうどねねに伝えられたことを反芻していたため、特に気づくことはなかった。
*
「……ぐっ」
福島正則は自身の限界を感じ始めていた。
これまで戦場を駆ける時は、そんなものなど、まるで無いがごとくに、どこまでも、いつまでも戦うことができた。
だがそれは、羽柴秀吉という偉大な「おやじさま」がお膳立てをしてくれたからだ。
正則は今、そう思った。
何も、背後にいるねねにそれができないと言っているわけではない。
状況が圧倒的に不利なのは、ねねのせいではない。
問題は、それを覆せない、もしくは、抗えない、己の……。
「力不足じゃッ! おふくろさま、こうなれば……」
周りには足軽雑兵。
気がつくと、阿閉の軍の将とおぼしき者まで来ているのが見える。
自分たちがもう捕まえられると思って、検分を呼んだのか。
槍も刀も捨てて、ねねを抱きかかえて、琵琶湖に飛び込むか。
正則はそう思ったが、ねねが一瞬早く、正則の前へ出た。
「わたしは羽柴秀吉が妻女、ねね! 手柄とせん者は、前に出よッ!」
「おっ、おふくろさま!」
正則はこの期に及んで、正則を生かそうとするねねの胆力に舌を巻いた。
そしてその母性に泣いた。
しかし、逃げることはできない。
ここまでされて、ねねを見捨てたとなれば、許されないだろう。
秀吉にではない。
虎(加藤清正)にでもない。
「己自身が許さんのじゃッ! おふくろさま、いざという時は、おれがあんたを殺す! 殺しておれも死ぬ!」
吼えた。
のちに千軍万馬を従える驍将として名をはせる、福島正則が吼えた。
その咆哮に、一瞬、足軽雑兵どもがたじろぐ。
たじろいだ足軽の一人が、一歩、しりぞくと、背後の何かにぶつかった。
その足軽は、おいどけ、邪魔だと舌を打つ。
すると、その何かは軽々と足軽をつかみ上げた。
「……邪魔なのは、お前だよ」
足軽は目をみはった。
どちらかというと鈍重な自分を、ここまで持ち上がる何か、いや、大男の膂力に目をみはった。
「う……わ! なっ、何じゃおぬし! 離せ! 同じ仲間じゃろう!」
「……仲間?」
六尺五寸はあろうとおぼしき大男は、大きな目をぐいと動かして、足軽を見た。
「あんな生きのいい若いのと女丈夫を追い詰めるような奴と、一緒にすんな」
ぶん。
大男が、足軽を投げた。
足軽はうわああと情けない叫び声を上げながら飛び、正則とねねの前に落下した。
あまりのことに、正則は目を剥き、ねねは口を覆い、他の足軽雑兵らも静止してしまう。
「おい、逃げろ」
大男の、意外とやさしげな声が響いた。
何を、と思うが、今この場で「逃げる」と言えるのは、正則とねねしかいない。
気づくと、大男は足軽雑兵の群れの中、足軽や雑兵を薙ぎ倒しながら、進んで来る。
「おい、ぼさっとすんな、こっちこっち」
大男は自分を指差し、ついて来いと示す。
ここで、あっけに取られていた足軽たちが、ついに気がついた。
正則とねねに、援軍が来た、と。
そして、ちょうど来合わせていた阿閉軍の将が、その大男を見た。
「あっ」
「うっ」
まずい、という表情をして、大男は面を伏せたが、もう遅かった。
「そっ、そなた! もしや、藤堂高虎ではないか! 阿閉の那多介や広部の文平を斬って出奔した!」
……のちに七度主君を代えた男、築城の名人、そして時代に冠絶する政客にして武将として名を残す男、藤堂高虎。
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