STRIKE BACK ! ~ 中国大返し、あるいは、この国を動かした十日間を、ねね(北政所)と共に~

四谷軒

文字の大きさ
上 下
11 / 39
序の章 裏切られた明智光秀 ──本能寺の変──

11 長浜に吹く風の名

しおりを挟む
 阿閉貞征あつじさだゆきという武将がいる。
 元は北近江の覇者、浅井家の重臣である。
 近江の北、山本山城という重要地点を任されていたが、天正元年(一五七三年)、織田信長に鞍替えし、それが小谷城にる浅井長政を劣勢に招き、やがてはその小谷城の戦いで浅井家が滅亡するきっかけを作った。
 非常に気位の高い人物であり、それゆえ、前述の小谷城の戦いにおいて勲功第一とされて近江の今浜という地を信長より賜った、羽柴秀吉という男を毛嫌いしていた。

「何ぞ、あのような成り上がり者を」

 貞征は自身が裏切り者であるという負い目からも、徹底的に秀吉を蔑視した。

「あのような奴輩やつばらの下風に立つなど、ありえぬ」

 いっそ傲然ごうぜんと振る舞い、これには信長も扱いに苦慮したのか、自身の旗本という扱いにした。
 その後、ことあるごとに秀吉に反発し、北近江の旧勢力の代表格とも言っていい位置づけに立っていた。
 それが。

「今ぞ! 時は来た! あの成り上がり者、羽柴秀吉に鉄槌を!」

 当然ながら明智光秀は阿閉貞征に目をつけ、早速に使いを送って、籠絡した。
 貞征からすると、北近江を奪う、否、奪還する絶好の機会である。
 一も二もなく光秀の号令に従い、早速に長浜を攻め立てていた。

「織田はほろんだ! 今こそ、北近江をわが手に! 元々は、浅井の重臣たる、この貞征の手に帰すべき土地ぞ!」

 貞征としては、浅井家の「重臣であった」自分が、その経緯から北近江を領するべきであった、と言いたい。
 信長はその辺のいきさつを無視して、とにかく、己の勢力の伸長のために近江を食い物にしたのだ、と。
 その浅井家を裏切って滅亡の一因となったのは、ほかならぬ貞征自身なのだが、貞征にとって、それは些事さじである。

「かかれ! かかれ! 成り上がり者の、木端こっぱの兵などに、わが精強なる近江のつわものが、かなうものか!」

 実際、貞征は光秀の誘いを受けてからの動きは迅速で、城主たる秀吉、あるいはねねを欠く長浜城は、今や落城寸前であった。



 ねねとまつは、長浜から少し離れた地点に留まっていた。
 できることなら、城に入りたいところだが、何ぶん乱戦である。
 このままでは、長浜勢からも間違えて斬られかねない。

「ど、どうしよう、ねね」

 まつとしては、このまま長浜を避けて能登を目指す道もあるのだが、そのようなつもりは毛頭なく、長浜に入城するつもりである。
 それゆえの、「どうしよう」である。

「……道々、考えていた」

「そ、それは」

 賢夫人と名高いねねのことだ、もしかしたら、この落城寸前の状況から、逆転する目が無いか考えていたのかと、まつは期待した。

「なぜ、明智が謀叛したのかをじゃ」

「…………」

 期待した自分がばかだった。
 まつは歎息した。
 この期に及んで、光秀がなぜ叛したのかとか、どうでもよいではないか。
 そんなことを考える暇があったら、長浜城とどう連絡つなぎを取るかとか、そういうことを考えて欲しい。
 しかし、いつまでもくよくよしてばかりはいられない。
 よくよく考えてみたら、もう自分たちも若くはない。
 尾張の小大名から、桶狭間へと討って出た織田家のあの頃とはちがう。
 秀吉や利家と共に、乱世を駆けめぐったあの頃とはちがう。
 賢夫人のねねとて、衰えはあろう。
 では、ねねがこういう状態である以上、自分がしっかりせねば。

「まつ、歳は取りたくないものですね」

 あんなことを言っている。
 まつはまたひとつ歎息して、とにかく長浜城への間道か何かないかとねねに聞こうとした、その時。

「おお、女じゃ」

「おんなじゃ、おんなじゃ」

 どこかで聞いた台詞である。
 そう、炎上する本能寺で。
 つまり。

「われら、阿閉さまの配下のものなり。そのほうども、おとなしゅう、われらに従え」

 侍大将のような馬上の武者が、えらそうにのたまっている。
 だが、その目は、かちの足軽らもそうだが、あからさまに視線でねねとまつのことをいる。

「城下や村々の女子どもは逃げたと聞く。われらは、ついている」

 何がだ。
 まつは舌打ちしそうになった。
 だがそんな暇があるなら、自分たちも逃げるべきだ。
 そう思ったとき、すでに足軽らがわらわらと動き出していて、馬上のねねとまつを囲んだ。

「逃ぐるな。逃ぐると、死ぬぞ」

 もう少しましな殺し文句はないのかと言いたい。
 まつが同意を求めるように隣のねねを見たが、いっそ面にくいほど冷静な表情をしていた。

「……ちょ、ちょっと、ねね」

「ここは城を望むに最適な場所。阿閉とやらも、ここを抑えていないとは、先が思いやられる」

 長浜城は、秀吉とねねが、ふたりで作り上げた城である。
 当然ながら、ねねはその城の長所も短所も知悉ちしつしていた。

「……察するに、光秀に言われて、取るものもとりあえず、かき集められるだけ兵をかき集めて、それで、烏合して長浜に押し寄せたのか、のう?」

 のうと言われても、侍大将は返事をしない。
 わからないのではない。
 これから戦利品となる者から何を言われても、それは鳴き声としか思えなかったからだ。
 だから、こう言った。

「やかましい!」

 そしてそれが、彼の人生最後の発言となった。



 一陣の風が吹いた気がした。
 まつがそう感じた瞬間、彼女のすぐそばを、誰かが通り過ぎていった。

「……誰?」

 そう問う間もなく、風は侍大将の元へと至り、そしてそのまま。

「その首、もらった!」

 手にした槍を一閃、侍大将の首を斬った。

「う……うわあああ!」

 自分たちの大将の首が落ちて来て、足軽らが動揺する。
 それを見た風――馬に乗った若武者は、槍を握る両手に唾を飛ばし、そして思い切り振りかぶった。

「おお……らああ!」

 槍は二、三人の足軽を横薙よこなぎにぐ。
 動揺していた足軽たちは、その槍を避けられない。

「うがっ」

「ぎえっ」

「ひえっ」

 これで形勢は逆転した。
 よくよく考えれば、若武者は一騎しかいない。
 全員で囲めば倒せるかもしれないが、何分、指揮すべき侍大将を最初に失ってしまった。
 そこを、三人一挙に斬られてしまっては、足軽の群れは、及び腰になり、そのうち、後方から「おい、早く来い!」という怒号が聞こえ、それをしおに、群れは散り散りに消えた。

「……おふくろさま!」

 若武者は、またやはり風のようにねねの前にやって来て、ひらりと馬から下りた。
 ねねはその所作を見て、満足そうにうなずいた。

「市松、足労でした」

「市松はやめて下され。それは幼名じゃ。おれは元服してござる」

「そうでしたね、正則」

「えっ、市松? あのが足りないといって、いつもぴいぴい泣いていた、市松?」

「それは忘れて下されや、まつどの」

 若武者は頭をいた。
 彼の名は福島正則。
 幼名、市松。
 幼き頃、親類である秀吉(秀吉の母と正則の母は姉妹)に引き取られ、その子飼いとして成長し、のちに「賤ヶ岳の七本槍」として名を馳せ、そして世に冠絶する剛勇無双の武将となる男である。



 たしかに長浜城は攻められてはいたが、それでも阿閉貞征の攻めのやり方は甘かった。
 たとえば今、ねねとまつのいた地点は、城を一望にできる、城攻めの指揮を執るには絶好の地点であるが、そこを抑えておらず、阿閉軍は、ただただその物量をもって押し寄せるというやり方で攻めていた。
 城下の防衛を担っていた福島正則は、そこを抑えられたら終わりだと考えていた。

「そうしたら、謎のよそ者二騎がおる、という話じゃ」

 物見からそれを聞いた正則は、一も二もなく単騎で飛び出し、襲われているねねとまつに遭遇したというわけだ。

「いやもうおふくろさまとまつどのが囲まれているところを見て、肝を冷やしましたぞ」

 幼き日に秀吉に引き取られた時から、正則はねねのことを「おふくろさま」と呼び敬服していた。そして、ねねの親友であるまつにも敬服していた。
 だが正則は、これから発するねねの言葉に、さらに肝を冷やすことになる。

「市松」

「はあ……もう市松でようござるが、何でござるか、おふくろさま」

「城。捨てましょう」

「はあ!?」

 また始まったと、まつは頭が痛くなった。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

前夜 ~敵は本能寺にあり~

四谷軒
歴史・時代
【あらすじ】 織田信忠は、本能寺の変の前夜、父・信長を訪れていた。そして信長から、織田家の――信忠の今後と、明智光秀の今後についての考えを聞く。それを知った光秀は……。 【表紙画像・挿絵画像】 「きまぐれアフター」様より

待庵(たいあん)

四谷軒
歴史・時代
【あらすじ】 千宗易(後の利休)は、山崎の戦いに臨む羽柴秀吉から、二畳の茶室を作るよう命じられる。この時代、茶室は三畳半ぐらいが常識だった。それよりも狭い茶室を作れと言われ、宗易はいろいろと考える。そして、秀吉の弟・羽柴秀長や、秀吉の正室・ねねに会い、語り、宗易はやがて茶室について「作ったる」と明言する。言葉どおり完成した茶室で、宗易は茶を点て、客を待つ。やって来た客は……。 【表紙画像】 「ぐったりにゃんこのホームページ」様より

実はこれ実話なんですよ

tomoharu
恋愛
え?こんな話絶対ありえない!作り話でしょと思うような話からあるある話まで幅広い範囲で物語を考えました!ぜひ読んでみてください!1年後には大ヒット間違いなし!! 作品情報【マーライオン】【愛学両道】【やりすぎ智伝説&夢物語】【トモレオ突破椿】など ・【やりすぎ智久伝説&夢物語】とは、その話はさすがに言いすぎでしょと言われているほぼ実話ストーリーです。 小さい頃から今まで主人公である【智久】はどのような体験をしたのかがわかります。ぜひよんでくださいね! ・【トモレオ突破椿】は、公務員試験合格なおかつ様々な問題を解決させる話です。 頭の悪かった人でも公務員になれることを証明させる話でもあるので、ぜひ読んでみてください! 特別記念として実話を元に作った【呪われし◯◯シリーズ】も公開します!

織田家の人々 ~太陽と月~

四谷軒
歴史・時代
【あらすじ】 (第一章 太陽の音を忘れない ~神戸信孝一代記~) 神戸信孝は織田信長の三男として知られる。彼は、庶子でありながら、嫡出である信忠・信雄についだ格付けを得るまでにのし上がっていた。 その最たるものが四国征伐であり、信孝はその将として、今、まさに四国への渡海を目前としており、その成功は約束されていた――本能寺の変が、起こるまでは。 (第二章 月を飛ぶ蝶のように ~有楽~) 織田有楽、あるいは織田有楽斎として知られる人物は、織田信長の弟として生まれた。信行という兄の死を知り、信忠という甥と死に別れ、そして淀君という姪の最期を……晩年に京にしつらえた茶室、如庵にて有楽は何を想い、感じるのか。それはさながら月を飛ぶ蝶のような、己の生涯か。 【表紙画像】 歌川国芳, Public domain, ウィキメディア・コモンズ経由で

剣客逓信 ―明治剣戟郵便録―

三條すずしろ
歴史・時代
【第9回歴史・時代小説大賞:痛快! エンタメ剣客賞受賞】 明治6年、警察より早くピストルを装備したのは郵便配達員だった――。 維新の動乱で届くことのなかった手紙や小包。そんな残された思いを配達する「御留郵便御用」の若者と老剣士が、時に不穏な明治の初めをひた走る。 密書や金品を狙う賊を退け大切なものを届ける特命郵便配達人、通称「剣客逓信(けんかくていしん)」。 武装する必要があるほど危険にさらされた初期の郵便時代、二人はやがてさらに大きな動乱に巻き込まれ――。 ※エブリスタでも連載中

加藤虎之助(後の清正、15歳)、姉さん女房をもらいました!

野松 彦秋
歴史・時代
加藤虎之助15歳、山崎シノ17歳 一族の出世頭、又従弟秀吉に翻弄(祝福?)されながら、 二人は夫婦としてやっていけるのか、身分が違う二人が真の夫婦になるまでの物語。 若い虎之助とシノの新婚生活を温かく包む羽柴家の人々。しかし身分違いの二人の祝言が、織田信長の耳に入り、まさかの展開に。少年加藤虎之助が加藤清正になるまでのモノカタリである。

少年忍者たちと美しき姫の物語

北条丈太郎
歴史・時代
姫を誘拐することに失敗した少年忍者たちの冒険

日日晴朗 ―異性装娘お助け日記―

優木悠
歴史・時代
―男装の助け人、江戸を駈ける!― 栗栖小源太が女であることを隠し、兄の消息を追って江戸に出てきたのは慶安二年の暮れのこと。 それから三カ月、助っ人稼業で糊口をしのぎながら兄をさがす小源太であったが、やがて由井正雪一党の陰謀に巻き込まれてゆく。 月の後半のみ、毎日10時頃更新しています。

処理中です...