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03 レウクトラ
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レウクトラ。
エパメイノンダスはそこへボイオティア同盟軍を進ませていた。
その数、総勢およそ七千。
中心となるのは、テーバイの神聖隊だ。
「さてさて……エパイメノンダスは、僕にどのような景色を見せてくれるのかな?」
ペロピダスは、この時、神聖隊に身を置いている。この頃にはテーバイの統治者ともいうべき立場にいるはずだが、この一戦こそテーバイ興亡の戦いと心得て、神聖隊の隊長として、エパメイノンダスの指揮下に入っていた。
レウクトラに到達すると、エパイメノンダスから話があると言われて、ペロピダスは本陣へ行くと、そこで「ある作戦」について告げられた。
「斜線陣?」
「そうだ」
当時、古代ギリシアの会戦では、重装歩兵に密集方陣という陣形を組ませ、そして互いにぶつかり合うという形式を採っていた。
重装歩兵という歩兵は、簡単に言うと、右手に槍を持ち、左手に盾を持っている。そのため集団で固まると、その集団の最右翼はどうしても防御が手薄になる(右側の手に槍を持っているため。左側は盾がある)。
結果、最右翼には最も剽悍な兵を配置するのが常であった。それが、スパルタ率いるペロポネソス同盟軍では、スパルタ重装歩兵である。
こうしてペロポネソス同盟軍と向かい合う敵は、たいていが最も弱い「左」の兵に、最強のスパルタ重装歩兵を当てられ、破られ、そしてそのまま敗北するというのが常であった。
これに目を付けたエパイメノンダスは、ボイオティア同盟軍に密集方陣を組ませることをやめた。
「それが……その、斜線陣かい?」
ペロピダスが不得要領な顔をするので、エパイメノンダスは地面に図を描いた。
「いいかい、ペロピダス。まず、スパルタ率いるペロポネソス同盟軍はこう……スパルタ重装歩兵を一番右に置いて、こう攻めてくる」
エパイメノンダスが棒切れを使って、大きな四角を描いてペロポネソス同盟軍の密集方陣と看做し、その四角の右辺に十二本の線を引いた。
「この十二本の線が、スパルタ重装歩兵だ。奴らは十二列の戦列を組む。対するや、こちら側……テーバイ率いるボイオティア同盟軍は、こう配置する」
エパイメノンダスは、今度は四角(スパルタのペロポネソス同盟軍)に向い合せになる、直角三角形を描いた。その直角三角形は、左下が直角、つまり左上に鋭角が突き出した形になっていた。
「これが、ボイオティア同盟軍」
「うん」
ペロピダスにも、エパイメノンダスが何を狙っているかが、見えてきた。
「つまり」
エパイメノンダスの棒切れが、線を書く。
線は、次々と書き足され、ついには。
「五十列……」
「そう。こちら側は、スパルタの右翼十二列のスパルタ重装歩兵に対して、左翼に五十列置く。集中する」
「……そのための三角形、ではない、斜線か」
聡いペロピダスにはすぐわかった。
「左」に集中する分、「中央」と「右」が薄くなる。結果、「中央」と「右」が会敵すると、負ける。
そのため、「中央」と「右」を敢えて後方に、直角三角形のたとえでいうと、底辺に配置するのだ。
「そうすれば、わが軍の『左』が戦ったあとに、『中央』と『右』は戦闘となる……その頃には、わが軍の『左』が戦っているがゆえに、さほど『中央』と『右』も苦戦しなくなる、という寸法か、エパイメノンダス」
「そうだ。そしてそれでもスパルタは強い。歴戦の猛者だ。王自ら率いて来ている。これには」
「分かってる。皆まで言うな」
ペロピダスは置いていた盾と剣を手に取った。
「その『右』の陣頭に、僕たち神聖隊が立つ。スパルタの攻めを、受けて立つ」
「……すまない」
「何、気にするな、エパイメノンダス。これは先般の君への問いを自分で答えることになるが……」
ペロピダスは剣をびゅんと振って、笑った。
「この剣でスパルタの兵を朱に染める。それが僕の、君への愛の色だ……そうだろう?」
「……ペロピダス」
エパイメノンダスはペロピダスの剣を持つ手にそっと触った。
「ならば私は、君が拓いた血路の果てに、見えてくる勝利の景色を、君への愛の色として、飾ろう」
「頼むよ、エパイメノンダス」
ボイオティア同盟の他の都市国家の将軍もいる中だったが、エパイメノンダスとペロピダスは、人目もはばからず、接吻した。
……それだけ、ふたりの感情が――愛が高まり、そしてまた、これから迫る決戦への昂ぶりが抑えきれなかったからである。
*
「まず騎兵を当たらせよ!」
「騎兵を前へ!」
この当時、騎兵という兵科も存在したが、まだ鐙がなかったため、つまり馬上で「踏ん張る」ことができないため、かなり特殊な訓練を長期間にわたって積まねばならず、兵数としては少数である。
それでもその爆発力は無視できず、スパルタもテーバイも千から千五百の騎兵を揃えた。
そして両軍の騎兵が激突し、運よくテーバイの方の騎兵が勝った。
「幸先いいぞ!」
騎兵のすぐうしろ、歩兵からすると最前線に立つペロピダスは歓喜の声を上げて、そのままスパルタ重装歩兵の陣中へと突っ込んでいった。
突っ込むと同時にスパルタの前面の指揮官を斬り伏せるペロピダス。
彼は叫んだ。
「神聖隊、つづけ!」
神聖隊が雄叫びを上げて、ペロピダスのあとを追った。
エパメイノンダスはそこへボイオティア同盟軍を進ませていた。
その数、総勢およそ七千。
中心となるのは、テーバイの神聖隊だ。
「さてさて……エパイメノンダスは、僕にどのような景色を見せてくれるのかな?」
ペロピダスは、この時、神聖隊に身を置いている。この頃にはテーバイの統治者ともいうべき立場にいるはずだが、この一戦こそテーバイ興亡の戦いと心得て、神聖隊の隊長として、エパメイノンダスの指揮下に入っていた。
レウクトラに到達すると、エパイメノンダスから話があると言われて、ペロピダスは本陣へ行くと、そこで「ある作戦」について告げられた。
「斜線陣?」
「そうだ」
当時、古代ギリシアの会戦では、重装歩兵に密集方陣という陣形を組ませ、そして互いにぶつかり合うという形式を採っていた。
重装歩兵という歩兵は、簡単に言うと、右手に槍を持ち、左手に盾を持っている。そのため集団で固まると、その集団の最右翼はどうしても防御が手薄になる(右側の手に槍を持っているため。左側は盾がある)。
結果、最右翼には最も剽悍な兵を配置するのが常であった。それが、スパルタ率いるペロポネソス同盟軍では、スパルタ重装歩兵である。
こうしてペロポネソス同盟軍と向かい合う敵は、たいていが最も弱い「左」の兵に、最強のスパルタ重装歩兵を当てられ、破られ、そしてそのまま敗北するというのが常であった。
これに目を付けたエパイメノンダスは、ボイオティア同盟軍に密集方陣を組ませることをやめた。
「それが……その、斜線陣かい?」
ペロピダスが不得要領な顔をするので、エパイメノンダスは地面に図を描いた。
「いいかい、ペロピダス。まず、スパルタ率いるペロポネソス同盟軍はこう……スパルタ重装歩兵を一番右に置いて、こう攻めてくる」
エパイメノンダスが棒切れを使って、大きな四角を描いてペロポネソス同盟軍の密集方陣と看做し、その四角の右辺に十二本の線を引いた。
「この十二本の線が、スパルタ重装歩兵だ。奴らは十二列の戦列を組む。対するや、こちら側……テーバイ率いるボイオティア同盟軍は、こう配置する」
エパイメノンダスは、今度は四角(スパルタのペロポネソス同盟軍)に向い合せになる、直角三角形を描いた。その直角三角形は、左下が直角、つまり左上に鋭角が突き出した形になっていた。
「これが、ボイオティア同盟軍」
「うん」
ペロピダスにも、エパイメノンダスが何を狙っているかが、見えてきた。
「つまり」
エパイメノンダスの棒切れが、線を書く。
線は、次々と書き足され、ついには。
「五十列……」
「そう。こちら側は、スパルタの右翼十二列のスパルタ重装歩兵に対して、左翼に五十列置く。集中する」
「……そのための三角形、ではない、斜線か」
聡いペロピダスにはすぐわかった。
「左」に集中する分、「中央」と「右」が薄くなる。結果、「中央」と「右」が会敵すると、負ける。
そのため、「中央」と「右」を敢えて後方に、直角三角形のたとえでいうと、底辺に配置するのだ。
「そうすれば、わが軍の『左』が戦ったあとに、『中央』と『右』は戦闘となる……その頃には、わが軍の『左』が戦っているがゆえに、さほど『中央』と『右』も苦戦しなくなる、という寸法か、エパイメノンダス」
「そうだ。そしてそれでもスパルタは強い。歴戦の猛者だ。王自ら率いて来ている。これには」
「分かってる。皆まで言うな」
ペロピダスは置いていた盾と剣を手に取った。
「その『右』の陣頭に、僕たち神聖隊が立つ。スパルタの攻めを、受けて立つ」
「……すまない」
「何、気にするな、エパイメノンダス。これは先般の君への問いを自分で答えることになるが……」
ペロピダスは剣をびゅんと振って、笑った。
「この剣でスパルタの兵を朱に染める。それが僕の、君への愛の色だ……そうだろう?」
「……ペロピダス」
エパイメノンダスはペロピダスの剣を持つ手にそっと触った。
「ならば私は、君が拓いた血路の果てに、見えてくる勝利の景色を、君への愛の色として、飾ろう」
「頼むよ、エパイメノンダス」
ボイオティア同盟の他の都市国家の将軍もいる中だったが、エパイメノンダスとペロピダスは、人目もはばからず、接吻した。
……それだけ、ふたりの感情が――愛が高まり、そしてまた、これから迫る決戦への昂ぶりが抑えきれなかったからである。
*
「まず騎兵を当たらせよ!」
「騎兵を前へ!」
この当時、騎兵という兵科も存在したが、まだ鐙がなかったため、つまり馬上で「踏ん張る」ことができないため、かなり特殊な訓練を長期間にわたって積まねばならず、兵数としては少数である。
それでもその爆発力は無視できず、スパルタもテーバイも千から千五百の騎兵を揃えた。
そして両軍の騎兵が激突し、運よくテーバイの方の騎兵が勝った。
「幸先いいぞ!」
騎兵のすぐうしろ、歩兵からすると最前線に立つペロピダスは歓喜の声を上げて、そのままスパルタ重装歩兵の陣中へと突っ込んでいった。
突っ込むと同時にスパルタの前面の指揮官を斬り伏せるペロピダス。
彼は叫んだ。
「神聖隊、つづけ!」
神聖隊が雄叫びを上げて、ペロピダスのあとを追った。
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