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03 珠光と宗易、宗易とねね
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「二畳なんていうんは、狭すぎや」
ぼやく宗易。
その時宗易は、織田信長の葬儀のため、大徳寺に来ていた。
といっても宗易は裏方であり、手を合わせるのは最後の方だった。
葬儀はつつがなく終わり、その主催者である羽柴秀吉は大いに面目を施して、鼻高々だった。
それを見つつ、宗易は待機所である塔頭・真珠庵に退いていった。
真珠庵。
かつて、一休宗純という破天荒な禅僧がおり、その一休の開山である庵。
随所に一休あるいは一休の弟子による作品があり、中でも白眉は、今、宗易が憩っている方丈の庭、「七五三の庭」である。
「七五三の庭」とは、石七つのかたまり、石五つのかたまり、石三つのかたまりを庭に配置しているため、そう呼ばれる。
この庭を作庭した者こそ。
「珠光はん、何か善い考え、ありまへんか」
珠光。
一休の弟子にして、わび茶の創始者として知られる茶人である。
宗易は珠光を私淑しており、宗易が最初に使った茶器は、珠光茶碗であるといわれる。
「はあ……」
今、この方丈には宗易一人だ。
つまり、宗易と珠光の、一対一だ。
宗易は勝手に、そう思った。
「心の師とはなれ、心を師とせされ……か」
それは、珠光がその一番弟子である古市澄胤に与えた「心の師の文」の一節である。
元は、恵心僧都による往生要集の言葉で、「自分で自分の心を導いていくように。逆に、(執着にとらわれるような)自分の心を、その自分が引きずられることがないように」という意である。
そして、こう言ったとも伝えられる。
「月も雲間のなきは嫌にて候」
雲間のない、完璧な満月は嫌だ、という言葉である。
その意味するところは。
「雲間の中、欠けた月の方が善いいうこと」
何故なら。
「欠けた月の方が、全き月を想うことができる、その方が」
あっ。
宗易は、声にならない叫びを上げて、飛び上がった。
「これや」
この発想。
このためにこそ、自分は今、大徳寺真珠庵に来たのではないか。
「天の配剤や」
「宗易どの」
いつの間にか、ひとりだけだと思った真珠庵の方丈に、ひとりの女人がいた。
「ねねさま」
秀吉の正室、ねね。
のちの北政所である。
*
ねねが言うには、秀吉の指示があまりにも茫洋としているため、助け舟を出しに来た、とのことである。
「ですが何か思いついた様子。余計な差し出口にならなければ」
「そんなこと、あらしまへん」
雲をつかむような話――二畳の狭小な茶室。
その雲が、ようやくつかめそうなくらいだ。
「そやけど、その雲に何が隠れているか、それを知りたい」
「…………」
ねねは曖昧な笑みを浮かべた。
それだけ、宗易の問いが、核心に迫っている、ということらしい。
ねねはからっとした気性で、表裏が無い、器が大きいとして知られる。
そのねねがこのような態度をとるということは、よほどのことがその雲の向こうにいるらしい。
「わかりました」
ねねは、宗易のその思考を中断させるかのように、言い切った。
「秀吉が何をしたいかは、実は妾も知りません。妾も聞いていないのです」
ねねと秀吉の間には、秘密は無いようにしていた。
だがあの本能寺の変を経て、秀吉はねねに秘密を持つようになった、という。
「仕方がないことだと思うのです。本能寺のあの時、信長さまと帰蝶さまが亡くなったあの時、妾と秀吉は、近江長浜と備中高松に、分断されていました。だから、伝えられないことがあっても仕方ない、と」
帰蝶というのは濃姫のことである。
そして秀吉は、本能寺の変を乗り越え、山崎の戦いに勝った。
織田家の、天下の覇権争いに乗り出した。
「それと、今や自分が天下のあるじ、いえ、少なくとも、それを目指す立場。秘密があっても仕方ない、それも、妾を守るためだ、と言われたら、なおさら」
京を抑えた秀吉。
その京を守るかのように、山崎城。
その守るべきものは、何なのか。
己の覇権か。
家族か。
それとも。
「その何かを象るもの、それが宗易どのの頼まれた茶室でしょう」
あまりに話が大きい。
それに謎めいている。
だが、宗易は。
「宗易さま。笑っておられるのですか」
「これは」
宗易は手で顔を覆った。
禅の教えに、不立文字という教えがある。
その意は、悟りは言葉にできないという意味だ。
それと同じく、茶も、言葉にできない何かを相手にする。
そう、宗易は信じている。
「それを、この茶室で表すことができるんやないか」
それが、宗易の笑みだ。
この先、雲の向こうに何があるのか、何を待つのか。
それは、宗易にはわからない。
わからないからこそ。
「作ったる。この茶室、この宗易が心血を注いで、作ったる」
「宗易さま……」
ねねは、まるで奇なるものを見るような目で、宗易を見ていた。
ぼやく宗易。
その時宗易は、織田信長の葬儀のため、大徳寺に来ていた。
といっても宗易は裏方であり、手を合わせるのは最後の方だった。
葬儀はつつがなく終わり、その主催者である羽柴秀吉は大いに面目を施して、鼻高々だった。
それを見つつ、宗易は待機所である塔頭・真珠庵に退いていった。
真珠庵。
かつて、一休宗純という破天荒な禅僧がおり、その一休の開山である庵。
随所に一休あるいは一休の弟子による作品があり、中でも白眉は、今、宗易が憩っている方丈の庭、「七五三の庭」である。
「七五三の庭」とは、石七つのかたまり、石五つのかたまり、石三つのかたまりを庭に配置しているため、そう呼ばれる。
この庭を作庭した者こそ。
「珠光はん、何か善い考え、ありまへんか」
珠光。
一休の弟子にして、わび茶の創始者として知られる茶人である。
宗易は珠光を私淑しており、宗易が最初に使った茶器は、珠光茶碗であるといわれる。
「はあ……」
今、この方丈には宗易一人だ。
つまり、宗易と珠光の、一対一だ。
宗易は勝手に、そう思った。
「心の師とはなれ、心を師とせされ……か」
それは、珠光がその一番弟子である古市澄胤に与えた「心の師の文」の一節である。
元は、恵心僧都による往生要集の言葉で、「自分で自分の心を導いていくように。逆に、(執着にとらわれるような)自分の心を、その自分が引きずられることがないように」という意である。
そして、こう言ったとも伝えられる。
「月も雲間のなきは嫌にて候」
雲間のない、完璧な満月は嫌だ、という言葉である。
その意味するところは。
「雲間の中、欠けた月の方が善いいうこと」
何故なら。
「欠けた月の方が、全き月を想うことができる、その方が」
あっ。
宗易は、声にならない叫びを上げて、飛び上がった。
「これや」
この発想。
このためにこそ、自分は今、大徳寺真珠庵に来たのではないか。
「天の配剤や」
「宗易どの」
いつの間にか、ひとりだけだと思った真珠庵の方丈に、ひとりの女人がいた。
「ねねさま」
秀吉の正室、ねね。
のちの北政所である。
*
ねねが言うには、秀吉の指示があまりにも茫洋としているため、助け舟を出しに来た、とのことである。
「ですが何か思いついた様子。余計な差し出口にならなければ」
「そんなこと、あらしまへん」
雲をつかむような話――二畳の狭小な茶室。
その雲が、ようやくつかめそうなくらいだ。
「そやけど、その雲に何が隠れているか、それを知りたい」
「…………」
ねねは曖昧な笑みを浮かべた。
それだけ、宗易の問いが、核心に迫っている、ということらしい。
ねねはからっとした気性で、表裏が無い、器が大きいとして知られる。
そのねねがこのような態度をとるということは、よほどのことがその雲の向こうにいるらしい。
「わかりました」
ねねは、宗易のその思考を中断させるかのように、言い切った。
「秀吉が何をしたいかは、実は妾も知りません。妾も聞いていないのです」
ねねと秀吉の間には、秘密は無いようにしていた。
だがあの本能寺の変を経て、秀吉はねねに秘密を持つようになった、という。
「仕方がないことだと思うのです。本能寺のあの時、信長さまと帰蝶さまが亡くなったあの時、妾と秀吉は、近江長浜と備中高松に、分断されていました。だから、伝えられないことがあっても仕方ない、と」
帰蝶というのは濃姫のことである。
そして秀吉は、本能寺の変を乗り越え、山崎の戦いに勝った。
織田家の、天下の覇権争いに乗り出した。
「それと、今や自分が天下のあるじ、いえ、少なくとも、それを目指す立場。秘密があっても仕方ない、それも、妾を守るためだ、と言われたら、なおさら」
京を抑えた秀吉。
その京を守るかのように、山崎城。
その守るべきものは、何なのか。
己の覇権か。
家族か。
それとも。
「その何かを象るもの、それが宗易どのの頼まれた茶室でしょう」
あまりに話が大きい。
それに謎めいている。
だが、宗易は。
「宗易さま。笑っておられるのですか」
「これは」
宗易は手で顔を覆った。
禅の教えに、不立文字という教えがある。
その意は、悟りは言葉にできないという意味だ。
それと同じく、茶も、言葉にできない何かを相手にする。
そう、宗易は信じている。
「それを、この茶室で表すことができるんやないか」
それが、宗易の笑みだ。
この先、雲の向こうに何があるのか、何を待つのか。
それは、宗易にはわからない。
わからないからこそ。
「作ったる。この茶室、この宗易が心血を注いで、作ったる」
「宗易さま……」
ねねは、まるで奇なるものを見るような目で、宗易を見ていた。
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