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第二章 恋よりも恋に近しい ~京都祇園祭「保昌山(ほうしょうやま)」より~

04 花盗人

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紫宸殿ししんでんに盗みに入るいう矢文やぶみや!」

 その日、藤原道長ふじわらのみちながは、息せき切って宮中に参内し、帝に拝謁したあと、「ひと息入れさせてや」と和泉式部いずみしきぶの部屋に入って来た。

「どうなされたのですか」

「どうもこうもない、紫宸殿にな、盗みに入るゥ奴がおんねん」

 道長は汗を拭いた。
 そして和泉式部が「もしや、保昌卿やすまさきょうが」と目を白黒させるのを見た。

「せやから帝に奏上したんや、かしこくも紫宸殿に盗み入るとは一大事。ほンで道長四天王……」

「えっ」

 道長四天王といえば、その一人が平井保昌ひらいやすまさである。これでは保昌が盗みに入るのに、保昌がその捕縛に呼ばれるという珍妙な事態に。

「……の一人、源頼信みなもとのよりのぶを呼ぶことにしたんや」

 保昌は物忌み言うてるし、あとの二人(平維衡たいらのこれひら平致頼たいらのむねより)は仲悪いからう呼ばんわ、と道長は愚痴った。
 それから「邪魔したな」と言い置いて、去っていった。

「…………」

 ほっとひと安心……とはできない和泉式部だった。
 源頼信。
 源頼光みなもとのよりみつの弟。河内源氏の祖。かつて、常陸介ひたちのすけ在任時、内海(利根川河口。当時は太平洋が湾入していた)の奥地に立て籠もり叛旗をひるがえす平忠常たいらのただつねを、その内海の浅瀬を突っ切って、速攻で捕らえた剛の者である。

「保昌卿……」



 保昌は、袴垂はかまだれと共に、紫宸殿の近くに潜んでいた。

「こうして御恩を返すことができて、さいわさいわい」

「……逃げてもいいぞ」

 袴垂は「いやいや!」と言って、断った。

「これだけの大舞台、乗らなきゃ袴垂の名がすたるってもんでさア」

「そうか」

 保昌が和泉式部の返書を読んでいるところに現れた袴垂は、紫宸殿の梅の話を聞いて、「やるべし」と勧めた。

「でも」

「でもも糸瓜へちまもござんせん、やりましょう」

 早速に袴垂は手下に命じて、盗みの予告の矢文を射させた。
 そして、袴垂に誘われるがままに塀を越え、穴をくぐって、ここ紫宸殿の前までやってきた。
 気づけば、もう夜だ。

「頼信がいる」

 鋭敏な感覚を持つ保昌が呟く。

「名高き頼信卿ですかい?」

 袴垂は渋い顔をする。やっぱりやめようか、と聞いている表情だ。

「いや」

 保昌は思い出していた。
 和泉式部と出会った時のこと。
 その夜、袴垂と会ったこと。
 さらに、藤原道長と赤染衛門あかぞめえもんと話したこと。

「結局のところ、おれ自身が踏ん切りをつけなければならなかったのだ」

 恋よりも恋に近しい。
 そう思ったのは真実だ。
 だが。

「そこからきちんと、惚れたということを認めなければならなかったのだ」

 だからこそ、和泉式部はこのような「答え」をしてきた。
 だからこそ、平井保昌はこのように人目を忍んで、紫宸殿に迫った。
 そして。

「いかに向かう先に、名うての頼信が待ち構えているとて、その想いを曲げていいのか、と感じた」

 死ぬのは怖くない。
 だが、死んでこの想いをきちんと伝えない方が、誰にも言えない方が。

「……後悔する」

「それでこそ、保昌卿だ」

 袴垂は手ぶりで手下たちに合図する。

 やれ、と。



「これなるは、みやこにその人ありと知れた盗賊、袴垂」

 突然のその声に、道長と頼信は弓を構えた。

「さても見事なかな。頂戴つかまつる!」

 宵闇の紫宸殿へ、二、三の影が忍び寄る。

あやしの影!」

 頼信はと射た。
 くぐもった声が洩れ、影が突っ伏す。
 道長が目配せすると、頼信は脅しだとささやく。

「本気を出すのは、保昌卿の時」

 うん、とうなずいて道長も影のを射る。

「何や、音に聞く袴垂はそんな程度かいな」

「うぬ、おのれ!」

 芝居がかって、袴垂は姿を現した。
 無言で道長は弓を構えた。
 対峙する袴垂と道長。

 が。

 その袴垂の背後で。

「…………」

 桜ではなく、の木の方へと向かう影が。
 はしなやかに、素早く梅に手を伸ばし。

「何者!」

 頼信が射ると、はわずかにたいをずらして避けながらも、伸ばした手を戻さず、そのまま梅の枝を折った。

「やった」

 袴垂は快哉を叫ぶ。
 頼信はさらに射るが、は梅を懐中に入れつつ、避けた。

「食らえ」

 袴垂が何かを投げる。
 煙が湧いた。

「煙幕か」

 弓を構えたままの道長と頼信の視界が晴れる頃には、もう賊の姿はまさに

「不覚です、道長卿」

「いンや」

 道長は弓を下ろした。

「頼信にも無理なンは、余人にも無理や。しゃあない」

「恐縮です」

「それにしても、るとはのう」

「……ええ、

 そこで道長と頼信は含み笑いをし、そして帝の下へ報告に向かった。
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