5 / 6
05 安土どの
しおりを挟む
「ええ茶室や」
宗易はひとりごちた。
自画自賛に過ぎると思うが仕方ない。
それだけ、心血注いだ。
力を尽くして、作った。
その、一等一番の茶を。
「この宗易がやるんやから、そらあ嬉しいわな」
しかし窯に湯を沸かし始めた頃には、宗易の口数は少なくなり、やがて無言になった。
そういう境地なのかもしれない。
だが逆に、宗易の中には、さまざまな思いが揺らめく。
茶を点てる相手は。
この茶室、やっぱりこれで良いのか。
もっと、良い茶室が作れるのではないか。
いや、ひとつのかたち、広さにとらわれず……。
「…………」
いろいろな思惟が、浮かんでは消える。
あるいは、同時にたくさんのことを考えているのかもしれない。
こぽこぽと音を立てる茶釜。
その音の中、しゃっしゃっと茶筅が回る。
「…………」
茶が出来上がった。
あとは、客を待つだけ。
「せやけど、どなたはんが来るんやろか」
宗易は茶を点てるように言われただけだ。
誰が来るかは、知らされていない。
「秀吉はんか……」
しかし、秀吉は山崎の戦いのあと、光秀を討ち、清須会議を牛耳り、織田家を、天下を取るため、柴田勝家らと合戦する忙しない日々を送っていた。
「秀吉はんは、無い。ほしたら、誰が」
その時、待庵の躙り口がすっと開いた。
「ありえへん」
宗易は目を見開いた。
躙り口から、這入って来たのは。
「あ、安土どの」
*
安土どの、精確には「あつち殿」と記される女性。
信長の居城として名高い安土城、その名を使った名前ということは、信長にとって関係が深く、かなりの地位の女性と推察される。
そこから推定される、信長に関係する女性といえば。
「いえ。安土どの、という呼びには馴染みがありません。妾は、帰蝶」
帰蝶。
斎藤道三の娘にして、織田信長の許に嫁いだ女性。
すなわち、織田信長の正室である。
「…………」
宗易はただ、黙っていることしかできない。
衝撃の大きさに、口がきけなかった。
帰蝶はたしか本能寺の変のあの時、信長と共に、本能寺にいた。
そして明智光秀の襲撃に遭い、炎の中、信長と命運を共にして、死んだ。
それが宗易の知る、帰蝶の末路だった。
それが。
「生きておられたんでっか」
宗易は信長の茶堂を務めたことがある。
だから、目の前の女性が帰蝶であることを認めた。
しかし。
「覚えがないのです」
どうやら、記憶がないということらしい。
それも、桶狭間の前後のあたりから、そのあと、全部。
「木綿がいうには、それが一番、鮮明だったからだろうということですが」
木綿というのは、羽柴秀吉の若年時のあだ名である。
木綿のように使いでがある、便利である、という意味で、当時の名乗りだった藤吉とあわせて、木綿藤吉と呼ばれていた。
「思えば、夢のようでした……」
そこから先は、秀吉から聞いた話らしい。
本能寺の変で信長と命運を共にしたと思われた帰蝶だったが、焼け落ちる本能寺の中、瓦礫と瓦礫の間に空間ができて、そこで生き延びていた。
さすがの明智光秀も、本能寺を焼き討ちしたのはいいものの、信長の嫡子・信忠との戦いもあり、すぐに信長の遺骸を探そうとはしなかった。
信忠が抗戦しているうちに、簗田政綱という老いた忍びが現れ、帰蝶を発見した。
そういう意味では、あの時の信忠の抗戦は、帰蝶の命を救ったといえる。
「簗田政綱。たしか、桶狭間の」
「そうです」
それもまた、帰蝶の記憶の具合に影響を及ぼしたかもしれない――簗田政綱は、桶狭間の際に、今川義元の居場所を見つけた功績により、信長から沓掛城を与えられた忍びである。
政綱は昏睡状態の帰蝶を連れて、山崎まで逃げた。
さてどうするかと思案しているところに。
「秀吉はんの中国大返しでっか」
「そうです」
政綱は何も考え無しに山崎に逃げてきたわけではなく、帰蝶にとって、山崎にはある縁故が存在した。
政綱はそこに帰蝶を預け、自身は秀吉の元に向かい、そのまま山崎の戦いに身を投じた。
宗易はひとりごちた。
自画自賛に過ぎると思うが仕方ない。
それだけ、心血注いだ。
力を尽くして、作った。
その、一等一番の茶を。
「この宗易がやるんやから、そらあ嬉しいわな」
しかし窯に湯を沸かし始めた頃には、宗易の口数は少なくなり、やがて無言になった。
そういう境地なのかもしれない。
だが逆に、宗易の中には、さまざまな思いが揺らめく。
茶を点てる相手は。
この茶室、やっぱりこれで良いのか。
もっと、良い茶室が作れるのではないか。
いや、ひとつのかたち、広さにとらわれず……。
「…………」
いろいろな思惟が、浮かんでは消える。
あるいは、同時にたくさんのことを考えているのかもしれない。
こぽこぽと音を立てる茶釜。
その音の中、しゃっしゃっと茶筅が回る。
「…………」
茶が出来上がった。
あとは、客を待つだけ。
「せやけど、どなたはんが来るんやろか」
宗易は茶を点てるように言われただけだ。
誰が来るかは、知らされていない。
「秀吉はんか……」
しかし、秀吉は山崎の戦いのあと、光秀を討ち、清須会議を牛耳り、織田家を、天下を取るため、柴田勝家らと合戦する忙しない日々を送っていた。
「秀吉はんは、無い。ほしたら、誰が」
その時、待庵の躙り口がすっと開いた。
「ありえへん」
宗易は目を見開いた。
躙り口から、這入って来たのは。
「あ、安土どの」
*
安土どの、精確には「あつち殿」と記される女性。
信長の居城として名高い安土城、その名を使った名前ということは、信長にとって関係が深く、かなりの地位の女性と推察される。
そこから推定される、信長に関係する女性といえば。
「いえ。安土どの、という呼びには馴染みがありません。妾は、帰蝶」
帰蝶。
斎藤道三の娘にして、織田信長の許に嫁いだ女性。
すなわち、織田信長の正室である。
「…………」
宗易はただ、黙っていることしかできない。
衝撃の大きさに、口がきけなかった。
帰蝶はたしか本能寺の変のあの時、信長と共に、本能寺にいた。
そして明智光秀の襲撃に遭い、炎の中、信長と命運を共にして、死んだ。
それが宗易の知る、帰蝶の末路だった。
それが。
「生きておられたんでっか」
宗易は信長の茶堂を務めたことがある。
だから、目の前の女性が帰蝶であることを認めた。
しかし。
「覚えがないのです」
どうやら、記憶がないということらしい。
それも、桶狭間の前後のあたりから、そのあと、全部。
「木綿がいうには、それが一番、鮮明だったからだろうということですが」
木綿というのは、羽柴秀吉の若年時のあだ名である。
木綿のように使いでがある、便利である、という意味で、当時の名乗りだった藤吉とあわせて、木綿藤吉と呼ばれていた。
「思えば、夢のようでした……」
そこから先は、秀吉から聞いた話らしい。
本能寺の変で信長と命運を共にしたと思われた帰蝶だったが、焼け落ちる本能寺の中、瓦礫と瓦礫の間に空間ができて、そこで生き延びていた。
さすがの明智光秀も、本能寺を焼き討ちしたのはいいものの、信長の嫡子・信忠との戦いもあり、すぐに信長の遺骸を探そうとはしなかった。
信忠が抗戦しているうちに、簗田政綱という老いた忍びが現れ、帰蝶を発見した。
そういう意味では、あの時の信忠の抗戦は、帰蝶の命を救ったといえる。
「簗田政綱。たしか、桶狭間の」
「そうです」
それもまた、帰蝶の記憶の具合に影響を及ぼしたかもしれない――簗田政綱は、桶狭間の際に、今川義元の居場所を見つけた功績により、信長から沓掛城を与えられた忍びである。
政綱は昏睡状態の帰蝶を連れて、山崎まで逃げた。
さてどうするかと思案しているところに。
「秀吉はんの中国大返しでっか」
「そうです」
政綱は何も考え無しに山崎に逃げてきたわけではなく、帰蝶にとって、山崎にはある縁故が存在した。
政綱はそこに帰蝶を預け、自身は秀吉の元に向かい、そのまま山崎の戦いに身を投じた。
0
お気に入りに追加
1
あなたにおすすめの小説
STRIKE BACK ! ~ 中国大返し、あるいは、この国を動かした十日間を、ねね(北政所)と共に~
四谷軒
歴史・時代
【あらすじ】
天正十年六月二日――明智光秀、挙兵。いわゆる本能寺の変が起こった。
その時、本能寺に居合わせた、羽柴秀吉の妻・ねねは、京から瀬田、安土、長浜と逃がれていくが、その長浜が落城してしまう。一方で秀吉は中国攻めの真っ最中であったが、ねねからの知らせにより、中国大返しを敢行し、京へ戻るべく驀進(ばくしん)する。
近畿と中国、ふたつに別れたねねと秀吉。ふたりは光秀を打倒し、やがて天下を取るために動き出す。
【表紙画像】
「ぐったりにゃんこのホームページ」様より
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

『影武者・粟井義道』
粟井義道
歴史・時代
📜 ジャンル:歴史時代小説 / 戦国 / 武士の生き様
📜 主人公:粟井義道(明智光秀の家臣)
📜 テーマ:忠義と裏切り、武士の誇り、戦乱を生き抜く者の選択
プロローグ:裏切られた忠義
天正十年——本能寺の変。
明智光秀が主君・織田信長を討ち果たしたとき、京の片隅で一人の男が剣を握りしめていた。
粟井義道。
彼は、光秀の家臣でありながら、その野望には賛同しなかった。
「殿……なぜ、信長公を討ったのですか?」
光秀の野望に忠義を尽くすか、それとも己の信念を貫くか——
彼の運命を決める戦いが、今始まろうとしていた。

独裁者・武田信玄
いずもカリーシ
歴史・時代
歴史の本とは別の視点で武田信玄という人間を描きます!
平和な時代に、戦争の素人が娯楽[エンターテイメント]の一貫で歴史の本を書いたことで、歴史はただ暗記するだけの詰まらないものと化してしまいました。
『事実は小説よりも奇なり』
この言葉の通り、事実の方が好奇心をそそるものであるのに……
歴史の本が単純で薄い内容であるせいで、フィクションの方が面白く、深い内容になっていることが残念でなりません。
過去の出来事ではありますが、独裁国家が民主国家を数で上回り、戦争が相次いで起こる『現代』だからこそ、この歴史物語はどこかに通じるものがあるかもしれません。
【第壱章 独裁者への階段】 国を一つにできない弱く愚かな支配者は、必ず滅ぶのが戦国乱世の習い
【第弐章 川中島合戦】 戦争の勝利に必要な条件は第一に補給、第二に地形
【第参章 戦いの黒幕】 人の持つ欲を煽って争いの種を撒き、愚かな者を操って戦争へと発展させる武器商人
【第肆章 織田信長の愛娘】 人間の生きる価値は、誰かの役に立つ生き方のみにこそある
【最終章 西上作戦】 人々を一つにするには、敵が絶対に必要である
この小説は『大罪人の娘』を補完するものでもあります。
(前編が執筆終了していますが、後編の執筆に向けて修正中です)

猿の内政官の息子 ~小田原征伐~
橋本洋一
歴史・時代
※猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~という作品の外伝です。猿の内政官の息子の続編です。全十話です。
猿の内政官の息子、雨竜秀晴はある日、豊臣家から出兵命令を受けた。出陣先は関東。惣無事令を破った北条家討伐のための戦である。秀晴はこの戦で父である雲之介を超えられると信じていた。その戦の中でいろいろな『親子』の関係を知る。これは『親子の絆』の物語であり、『固執からの解放』の物語である。
リュサンドロス伝―プルターク英雄伝より―
N2
歴史・時代
古代ギリシアの著述家プルタルコス(プルターク)の代表作『対比列伝(英雄伝)』は、ギリシアとローマの指導者たちの伝記集です。
そのなかには、マンガ『ヒストリエ』で紹介されるまでわが国ではほとんど知るひとのなかったエウメネスなど、有名ではなくとも魅力的な生涯を送った人物のものがたりが収録されています。
いままでに4回ほど完全邦訳されたものが出版されましたが、現在流通しているのは西洋古典叢書版のみ。名著の訳がこれだけというのは少しさみしい気がします。
そこで英文から重訳するかたちで翻訳を試みることにしました。
底本はJohn Dryden(1859)のものと、Bernadotte Perrin(1919)を用いました。
沢山いる人物のなかで、まずエウメネス、つぎにニキアスの伝記を取り上げました。この「リュサンドロス伝」は第3弾です。
リュサンドロスは軍事大国スパルタの将軍で、ペロポネソス戦争を終わらせた人物です。ということは平和を愛する有徳者かといえばそうではありません。策謀を好み性格は苛烈、しかし現場の人気は高いという、いわば“悪のカリスマ”です。シチリア遠征の後からお話しがはじまるので、ちょうどニキアス伝の続きとして読むこともできます。どうぞ最後までお付き合いください。
※区切りの良いところまで翻訳するたびに投稿していくので、ぜんぶで何項目になるかわかりません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる