STRIKE BACK ! ~ 中国大返し、あるいは、この国を動かした十日間を、ねね(北政所)と共に~

四谷軒

文字の大きさ
上 下
8 / 39
序の章 裏切られた明智光秀 ──本能寺の変──

08 安土へ

しおりを挟む
「……まったくもう、どうなることかと思いましたよ」

 馬上、まつがむくれながら愚痴を言う。
 一方のねねは、馬上、無表情に「相すみません」と返した。
 まるでちっともすまないと思っていないという感じである。

「……は?」

 まつは怒った。
 ちなみに今は、瀬田城の山岡景隆に馬を提供してもらって、ねねもまつも、安土へ向かって騎行している最中である。
 ねねもまつも、武将の妻であるため、馬に乗ることは易いことである。

「大体、山岡どのがああいうお人柄だったから良かったものの、もっと、陰険奸譎いんけんかんけつな悪党だったら、どうされるおつもりですか?」

「いや、ああいうお人柄だったから、良かったと思う」

「……はあ?」

 話にならない。
 まつは歎息した。
 あれから。
 山岡景隆は、(まつがもう一度駄目押しして)瀬田の唐橋を焼くことを確約してくれた。
 そして二人は、そのまま「安土へ急を知らせる」ことを頼まれ、こうして駿馬二頭と共に、安土へ向かっている。
 そしてまつは虎口を脱したことを喜んでいたが、だんだんと、ねねの行き当たりばったりというか適当なやり方に腹が立ってきたというわけだ。

「そも、。十日って何ですか? どこをどうやったら、秀吉どのが中国からわずか十日で京畿に返してくるになるの?」

「いやそれは適当で」

「適当?」

 ねねにしてみれば、山岡景隆がある程度びっくりして、それでいてわかりやすくて、ひょっとすると冗談と捉えられる感じで、たかった。
 そう思うと、自然に両の手のひらを広げて、「十日」と口が開いたという。

「……そんなんで、よく山岡どのも決心されましたねぇ」

「……山岡どのも、本音は橋を焼きたかったからじゃ」

「え?」

 まつの驚きの表情に、ねねは手綱を繰りながら説明した。
 山岡景隆は、本能寺の変について、ほぼ正確な情報を得ていた(と思われる)。京の北玄関を預かる身だ、そして自分が忠節を尽くす織田信長のため、どうすれば明智光秀に一矢報いることができるかも知っていた。
 橋を焼くことだ。
 だが、それをやると、光秀とあからさまに敵対することになる。
 景隆は武士だ。
 忠節を尽くすのも仕事だが、家臣たちを食わせるのも仕事だ。
 そこへ、ねねたちがやって来たという訳である。

「……羽柴秀吉の妻女が、あそこまで言えば、十日で間に合わなくとも、何とかしてくれるだろう、そう山岡どのはを弾いたのじゃ」

 最悪、ねねに騙されたと言い張れば、光秀に申し開きができる。
 景隆は、そう踏んだのだ。
 だから、光秀の使者が城内にいる状況で、あそこまでねねとまつの相手をしてくれたのであろう。

「……人間、本音は存外、最初から決まっていて、そうと後押しして欲しかったりする。人間は、そういう生き物」

 ねねはそう言ってから、口を閉じた。
 そういえば秀吉がそう言っていたことを思い出したからである。
 何だかんだで、似た者夫婦か。
 そう、まつに言われるのが恥ずかしかったからだ。

「それはさておき、安土へ」

 いみじくもまつが今そう言ったとおりだ。
 ねねは、まつがちがう話を持ち出したことにほっとしながらも、瀬田城を去るときのことを思い出した。

「一刻も、はよう」

 安土へ至らねばならない。
 山岡景隆は、そうまくし立てて、半ば強引に、ねねとまつを馬に乗せた。
 あとで思えば、明智の使者の介入の暇をあたえまい、という意思の表れだったのやもしれぬ。
 ともあれ、安土に向かわなければならないのは事実だし、いつまでも瀬田城にいては景隆に迷惑がかかろう。
 水の入った竹筒と、急ごしらえの握り飯をいくつか入れた筍の皮の包みを受け取り、ねねとまつは馬に鞭をくれた。

「…………」

 今はただ、安土へ。
 一心にそう思おうとするねねであったが、何故か、ある疑念が頭に取りついて離れない。

 明智光秀は、何故、叛したのか。
 そして叛した今、どうするつもりなのか。

 ……それについて考えれば。
 答えを得られれば。

「もしかしたら、秀吉が、光秀に勝てるかもしれない」

「……え? ねね、何か言った?」

「……いえ」

 今はまだ言えない。
 その答えがはっきりとしないからだ。
 ただ、田んぼの中の蛭のように。
 川を泳ぐ鰻のように。
 何か、蠢くものは感じる。

「……急ごう」

 安土へも。
 答えへも。
 それが、ねねとまつの勝利への道だ。



「……何や、瀬田の唐橋を焼かれた? ホンマか!」

 京。
 光秀は、早くもこの町の事実上の支配者として、全国各地から来たご機嫌うかがいの使者と引見していた。
 何名かの大大名の家臣との歓談をこなし、そしてようやく一息つくか、というところでこれである。
 その時会っていた使者の目から見てもわかるくらい、光秀はとなった。

「誰じゃ、瀬田の山岡景隆は、弟、景猶かげなおが明智光秀の寄騎よりきやから大丈夫や言うた奴は? 出て来んかい!」

 そこまで言ってから、ようやく使者と対面していることに気がついた光秀だが、別段、悪びれる様子もなく、「いやいや、瀬田の唐橋は元々焼こうと思とったんや。あそこは源平の昔から、いくさの場所やねん」とうそぶいた。
 実際、源平合戦において、木曽義仲の臣、今井兼平が瀬田の橋の橋板を外し、源範頼の攻勢から守ったことがある。
 使者はさようですなと如才なく相槌を打ち、そして去って行った。

「……よろしいのですか」

 瀬田の橋、炎上の報を伝えた斎藤利三が冷めた表情でうかがうと、

「よろしいもよろしくないもない。聞かれたもんは、しゃあないねん」

 光秀は行儀悪く足を伸ばして中空に上げて、そのまま拍手ならぬ拍足をした。

「しゃあけど、瀬田の橋を焼かれたんは痛いな……利三、浮橋で良えええ、二、三日で架けられるか?」

「……御意」

 利三も、光秀の思うところはわかる。 
 織田信長の居城、安土城。
 これを陥としてこそ、明智は織田を下剋上したと、満天下に訴えることができる。
 また、信長の妻妾は置いておいて、少なくとも、城内にしまわれているという、金銀財宝は魅力だ。

「……兵らに恩賞を、目に見えるかたちで取らせるんや」

 光秀は、足の指を曲げたり伸ばしたりしながら、その時ふと、気づいたことを聞いた。

「そういや、山岡景隆の瀬田城、ここに羽柴ンとこの妻女がったってホンマか?」

 利三も、その未確認情報には接している。
 何分なにぶん、山岡景隆がうまいこと明智の使者とねねを会わせないようにしていたため、それはあくまでも未確認情報である。

「……ま、ええわ。どちらにせよ、長浜はつもりやからな」

 この時、光秀がもっとも警戒していた相手は、実は柴田勝家である。
 この、重代の織田家の家臣が、しかも猛将として知られる家臣が、戦略も戦術もなく、算を乱して、単純に南下してくることを警戒していた。

「……あの猪が、越後の上杉ぃと和して、そいで回って来てみい。上杉が襲いかかる間もなく、明智こっちがやられる」

 そこで光秀としては、安土を陥としたあと、そのまま余勢をかって長浜へおもむき、焼き討ちにする所存である。

権六勝家の奴ぁ、長浜や、あわよくば安土で兵糧やら金銭やら手に入れておきたいやろがぁ、そのを外させてもらうわぁ」

 光秀は愉快そうにまた、拍足をした。
 そこを見計らったように、利三は懐中から、一通の書状を取り出した。

「殿、以前頼まれていたふみの返事がきました」

「……見よう」

 光秀は一瞬にして座り直し、利三の出した書状を押しいただいた。
 そしておもむろにその書状を開き、しばらく黙って読んでいたが、不意に顔を上げた。
 得意満面。
 そんな顔だった。

。利三ゥ、お前の妹聟いもうとむこのう」

「……恐縮に存じます」

 光秀は老人らしくない、機敏な動作で立ち上がり、早速に内裏に参上すると告げた。

「これで、これで。潰してやった。新しい征夷大将軍は、斯波なんぞではない、最初はなから、

 呵々大笑する光秀は、これこそわが世の絶頂だとばかりに、跳ねて、飛び上がった。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

前夜 ~敵は本能寺にあり~

四谷軒
歴史・時代
【あらすじ】 織田信忠は、本能寺の変の前夜、父・信長を訪れていた。そして信長から、織田家の――信忠の今後と、明智光秀の今後についての考えを聞く。それを知った光秀は……。 【表紙画像・挿絵画像】 「きまぐれアフター」様より

待庵(たいあん)

四谷軒
歴史・時代
【あらすじ】 千宗易(後の利休)は、山崎の戦いに臨む羽柴秀吉から、二畳の茶室を作るよう命じられる。この時代、茶室は三畳半ぐらいが常識だった。それよりも狭い茶室を作れと言われ、宗易はいろいろと考える。そして、秀吉の弟・羽柴秀長や、秀吉の正室・ねねに会い、語り、宗易はやがて茶室について「作ったる」と明言する。言葉どおり完成した茶室で、宗易は茶を点て、客を待つ。やって来た客は……。 【表紙画像】 「ぐったりにゃんこのホームページ」様より

実はこれ実話なんですよ

tomoharu
恋愛
え?こんな話絶対ありえない!作り話でしょと思うような話からあるある話まで幅広い範囲で物語を考えました!ぜひ読んでみてください!1年後には大ヒット間違いなし!! 作品情報【マーライオン】【愛学両道】【やりすぎ智伝説&夢物語】【トモレオ突破椿】など ・【やりすぎ智久伝説&夢物語】とは、その話はさすがに言いすぎでしょと言われているほぼ実話ストーリーです。 小さい頃から今まで主人公である【智久】はどのような体験をしたのかがわかります。ぜひよんでくださいね! ・【トモレオ突破椿】は、公務員試験合格なおかつ様々な問題を解決させる話です。 頭の悪かった人でも公務員になれることを証明させる話でもあるので、ぜひ読んでみてください! 特別記念として実話を元に作った【呪われし◯◯シリーズ】も公開します!

織田家の人々 ~太陽と月~

四谷軒
歴史・時代
【あらすじ】 (第一章 太陽の音を忘れない ~神戸信孝一代記~) 神戸信孝は織田信長の三男として知られる。彼は、庶子でありながら、嫡出である信忠・信雄についだ格付けを得るまでにのし上がっていた。 その最たるものが四国征伐であり、信孝はその将として、今、まさに四国への渡海を目前としており、その成功は約束されていた――本能寺の変が、起こるまでは。 (第二章 月を飛ぶ蝶のように ~有楽~) 織田有楽、あるいは織田有楽斎として知られる人物は、織田信長の弟として生まれた。信行という兄の死を知り、信忠という甥と死に別れ、そして淀君という姪の最期を……晩年に京にしつらえた茶室、如庵にて有楽は何を想い、感じるのか。それはさながら月を飛ぶ蝶のような、己の生涯か。 【表紙画像】 歌川国芳, Public domain, ウィキメディア・コモンズ経由で

剣客逓信 ―明治剣戟郵便録―

三條すずしろ
歴史・時代
【第9回歴史・時代小説大賞:痛快! エンタメ剣客賞受賞】 明治6年、警察より早くピストルを装備したのは郵便配達員だった――。 維新の動乱で届くことのなかった手紙や小包。そんな残された思いを配達する「御留郵便御用」の若者と老剣士が、時に不穏な明治の初めをひた走る。 密書や金品を狙う賊を退け大切なものを届ける特命郵便配達人、通称「剣客逓信(けんかくていしん)」。 武装する必要があるほど危険にさらされた初期の郵便時代、二人はやがてさらに大きな動乱に巻き込まれ――。 ※エブリスタでも連載中

加藤虎之助(後の清正、15歳)、姉さん女房をもらいました!

野松 彦秋
歴史・時代
加藤虎之助15歳、山崎シノ17歳 一族の出世頭、又従弟秀吉に翻弄(祝福?)されながら、 二人は夫婦としてやっていけるのか、身分が違う二人が真の夫婦になるまでの物語。 若い虎之助とシノの新婚生活を温かく包む羽柴家の人々。しかし身分違いの二人の祝言が、織田信長の耳に入り、まさかの展開に。少年加藤虎之助が加藤清正になるまでのモノカタリである。

少年忍者たちと美しき姫の物語

北条丈太郎
歴史・時代
姫を誘拐することに失敗した少年忍者たちの冒険

日日晴朗 ―異性装娘お助け日記―

優木悠
歴史・時代
―男装の助け人、江戸を駈ける!― 栗栖小源太が女であることを隠し、兄の消息を追って江戸に出てきたのは慶安二年の暮れのこと。 それから三カ月、助っ人稼業で糊口をしのぎながら兄をさがす小源太であったが、やがて由井正雪一党の陰謀に巻き込まれてゆく。 月の後半のみ、毎日10時頃更新しています。

処理中です...