STRIKE BACK ! ~ 中国大返し、あるいは、この国を動かした十日間を、ねね(北政所)と共に~

四谷軒

文字の大きさ
上 下
12 / 39
序の章 裏切られた明智光秀 ──本能寺の変──

12 長浜の行く末は

しおりを挟む
「頓狂な声を出すんじゃありません、市松」

「いやそれはしょうがないでしょう、ねね」

 豪胆で知られる福島正則、幼名市松が唖然とした表情のまま固まっているのを見て、養母であるねねは叱ったが、隣にいたまつはそれはちがうと異を唱えた。

「あなたの長浜城を目指して、やって来たんじゃないですか。それを捨てる? 何を言っているんですか? 何のためにあの本能寺から逃げ出して……」

 これに反応したのは正則である。

「本能寺? やはりおふくろさまは、あの『変』のその場に」

 ねねがみやこに行ったことを正則は知っていた。
 その後の動乱についても、あやふやながら伝わって来たが、あのねねのこと、きっとどこかに潜んでいるだろうと思っていた。
 それが、どうだ。
 長浜を一望できるこの地に、謎の女武者(?)がいると駆けつけて来てみれば、ねねがまつを連れて、馬上、堂々としているではないか。
 快哉を叫ぶより先に、正則はまず動く。
 いくさ人としての本能で、まず動く。
 敵兵を排除する。
 そのために。
 そして。

「おふくろさま……教えて下されや、これまで、一体、どこをどうして」

「市松、今、城にいる者は。兵は」

 ねねは正則の真摯な問いに答えない。
 だが、正則は不服には思わない。
 母と慕い、その教えを受けてきた身だ。
 ねねの今の質問こそが、何よりの「答え」なのだと知っている。
 だから正則は、即座に城に残った者たちの名と兵数を告げた。



「それだけ、ですか……」

「それでも佐吉の奴めが尽力して、米や金銭かねをうまいこと使って、そして助佐すけざがここまで粘ってござる」

 福島正則が言うには、佐吉、つまり石田三成が限りある兵糧や金品を運用し、助佐こと片桐且元かたぎりかつもと(初名は直盛ですが、わかりやすさのため且元とします)が手堅い用兵で守りに守ってきた、ということである。

「佐吉も助佐も近江の産。それもあるでしょう」

 三成は近江の寺に入れられていたところを、且元は近江浅井家に仕えていたが、その主家がほろんで牢人をしているところを、秀吉に見出された。
 近江長浜を治めるにあたって、その手腕や伝手を発揮してくれることを期待して。
 今、長浜は攻め立てられているが、それでも保っているのは、こうした秀吉の人材登用の賜物であろう。
 ねねはそれが言いたいのだ。

「むろん市松、お前を長浜ここに残したのも、お前の武に期待してこそです」

「……ありがたし」

 正則も秀吉のその辺りの心配りを心得ているが、それでも、敢えて口に出して言ってくれるねねの存在を貴重なものに感じた。
 だからこそ、何をおいても守らねばと思った。

「さ、おふくろさま、それでは参りましょうぞ、何はともあれ、城へ。この福島正則、身命を賭しておふくろさまを守りましょうぞ」

「市松」

「何ですか」

「わたしは本能寺を囲む明智光秀の兵から逃がれ、瀬田の唐橋を焼き、安土の蒲生さまに落ち延びてもらいました」

「さ、さようでござるか」

 それは淡々とした語り口だったが、少なくとも正則にとってはかなりの「重さ」の伴う内容だった。
 だがねねはそれにかまわず言葉をつづける。

「安土の蒲生氏郷さまには、長浜こちらが反明智に立つと言って来ましたが、ことここに至っては、やむなし」

 賢秀かたひでさまは察してくれていたみたいだが、とねねはを言った。

「城は放棄します。幸い、近江の出の佐吉と且元がいる。落ち延びましょう」

「えっ」

 これはまつの台詞である。
 これまで、何のために苦労してやって来たのか。
 長浜の城に立て籠もり、打倒明智を広く訴えるためではないのか。

「ここまで攻められて、つとは思えない。ここは、逃げるの一手」

 ねねはそう言って、まつを抱き寄せた。

「そこでまつ、貴女にはお願いしたいことがあります」

「な、何を」

「長浜から落ち延びる人たち……特に老人や赤子、女子おんなこどもなどは、貴女が北へ連れて行って欲しい」

 これこそが、ねねがまつを連れて長浜ここまで来た理由だった。
 本能寺を炎上させ、近江を抑えるのなら、当然、長浜は自家薬籠中のものにしたいであろう。
 自分が光秀なら、そうする。
 そうして。

「おそらく……北から来る柴田勝家どのに備えたいのじゃ。であるなら、長浜から落ち延びるなら、北が最適」

 光秀からすると、仮想敵である勝家とは、そうおいそれとはことを構えたくないはず。
 勝家にしても、まさか自分の麾下にある前田利家の女房が引き連れた、しかも弱者を追い返せないであろう。

「そのため、貴女を敢えて危地にさらすことになった、まつ。ご容赦ください」

「ねね……」

 まつとしては、多少の恨みごとは言いたいところだが、それよりもねねと一緒だからこそ、ここまで来られたという思いが強い。

「貴女のおかげでここまでやって来られました。本能寺、瀬田、安土……どれも、貴女がいたからこそ、切り抜けられました」

 これこそ、弥助の言っていた「すとらいく・ばっく」ではないかと思う。
 でもそれももう終わりだ。
 何より。

「じゃあねね、貴女も来るのでしょう? 北に……」

 正則もうんうんとうなずいている。
 もうこれ以上、長浜城は保たないことはわかる。
 だから、城を捨てるという話は理解できた。
 特に異論はなかった。
 だからこそ、その先をどうするかが気になっていたが、今聞いている限りは、どうやら北に行くことになりそうだ。
 ねねの行くところ、この福島正則あり。

「よし! 逃げましょう、おふくろさま! 北へ……」

「いや、行かぬ」

「ええ!?」

 思い切り胸を叩いた直後にこれである。
 正則は非常に情けない顔をした。
 まつはそれを見て、が足りないと口をとがらしていた少年時代の正則を思い出してしまい、少し可笑おかしかった。

「……しかしねね、それじゃどうするつもりです?」

「京へ行く。いや、戻る」

「えっ」

 正則はその時のまつの顔を見て、この人は変わらないなぁと思った。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

前夜 ~敵は本能寺にあり~

四谷軒
歴史・時代
【あらすじ】 織田信忠は、本能寺の変の前夜、父・信長を訪れていた。そして信長から、織田家の――信忠の今後と、明智光秀の今後についての考えを聞く。それを知った光秀は……。 【表紙画像・挿絵画像】 「きまぐれアフター」様より

こじき若殿

四谷軒
歴史・時代
父に死なれ、兄は主君と共に京(みやこ)へ――。 継母と共に、亡父の隠居の城に残された若殿は、受け継ぐはずのその城を、家臣に乗っ取られてしまう。 家臣の専横は、兄の不在によるもの――そう信じて、兄の帰郷を待つ若殿。 しかし、兄は一向に京から帰らず、若殿は食うに困り、物を恵んでもらって暮らす日々を送っていた。 いつしか「こじき若殿」と蔑み呼ばれていた若殿。 「兄さえ帰れば」――その希望を胸に抱き、過ごす若殿が、ある日、旅の老僧と出会う。 ※表紙画像は「ぐったりにゃんこのホームページ」様より

旧式戦艦はつせ

古井論理
歴史・時代
真珠湾攻撃を行う前に機動艦隊が発見されてしまい、結果的に太平洋戦争を回避した日本であったが軍備は軍縮条約によって制限され、日本国に国名を変更し民主政治を取り入れたあとも締め付けが厳しい日々が続いている世界。東南アジアの元列強植民地が独立した大国・マカスネシア連邦と同盟を結んだ日本だが、果たして復権の日は来るのであろうか。ロマンと知略のIF戦記。

短編集「戦国の稲妻」

四谷軒
歴史・時代
【あらすじ】 (朝(あした)の信濃に、雷(いかづち)、走る。 ~弘治三年、三度目の川中島にて~) 弘治三年(1557年)、信濃(長野県)と越後(新潟県)の国境――信越国境にて、甲斐の武田晴信(信玄)と、越後の長尾景虎(上杉謙信)の間で、第三次川中島の戦いが勃発した。 先年、北条家と今川家の間で甲相駿三国同盟を結んだ晴信は、北信濃に侵攻し、越後の長尾景虎の味方である高梨政頼の居城・飯山城を攻撃した。また事前に、周辺の豪族である高井郡計見城主・市河藤若を調略し、味方につけていた。 これに対して、景虎は反撃に出て、北信濃どころか、さらに晴信の領土内へと南下する。 そして――景虎は一転して、飯山城の高梨政頼を助けるため、計見城への攻撃を開始した。 事態を重く見た晴信は、真田幸綱(幸隆)を計見城へ急派し、景虎からの防衛を命じた。 計見城で対峙する二人の名将――長尾景虎と真田幸綱。 そして今、計見城に、三人目の名将が現れる。 (その坂の名) 戦国の武蔵野に覇を唱える北条家。 しかし、足利幕府の名門・扇谷上杉家は大規模な反攻に出て、武蔵野を席巻し、今まさに多摩川を南下しようとしていた。 この危機に、北条家の当主・氏綱は、嫡男・氏康に出陣を命じた。 時に、北条氏康十五歳。彼の初陣であった。 (お化け灯籠) 上野公園には、まるでお化けのように大きい灯籠(とうろう)がある。高さ6.06m、笠石の周囲3.36m。この灯籠を寄進した者を佐久間勝之という。勝之はかつては蒲生氏郷の配下で、伊達政宗とは浅からぬ因縁があった。

待庵(たいあん)

四谷軒
歴史・時代
【あらすじ】 千宗易(後の利休)は、山崎の戦いに臨む羽柴秀吉から、二畳の茶室を作るよう命じられる。この時代、茶室は三畳半ぐらいが常識だった。それよりも狭い茶室を作れと言われ、宗易はいろいろと考える。そして、秀吉の弟・羽柴秀長や、秀吉の正室・ねねに会い、語り、宗易はやがて茶室について「作ったる」と明言する。言葉どおり完成した茶室で、宗易は茶を点て、客を待つ。やって来た客は……。 【表紙画像】 「ぐったりにゃんこのホームページ」様より

永き夜の遠の睡りの皆目醒め

七瀬京
歴史・時代
近藤勇の『首』が消えた……。 新撰組の局長として名を馳せた近藤勇は板橋で罪人として処刑されてから、その首を晒された。 しかし、その首が、ある日忽然と消えたのだった……。 近藤の『首』を巡り、過去と栄光と男たちの愛憎が交錯する。 首はどこにあるのか。 そして激動の時代、男たちはどこへ向かうのか……。 ※男性同士の恋愛表現がありますので苦手な方はご注意下さい

融女寛好 腹切り融川の後始末

仁獅寺永雪
歴史・時代
 江戸後期の文化八年(一八一一年)、幕府奥絵師が急死する。悲報を受けた若き天才女絵師が、根結いの垂髪を揺らして江戸の町を駆け抜ける。彼女は、事件の謎を解き、恩師の名誉と一門の将来を守ることが出来るのか。 「良工の手段、俗目の知るところにあらず」  師が遺したこの言葉の真の意味は?  これは、男社会の江戸画壇にあって、百人を超す門弟を持ち、今にも残る堂々たる足跡を残した実在の女絵師の若き日の物語。最後までお楽しみいただければ幸いです。

剣客逓信 ―明治剣戟郵便録―

三條すずしろ
歴史・時代
【第9回歴史・時代小説大賞:痛快! エンタメ剣客賞受賞】 明治6年、警察より早くピストルを装備したのは郵便配達員だった――。 維新の動乱で届くことのなかった手紙や小包。そんな残された思いを配達する「御留郵便御用」の若者と老剣士が、時に不穏な明治の初めをひた走る。 密書や金品を狙う賊を退け大切なものを届ける特命郵便配達人、通称「剣客逓信(けんかくていしん)」。 武装する必要があるほど危険にさらされた初期の郵便時代、二人はやがてさらに大きな動乱に巻き込まれ――。 ※エブリスタでも連載中

処理中です...