70 / 83
第二部
36話
しおりを挟む静香はカクテルを2杯飲み、櫻井も静香に合わせてビールをジョッキ2杯だけ飲んだ。それ以降気まずい雰囲気になることもなく、2時間程喋るとそろそろ帰るか、と櫻井の方から言い出し、静香も頷いた。
席から立ち上がろうとするとおもむろに「静香」と呼ばれ、顔を上げる。そこには妙に真剣な顔つきの櫻井が。さっきまでの軽快な雰囲気が消え失せ、妙にドキっとしてしまう。動揺したことを悟られぬよう、落ち着いた声音で問う。
「どうかしました?」
櫻井は目を伏せ、何かを迷っていたがやがて口を開いた。
「今日泊まっていって欲しい」
「…?」
お泊りの誘いだった。何を言われるのか身構えていたので肩の力が抜けてしまった。
「別に良いですけど、急に真剣な顔になるから何を言われるのかと思いましたよ」
努めて明るい声を出した。今までも何度か泊まっているしお泊まりセットも櫻井の家に置いてある。何ら問題はない。
だが、そこで気づいた。いつもなら「泊まっていくか?」と疑問形で訊ねていた櫻井が「泊まっていって欲しい」とハッキリ言い切ったことに。
(いや、言い方の問題なんて些細な事だし)
静香は気にしないことに決めたのだが、櫻井が熱の籠もった視線を自分に向けていることに、今気づいてしまう。そして静香の返答が満足いただけなかったのか眉根を寄せ、ため息を吐いた。
「…前言ったこと覚えてる?」
「…前?」
「数カ月云々」
あ、と思わず声を上げてしまった。思い至らなかったわけではなく、薄々気づいてはいたが認めるのが恥ずかしかったのである。櫻井は長い睫毛を伏せ、静香が聞き逃さないように、熱を孕んだ声でゆっくりと言い聞かせた。
「…数カ月経って、サイン会も終わったから。あの時言ったこと、したい」
それはつまり…そういうことである。
(サイン会終わったし近いうちに来るとは思っていたけど、流石に今日は予想できないでしょ)
静香は戸惑っていた。これでも一応女子、普段から色々なケアやら処理やらは行っている。下着の色も上下揃っている、はず。それでも心の準備というものは必要で、いや櫻井は許可を取ったり自己申告してくれるのだから優しい方だ。中には言葉少なで、そういう雰囲気に持ち込んで、そのまま…という人も居るのだ。そう考えると些か気が楽になる。予告無しで来られたら流石に困る、醜態を晒すことになる。というか今日一日そんな素振り見せてなかっただろう、と内心憤る。
(私が気付かなかっただけで見せてた可能性も…いやいや重要なのはそこじゃなくて)
では断るのか、と聞かれると断言は難しい。こちらとしてもやぶさかでないのだ。勿論不安はあるが、それは行為に対してというより経験豊富そうな櫻井が自分で満足できるかという点だ。一応ネットで色々調べたが、文字だけだと良く分からなかった。スポーツでもそうだが、世の中のことは大体実践あるのみ、なのだと。性行為にも通ずることがあるのかは不明。
緊張することの少ない静香にしては珍しく、ほんの少し身体が強張り始める。しかし、ウジウジ悩むのも自分らしくない。気持ちに関しては櫻井から申し出があった時点で決めてはいた。よし、と改めて覚悟を決め顔を上げる。
「よ、よろしくお願いいたします…」
視線をテーブルの空いた皿に落としながら、羞恥によりやや小さい声で応える。目元がうっっすらと赤く染まり、自分でも熱いのが分かった。やはり直視することは出来ない。
暫く待っても相手からの返答がなく、どうしたのだろう、と目線を櫻井に移すと。静香より遥かに上気した顔を右手で隠し、明後日の方向を向いている櫻井の姿が目に入る。
人は自分より慌てている人間を見ると逆に冷静になると言うが、これには「照れる」も含まれるらしい。妙に冷静になった静香は恐る恐る何やら見悶えている櫻井に聞き返す。
「何で私より照れてるんですか」
デリカシーがやや欠けている静香の容赦のない問いかけに櫻井は眉根を寄せる。
「…反応ないし断られると思ってたから、驚いて」
なるほど、駄目だと思ってたらまさかのOK。その分衝撃も大きいということか、理解は出来る。
「そんなに緊張します?」
静香が断ると思ってたらしいが、そんなつもりはなかった。まあ「そういう気分じゃない」と断ることはあるかもしれない、この先。ストレートに切り込んでくる静香に苦笑いを浮かべるしかない櫻井。
「スマートな誘い方が分からないから」
「スマートとかあります?じゃれ合ってるうちになだれ込む、酒でいい雰囲気になったところを連れ込む、やや強引になだれ込むイメージしかないんですが」
「言葉だけだと犯罪臭がする」
微妙な反応をされてしまった。確かに言葉のチョイスが良くなかった。因みに全て朱音から渡された漫画の知識である。すると何を思ったのか櫻井の形のいい唇が弧を描いた。何故か背中に変な汗を掻き、悟る。余計なことを言ったと今更気づいた。
「それ希望?じゃあ次からそうする、いやー積極的で嬉しいよ」
「いやちが」
首を横に振って否定するも聞く耳を持たない。素早く向かいの席から隣の席に移動して来た櫻井は少し焦る静香の耳元で「誘い方」を妙に艶っぽい声で吹き込む。ほぼゼロ距離で囁かれ熱い吐息がかかる。思わず想像してしまい、顔だけでなく体中の温度が高くなった静香は勢いよく離れる。肉食獣から必死で距離を取る小動物を想像させる行動に櫻井は声を上げて笑った。
「やっぱりこういう話題に弱いよな。照れて狼狽える静香、可愛いから見れて嬉しいけど」
悔しいが何も言い返せない。静香は今まで興味がなかった上に知識は全て漫画、小説から得ているため、リアルでそういったことをほのめかされると冷静でいるのは難しい。だが、それを認めるのも何だが癪だ。静香は恥ずかしさで見悶えているのを誤魔化すために、ニヤリと楽し気に笑う櫻井を無視し個室の出口へと向かう。
「っ…!早くしないと置いて行きますよ」
「はいはい、そんなに早く家行きたいの?」
「うるさいんですよ…!」
柄にもなくドスの効いた声で凄んでしまった。なのに櫻井は飄々とした態度を崩さない上に、感情を露わにしている静香を見れて嬉しそうだ。それを受けて静香はますます意固地になってしまう。だが、店を出た静香の手を掴み、揶揄いすぎたことを謝られると我ながらチョロいとは思ったが、あっさりと許した。いつまでもギクシャクするのは嫌だったから。素っ気なくもすんなりと機嫌を直した静香に櫻井は、こっちが目を背けたくなる程甘く綻んだ笑顔を向けてくる。徐に掴んだままの手を引くと、そのまま駅まで歩き出してしまう。
周囲の目が気になるから離して欲しいと頼んでも、櫻井はSっ気を発揮し離してくれることはなかった。結局櫻井のペースに乗せられたことを悔しく感じると共に、こういうのも悪くはない、とどこか楽しんでいる自分が居た。
0
お気に入りに追加
78
あなたにおすすめの小説

溺愛ダーリンと逆シークレットベビー
葉月とに
恋愛
同棲している婚約者のモラハラに悩む優月は、ある日、通院している病院で大学時代の同級生の頼久と再会する。
立派な社会人となっていた彼に見惚れる優月だったが、彼は一児の父になっていた。しかも優月との子どもを一人で育てるシングルファザー。
優月はモラハラから抜け出すことができるのか、そして子どもっていったいどういうことなのか!?
イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?
すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。
「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」
家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。
「私は母親じゃない・・・!」
そう言って家を飛び出した。
夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。
「何があった?送ってく。」
それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。
「俺と・・・結婚してほしい。」
「!?」
突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。
かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。
そんな彼に、私は想いを返したい。
「俺に・・・全てを見せて。」
苦手意識の強かった『営み』。
彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。
「いあぁぁぁっ・・!!」
「感じやすいんだな・・・。」
※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。
※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。
それではお楽しみください。すずなり。

俺を信じろ〜財閥俺様御曹司とのニューヨークでの熱い夜
ラヴ KAZU
恋愛
二年間付き合った恋人に振られた亜紀は傷心旅行でニューヨークへ旅立つ。
そこで東條ホールディングス社長東條理樹にはじめてを捧げてしまう。結婚を約束するも日本に戻ると連絡を貰えず、会社へ乗り込むも、
理樹は亜紀の父親の会社を倒産に追い込んだ東條財閥東條理三郎の息子だった。
しかも理樹には婚約者がいたのである。
全てを捧げた相手の真実を知り翻弄される亜紀。
二人は結婚出来るのであろうか。

【R18】幼馴染がイケメン過ぎる
ケセラセラ
恋愛
双子の兄弟、陽介と宗介は一卵性の双子でイケメンのお隣さん一つ上。真斗もお隣さんの同級生でイケメン。
幼稚園の頃からずっと仲良しで4人で遊んでいたけど、大学生にもなり他にもお友達や彼氏が欲しいと思うようになった主人公の吉本 華。
幼馴染の関係は壊したくないのに、3人はそうは思ってないようで。
関係が変わる時、歯車が大きく動き出す。

甘すぎるドクターへ。どうか手加減して下さい。
海咲雪
恋愛
その日、新幹線の隣の席に疲れて寝ている男性がいた。
ただそれだけのはずだったのに……その日、私の世界に甘さが加わった。
「案外、本当に君以外いないかも」
「いいの? こんな可愛いことされたら、本当にもう逃してあげられないけど」
「もう奏葉の許可なしに近づいたりしない。だから……近づく前に奏葉に聞くから、ちゃんと許可を出してね」
そのドクターの甘さは手加減を知らない。
【登場人物】
末永 奏葉[すえなが かなは]・・・25歳。普通の会社員。気を遣い過ぎてしまう性格。
恩田 時哉[おんだ ときや]・・・27歳。医者。奏葉をからかう時もあるのに、甘すぎる?
田代 有我[たしろ ゆうが]・・・25歳。奏葉の同期。テキトーな性格だが、奏葉の変化には鋭い?
【作者に医療知識はありません。恋愛小説として楽しんで頂ければ幸いです!】
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。


【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される
奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。
けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。
そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。
2人の出会いを描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630
2人の誓約の儀を描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」
https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる