13 / 39
序の章 裏切られた明智光秀 ──本能寺の変──
13 別離、密命、奮戦
しおりを挟む
羽柴秀吉の在城時も副将格であり、不在時はそれこそ城将としての役割を担う、ねねの言葉。
「長浜城は放棄します」
その言葉に、城の防衛に努めていた石田三成と片桐且元は迅速に反応した。
まず、且元が城内に避難していた老人、赤子、女子どもを集め、「群れ」を作る。
次に、その「群れ」に三成がまとめた金子や食糧を持たせる。
「できましたか」
「できました、おふくろさま」
このきびきびした返事は二十二歳の若者、石田三成である。
少し年長の二十七歳の片桐且元は無言でうなずいていた。
「よろしい。では、まつは且元の『群れ』と共に、北へ行って」
「わかりました」
まつがすっと立ち上がると、且元も無言で立ち上がる。
「…………」
ねねとまつが見つめ合う。
本能寺から脱して以来、いろいろあった。
その本能寺に行く前、それこそ少女時代から、二人は一緒だった。
でも今、その二人の道は分かたれる。
もう会えないかもしれない。
「まつ、息災で」
また会おうとは言わない。
それでも、友の無事を願う。
そんなねねの言葉に、まつは少し泣いた。
この場にいる誰も、とがめなかった。
「……ええ、息災で」
一度面を伏せて、そして上げた時には凛とした表情を見せたまつは、「行きましょう」と且元に言い、且元はおごそかにそれに従った。
「皆の衆も息災で! 北に行ったら、まつどのの言うことをよく聞いて!」
長浜の老人や女や子どもたちは笑った。
長浜の人たちは、みんな、ねねの子どもだった。
そういう想いが伝わって来たからである。
*
実はねねとまつ、そして福島正則が長浜城に入ると、即座に三成と且元を呼び、防戦の指揮は正則に任せて、ねねとまつと三成と且元は話の場を持った。
その時、「落城」の段取りについては説明してあり、納得も得ていた。
「……助佐(片桐且元)は浅井家滅亡時に落ち延びた経験がある。近江の土地鑑がある。それゆえ、老人たちを連れて、まつと一緒に北へ逃げて」
「委細承知」
明言されていないものの、時間がないことを知っていた且元は、すぐにその場から出て、「群れ」の形成に向かった。
それを見た三成は、ではその「群れ」に持たせる金品食糧をまとめるかと立ち上がったが、そこをねねに引き留められた。
「待ちなさい、佐吉」
佐吉とは三成の幼名である。
正則は幼名で呼ばれるのを嫌ったが、三成はむしろ親しみを込めてくれていると嬉しがった。
「なんでしょう、おふくろさま」
きりりとした表情で聞く三成だが、その表情はすぐに驚愕に変わることになる。
*
「それがしを秀吉どのの元へ……か」
ひとり甲冑を脱いで旅装となった三成は、且元の「群れ」に混じった。
且元は目を合わせない。
合わせないからこそ、承知していると知れた。
「…………」
瞬間、三成は思い出す。
ねねの語ったこと、まつの話したこと、それらすべてを思い出す。
「文は書きません。いえ、簡単なものは書きますが、詳細は佐吉、貴方が伝えなさい」
時間が無いというのもあるが、かなり豪胆というか、いややはり合理的な指示である。
だがそれは同時に、三成の使命がそれだけ重要だということを意味する。
「本能寺、明智光秀、信長さま、帰蝶さま、信忠さま、弥助どの……」
こめかみを指でとんとんと叩き、三成は記憶の再生を終えた。
「……行くか」
城の表で動きがあった。
その間、裏のこちらが逃げる手はずになっている。
且元の号令一下、城の裏門から、まつと「群れ」が逃げ出す。
三成も逃げ、ある程度の間「群れ」についていたが、やがて無事に逃げられそうだと判じ、そっと離れた。
「よし」
三成はとある薮に入り、事前に用意していた燃料を燃やして、狼煙を上げる。
と同時に潜めていた馬に乗り、駆けた。
向かうは、丹波路。
明智光秀の勢力圏である。
*
長浜城の表。
「おれは福島正則! 阿閉貞征、出て来い! この、留守を狙う泥棒野郎!」
「なにを!」
近江の土豪であり、浅井家の重臣であった阿閉貞征。
その浅井家を裏切り、近江に大領を得るかと思いきや、それを羽柴秀吉に取られてしまった、阿閉貞征。
今、その復権をかけて長浜城を攻めているところであったが、それは本能寺の変という奇禍を奇貨として、つまり機会が来たので盗ろうとしているところだった。
それを正則が誰の耳にもわかりやすく一言で表現してしまったので、貞征としては怒るしかない。
「黙れ孺子! おのれのような童には、わからぬわ! この近江においてこの阿閉貞征がどれほど……」
「口がくさい! 黙れ!」
正則の理不尽な返しと槍。
若き剽悍なその槍に、思わず貞征はあとじさる。
「おっ、おのれ! こうなれば……囲め! 囲め囲め囲め! おのれを捉まえて、磔にしてくれるわ!」
ふん、と正則は鼻で返事をした。
狙い通り、挑発に乗って来たことに得意になったからである。
だが次の瞬間、彼の得意は雲散霧消する。
「この城にいるらしい……あの、ねねとかいう秀吉の妻女も、磔じゃ! 磔にしてくれる!」
「なっ、何じゃと!」
母とも慕うねねを、磔。
これには怒り心頭である。
正則は、事前の打ち合わせを無視して、単騎、貞征に向かって突っ込んでいった。
「おふくろさまを磔などと! 言うだけでも虫唾が走るわ! 死ね!」
凶暴そのものの槍が突き出され、貞征はさらに後退する破目になったが、してやったりと微笑んだ。
「ばかめ! 飛んで火にいる夏の虫よ! 者ども、やれえ!」
貞征の号令一下、正則の四方八方から槍が繰り出される。
やり過ぎた、と後悔する正則の耳に、その声が響いた。
「われこそは! 羽柴秀吉が妻女、ねねなり!」
騎馬武者姿のねねが城門に。
これには阿閉軍の将兵も、その手を止めて、ねねの美々しい姿に見入った。
「阿閉貞征! まことそなたが近江の覇者というのなら、このねねから実力で、長浜の城を奪ってみせい!」
「なっ、なんだと」
ここまで言われると、貞征としても城門に突撃を命じるしかない。
正則を包囲攻撃している場合ではない。
しかしそれは同時に、ねねが包囲攻撃の次なる対象となったのを意味した。
「おふくろさま! そのような無理を!」
正則は歯噛みしたが、その無理を誘ったのは自分である。
悔やんでいる暇があったら、槍を取れ、馬を走らせろ。
「うおおおおお! こうなれば阿閉貞征の素ッ首、この福島正則が掻き切ってくれるわ!」
一瞬にして槍を薙ぎ払い、福島正則は周囲の敵を一蹴し、そのまま愛馬を駆って、敵将・阿閉貞征へと猛然と向かった。
「間に合え! 中国にいる秀吉、虎(加藤清正のこと。正則の親友)、力を貸してくれえ!」
「長浜城は放棄します」
その言葉に、城の防衛に努めていた石田三成と片桐且元は迅速に反応した。
まず、且元が城内に避難していた老人、赤子、女子どもを集め、「群れ」を作る。
次に、その「群れ」に三成がまとめた金子や食糧を持たせる。
「できましたか」
「できました、おふくろさま」
このきびきびした返事は二十二歳の若者、石田三成である。
少し年長の二十七歳の片桐且元は無言でうなずいていた。
「よろしい。では、まつは且元の『群れ』と共に、北へ行って」
「わかりました」
まつがすっと立ち上がると、且元も無言で立ち上がる。
「…………」
ねねとまつが見つめ合う。
本能寺から脱して以来、いろいろあった。
その本能寺に行く前、それこそ少女時代から、二人は一緒だった。
でも今、その二人の道は分かたれる。
もう会えないかもしれない。
「まつ、息災で」
また会おうとは言わない。
それでも、友の無事を願う。
そんなねねの言葉に、まつは少し泣いた。
この場にいる誰も、とがめなかった。
「……ええ、息災で」
一度面を伏せて、そして上げた時には凛とした表情を見せたまつは、「行きましょう」と且元に言い、且元はおごそかにそれに従った。
「皆の衆も息災で! 北に行ったら、まつどのの言うことをよく聞いて!」
長浜の老人や女や子どもたちは笑った。
長浜の人たちは、みんな、ねねの子どもだった。
そういう想いが伝わって来たからである。
*
実はねねとまつ、そして福島正則が長浜城に入ると、即座に三成と且元を呼び、防戦の指揮は正則に任せて、ねねとまつと三成と且元は話の場を持った。
その時、「落城」の段取りについては説明してあり、納得も得ていた。
「……助佐(片桐且元)は浅井家滅亡時に落ち延びた経験がある。近江の土地鑑がある。それゆえ、老人たちを連れて、まつと一緒に北へ逃げて」
「委細承知」
明言されていないものの、時間がないことを知っていた且元は、すぐにその場から出て、「群れ」の形成に向かった。
それを見た三成は、ではその「群れ」に持たせる金品食糧をまとめるかと立ち上がったが、そこをねねに引き留められた。
「待ちなさい、佐吉」
佐吉とは三成の幼名である。
正則は幼名で呼ばれるのを嫌ったが、三成はむしろ親しみを込めてくれていると嬉しがった。
「なんでしょう、おふくろさま」
きりりとした表情で聞く三成だが、その表情はすぐに驚愕に変わることになる。
*
「それがしを秀吉どのの元へ……か」
ひとり甲冑を脱いで旅装となった三成は、且元の「群れ」に混じった。
且元は目を合わせない。
合わせないからこそ、承知していると知れた。
「…………」
瞬間、三成は思い出す。
ねねの語ったこと、まつの話したこと、それらすべてを思い出す。
「文は書きません。いえ、簡単なものは書きますが、詳細は佐吉、貴方が伝えなさい」
時間が無いというのもあるが、かなり豪胆というか、いややはり合理的な指示である。
だがそれは同時に、三成の使命がそれだけ重要だということを意味する。
「本能寺、明智光秀、信長さま、帰蝶さま、信忠さま、弥助どの……」
こめかみを指でとんとんと叩き、三成は記憶の再生を終えた。
「……行くか」
城の表で動きがあった。
その間、裏のこちらが逃げる手はずになっている。
且元の号令一下、城の裏門から、まつと「群れ」が逃げ出す。
三成も逃げ、ある程度の間「群れ」についていたが、やがて無事に逃げられそうだと判じ、そっと離れた。
「よし」
三成はとある薮に入り、事前に用意していた燃料を燃やして、狼煙を上げる。
と同時に潜めていた馬に乗り、駆けた。
向かうは、丹波路。
明智光秀の勢力圏である。
*
長浜城の表。
「おれは福島正則! 阿閉貞征、出て来い! この、留守を狙う泥棒野郎!」
「なにを!」
近江の土豪であり、浅井家の重臣であった阿閉貞征。
その浅井家を裏切り、近江に大領を得るかと思いきや、それを羽柴秀吉に取られてしまった、阿閉貞征。
今、その復権をかけて長浜城を攻めているところであったが、それは本能寺の変という奇禍を奇貨として、つまり機会が来たので盗ろうとしているところだった。
それを正則が誰の耳にもわかりやすく一言で表現してしまったので、貞征としては怒るしかない。
「黙れ孺子! おのれのような童には、わからぬわ! この近江においてこの阿閉貞征がどれほど……」
「口がくさい! 黙れ!」
正則の理不尽な返しと槍。
若き剽悍なその槍に、思わず貞征はあとじさる。
「おっ、おのれ! こうなれば……囲め! 囲め囲め囲め! おのれを捉まえて、磔にしてくれるわ!」
ふん、と正則は鼻で返事をした。
狙い通り、挑発に乗って来たことに得意になったからである。
だが次の瞬間、彼の得意は雲散霧消する。
「この城にいるらしい……あの、ねねとかいう秀吉の妻女も、磔じゃ! 磔にしてくれる!」
「なっ、何じゃと!」
母とも慕うねねを、磔。
これには怒り心頭である。
正則は、事前の打ち合わせを無視して、単騎、貞征に向かって突っ込んでいった。
「おふくろさまを磔などと! 言うだけでも虫唾が走るわ! 死ね!」
凶暴そのものの槍が突き出され、貞征はさらに後退する破目になったが、してやったりと微笑んだ。
「ばかめ! 飛んで火にいる夏の虫よ! 者ども、やれえ!」
貞征の号令一下、正則の四方八方から槍が繰り出される。
やり過ぎた、と後悔する正則の耳に、その声が響いた。
「われこそは! 羽柴秀吉が妻女、ねねなり!」
騎馬武者姿のねねが城門に。
これには阿閉軍の将兵も、その手を止めて、ねねの美々しい姿に見入った。
「阿閉貞征! まことそなたが近江の覇者というのなら、このねねから実力で、長浜の城を奪ってみせい!」
「なっ、なんだと」
ここまで言われると、貞征としても城門に突撃を命じるしかない。
正則を包囲攻撃している場合ではない。
しかしそれは同時に、ねねが包囲攻撃の次なる対象となったのを意味した。
「おふくろさま! そのような無理を!」
正則は歯噛みしたが、その無理を誘ったのは自分である。
悔やんでいる暇があったら、槍を取れ、馬を走らせろ。
「うおおおおお! こうなれば阿閉貞征の素ッ首、この福島正則が掻き切ってくれるわ!」
一瞬にして槍を薙ぎ払い、福島正則は周囲の敵を一蹴し、そのまま愛馬を駆って、敵将・阿閉貞征へと猛然と向かった。
「間に合え! 中国にいる秀吉、虎(加藤清正のこと。正則の親友)、力を貸してくれえ!」
2
お気に入りに追加
10
あなたにおすすめの小説
前夜 ~敵は本能寺にあり~
四谷軒
歴史・時代
【あらすじ】
織田信忠は、本能寺の変の前夜、父・信長を訪れていた。そして信長から、織田家の――信忠の今後と、明智光秀の今後についての考えを聞く。それを知った光秀は……。
【表紙画像・挿絵画像】
「きまぐれアフター」様より
待庵(たいあん)
四谷軒
歴史・時代
【あらすじ】
千宗易(後の利休)は、山崎の戦いに臨む羽柴秀吉から、二畳の茶室を作るよう命じられる。この時代、茶室は三畳半ぐらいが常識だった。それよりも狭い茶室を作れと言われ、宗易はいろいろと考える。そして、秀吉の弟・羽柴秀長や、秀吉の正室・ねねに会い、語り、宗易はやがて茶室について「作ったる」と明言する。言葉どおり完成した茶室で、宗易は茶を点て、客を待つ。やって来た客は……。
【表紙画像】
「ぐったりにゃんこのホームページ」様より
実はこれ実話なんですよ
tomoharu
恋愛
え?こんな話絶対ありえない!作り話でしょと思うような話からあるある話まで幅広い範囲で物語を考えました!ぜひ読んでみてください!1年後には大ヒット間違いなし!!
作品情報【マーライオン】【愛学両道】【やりすぎ智伝説&夢物語】【トモレオ突破椿】など
・【やりすぎ智久伝説&夢物語】とは、その話はさすがに言いすぎでしょと言われているほぼ実話ストーリーです。
小さい頃から今まで主人公である【智久】はどのような体験をしたのかがわかります。ぜひよんでくださいね!
・【トモレオ突破椿】は、公務員試験合格なおかつ様々な問題を解決させる話です。
頭の悪かった人でも公務員になれることを証明させる話でもあるので、ぜひ読んでみてください!
特別記念として実話を元に作った【呪われし◯◯シリーズ】も公開します!
織田家の人々 ~太陽と月~
四谷軒
歴史・時代
【あらすじ】
(第一章 太陽の音を忘れない ~神戸信孝一代記~)
神戸信孝は織田信長の三男として知られる。彼は、庶子でありながら、嫡出である信忠・信雄についだ格付けを得るまでにのし上がっていた。
その最たるものが四国征伐であり、信孝はその将として、今、まさに四国への渡海を目前としており、その成功は約束されていた――本能寺の変が、起こるまでは。
(第二章 月を飛ぶ蝶のように ~有楽~)
織田有楽、あるいは織田有楽斎として知られる人物は、織田信長の弟として生まれた。信行という兄の死を知り、信忠という甥と死に別れ、そして淀君という姪の最期を……晩年に京にしつらえた茶室、如庵にて有楽は何を想い、感じるのか。それはさながら月を飛ぶ蝶のような、己の生涯か。
【表紙画像】
歌川国芳, Public domain, ウィキメディア・コモンズ経由で
剣客逓信 ―明治剣戟郵便録―
三條すずしろ
歴史・時代
【第9回歴史・時代小説大賞:痛快! エンタメ剣客賞受賞】
明治6年、警察より早くピストルを装備したのは郵便配達員だった――。
維新の動乱で届くことのなかった手紙や小包。そんな残された思いを配達する「御留郵便御用」の若者と老剣士が、時に不穏な明治の初めをひた走る。
密書や金品を狙う賊を退け大切なものを届ける特命郵便配達人、通称「剣客逓信(けんかくていしん)」。
武装する必要があるほど危険にさらされた初期の郵便時代、二人はやがてさらに大きな動乱に巻き込まれ――。
※エブリスタでも連載中
加藤虎之助(後の清正、15歳)、姉さん女房をもらいました!
野松 彦秋
歴史・時代
加藤虎之助15歳、山崎シノ17歳
一族の出世頭、又従弟秀吉に翻弄(祝福?)されながら、
二人は夫婦としてやっていけるのか、身分が違う二人が真の夫婦になるまでの物語。
若い虎之助とシノの新婚生活を温かく包む羽柴家の人々。しかし身分違いの二人の祝言が、織田信長の耳に入り、まさかの展開に。少年加藤虎之助が加藤清正になるまでのモノカタリである。
日日晴朗 ―異性装娘お助け日記―
優木悠
歴史・時代
―男装の助け人、江戸を駈ける!―
栗栖小源太が女であることを隠し、兄の消息を追って江戸に出てきたのは慶安二年の暮れのこと。
それから三カ月、助っ人稼業で糊口をしのぎながら兄をさがす小源太であったが、やがて由井正雪一党の陰謀に巻き込まれてゆく。
月の後半のみ、毎日10時頃更新しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる