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03 開戦 ~シチリアに降り出した雨~
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ハスドルバルと象サランボーの出現は、だが威力偵察だったらしく、嵐が去ったあとの捜索の成果も捗々しくなく――やがて、忘れられた。
月日はめぐり、やがてメテッルスもローマへと戻る日がやって来た。
メテッルスはアルキメデスに対する謝辞を述べ、ローマ・オスティア港へと向かう船に乗った。
その船上、メテッルスはアルキメデスとの最後の対話を思い出していた。
――「雨を降らすのは誰?」という問いに対し、私は「不定」と答えたな。
――はい、先生。
――だが、君なら分かるはずだ。「不定」ということで、そこで考えるのを止めてはならない。
――…………。
――それが君への餞だ。
そうこうするうちに、また嵐がやって来ていた。水夫たちは櫂を漕ぎ、急ぎ嵐から逃れようと必死だった。
「嵐は来る。雨は降る。それは避けられない。それは分かっている。なら、どうするか……」
……ローマに無事辿り着いたメテッルスは、その後名誉あるキャリアを進み、やがて執政官に就任することになる。
*
最初は傭兵集団マメルティニの暴走だったという。
シラクサの僭主アガトクレスに雇われていた彼らは、そのアガトクレスの死後、約束であるシラクサ市民権を与えられなかった。
これを不服としてマメルティニは暴走、瞬く間にメッシーナの街を占領した。
「かの叛賊を討つ」
新たなシチリアの僭主ヒエロン二世はマメルティニへの対決姿勢を露わにした。
これに泡を食ったマメルティニは、思いあまって、援助の要請をした。すなわち、カルタゴとローマ、その双方にである。
カルタゴの動きは早く、すぐさま軍団を送り付けた。それは、まるで誰かが事前に偵察しているかのようだった。
驚いたのはマメルティニである。
驚異の進軍速度に、逆にカルタゴがマメルティニを討伐するのではないか(その結果、シチリアを手中にするのではないか)と危惧し、再度、ローマへと援軍を要請した。
ローマは、いわば不法集団であるマメルティニを救うことにためらいを覚えたが、このままシチリアをカルタゴに取られるよりは、と兵を起こした。
世にいう、第一次ポエニ戦争の始まりである。
*
地中海覇権国家カルタゴ、あるいは海軍国家カルタゴを相手に、当時は新興ともいうべきローマは、それでも善戦した。
まず、陸戦においてアグリゲントゥムの包囲戦で勝利した。
次いで、海戦においてもミレ沖の海戦において、意外にもローマが勝利した。これには、コルウス装置と呼ばれる、渡し梯子板の存在が大きい。
それはまるで烏の首のように船上に立ち、そして近づいた敵艦を、まるで烏が啄むように、倒して食い込み、その上を兵が渡って行く装置だった。
新兵器による勝利に勢いに乗ったローマは、カルタゴ本国のあるアフリカに上陸、兵を率いる執政官《コンスル》レグルスはカルタゴに迫ったが、チュニスにて大敗、その後のレグルスの運命は、前述のとおりである。
「このままでは」
時のローマ執政官アシナは、事態を憂慮した。
この時点で、ローマ艦隊は幾度もの嵐に見舞われて、瀕死の状態にあった。
アシナは艦隊を再建し、かろうじてパノルムスを陥落させたものの、さらにその翌年、またしても嵐に襲われて――艦隊は壊滅した。
「嵐神こそわが救い、と言っただろうが」
そんな哄笑が聞こえる。
時は流れ、紀元前二五一年。
メテッルスは執政官に就任した。
ローマ艦隊という盾が無く、今、シチリアの島はカルタゴという雨の降る、嵐の最中だった。
そんな中、数少ないローマ側の拠点である、パノルムス。
ここを橋頭保として守ることが、メテッルスの当面の任務だった。
だが。
そこへ。
「戦象部隊?」
パノルムスのメテッルスの元へ、ある情報が届く。
カルタゴのある将軍が、戦象部隊を率いてシチリア島に上陸、オレタス渓谷を通って、ここパノルムスへ向かっているとの由――と。
「……ふむ、執政官の任期が終わり、交代の時期を――同時に軍団の交代の時期を狙ったか」
ローマ執政官の任期は一年。
メテッルスもまた、次期執政官と交代する時期が迫っている。
周到な計画による襲撃だ。
これあるを期して、入念に事前に調べたに違いない。
「……で、そのカルタゴの将軍の名は?」
メテッルスの副官にあたるその部下――ファルトはうやうやしく答えた。
「ハスドルバル」
「……さもありなん」
かつて、第一次ポエニ戦争の始まる前にあったことのある、カルタゴの象使い。
否、戦時には戦象を統率する立場にあったのだろう。
単なる象使いではなく、やはり将軍であった。
「執政官メテッルス」
ファルトは剽悍だが、恐れを知らないわけではない。
当然ながらの危惧を口にする。
「戦象といえば、かつてのピュロス王に強かにやられた猛獣。いかがいたしますか」
「そうだな……」
メテッルスは宙空をにらむ。
かつての、師のアルキメデスの言葉を思い出す。
――だが、君なら分かるはずだ。「不定」ということで、そこで考えるのを止めてはならない。
「……そうだ。同じく、戦象というだけで、やられると考えては駄目だ」
「執政官メテッルス?」
メテッルスは、あの日の砂浜の講義――梃子の話を思い出していた。
「梃子を使うか? いや……」
メテッルスは突如、目を見開いた。
「エウレカ!」
月日はめぐり、やがてメテッルスもローマへと戻る日がやって来た。
メテッルスはアルキメデスに対する謝辞を述べ、ローマ・オスティア港へと向かう船に乗った。
その船上、メテッルスはアルキメデスとの最後の対話を思い出していた。
――「雨を降らすのは誰?」という問いに対し、私は「不定」と答えたな。
――はい、先生。
――だが、君なら分かるはずだ。「不定」ということで、そこで考えるのを止めてはならない。
――…………。
――それが君への餞だ。
そうこうするうちに、また嵐がやって来ていた。水夫たちは櫂を漕ぎ、急ぎ嵐から逃れようと必死だった。
「嵐は来る。雨は降る。それは避けられない。それは分かっている。なら、どうするか……」
……ローマに無事辿り着いたメテッルスは、その後名誉あるキャリアを進み、やがて執政官に就任することになる。
*
最初は傭兵集団マメルティニの暴走だったという。
シラクサの僭主アガトクレスに雇われていた彼らは、そのアガトクレスの死後、約束であるシラクサ市民権を与えられなかった。
これを不服としてマメルティニは暴走、瞬く間にメッシーナの街を占領した。
「かの叛賊を討つ」
新たなシチリアの僭主ヒエロン二世はマメルティニへの対決姿勢を露わにした。
これに泡を食ったマメルティニは、思いあまって、援助の要請をした。すなわち、カルタゴとローマ、その双方にである。
カルタゴの動きは早く、すぐさま軍団を送り付けた。それは、まるで誰かが事前に偵察しているかのようだった。
驚いたのはマメルティニである。
驚異の進軍速度に、逆にカルタゴがマメルティニを討伐するのではないか(その結果、シチリアを手中にするのではないか)と危惧し、再度、ローマへと援軍を要請した。
ローマは、いわば不法集団であるマメルティニを救うことにためらいを覚えたが、このままシチリアをカルタゴに取られるよりは、と兵を起こした。
世にいう、第一次ポエニ戦争の始まりである。
*
地中海覇権国家カルタゴ、あるいは海軍国家カルタゴを相手に、当時は新興ともいうべきローマは、それでも善戦した。
まず、陸戦においてアグリゲントゥムの包囲戦で勝利した。
次いで、海戦においてもミレ沖の海戦において、意外にもローマが勝利した。これには、コルウス装置と呼ばれる、渡し梯子板の存在が大きい。
それはまるで烏の首のように船上に立ち、そして近づいた敵艦を、まるで烏が啄むように、倒して食い込み、その上を兵が渡って行く装置だった。
新兵器による勝利に勢いに乗ったローマは、カルタゴ本国のあるアフリカに上陸、兵を率いる執政官《コンスル》レグルスはカルタゴに迫ったが、チュニスにて大敗、その後のレグルスの運命は、前述のとおりである。
「このままでは」
時のローマ執政官アシナは、事態を憂慮した。
この時点で、ローマ艦隊は幾度もの嵐に見舞われて、瀕死の状態にあった。
アシナは艦隊を再建し、かろうじてパノルムスを陥落させたものの、さらにその翌年、またしても嵐に襲われて――艦隊は壊滅した。
「嵐神こそわが救い、と言っただろうが」
そんな哄笑が聞こえる。
時は流れ、紀元前二五一年。
メテッルスは執政官に就任した。
ローマ艦隊という盾が無く、今、シチリアの島はカルタゴという雨の降る、嵐の最中だった。
そんな中、数少ないローマ側の拠点である、パノルムス。
ここを橋頭保として守ることが、メテッルスの当面の任務だった。
だが。
そこへ。
「戦象部隊?」
パノルムスのメテッルスの元へ、ある情報が届く。
カルタゴのある将軍が、戦象部隊を率いてシチリア島に上陸、オレタス渓谷を通って、ここパノルムスへ向かっているとの由――と。
「……ふむ、執政官の任期が終わり、交代の時期を――同時に軍団の交代の時期を狙ったか」
ローマ執政官の任期は一年。
メテッルスもまた、次期執政官と交代する時期が迫っている。
周到な計画による襲撃だ。
これあるを期して、入念に事前に調べたに違いない。
「……で、そのカルタゴの将軍の名は?」
メテッルスの副官にあたるその部下――ファルトはうやうやしく答えた。
「ハスドルバル」
「……さもありなん」
かつて、第一次ポエニ戦争の始まる前にあったことのある、カルタゴの象使い。
否、戦時には戦象を統率する立場にあったのだろう。
単なる象使いではなく、やはり将軍であった。
「執政官メテッルス」
ファルトは剽悍だが、恐れを知らないわけではない。
当然ながらの危惧を口にする。
「戦象といえば、かつてのピュロス王に強かにやられた猛獣。いかがいたしますか」
「そうだな……」
メテッルスは宙空をにらむ。
かつての、師のアルキメデスの言葉を思い出す。
――だが、君なら分かるはずだ。「不定」ということで、そこで考えるのを止めてはならない。
「……そうだ。同じく、戦象というだけで、やられると考えては駄目だ」
「執政官メテッルス?」
メテッルスは、あの日の砂浜の講義――梃子の話を思い出していた。
「梃子を使うか? いや……」
メテッルスは突如、目を見開いた。
「エウレカ!」
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