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君はずるいよ
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「か、勝ったぁ」
ばくばくと踊る心臓と、息をするたびに痛む肺。壁につけた手に体重をかけたまま、私は荒い息の合間に声を絞り出した。
あ、危なかった。
もうちょっとで負けるところだった。
「おっ、お前、なぁっ」
ぜいぜいと空気を貪る君が、私の横で同じようにざらざらとした壁に体重を預けている。壁についた手と苦しさに歪める顔の位置がやっぱり私より上で、やっぱりずるいと思った。
あんなに差がついていたのに、あっという間に追いつかれた。
ずるい。ずるい。ずるい。
私だって毎日部活してる。そんなに遅いほうじゃない。なのに全然速さが違う。
何よりも。
スイッチが入って、目がマジになった君。
私よりも長くて大きな手足がなんか綺麗で。
不覚にもかっこいいと思ってしまったじゃないか。
そっか。うん、彩菜。
先輩を好きになった彩菜の気持ちが少しわかった気がする。すこーしだけね。
私は君に惚れてないけど、それでもどきりとしたもの。
「しゃあねぇ、ちょっと待ってろ」
しばらく息を整えていた君が体を起こし、玄関に向かう。ポケットの鍵を使い扉を開けて、どかっとかばんを置くと二階へ駆けあがった。
私はへ? と目を丸くしたけど、脱ぎっぱなしでひっくり返っている靴を揃えて置き直す。そうしたら、君が戻ってきた。
「奢ってやるよ、ジュース」
「え? 今? 別に明日でもいいのに」
そもそも、ずるして勝ったんだから本当に奢ってもらわなくても良かったのに。そういうとこ、君は律儀だ。
「ダッシュして喉乾いただろ」
むすっとした表情の君が玄関の鍵をかけ直した。おばさんはまだ仕事なのだ。
うちのお母さんと違い、おばさんは正社員として働いている。定時で会社を出てから買い物をして帰ってくるから、もうすぐ戻る筈だけど。
急に背中が軽くなった。君が私のかばんを背中から取り、代わりに背負っている。
「ありがと」
「ん」
礼を言うと、短くぶっきらぼうな返事。思わず私の口元がゆるんだ。
君は人に優しくするとき、口数が少なくなる。
奢る必要ないのに、走ったから喉が渇いただろうと気を使ってくれたり。重い荷物を持ってくれたり。
君は優しい。それを褒めたり感謝すると仏頂面になって「ん」しか言わなくなる。
そういうところは、君のいい所だなって。
私は、そう思ってる。
うちの家の前を通り過ぎて三軒隣の前に自販機がある。
がちゃがちゃと小銭を入れると君が私を振り返った。
「どれ買うか選べよ」
「じゃあ、お言葉に甘えて」
ええと、喉が渇いてるからスポーツ飲料にしよ。
ためらいなくボタンを押すと、ペットボトルがガコンと落ちてきた。取り出してキャップを開け、ごくごくと飲む。
「ぷはーっ、うまい」
ペットボトルから口を離して、私は息を吐いた。喉を流れ、胃に落ちる冷たい液体が心地いい。君に言われた通り、本当は喉がカラカラだった。
持っている1.5リットルの水筒は部活終わりまでに空っぽになっている。厳しい残暑と体育祭の練習に部活。どれもこれもお茶がいくらあっても足りない原因だ。
「おやじくせぇ」
呆れて苦笑する君を私はじっと見る。部活の後、タオルで拭いたけどまた汗をかいていた。
走ったのは君も同じだ。君も喉乾いてるんじゃないかな。
「はい」
私はペットボトルを君の鼻先に突き出した。
「あ?」
「あげる。徹も喉乾いたでしょ」
君はきょとんと目の前のペットボトルを凝視した。今度は私の顔を見て、次に明後日の方向へ目を逸らすとペットボトルを押し返した。
「要らね」
くるりと背を向けて、すたすたと歩きだしてしまう。
「なんで? 喉乾いてないの?」
いつもより速足な君を小走りで追いかける。問いには答えず、じきに私の家の前まで来て君が立ち止まった。背負っていた私のかばんを無言で下ろし、両手で持つとやっとこっちへ体の正面を向ける。
あれ、ちょっと顔が赤い。
目を合わせないままの君が、ぼすんと私の腕にかばんを落とす。
「間接キスになるだろ、ばーか」
そんな捨て台詞を吐いて、君は走り出した。あっという間に背中が見えなくなる。
かばんを両手に抱えて、私はぽかんと君を見送った。
どうしてか頬が熱い。
今更、間接キスだなんて。
あんなにおやつを取り合って半分こしたじゃない。違う味のアイスを食べあいっこなんて、しょっちゅうしてたじゃない。
中学生になったら、急にそんなこと言うんだ。
恥ずかしいような、寂しいような、ちょっと嬉しいような、むずむず変な気持ち。
それともう一つ、よく分からない気持ちがぐるぐると回る。
胸がきゅうっとなるような、そんな気持ち。
かばんと一緒に持っていたペットボトルに目をやった。半分に減ったスポーツ飲料。温度差で小さな水滴が付きつつある。
私はかばんを背負い直すと、ぐいと残りのスポーツ飲料を喉に流し込んだ。きゅっとキャップを閉める。
火照った頬に当てると、少しだけ残った液体がたぷんと音を立てた。頬が濡れただけで、残り少ない冷えたスポーツ飲料は一度上がった熱を取ってくれない。
走ったせいだ。そうだ、うん。
ああ、やっぱり君はずるい。
変に意識させないでよね、ばーか。
ばくばくと踊る心臓と、息をするたびに痛む肺。壁につけた手に体重をかけたまま、私は荒い息の合間に声を絞り出した。
あ、危なかった。
もうちょっとで負けるところだった。
「おっ、お前、なぁっ」
ぜいぜいと空気を貪る君が、私の横で同じようにざらざらとした壁に体重を預けている。壁についた手と苦しさに歪める顔の位置がやっぱり私より上で、やっぱりずるいと思った。
あんなに差がついていたのに、あっという間に追いつかれた。
ずるい。ずるい。ずるい。
私だって毎日部活してる。そんなに遅いほうじゃない。なのに全然速さが違う。
何よりも。
スイッチが入って、目がマジになった君。
私よりも長くて大きな手足がなんか綺麗で。
不覚にもかっこいいと思ってしまったじゃないか。
そっか。うん、彩菜。
先輩を好きになった彩菜の気持ちが少しわかった気がする。すこーしだけね。
私は君に惚れてないけど、それでもどきりとしたもの。
「しゃあねぇ、ちょっと待ってろ」
しばらく息を整えていた君が体を起こし、玄関に向かう。ポケットの鍵を使い扉を開けて、どかっとかばんを置くと二階へ駆けあがった。
私はへ? と目を丸くしたけど、脱ぎっぱなしでひっくり返っている靴を揃えて置き直す。そうしたら、君が戻ってきた。
「奢ってやるよ、ジュース」
「え? 今? 別に明日でもいいのに」
そもそも、ずるして勝ったんだから本当に奢ってもらわなくても良かったのに。そういうとこ、君は律儀だ。
「ダッシュして喉乾いただろ」
むすっとした表情の君が玄関の鍵をかけ直した。おばさんはまだ仕事なのだ。
うちのお母さんと違い、おばさんは正社員として働いている。定時で会社を出てから買い物をして帰ってくるから、もうすぐ戻る筈だけど。
急に背中が軽くなった。君が私のかばんを背中から取り、代わりに背負っている。
「ありがと」
「ん」
礼を言うと、短くぶっきらぼうな返事。思わず私の口元がゆるんだ。
君は人に優しくするとき、口数が少なくなる。
奢る必要ないのに、走ったから喉が渇いただろうと気を使ってくれたり。重い荷物を持ってくれたり。
君は優しい。それを褒めたり感謝すると仏頂面になって「ん」しか言わなくなる。
そういうところは、君のいい所だなって。
私は、そう思ってる。
うちの家の前を通り過ぎて三軒隣の前に自販機がある。
がちゃがちゃと小銭を入れると君が私を振り返った。
「どれ買うか選べよ」
「じゃあ、お言葉に甘えて」
ええと、喉が渇いてるからスポーツ飲料にしよ。
ためらいなくボタンを押すと、ペットボトルがガコンと落ちてきた。取り出してキャップを開け、ごくごくと飲む。
「ぷはーっ、うまい」
ペットボトルから口を離して、私は息を吐いた。喉を流れ、胃に落ちる冷たい液体が心地いい。君に言われた通り、本当は喉がカラカラだった。
持っている1.5リットルの水筒は部活終わりまでに空っぽになっている。厳しい残暑と体育祭の練習に部活。どれもこれもお茶がいくらあっても足りない原因だ。
「おやじくせぇ」
呆れて苦笑する君を私はじっと見る。部活の後、タオルで拭いたけどまた汗をかいていた。
走ったのは君も同じだ。君も喉乾いてるんじゃないかな。
「はい」
私はペットボトルを君の鼻先に突き出した。
「あ?」
「あげる。徹も喉乾いたでしょ」
君はきょとんと目の前のペットボトルを凝視した。今度は私の顔を見て、次に明後日の方向へ目を逸らすとペットボトルを押し返した。
「要らね」
くるりと背を向けて、すたすたと歩きだしてしまう。
「なんで? 喉乾いてないの?」
いつもより速足な君を小走りで追いかける。問いには答えず、じきに私の家の前まで来て君が立ち止まった。背負っていた私のかばんを無言で下ろし、両手で持つとやっとこっちへ体の正面を向ける。
あれ、ちょっと顔が赤い。
目を合わせないままの君が、ぼすんと私の腕にかばんを落とす。
「間接キスになるだろ、ばーか」
そんな捨て台詞を吐いて、君は走り出した。あっという間に背中が見えなくなる。
かばんを両手に抱えて、私はぽかんと君を見送った。
どうしてか頬が熱い。
今更、間接キスだなんて。
あんなにおやつを取り合って半分こしたじゃない。違う味のアイスを食べあいっこなんて、しょっちゅうしてたじゃない。
中学生になったら、急にそんなこと言うんだ。
恥ずかしいような、寂しいような、ちょっと嬉しいような、むずむず変な気持ち。
それともう一つ、よく分からない気持ちがぐるぐると回る。
胸がきゅうっとなるような、そんな気持ち。
かばんと一緒に持っていたペットボトルに目をやった。半分に減ったスポーツ飲料。温度差で小さな水滴が付きつつある。
私はかばんを背負い直すと、ぐいと残りのスポーツ飲料を喉に流し込んだ。きゅっとキャップを閉める。
火照った頬に当てると、少しだけ残った液体がたぷんと音を立てた。頬が濡れただけで、残り少ない冷えたスポーツ飲料は一度上がった熱を取ってくれない。
走ったせいだ。そうだ、うん。
ああ、やっぱり君はずるい。
変に意識させないでよね、ばーか。
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