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依頼2ー無気力の蔓延る科学国家マギリウヌ国
果てなき欲
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「分離させないって、大丈夫なんですか? 精神を喰われるんじゃ」
「喰われたねぇ。しかしこいつの好物は知識でね」
アウリムは自分の背後にあるペンを、立てた親指でくいくいと指した。
「喰われた精神はほんの一部。むしろどこをどう喰われるのか、興味深かったよぉ。全く問題ないねぇ」
アウリムにとって、己でさえ実験対象なのだ。知識欲、探究心を満たす手段の一つでしかない。
犠牲などアウリムは考慮していない。もたらす恩恵などどうでもいい。
物の成り立ちを、成り立った理由を、果てに何があるのかを、何故こんなことが起こるのか、知りたい。知った知識を検証したい。仮説を証明したい。証明の為に実験をしたい。
その為ならばあらゆる物質、生物、現象が観察対象であり、実験対象であった。そこには自分すら当然のように含まれる。
実験の為に創り出した道具が人々の生活を向上させた。好奇心を満たすための研究が文明を発展させた。しかしアウリムにとってそれは単なる副産物であり、コントロールして利益へと変換するのはボロス元首の采配でしかない。
ただただ、アウリムは己の果てなき欲を追求し続ける。それだけであった。
「貴方は狂ってます」
ポルクスは顔色を白くさせ、右手で自分の左腕を掴んだ。自分自身を実験対象にするなど考えられない。
「そんなことは周知の事実。私は君も大概だと思うがねぇ。ポルクス・キングス」
「……は?」
「己を削って他人のために動く。その在り方の方が余程狂っている。君も私も忠実なる己が欲の僕なのだよぉ。単なるねぇ」
口の中が一気に乾き、治まりかけていた目眩がポルクスを襲う。アウリムの言う通りなのかもしれない。からからになった口をなんとか動かそうと足掻くポルクスの手に、柔らかく小さな手が重なる。
「ポルクスと貴方は違う」
驚いて隣の白い相貌を見つめる。『私と貴方は違う』そう、以前にも言われた。あの時ポルクスは拒絶の言葉だと思ったけれど、今のコハクの言葉は意味合いが違って聞こえた。
「人は一人として同じ者はいない。欲も、罪も同じものはないわ」
茶色の破片が乱舞する黄褐色の瞳は、強い光を湛えてアウリムを見据えていた。妖魔を魅了する光とは違う、コハクの意志が点す光が燃える。
欠片の一つが飛び出して質量を変え、一人の青年が現れる。ゆるく縛った長く白い髪を背中に流した、右が赤、左が青緑という風体の優男は、嫌そうに赤の目をすがめた。
「まあ、俺もコハク様に同意ですねぇ。この男程の狂人なんていやしませんよぉ」
ふんと鼻を鳴らしてヤクロウマルは、アウリムを睨み付けてからポルクスを流し見る。色違いの瞳に射ぬかれるとなんとなく迫力があって、ポルクスは冷や汗を垂らした。
「増血と疲労回復、かなぁ。まあ、今回は面白いものを見れたのが対価ってことにしとくよぉ」
ヤクロウマルは袖に病的な白さの腕を入れてから、また出した。出した手には小さな瓶が握られている。
反射的に受け取ると、飲めと促された。恐る恐る蓋を開けると、どろりとした緑の液体がつんと鼻につく青臭さを放っている。少し眺めてから一気にあおった。
「っまっずっ!」
あまりの苦さと妙な後口に涙目になりつつ、なんとか飲み込む。口の中が苦くて生臭い。
「さて、ポルクス・キングスくん。素晴らしい実験だったよぉ。君は見事、『石』になる過程を見せてくれた。もう一つの条件は覚えているかねぇ?」
「勿論です」
口の中でいつまでも主張する味をどこかへやろうと、必死に唾を飲み込んでいたポルクスは、胸ポケットから色付きの『石』を取り出し、アウリムへと差し出す。もう一つの条件とは、妖魔との対話で得た『石』を譲るというものだ。
アウリムは、ピンクとグリーンのバイカラーになった石をポルクスから嬉々として受け取り、上から下からと様々な角度で眺めた。
やがて満足そうに頷くと、背後の妖魔へ『石』をかざす。巨大なペンは、空中へ書き込む速度を増した。
「ふぅむ。成る程。……いや、それなら……ここを……」
ぶつぶつとアウリムが呟き、ペンが宙を走る。ふいに、忙しく動き回っていたペンがぴたりと止まった。アウリムの持つ石とペンが仄かに発光し、書き換えが完了する。
さらさらと形を崩して『石』が粉へと変わっていく。アウリムが懐から出した瓶に詰めて蓋をした。
石が全て粉になってしまったのを見て、ポルクスは目を丸くする。
「ミズホ国の宝石って、確か恐ろしく高額でしたよね。粉にしちゃっていいんですか?」
『ポルクス。貴方って人はこの状況で暢気な質問を』
「あっ、ごめん」
呆れたように緑の瞳を細めたミソラが、尻尾で青年の腕をばしばしと叩く。確かにお金がどうとかいう問題ではなかったと、ポルクスは両手で口元を塞いだ。
「金の事など私は知らないねぇ。そんなことよりも先ほどの高位妖魔の『石』だよ。それを譲る気はないかね?」
「いいえ。そこまでのお約束はしてません」
アウリムの問いへポルクスは即答した。なんとなく碌な事にならない気がしたのだ。
「いい判断だよぉ。その『石』は渡さない方がいい。ま、もう目を付けられちゃってますけどねぇ」
ヤクロウマルが腕組みをしたまま吐き捨てるように言った。右足先がせわしなく床を叩いている。
ヤクロウマルはアウリムを宿主として生まれた妖魔だが、それは半分だ。
かつて妖魔の宿主となり、アウリムの実験体となった哀れな男。男の中に巣くっていた妖魔と、実験の凄惨さにアウリムの罪を感じた科学者たちの認識からアウリムを宿主として生まれた妖魔、二体の妖魔が喰い合って融合したのがヤクロウマルであった。
だからヤクロウマルは常に多面的で安定しない。冷静に分析し事を進める知性的な部分と、直情的で馬鹿な部分。対価を要求する現実主義さがあるかと思えば、好奇心の赴くままに行動してしまう。大胆に行動したと思えば、今度は相手を恐れて動かない。気まぐれで不安定な妖魔だった。
「コハク様、もういいでしょう? 俺は戻りますよぉ。この男の前には一分一秒でも居たくないもんでねぇ」
「ええ。ありがとう、ヤクロウマル。チヅルもありがとう」
コハクの一言を合図にヤクロウマルが破片に戻り、瞳に吸い込まれる。壁や床が一斉に紙切れとなって剥がれていき、結界が解けた。
「喰われたねぇ。しかしこいつの好物は知識でね」
アウリムは自分の背後にあるペンを、立てた親指でくいくいと指した。
「喰われた精神はほんの一部。むしろどこをどう喰われるのか、興味深かったよぉ。全く問題ないねぇ」
アウリムにとって、己でさえ実験対象なのだ。知識欲、探究心を満たす手段の一つでしかない。
犠牲などアウリムは考慮していない。もたらす恩恵などどうでもいい。
物の成り立ちを、成り立った理由を、果てに何があるのかを、何故こんなことが起こるのか、知りたい。知った知識を検証したい。仮説を証明したい。証明の為に実験をしたい。
その為ならばあらゆる物質、生物、現象が観察対象であり、実験対象であった。そこには自分すら当然のように含まれる。
実験の為に創り出した道具が人々の生活を向上させた。好奇心を満たすための研究が文明を発展させた。しかしアウリムにとってそれは単なる副産物であり、コントロールして利益へと変換するのはボロス元首の采配でしかない。
ただただ、アウリムは己の果てなき欲を追求し続ける。それだけであった。
「貴方は狂ってます」
ポルクスは顔色を白くさせ、右手で自分の左腕を掴んだ。自分自身を実験対象にするなど考えられない。
「そんなことは周知の事実。私は君も大概だと思うがねぇ。ポルクス・キングス」
「……は?」
「己を削って他人のために動く。その在り方の方が余程狂っている。君も私も忠実なる己が欲の僕なのだよぉ。単なるねぇ」
口の中が一気に乾き、治まりかけていた目眩がポルクスを襲う。アウリムの言う通りなのかもしれない。からからになった口をなんとか動かそうと足掻くポルクスの手に、柔らかく小さな手が重なる。
「ポルクスと貴方は違う」
驚いて隣の白い相貌を見つめる。『私と貴方は違う』そう、以前にも言われた。あの時ポルクスは拒絶の言葉だと思ったけれど、今のコハクの言葉は意味合いが違って聞こえた。
「人は一人として同じ者はいない。欲も、罪も同じものはないわ」
茶色の破片が乱舞する黄褐色の瞳は、強い光を湛えてアウリムを見据えていた。妖魔を魅了する光とは違う、コハクの意志が点す光が燃える。
欠片の一つが飛び出して質量を変え、一人の青年が現れる。ゆるく縛った長く白い髪を背中に流した、右が赤、左が青緑という風体の優男は、嫌そうに赤の目をすがめた。
「まあ、俺もコハク様に同意ですねぇ。この男程の狂人なんていやしませんよぉ」
ふんと鼻を鳴らしてヤクロウマルは、アウリムを睨み付けてからポルクスを流し見る。色違いの瞳に射ぬかれるとなんとなく迫力があって、ポルクスは冷や汗を垂らした。
「増血と疲労回復、かなぁ。まあ、今回は面白いものを見れたのが対価ってことにしとくよぉ」
ヤクロウマルは袖に病的な白さの腕を入れてから、また出した。出した手には小さな瓶が握られている。
反射的に受け取ると、飲めと促された。恐る恐る蓋を開けると、どろりとした緑の液体がつんと鼻につく青臭さを放っている。少し眺めてから一気にあおった。
「っまっずっ!」
あまりの苦さと妙な後口に涙目になりつつ、なんとか飲み込む。口の中が苦くて生臭い。
「さて、ポルクス・キングスくん。素晴らしい実験だったよぉ。君は見事、『石』になる過程を見せてくれた。もう一つの条件は覚えているかねぇ?」
「勿論です」
口の中でいつまでも主張する味をどこかへやろうと、必死に唾を飲み込んでいたポルクスは、胸ポケットから色付きの『石』を取り出し、アウリムへと差し出す。もう一つの条件とは、妖魔との対話で得た『石』を譲るというものだ。
アウリムは、ピンクとグリーンのバイカラーになった石をポルクスから嬉々として受け取り、上から下からと様々な角度で眺めた。
やがて満足そうに頷くと、背後の妖魔へ『石』をかざす。巨大なペンは、空中へ書き込む速度を増した。
「ふぅむ。成る程。……いや、それなら……ここを……」
ぶつぶつとアウリムが呟き、ペンが宙を走る。ふいに、忙しく動き回っていたペンがぴたりと止まった。アウリムの持つ石とペンが仄かに発光し、書き換えが完了する。
さらさらと形を崩して『石』が粉へと変わっていく。アウリムが懐から出した瓶に詰めて蓋をした。
石が全て粉になってしまったのを見て、ポルクスは目を丸くする。
「ミズホ国の宝石って、確か恐ろしく高額でしたよね。粉にしちゃっていいんですか?」
『ポルクス。貴方って人はこの状況で暢気な質問を』
「あっ、ごめん」
呆れたように緑の瞳を細めたミソラが、尻尾で青年の腕をばしばしと叩く。確かにお金がどうとかいう問題ではなかったと、ポルクスは両手で口元を塞いだ。
「金の事など私は知らないねぇ。そんなことよりも先ほどの高位妖魔の『石』だよ。それを譲る気はないかね?」
「いいえ。そこまでのお約束はしてません」
アウリムの問いへポルクスは即答した。なんとなく碌な事にならない気がしたのだ。
「いい判断だよぉ。その『石』は渡さない方がいい。ま、もう目を付けられちゃってますけどねぇ」
ヤクロウマルが腕組みをしたまま吐き捨てるように言った。右足先がせわしなく床を叩いている。
ヤクロウマルはアウリムを宿主として生まれた妖魔だが、それは半分だ。
かつて妖魔の宿主となり、アウリムの実験体となった哀れな男。男の中に巣くっていた妖魔と、実験の凄惨さにアウリムの罪を感じた科学者たちの認識からアウリムを宿主として生まれた妖魔、二体の妖魔が喰い合って融合したのがヤクロウマルであった。
だからヤクロウマルは常に多面的で安定しない。冷静に分析し事を進める知性的な部分と、直情的で馬鹿な部分。対価を要求する現実主義さがあるかと思えば、好奇心の赴くままに行動してしまう。大胆に行動したと思えば、今度は相手を恐れて動かない。気まぐれで不安定な妖魔だった。
「コハク様、もういいでしょう? 俺は戻りますよぉ。この男の前には一分一秒でも居たくないもんでねぇ」
「ええ。ありがとう、ヤクロウマル。チヅルもありがとう」
コハクの一言を合図にヤクロウマルが破片に戻り、瞳に吸い込まれる。壁や床が一斉に紙切れとなって剥がれていき、結界が解けた。
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