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第二章 恋よりも恋に近しい ~京都祇園祭「保昌山(ほうしょうやま)」より~
04 花盗人
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「紫宸殿に盗みに入るいう矢文や!」
その日、藤原道長は、息せき切って宮中に参内し、帝に拝謁したあと、「ひと息入れさせてや」と和泉式部の部屋に入って来た。
「どうなされたのですか」
「どうもこうもない、紫宸殿にな、盗みに入るゥ奴がおんねん」
道長は汗を拭いた。
そして和泉式部が「もしや、保昌卿が」と目を白黒させるのを見た。
「せやから帝に奏上したんや、畏くも紫宸殿に盗み入るとは一大事。ほンで道長四天王……」
「えっ」
道長四天王といえば、その一人が平井保昌である。これでは保昌が盗みに入るのに、保昌がその捕縛に呼ばれるという珍妙な事態に。
「……の一人、源頼信を呼ぶことにしたんや」
保昌は物忌み言うてるし、あとの二人(平維衡と平致頼)は仲悪いから良う呼ばんわ、と道長は愚痴った。
それから「邪魔したな」と言い置いて、去っていった。
「…………」
ほっとひと安心……とはできない和泉式部だった。
源頼信。
源頼光の弟。河内源氏の祖。かつて、常陸介在任時、内海(利根川河口。当時は太平洋が湾入していた)の奥地に立て籠もり叛旗をひるがえす平忠常を、その内海の浅瀬を突っ切って、速攻で捕らえた剛の者である。
「保昌卿……」
*
保昌は、袴垂と共に、紫宸殿の近くに潜んでいた。
「こうして御恩を返すことができて、幸い幸い」
「……逃げてもいいぞ」
袴垂は「いやいや!」と言って、断った。
「これだけの大舞台、乗らなきゃ袴垂の名が廃るってもんでさア」
「そうか」
保昌が和泉式部の返書を読んでいるところに現れた袴垂は、紫宸殿の梅の話を聞いて、「やるべし」と勧めた。
「でも」
「でもも糸瓜もござんせん、やりましょう」
早速に袴垂は手下に命じて、盗みの予告の矢文を射させた。
そして、袴垂に誘われるがままに塀を越え、穴をくぐって、ここ紫宸殿の前までやってきた。
気づけば、もう夜だ。
「頼信がいる」
鋭敏な感覚を持つ保昌が呟く。
「名高き頼信卿ですかい?」
袴垂は渋い顔をする。やっぱりやめようか、と聞いている表情だ。
「いや」
保昌は思い出していた。
和泉式部と出会った時のこと。
その夜、袴垂と会ったこと。
さらに、藤原道長と赤染衛門と話したこと。
「結局のところ、おれ自身が踏ん切りをつけなければならなかったのだ」
恋よりも恋に近しい。
そう思ったのは真実だ。
だが。
「そこからきちんと、惚れたということを認めなければならなかったのだ」
だからこそ、和泉式部はこのような「答え」をしてきた。
だからこそ、平井保昌はこのように人目を忍んで、紫宸殿に迫った。
そして。
「いかに向かう先に、名うての頼信が待ち構えているとて、その想いを曲げていいのか、と感じた」
死ぬのは怖くない。
だが、死んでこの想いをきちんと伝えない方が、誰にも言えない方が。
「……後悔する」
「それでこそ、保昌卿だ」
袴垂は手ぶりで手下たちに合図する。
やれ、と。
*
「これなるは、京にその人ありと知れた盗賊、袴垂」
突然のその声に、道長と頼信は弓を構えた。
「さても見事な桜かな。頂戴つかまつる!」
宵闇の紫宸殿へ、二、三の影が忍び寄る。
「怪しの影!」
頼信はひょうと射た。
くぐもった声が洩れ、影が突っ伏す。
道長が目配せすると、頼信は脅しだと囁く。
「本気を出すのは、保昌卿の時」
うん、とうなずいて道長も影の手前を射る。
「何や、音に聞く袴垂はそんな程度かいな」
「うぬ、おのれ!」
芝居がかって、袴垂は姿を現した。
無言で道長は弓を構えた。
対峙する袴垂と道長。
が。
その袴垂の背後で。
「…………」
桜ではなく、梅の木の方へと向かう影が。
その影はしなやかに、素早く梅に手を伸ばし。
「何者!」
頼信が射ると、その影はわずかに体をずらして避けながらも、伸ばした手を戻さず、そのまま梅の枝を折った。
「やった」
袴垂は快哉を叫ぶ。
頼信はさらに射るが、その影は梅を懐中に入れつつ、避けた。
「食らえ」
袴垂が何かを投げる。
煙が湧いた。
「煙幕か」
弓を構えたままの道長と頼信の視界が晴れる頃には、もう賊の姿はまさに煙と消えた。
「不覚です、道長卿」
「いンや」
道長は弓を下ろした。
「頼信にも無理なンは、余人にも無理や。しゃあない」
「恐縮です」
「それにしても、保昌以外にお前ン弓ィ避ける奴が居るとはのう」
「……ええ、保昌卿以外に避けられるとは」
そこで道長と頼信は含み笑いをし、そして帝の下へ報告に向かった。
その日、藤原道長は、息せき切って宮中に参内し、帝に拝謁したあと、「ひと息入れさせてや」と和泉式部の部屋に入って来た。
「どうなされたのですか」
「どうもこうもない、紫宸殿にな、盗みに入るゥ奴がおんねん」
道長は汗を拭いた。
そして和泉式部が「もしや、保昌卿が」と目を白黒させるのを見た。
「せやから帝に奏上したんや、畏くも紫宸殿に盗み入るとは一大事。ほンで道長四天王……」
「えっ」
道長四天王といえば、その一人が平井保昌である。これでは保昌が盗みに入るのに、保昌がその捕縛に呼ばれるという珍妙な事態に。
「……の一人、源頼信を呼ぶことにしたんや」
保昌は物忌み言うてるし、あとの二人(平維衡と平致頼)は仲悪いから良う呼ばんわ、と道長は愚痴った。
それから「邪魔したな」と言い置いて、去っていった。
「…………」
ほっとひと安心……とはできない和泉式部だった。
源頼信。
源頼光の弟。河内源氏の祖。かつて、常陸介在任時、内海(利根川河口。当時は太平洋が湾入していた)の奥地に立て籠もり叛旗をひるがえす平忠常を、その内海の浅瀬を突っ切って、速攻で捕らえた剛の者である。
「保昌卿……」
*
保昌は、袴垂と共に、紫宸殿の近くに潜んでいた。
「こうして御恩を返すことができて、幸い幸い」
「……逃げてもいいぞ」
袴垂は「いやいや!」と言って、断った。
「これだけの大舞台、乗らなきゃ袴垂の名が廃るってもんでさア」
「そうか」
保昌が和泉式部の返書を読んでいるところに現れた袴垂は、紫宸殿の梅の話を聞いて、「やるべし」と勧めた。
「でも」
「でもも糸瓜もござんせん、やりましょう」
早速に袴垂は手下に命じて、盗みの予告の矢文を射させた。
そして、袴垂に誘われるがままに塀を越え、穴をくぐって、ここ紫宸殿の前までやってきた。
気づけば、もう夜だ。
「頼信がいる」
鋭敏な感覚を持つ保昌が呟く。
「名高き頼信卿ですかい?」
袴垂は渋い顔をする。やっぱりやめようか、と聞いている表情だ。
「いや」
保昌は思い出していた。
和泉式部と出会った時のこと。
その夜、袴垂と会ったこと。
さらに、藤原道長と赤染衛門と話したこと。
「結局のところ、おれ自身が踏ん切りをつけなければならなかったのだ」
恋よりも恋に近しい。
そう思ったのは真実だ。
だが。
「そこからきちんと、惚れたということを認めなければならなかったのだ」
だからこそ、和泉式部はこのような「答え」をしてきた。
だからこそ、平井保昌はこのように人目を忍んで、紫宸殿に迫った。
そして。
「いかに向かう先に、名うての頼信が待ち構えているとて、その想いを曲げていいのか、と感じた」
死ぬのは怖くない。
だが、死んでこの想いをきちんと伝えない方が、誰にも言えない方が。
「……後悔する」
「それでこそ、保昌卿だ」
袴垂は手ぶりで手下たちに合図する。
やれ、と。
*
「これなるは、京にその人ありと知れた盗賊、袴垂」
突然のその声に、道長と頼信は弓を構えた。
「さても見事な桜かな。頂戴つかまつる!」
宵闇の紫宸殿へ、二、三の影が忍び寄る。
「怪しの影!」
頼信はひょうと射た。
くぐもった声が洩れ、影が突っ伏す。
道長が目配せすると、頼信は脅しだと囁く。
「本気を出すのは、保昌卿の時」
うん、とうなずいて道長も影の手前を射る。
「何や、音に聞く袴垂はそんな程度かいな」
「うぬ、おのれ!」
芝居がかって、袴垂は姿を現した。
無言で道長は弓を構えた。
対峙する袴垂と道長。
が。
その袴垂の背後で。
「…………」
桜ではなく、梅の木の方へと向かう影が。
その影はしなやかに、素早く梅に手を伸ばし。
「何者!」
頼信が射ると、その影はわずかに体をずらして避けながらも、伸ばした手を戻さず、そのまま梅の枝を折った。
「やった」
袴垂は快哉を叫ぶ。
頼信はさらに射るが、その影は梅を懐中に入れつつ、避けた。
「食らえ」
袴垂が何かを投げる。
煙が湧いた。
「煙幕か」
弓を構えたままの道長と頼信の視界が晴れる頃には、もう賊の姿はまさに煙と消えた。
「不覚です、道長卿」
「いンや」
道長は弓を下ろした。
「頼信にも無理なンは、余人にも無理や。しゃあない」
「恐縮です」
「それにしても、保昌以外にお前ン弓ィ避ける奴が居るとはのう」
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そこで道長と頼信は含み笑いをし、そして帝の下へ報告に向かった。
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