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5話

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先生は終始真剣な顔で話を聞いていた。親のことを話す時に私の表情が強張ることに気づくと、瞳に剣呑な光が宿ったが口は挟まなかった。

唯一口を挟んだのは全国模試で10位以内に入ったと言った時。

「え、9位?すげーな…あ、ごめん」

思わず漏れてしまったと言わんばかりに先生は慌てて口を押さえた。そういえば模試の結果は友人にも言わず、いの一番に母親に報告していたので褒められたのは初めてだ。

「…」

「?どうした、何処か痛い?」

「え?」

「気づいてないのか?今にも泣きそうな顔してる」

全く自覚がなかったが先生が言うのだからそうなのだろう。最後に泣いたのはいつだったか。多分子供の頃だ。泣いても自分の欲しいものは手に入らないと悟ってからだ、泣かなくなったのは。

「…初めて褒めて貰えたからでしょうか。友人にも話さずに母に1番に報告したから」

すると先生は途端険しい顔つきになり、何かを考えている。そして。

椅子から立ち上がり前のめりになったかと思うと、私の頭の上に右手を乗せた。驚きはしたけど、嫌ではなかったので私は大人しくしていた。

「佐上は凄い。全国模試10位以内なんて並大抵でない努力をしないと難しいし、俺は逆立ちしても無理だ。それにお前が17年間育った環境に居たら普通はぐれる。なのに真面目に生きてずっと優秀な成績保ち続けて。本当に凄いよ、尊敬する…今までよく頑張ったな」

優しく頭を撫でられる。両親にすらしたもらった記憶がない。それを、大して話したこともない先生にしてもらっている。なのに、自分でもよく分からないけど目の奥が熱くなって来て心が少しだけ軽くなった気がした。

「…先生」

「ん?」

「…軽率にこういうことしない方がいいですよ」

「…それはセクハラとかそういう方面で訴えるという…」

この流れから誰がそんなこと言うんだ。さっきも抱きついた時似たようなこと言っていた。このご時世、コンプライアンスが厳しくなっているから先生が心配するのも分からなくはないけど。

「違いますよ」

「あ、そうなの?じゃあどういう意味で」

先生は疑問に思っていたが、私は決して教えなかった。だって言えるわけがない。

軽率にこんな風に優しくされたら、チョロい子は惚れますよ、と。

そのチョロい子、の中には私も含まれていたから。





「それで佐上、実現可能か不可能かに関係なくこれからどうしたいか希望あるか?」

「希望?」

「例えば両親に社会的な制裁を加えて欲しい、とか」

穏やかじゃない単語が突然飛び出した。

「金だけ与えて、親としての責任を何一つ果たしてないのは育児放棄に当たると思う。然るべき機関に駆け込めば、現状を変えることは難しくともご両親に多少なり影響は出る。話を聞く限り2人ともそれなりの地位にいるんだろう?監査が入ったと噂が立つだけで今後に差し支えが出るんじゃないか」

「まあ、私今まで日記を付けていて両親に何をされたか、何を言われたか、何をされなかったのか自分でも引くくらい事細かに書いてるんですよ。あと小中の担任も私の家庭環境は察してましたし、お手伝いさんも父の実家に雇われてるといっても私に同情的です。行動を起こしたいと言えば協力してくれると思います」

「…やっぱ佐上強いな」

先生が感心したように呟く。そしてやるせなさが表情から滲み出ている。私は別に両親のことをどうにかしたくて日記をつけていたわけではない。ただ、誰にも話すことが出来なかったから、日記に書き記すことで自分の気持ちに折り合いをつけていただけ。

「けど、私は何も望みません。現状維持でいいです。どうせ大学を卒業して、1人立ちしたら向こうは縁を切るつもりです。法的には無理でも、関わりを絶てば良いと言ってましたから」

「言ってたって、誰が」

「父です。私が中学に入る直前でしたかね、それまでは面倒見てやるから安心しろと笑いながら教えてくれました」

先生が不快なのを隠そうともせずに顔を顰めた。眉がピクピクと動いてるので、相当怒っているようだ。

「両親共に人として碌でなしなのは理解してます。親になるのに向いてないんだというのも。これまではどうしても褒めて欲しくて、関心を持って欲しくて足掻いてましたが。もう止めます。お金を出して親としての責任を果たしたと思ってるのなら、それを全て受け取った後で笑顔で縁を切りますよ」

清々しい顔で言い切った私に面を食らっていた先生だが、やがて大きく息を吐いた。

「佐上がそう望むのなら俺は何も言わない」

「あ、でもこっちの生活を壊そうとしたら容赦しません」

「?」

「例えば、自分の将来のために会社の重役の息子や取引先の社長の息子と結婚しろとか言い出したら、全力で抵抗して今の地位から引きずり下ろしますよ」

「…子供を出世の駒にするってことか。時代錯誤甚だしいし、子供の意思も無視。最悪だな」

「両親もそんな感じで結婚したんで、私にも同じこと強要する可能性はゼロじゃないです、何せあんな人達ですから」

あえて明るく話したのに先生の表情が暗くて心配になる。

「今のところそういう話は出てないので、そんな深刻な顔しないでください」

「仮に、仮にそういう話が出たらまず俺に言え」

大して役には立たないけど、と申し訳なさそうに付け加えた。確かに一教師が生徒の家庭の問題に首を突っ込むことは出来ない。それでも、先生がそう言ってくれたのが何だか嬉しかった。

「はい、必ず言います。親戚付き合いほぼ無いので詳しくは分からないのですが割とそういう経緯で結婚した人ゴロゴロいるらしいですよ」

「マジか、上流階級怖いな」

「そういう話を聞くと、放置されてる方が良いとすら思います。プレッシャーに押し潰されながら、親の期待に応え続けるのも幸せか微妙ですし」

「それも一理あるけど…それでもなぁ」

先生は複雑そうな顔で唸っている。こっちが割り切ってるのに、先生がそこまで心配することはないのだが。

「佐上は今まで大丈夫だったからこれからも大丈夫だと思ってるかもしれないが、そういう奴はある時に突然ポッキリと折れることがあるんだよ。さっきフェンスを乗り越えようとしたのも、溜まり溜まったものが爆発した結果だと俺は思う。専門家じゃないから間違ってるかもしれないが」

そんなことはない、と咄嗟に否定出来なかった。多分私は昨日の母の言葉で、今までの努力を全否定された気持ちになった。ひいては自分の存在意義すら危うくなったのだ。

「根本的な解決は出来なくても、適宜ガス抜きは必要だ。お前悩みを相談出来る友達…居ないんだなその顔は」

そう、私は友達は多いが心の底から信頼出来る相手は多分居ない。外面を固めて弱みを見せないようにしてきた結果だ。自業自得だが、そんな自分が情けなくなってくる。

「これは俺のお節介だから、嫌なら無視して構わない。俺は放課後、ここに居ることが多い。もし愚痴を聞いて欲しくなった時聞き役くらいにはなれるぞ」

思いもよらない申し出に私は瞠目する。私の中では、そこまで気にかけて貰って嬉しいという気持ち半分に、申し訳ないという気持ちが半分がせめぎ合っている。

「…良いんですか、ここ先生の憩いの場ですよね。私が入り浸ったら迷惑では」

「迷惑ならそもそも言い出さないよ。まあ俺がここに居るって言い振らされたら困るけど、佐上はしなさそうだから」

確かに周囲にバラすつもりは毛頭ないが、一生徒を信用しすぎではと思う。寧ろ人を信用し過ぎないタイプだと見ていたのに。人は見かけによらない。

「先生そういうこと言うんですね、意外です」

「俺も驚いてる、何でだろうな」

私に聞かれても。「分からないですよ」と答える事しかできなかった。




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