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29話

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手早くシャワーを浴びて、乾き切っていない髪を一纏めにしたリゼットがキッチンに立つのと入れ替わりにテオドールが浴室に向かった。

リゼットはズボラとはいえ一人暮らしをして数年なので料理は出来る、一応。今は時間のないギリギリの中、人様に出せる最低限の見栄えのメニューを頭の中に叩き出す。冷蔵庫から取り出した野菜とベーコンを切ってトマソースを作る。パスタを作ろうと思ったが、一皿だけだと何か寂しい。こんな時は野菜を煮てスープにしてしまおう、とパスタに使わず余った野菜を鍋に入れて、これも煮込む。鍋をかき混ぜている時、いつの間にかシャワーを浴び終わったテオドールが横に立っていた。裸にシャツを羽織り、濡れた髪にタオルを被っている。色っぽい姿に胸が高鳴った。「美味しそうだ」と言う彼は邪魔をすることもなく(玄関での前科あり)、手伝う事はあるか、と申し出てくれた。リゼットがパスタを仕上げている間、鍋をかき混ぜて欲しいと頼む。

テオドールも一人暮らしをして長いので料理は頻繁にするらしい。彼のことだ、料理も美味いのだろう。今度自分の料理も食べて欲しいと言うテオドールに楽しみにしている、とリゼットは微笑みながら答えた。

我ながら上手く出来たパスタとスープに舌鼓を打ちつつ、向かい合わせで座ったテオドールと他愛もない話をしていた時、彼が徐にリゼットの顔を見つめていた。パスタの皿は空になっている。

「…リゼットは俺のこと、相当好きだったんだな」

感慨深そうに呟くテオドールに対し、発言の意図が分からないリゼットは首を傾げる。

「急になんですか?」

「リゼットは俺のこと淡白だと思っていたんだろう?俺も同じこと思ってたんだよ」

リゼットも自覚していたしこの1年交流を重ねていたテオドールがそう感じていても、何ら不思議ではない。

「だけど、実際のリゼットはキスしただけで気持ちよさそうにしてくれるし、求めたら応えてくれる。感度も良過ぎて、本当にいらやしくてたまらな」

「…」

明け透けな物言いをするテオドールを細目で睨むと彼はうっ、と言葉を詰まらせる。やはりテオドールは根っこのところは意地悪なようだ。

「人のせいにするのは嫌いなのですが…その、私がそうなったのはテオドール様のせいですよ。未だに疑ってます、あなたに経験がなかったというの。だって…」

当然情事の最中のテオドールを荒々しさを思い出し、赤面してしまうので俯いて顔を隠す。嘘をついたと疑われたテオドールがムッとする。

「そんなくだらない嘘つくわけないだろ、正真正銘リゼットが初めてだ。上手いと思ったのなら完全に君のせい。何かこう、君が乱れてるの見るともっと乱してやりたくなるというか、もっと自分のことを求めて欲しくなるというか…滅茶苦茶にしたくなるんだよ」

何だこの辱めは。耐えきれずリゼットは掌で顔を覆う。テオドールによる羞恥プレイは続行しており、リゼットがどれだけ艶やかで美しいか力説している。最終的に「リゼットが可愛すぎるのが悪い」という結論に達したようだ。理不尽が過ぎる。精神力をごっそりと削られたリゼットは羞恥で赤く染まった顔でテオドールを見上げた。

「…本当に恥ずかしい…」

「…申し訳ないが、その顔辞めてくれないか?可愛すぎて邪な気持ちを抱く…」

苦しそうな顔をしながら、また砂糖菓子みたいな言葉を。リゼットは身悶えながら文句を言う。

「…テオドール様、可愛いとか平然と言いますよね、恥ずかしくないんですか?」

「恥ずかしい?リゼットは頭のてっぺんから爪の先、睫毛の一本に至るまで可愛いのは事実だろう?事実を述べる事の何が恥ずかしいのか分からない」

「……」

もう何も言うまいとリゼットは諦観の境地にいた。誰だ、女嫌いな「氷の騎士」なんて言い出したのは。最早見る影もない。

「団員が話していたのだが、恋人に対しての愛情表現を欠かしては駄目らしい。態度で分かるはずだと言葉で伝えることを怠り、愛想を尽かされる男は多いと。リゼットに愛想を尽かされるのは想像するだけで自分の心臓を抉り出して息絶えたくなる程辛いので、そうならないよう努力を怠らないつもりだ」

別れたら死ぬと脅しているのか。シンプルに怖い。

「流れるように重いことを…あの、慣れてないのでお手柔らかにお願いします、本当に」

誇張なしで息も絶え絶えなリゼットに「善処する」と短く答えたテオドールは急に真剣な顔つきになった。いや今までも真剣な顔で不毛で馬鹿馬鹿しい言い合いをしていたのだ、この男は。しかしそれでも雰囲気が変わったのは分かる。



「リゼット、俺は自分でも引くほど重い男だと自覚している。そして今から更に重いことを言う」

わざわざ予告してくれるなんて親切だ。なので特に身構えないで「何ですか?」と促す。

「俺と婚約してくれ」

「え?…はい」

「…ん?」

何故か言った張本人がポカンとしている。

「…想像と違うんだが。もっと驚くだろう、若しくは交際して数日で婚約は重い…と引くかと思った」

「婚約に関してはこの間も言ってましたし、重いと自分から言い出したので『今すぐ結婚して一緒に住もう』くらいのことは予想してました」

「…」

「その手があったか、みたいな顔をしないでください…」

テオドールからしたら、ほんの数日前に「恋人として過ごしたい」と言い出した手前、すっ飛ばして同棲、結婚の選択肢が頭に存在していなかったのだろう。思い直されたら困る。少しばかり性急すぎる。世間一般的に求婚→輿入れが数日のうちに行われることも珍しくないのだ。こちらのペースに合わせてくれるテオドールが寧ろ珍しい。

そんなテオドールは食い入るようにリゼットを見つめていた。瞬きも忘れている。

「あの、何か」

「本気か?」

「本気ですよ、冗談で受けません」

「後でやっぱり気が変わった、は通用しないし絶対逃さないぞ」

「言いませんから、あと怖いです」

疑り深い。信用ないのか、と落ち込んでしまう。いや、それよりもリゼットな反応が軽過ぎるのが原因だと思った。恐らく一般的にプロポーズされた女性は目に涙を浮かべ、全身を震わせて喜びを表現するのだ。それを期待していたのだとしたら、申し訳ない。テオドールはリゼットの答えを聞き、強張っていた表情を崩し、大きく息を吐いた。


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