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破の章 覇者の胸中を知る者は誰(た)ぞ ──中国大返し──

15 長浜城攻防戦

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 長浜城、城門前。
 福島正則が怒号と共に突進する。
 阿閉貞征あつじさだゆきはその予想外の速さにとする。
 そして悩んだ。
 今、目の前にいる騎馬武者姿のねねか、怒髪天の正則か。

「……くっ」

 思えば城主など、討ったところで手柄にならぬ。
 それに、留守居役の城将を討つならともかく、城主夫人など、どうせ
 それが、貞征の認識だった。
 そしてそれに従い、馬首を返して、正則と対峙する。

「しゃらくさい若造めが!」

 貞征の槍が繰り出される。
 正則もまた槍を繰り出し、二人の槍は激突する。

「死ね! 盗っ人野郎!」

「口ばかりが!」

 正則の槍がね、飛んでいく。
 貞征はしてやったりとほくそ笑む。
 が、その隙に正則は貞征の脇を通り抜け、そしてそのままねねのそばへとせ参じた。

「……孺子こぞうッ!」

 今度はとほぞを噛む貞征。
 だが、と思い直す。
 形勢が有利なことは、変わりない。
 よくよく考えれば、の城主夫人と、頭に血がのぼった若造が群れただけだ。
 このまま、揉み潰せばよいだけのこと。
 それが万一かなわなくとも、それはそれで、当初の予定通り、長浜城を奪取すれば良いだけのこと。

「かかれ!」

 阿閉貞征が麾下の兵に命を下す。
 突撃せよ、と。



 一方のねねは落ち着き払っていた。
 冷静に「市松、これを」と代わりの槍を渡して来たくらいに。
 福島正則としては頼もしい限りだが、もう少し心配してもらいたい気もする。
 この「おふくろさま」は、時に、いや常に豪胆で、大人しくしてほしい。
 そう思う正則が、うしろに下がってくれと言おうとした、その時だった。
 狼煙が上がった。
 これこそ、石田三成が、片桐且元らの「群れ」が、無事逃げおおせたと知らせる合図である。
 それを見たねねが言う。

「市松……いやさ正則」

「何でしょう、おふくろさま」

「思い切り、やってやりなさい」

「…………」

 正則は、ねねの前でなければ哄笑するところだった。
 わかっている。
 この「おふくろさま」は、わかっている。
 福島正則が今、一番欲しい言葉をわかっている。

「フ……」

 つい、軽い笑いが洩れた。
 だが気にしない。
 これからやることの面白さを考えれば、笑うしかない。

「ようし! おみゃあら! 出て来い!」

 ぎぎ、と長浜城の大手門が開き、中から福島隊が飛び出してくる。
 この福島隊は、実は片桐且元らが安全圏に到達するまでに何かあらば、それを援護するために、ずっと控えていたのだ。
 そして、その片桐且元の指揮する片桐隊が、老人や女子どもの弱者の「群れ」を守る盾ならば。
 この福島正則の率いる福島隊は、剣だ。
 これから未来へ、希望へと進むねねを守り、その道を切り開く、剣だ。

「思い切り行くぞ! その後はにせよ! 行け!」

 まず正則が単騎、正面突破を図る。
 そのきりのように鋭い攻撃は、阿閉軍に、穴を開けた。
 ついで、正則が開けた穴に、福島隊の連続攻撃が。

「おらあっ! この福島正則の渾身の攻めを受けて見ろおっ!」

「うっ」

「ぐわっ」

 正則がその猛将ぶりを遺憾なく発揮して、阿閉軍はどよめいた。
 どのどよめきの間にも、正則は進む。
 数多の将兵たちの中を。
 さながら、無人の野を行くように。

「おふくろさま! さ、早く!」

「ええ」

 ねねが進む。
 止めなければ。
 阿閉貞征は、一瞬、そう思ったが、すぐに考えを改めた。
 あの福島正則とねねが出ていってしまえば、長浜は空城。
 空城を拾ってしまう。
 これほど、楽なことはない。

「……むしろ、あの剣呑な若造と城主夫人には、行ってもらった方がよいか」

 貞征はあごに手をやってほくそ笑む。
 正則とねねがどこに行くつもりか知らんが、この近江はもはや明智の領地。
 どこへ行っても、敵だらけ。

「……よし」

 貞征は手ぶりで合図し、将兵を集結させた。
 そしてそのまま、城へ向かうよう促す。
 正則らを追うべきではという進言はあったが、そのようなこと、雇われの足軽らにやらせておけとどやしつけた。

「落ち武者狩り、拾い首は奴らの得意ぞ」

 そのような武士の風上に置けぬ振る舞いなど、足軽雑兵にやらせておけば良いのだ。

「では、行くぞ! 城は貰った!」

 ……阿閉貞征の判断は間違っていなかった。城取りという意味では。
 だが明智光秀の「これから」という意味では、貞征が最初に感じた「止めなければ」が合っていたことになるのだが、この時の彼には、それを知るよしも無い……。



 長浜城外。
 ねねと福島正則の二人は、阿閉貞征の軍勢を振り切り、横に琵琶湖を眺めながら、馬を走らせていた。
 もう周りには誰もおらず、今、騎乗している二人の姿しか見えない。

「あいつらは大丈夫かなぁ」

 正則はひとりごちる。
 あいつらとは、福島隊の武士や足軽たちである。
 彼らはすでに、彼女たちから離れ、それぞれの「目指す場所」へと散っていった。

「大丈夫でしょう」

 ねねは受け合う。
 福島隊の面々、つまり長浜城の戦闘要員たちは、事前に石田三成が選び依頼していた寺院のそれぞれに身をひそめることになっていた。
 三成は前身が寺の小坊主である。
 その伝手を使ったのだ。

「……ま、そりゃそうじゃが」

 正則は頬をく。
 あの生意気な三成の才を認めたくないが、ここは認めるしかない。
 だけど悔しい。
 そんな照れが、頬を掻かせた。

「しかしおふくろさま」

 正則はその伸ばしているひげをぶるぶると震わせる。

「阿閉の兵の大半は振り切ったが、野伏のぶせりやら足軽やらに追わせてきましょう。気を抜かないでいただきたい」

「……わかった」

 そうでなくとも、ここ近江は、今や敵地。
 明智あるいは明智に従う大名小名、地侍。
 数多あまたいるそれらをかわし、忍び、目指すはみやこ
 そここそが、敵、明智光秀の本拠地。
 そこに行けば、はっきりとわかるだろう。

「…………」

 最初は炎上する本能寺から逃げ出すことに必死だった。
 だが、逃げているうちに、人に話しているうちに。
 ねねの中で、本能寺の変の真相、とまではいかないが、その裏事情が見えかけて来ていた。

「それを確かめるため、京に」

 その道のりは、やがて中国より返してくるであろう、夫・秀吉の力となろう。
 そしてそうすることにより、大恩ある信長と帰蝶に、いくばくかなりとでも、報いるのだ。

「…………」

 ねねの手綱を握る手に、力がこもった。
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