7 / 39
序の章 裏切られた明智光秀 ──本能寺の変──
07 瀬田城
しおりを挟む
瀬田城城主、山岡景隆は、元々は南近江の国人である。
そのため、南近江を支配していた六角氏に所属していたが、そこへ織田信長が足利義昭を擁して軍勢を率いて近江に入って来た。
六角氏は当然、信長に抵抗し、景隆もまた、抵抗した。
信長は六角氏を撃破し、上洛それ自体は成功したものの、景隆はなおも信長に対して刃向かう意思を示した。
ちなみにこのとき、義昭の喜びようは尋常でなく、信長にさまざまな褒美を与えようとした。
「副将軍の地位に、(足利家の家紋である)桐紋に二つ引二両を差し上げよう。ああ、あと御父(義昭は信長をこう呼んでいた)は、尾張のものであったな。では、尾張守護・斯波家の家督を……」
だが信長は、それらの多くを辞退した。
代わりに、堺、草津、大津の直轄の許可を求めた。経済優先の信長らしい申し出である。
ただ、それだけでは義昭の体裁が悪いと判じたのか、自身は桐紋と二つ引紋を使うことし、斯波家の家督は嫡男・信忠に譲った。
「さて、これで草津と大津は織田家のものとなった……が、その近くにおいて、つまり南近江において、まだ、この信長に、従わぬ奴がいる」
信長は、直轄となった草津、大津のある南近江において、未だに己に服属しない山岡景隆に、兵を差し向けて、景隆を撃破した。
そして大和に逃げたものの、その大和は、織田家寄りの松永久秀の支配である。
進退窮まった景隆は降伏した。
「ここまで抗ったということは、骨がある。気に入った」
信長は、こういう男が好きである。
わりとあっさりと許し、元の南近江に戻し、どころか、最重要地点である京の北の玄関、瀬田を任せるようになった。
*
「さような男を説得して、しかも信長さまから任されたという、瀬田の唐橋を焼かせる!?」
まつは目を剥いた。
ねねの「橋を焼く」という案には一理ある。
それで明智光秀の軍勢が近江に渡るのを止められるというのなら、それは途方もない大金星だ。
だが。
「わたしたちはまだいい。本能寺にいた。されど、山岡どのは本能寺にいたわけではあるまい? だというのに、明智の謀叛を信じさせられるか?」
ねねは黙して語らない。
山岡家の番兵に従って、ただ足を動かして歩いている。
しかし、まつの言葉に説得力があることは感じていた。
光秀は早速に京を支配下に置き、箝口令を布いた。
そもそも、光秀の上洛にしてからが、森蘭丸が使いとして「信長さまの閲兵を受けよ」という命じたからだ、というのがもっぱらの京雀のうわさだ。
光秀はこれに利して、「信長、京にあり」と信じ込ませておいて、各所、とくに近江を攻めるつもりであろう。
「まつ、静かに」
ねねは目線は動かさずに口だけで言う。
「……そこまで分かっているのなら、明智方がもう、この山岡どのに使いを差し向けていても、おかしくはない」
まつは口をつぐんだ。
たしかに、あの手回しのいい光秀のことだ。
この、京の北の玄関を扼す山岡景隆の元へ使者を回していることだろう。
とっくのとうに。
*
「いやあ、まさかこんなところで羽柴どのの奥方と、前田どのの奥方と出会うとは、奇遇でござるな」
山岡景隆は如才なく言い放った。
相好を崩しているが、目が笑っていない。
となると、ねねの読み通り。
すでに明智の使いをこの瀬田城内に入れており、その耳に入ることも計算に入れてしゃべっているのだろう。
「山岡どのにおかれましては、ご機嫌麗しゅう」
ねねは、くそ度胸ともいうべき胆力で、涼しい表情で山岡景隆に一礼して見せた。
こうなるとまつも、やはり豪胆さを発揮して、ねねにつづいて見事な一礼を見せた。
「こたび、山岡どのにお会いしたいは、ほかでもございません」
景隆が何か言おうとする前の先制攻撃。
さすがに、あの羽柴秀吉の妻女だと、まつは舌を巻いた。
「山岡どの、瀬田の唐橋を焼いて下され」
……やっぱり駄目かと、まつはその場に突っ伏した。
*
「瀬田の唐橋を焼く?」
言い間違いではないか。
山岡景隆のその反問は、暗にそう言っているように思われた。
あるいは、この場にいるかもしれない、明智光秀の使いにも、聞こえるように言っているのかもしれない。
まつは煩悶する。
たとえ、景隆が光秀の謀叛を信じたとしよう。
それでも、瀬田の唐橋を焼くなどという選択肢は有り得ない。
それをやったが最後、京近江丹波丹後を支配下に置く光秀との敵対を意味するからだ。
たとえ信長の仇を討つにしても、今は面従腹背、光秀に唯々諾々と従うほかあるまい。
「山岡どのはもうお聞き及びかもしれませんが、信長さまと帰蝶さまが本能寺にて泊していたところを、明智がこれを襲撃、焼き討ちにされました」
言った。
まつはがばと顔を上げた。
ことここに至ったら、仕方ない。
たとえ山岡景隆がどう対応しようと。
この、一大事件のことだけは伝えてやる。
それでも駄目なら、この場でねねと刺し違えよう。
不退転の決意でまつも、然り然りとうなずいた。
「なんと」
景隆は驚いた表情をしたが、それは用意されたような表情である。
仮にも京の北玄関を預かる身、耳目はそれなりに張っているようである。
「……して、何ゆえに、ねねさまは拙者に瀬田の唐橋を焼けとおっしゃるのか」
景隆の探るような目。
それを受け、ねねはすっと目をつぶった。
実は、何も考えていない。
ただ、明智の大軍を近江に行けなくしてやれ、という思いだけだ。
それぐらいは、童子にでも思いつく理屈である。
でも、それをやると、景隆は明智と全面対決である。
明智はまず、全力で景隆を潰すであろう。
しかも、景隆の側には、それに対抗する術がない。
逃げることはできるだろうが……。
「あ」
ねねの目が開いた。
その所作から、今、何かを思いついたなとまつは察した。
「山岡どの、山岡どのは、元は近江の六角の臣だと聞きますが」
「さようですが」
ぐいと迫るねねに、若干、引き気味に景隆はのけぞる。
「……そしたら、橋を焼いたら城を捨てて、近江のどこかに隠れたらどうですか?」
「……はあ?」
この女、何を言っている。
景隆は今や、遠慮なくそんな顔をしていた。
武士に向かって、しかも、忠誠を尽くす信長から拝領した城を捨てろだの、正気の沙汰ではない。
「正気です」
ねねがまた、ずいっと迫る。
ねねは美人なのだが、目力が強く、景隆からすると、ちょっと怖いぐらいの迫力である。
「……そも、橋を焼いたところで、二、三日あれば明智は近江に渡るでしょう。するとどうなります?」
「ど、どうって……」
「あ」
これはまつの台詞である。
明智はまず、安土城を襲うだろう。
信長の側室たちのいる、安土城を。
信長の財宝のある、安土城を。
「……それでも、山岡どのが橋を焼いたら、少なくとも側室たちはお逃げいただくことができましょうな。欲を言えば、財宝も」
「むむ……」
何しろ安土城の留守居役は、蒲生賢秀である、景隆と同じく、六角家の家臣であった、賢秀が。
賢秀なら、「橋を焼いて稼いだ時間」を無駄なく使い、安土城から女たちを退避させられるであろう。
それは同じ六角家の家臣であった、山岡景隆にも、よくわかる。
「さらに」
ねねは止まらない。
いつの間にか景隆が出した近江の地図の一点を指した。
「わが長浜城もまた、反明智に立ちます。これなら、明智の目は安土だけでなく長浜も。その間、山岡どのはお逃げなされ。何、そんな長い日にちはいりません。秀吉が兵を率いて戻るまで、十日あれば、充分」
ねねの差し出した、両の手のひら。
立てられたそれは、指を全て伸ばし、「十」を示していた。
「十日とな」
これには景隆も度肝を抜いた。
今、秀吉は中国征伐の最中である。
具体的には、備中高松に滞陣中だ。
それが、十日。
しかも、秀吉単騎で戻るのではなく、この場合、明智に有効に敵対しうる軍勢を引き連れて、十日。
「……夢物語じゃ」
たしかにねねは長谷川宗仁を介して、秀吉に書状を出したが、肝心の秀吉が「返してくる」のに、十日だけではありえないだろう。
まつはそう思ったが、言わなかった。
ねねと景隆が、あたかも兵法者のごとく、相対し、文字通り目から火花を散らさんばかりににらみ合っていたからである。
「……ふ」
だが、景隆が先に顔をほころばせ、にらみ合いは終いになった。
ねねもまた、ふうと息を抜いたが、景隆はさらに笑い出し、ついには哄笑した。
「わっはっはっは……面白い、面白い。この景隆、久々に笑った、笑った」
景隆は京にほど近い近江を在とするところから、諧謔にも理解があった。
ましてや武士である。
大敵を目の前にしての大言壮語は、むしろ客気があると愛する傾向にある。
「うけたまわった」
それはあまりにもぼそりとした言葉で、面と向かっていたねねにも、しわぶきか何かだと思うくらい、自然にこぼれ落ちたような台詞だった。
「……え?」
「うむ。面白いから、この山岡景隆、瀬田の唐橋、焼き落として進ぜよう……たしか、十日待てば、羽柴どのは兵を率いて京畿まで駆けつけてくれるのでござるな?」
ねねは無言でうなずいた。
そのため、南近江を支配していた六角氏に所属していたが、そこへ織田信長が足利義昭を擁して軍勢を率いて近江に入って来た。
六角氏は当然、信長に抵抗し、景隆もまた、抵抗した。
信長は六角氏を撃破し、上洛それ自体は成功したものの、景隆はなおも信長に対して刃向かう意思を示した。
ちなみにこのとき、義昭の喜びようは尋常でなく、信長にさまざまな褒美を与えようとした。
「副将軍の地位に、(足利家の家紋である)桐紋に二つ引二両を差し上げよう。ああ、あと御父(義昭は信長をこう呼んでいた)は、尾張のものであったな。では、尾張守護・斯波家の家督を……」
だが信長は、それらの多くを辞退した。
代わりに、堺、草津、大津の直轄の許可を求めた。経済優先の信長らしい申し出である。
ただ、それだけでは義昭の体裁が悪いと判じたのか、自身は桐紋と二つ引紋を使うことし、斯波家の家督は嫡男・信忠に譲った。
「さて、これで草津と大津は織田家のものとなった……が、その近くにおいて、つまり南近江において、まだ、この信長に、従わぬ奴がいる」
信長は、直轄となった草津、大津のある南近江において、未だに己に服属しない山岡景隆に、兵を差し向けて、景隆を撃破した。
そして大和に逃げたものの、その大和は、織田家寄りの松永久秀の支配である。
進退窮まった景隆は降伏した。
「ここまで抗ったということは、骨がある。気に入った」
信長は、こういう男が好きである。
わりとあっさりと許し、元の南近江に戻し、どころか、最重要地点である京の北の玄関、瀬田を任せるようになった。
*
「さような男を説得して、しかも信長さまから任されたという、瀬田の唐橋を焼かせる!?」
まつは目を剥いた。
ねねの「橋を焼く」という案には一理ある。
それで明智光秀の軍勢が近江に渡るのを止められるというのなら、それは途方もない大金星だ。
だが。
「わたしたちはまだいい。本能寺にいた。されど、山岡どのは本能寺にいたわけではあるまい? だというのに、明智の謀叛を信じさせられるか?」
ねねは黙して語らない。
山岡家の番兵に従って、ただ足を動かして歩いている。
しかし、まつの言葉に説得力があることは感じていた。
光秀は早速に京を支配下に置き、箝口令を布いた。
そもそも、光秀の上洛にしてからが、森蘭丸が使いとして「信長さまの閲兵を受けよ」という命じたからだ、というのがもっぱらの京雀のうわさだ。
光秀はこれに利して、「信長、京にあり」と信じ込ませておいて、各所、とくに近江を攻めるつもりであろう。
「まつ、静かに」
ねねは目線は動かさずに口だけで言う。
「……そこまで分かっているのなら、明智方がもう、この山岡どのに使いを差し向けていても、おかしくはない」
まつは口をつぐんだ。
たしかに、あの手回しのいい光秀のことだ。
この、京の北の玄関を扼す山岡景隆の元へ使者を回していることだろう。
とっくのとうに。
*
「いやあ、まさかこんなところで羽柴どのの奥方と、前田どのの奥方と出会うとは、奇遇でござるな」
山岡景隆は如才なく言い放った。
相好を崩しているが、目が笑っていない。
となると、ねねの読み通り。
すでに明智の使いをこの瀬田城内に入れており、その耳に入ることも計算に入れてしゃべっているのだろう。
「山岡どのにおかれましては、ご機嫌麗しゅう」
ねねは、くそ度胸ともいうべき胆力で、涼しい表情で山岡景隆に一礼して見せた。
こうなるとまつも、やはり豪胆さを発揮して、ねねにつづいて見事な一礼を見せた。
「こたび、山岡どのにお会いしたいは、ほかでもございません」
景隆が何か言おうとする前の先制攻撃。
さすがに、あの羽柴秀吉の妻女だと、まつは舌を巻いた。
「山岡どの、瀬田の唐橋を焼いて下され」
……やっぱり駄目かと、まつはその場に突っ伏した。
*
「瀬田の唐橋を焼く?」
言い間違いではないか。
山岡景隆のその反問は、暗にそう言っているように思われた。
あるいは、この場にいるかもしれない、明智光秀の使いにも、聞こえるように言っているのかもしれない。
まつは煩悶する。
たとえ、景隆が光秀の謀叛を信じたとしよう。
それでも、瀬田の唐橋を焼くなどという選択肢は有り得ない。
それをやったが最後、京近江丹波丹後を支配下に置く光秀との敵対を意味するからだ。
たとえ信長の仇を討つにしても、今は面従腹背、光秀に唯々諾々と従うほかあるまい。
「山岡どのはもうお聞き及びかもしれませんが、信長さまと帰蝶さまが本能寺にて泊していたところを、明智がこれを襲撃、焼き討ちにされました」
言った。
まつはがばと顔を上げた。
ことここに至ったら、仕方ない。
たとえ山岡景隆がどう対応しようと。
この、一大事件のことだけは伝えてやる。
それでも駄目なら、この場でねねと刺し違えよう。
不退転の決意でまつも、然り然りとうなずいた。
「なんと」
景隆は驚いた表情をしたが、それは用意されたような表情である。
仮にも京の北玄関を預かる身、耳目はそれなりに張っているようである。
「……して、何ゆえに、ねねさまは拙者に瀬田の唐橋を焼けとおっしゃるのか」
景隆の探るような目。
それを受け、ねねはすっと目をつぶった。
実は、何も考えていない。
ただ、明智の大軍を近江に行けなくしてやれ、という思いだけだ。
それぐらいは、童子にでも思いつく理屈である。
でも、それをやると、景隆は明智と全面対決である。
明智はまず、全力で景隆を潰すであろう。
しかも、景隆の側には、それに対抗する術がない。
逃げることはできるだろうが……。
「あ」
ねねの目が開いた。
その所作から、今、何かを思いついたなとまつは察した。
「山岡どの、山岡どのは、元は近江の六角の臣だと聞きますが」
「さようですが」
ぐいと迫るねねに、若干、引き気味に景隆はのけぞる。
「……そしたら、橋を焼いたら城を捨てて、近江のどこかに隠れたらどうですか?」
「……はあ?」
この女、何を言っている。
景隆は今や、遠慮なくそんな顔をしていた。
武士に向かって、しかも、忠誠を尽くす信長から拝領した城を捨てろだの、正気の沙汰ではない。
「正気です」
ねねがまた、ずいっと迫る。
ねねは美人なのだが、目力が強く、景隆からすると、ちょっと怖いぐらいの迫力である。
「……そも、橋を焼いたところで、二、三日あれば明智は近江に渡るでしょう。するとどうなります?」
「ど、どうって……」
「あ」
これはまつの台詞である。
明智はまず、安土城を襲うだろう。
信長の側室たちのいる、安土城を。
信長の財宝のある、安土城を。
「……それでも、山岡どのが橋を焼いたら、少なくとも側室たちはお逃げいただくことができましょうな。欲を言えば、財宝も」
「むむ……」
何しろ安土城の留守居役は、蒲生賢秀である、景隆と同じく、六角家の家臣であった、賢秀が。
賢秀なら、「橋を焼いて稼いだ時間」を無駄なく使い、安土城から女たちを退避させられるであろう。
それは同じ六角家の家臣であった、山岡景隆にも、よくわかる。
「さらに」
ねねは止まらない。
いつの間にか景隆が出した近江の地図の一点を指した。
「わが長浜城もまた、反明智に立ちます。これなら、明智の目は安土だけでなく長浜も。その間、山岡どのはお逃げなされ。何、そんな長い日にちはいりません。秀吉が兵を率いて戻るまで、十日あれば、充分」
ねねの差し出した、両の手のひら。
立てられたそれは、指を全て伸ばし、「十」を示していた。
「十日とな」
これには景隆も度肝を抜いた。
今、秀吉は中国征伐の最中である。
具体的には、備中高松に滞陣中だ。
それが、十日。
しかも、秀吉単騎で戻るのではなく、この場合、明智に有効に敵対しうる軍勢を引き連れて、十日。
「……夢物語じゃ」
たしかにねねは長谷川宗仁を介して、秀吉に書状を出したが、肝心の秀吉が「返してくる」のに、十日だけではありえないだろう。
まつはそう思ったが、言わなかった。
ねねと景隆が、あたかも兵法者のごとく、相対し、文字通り目から火花を散らさんばかりににらみ合っていたからである。
「……ふ」
だが、景隆が先に顔をほころばせ、にらみ合いは終いになった。
ねねもまた、ふうと息を抜いたが、景隆はさらに笑い出し、ついには哄笑した。
「わっはっはっは……面白い、面白い。この景隆、久々に笑った、笑った」
景隆は京にほど近い近江を在とするところから、諧謔にも理解があった。
ましてや武士である。
大敵を目の前にしての大言壮語は、むしろ客気があると愛する傾向にある。
「うけたまわった」
それはあまりにもぼそりとした言葉で、面と向かっていたねねにも、しわぶきか何かだと思うくらい、自然にこぼれ落ちたような台詞だった。
「……え?」
「うむ。面白いから、この山岡景隆、瀬田の唐橋、焼き落として進ぜよう……たしか、十日待てば、羽柴どのは兵を率いて京畿まで駆けつけてくれるのでござるな?」
ねねは無言でうなずいた。
0
お気に入りに追加
10
あなたにおすすめの小説
待庵(たいあん)
四谷軒
歴史・時代
【あらすじ】
千宗易(後の利休)は、山崎の戦いに臨む羽柴秀吉から、二畳の茶室を作るよう命じられる。この時代、茶室は三畳半ぐらいが常識だった。それよりも狭い茶室を作れと言われ、宗易はいろいろと考える。そして、秀吉の弟・羽柴秀長や、秀吉の正室・ねねに会い、語り、宗易はやがて茶室について「作ったる」と明言する。言葉どおり完成した茶室で、宗易は茶を点て、客を待つ。やって来た客は……。
【表紙画像】
「ぐったりにゃんこのホームページ」様より
織田家の人々 ~太陽と月~
四谷軒
歴史・時代
【あらすじ】
(第一章 太陽の音を忘れない ~神戸信孝一代記~)
神戸信孝は織田信長の三男として知られる。彼は、庶子でありながら、嫡出である信忠・信雄についだ格付けを得るまでにのし上がっていた。
その最たるものが四国征伐であり、信孝はその将として、今、まさに四国への渡海を目前としており、その成功は約束されていた――本能寺の変が、起こるまでは。
(第二章 月を飛ぶ蝶のように ~有楽~)
織田有楽、あるいは織田有楽斎として知られる人物は、織田信長の弟として生まれた。信行という兄の死を知り、信忠という甥と死に別れ、そして淀君という姪の最期を……晩年に京にしつらえた茶室、如庵にて有楽は何を想い、感じるのか。それはさながら月を飛ぶ蝶のような、己の生涯か。
【表紙画像】
歌川国芳, Public domain, ウィキメディア・コモンズ経由で
輿乗(よじょう)の敵 ~ 新史 桶狭間 ~
四谷軒
歴史・時代
【あらすじ】
美濃の戦国大名、斎藤道三の娘・帰蝶(きちょう)は、隣国尾張の織田信長に嫁ぐことになった。信長の父・信秀、信長の傅役(もりやく)・平手政秀など、さまざまな人々と出会い、別れ……やがて信長と帰蝶は尾張の国盗りに成功する。しかし、道三は嫡男の義龍に殺され、義龍は「一色」と称して、織田の敵に回る。一方、三河の方からは、駿河の国主・今川義元が、大軍を率いて尾張へと向かって来ていた……。
【登場人物】
帰蝶(きちょう):美濃の戦国大名、斎藤道三の娘。通称、濃姫(のうひめ)。
織田信長:尾張の戦国大名。父・信秀の跡を継いで、尾張を制した。通称、三郎(さぶろう)。
斎藤道三:下剋上(げこくじょう)により美濃の国主にのし上がった男。俗名、利政。
一色義龍:道三の息子。帰蝶の兄。道三を倒して、美濃の国主になる。幕府から、名門「一色家」を名乗る許しを得る。
今川義元:駿河の戦国大名。名門「今川家」の当主であるが、国盗りによって駿河の国主となり、「海道一の弓取り」の異名を持つ。
斯波義銀(しばよしかね):尾張の国主の家系、名門「斯波家」の当主。ただし、実力はなく、形だけの国主として、信長が「臣従」している。
【参考資料】
「国盗り物語」 司馬遼太郎 新潮社
「地図と読む 現代語訳 信長公記」 太田 牛一 (著) 中川太古 (翻訳) KADOKAWA
東浦町観光協会ホームページ
Wikipedia
【表紙画像】
歌川豊宣, Public domain, ウィキメディア・コモンズ経由で
ブーヴィーヌ ~尊厳王の戦場~
四谷軒
歴史・時代
【あらすじ】
フランス王フィリップ二世は、イングランドとフランスの西半分を支配するプランタジネット朝から、フランスの西半分を獲得しようと画策していた。プランタジネット朝の王妃であるアリエノール・ダキテーヌは、かつて、フィリップの父のルイ七世の王妃だった。アリエノールの生んだリチャード獅子心王を、そしてジョン欠地王相手に謀略をめぐらし、ついにブーヴィーヌの地で決戦を挑み、フィリップは勝利と共に「尊厳王」と称せられるようになる。
【表紙画像および挿絵画像】
オラース・ヴェルネ, Public domain, ウィキメディア・コモンズ経由で
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
河越夜戦 〜相模の獅子・北条新九郎氏康は、今川・武田連合軍と関東諸侯同盟軍八万に、いかに立ち向かったのか〜
四谷軒
歴史・時代
【あらすじ】
今は昔、戦国の世の物語――
父・北条氏綱の死により、北条家の家督を継いだ北条新九郎氏康は、かつてない危機に直面していた。
領国の南、駿河・河東(駿河東部地方)では海道一の弓取り・今川義元と、甲斐の虎・武田晴信の連合軍が侵略を開始し、領国の北、武蔵・河越城は関東管領・山内上杉憲政と、扇谷上杉朝定の「両上杉」の率いる八万の関東諸侯同盟軍に包囲されていた。
関東管領の山内上杉と、扇谷上杉という関東の足利幕府の名門の「双つの杉」を倒す夢を祖父の代から受け継いだ、相模の獅子・北条新九郎氏康の奮戦がはじまる。
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
『帝国の破壊』−枢軸国の戦勝した世界−
皇徳❀twitter
歴史・時代
この世界の欧州は、支配者大ゲルマン帝国[戦勝国ナチスドイツ]が支配しており欧州は闇と包まれていた。
二人の特殊工作員[スパイ]は大ゲルマン帝国総統アドルフ・ヒトラーの暗殺を実行する。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる