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第二部
27話
しおりを挟む連れていかれたのは書斎。部屋に入り握られていた手が離されたと思ったら正面から包み込むように抱きしめられた。嫌ではないのでされるがまま、櫻井の腕の中に納まる。
「あの、どうかしました?」
「何となく」
何だその曖昧な理由は。別に抱き締めるのは構わないが人が居る時にこうして連れ出すのは如何なものか。絶対新條は自分たちが何をしているか察している。戻った後が気まずいだろう、お互い。暫く何も言わずぎゅーぎゅー抱き締められているとポツリと櫻井が声を漏らす。
「無性に抱きしめたくなった。新條が聞き出したのは複雑だけど自分じゃ聞けなかったこと聞けたから、凄く嬉しい」
「…ああ、どこが好きかってやつですか」
「うん、改めて聞けないしやっぱり恥ずかしいから」
「今一番恥ずかしいのは本人の前でバラされた私です」
不貞腐れた口調で告げると彼は笑った。
「後で新條先生には少し文句…っ」
急に腕の力が強まった。苦しいわけではないが、力を緩めるよう背中を叩いて促す。
「今は他の男の名前聞きたくない」
「そっちも…先生の名前出したじゃないですか」
「俺はいいの」
何という理不尽。納得がいかない。静香の不満を感じ取った櫻井は後ろに回した手で背中を擦り始める。宥めているつもりなのだろうけど肩甲骨の辺りを、背筋を指でなぞり出したのでくすぐったさから身を捩る。絶対良からぬことを考えているだろ、と押し付けられている胸板から顔を上げると。楽しげな櫻井と目が合った。
「あのくすぐったいんですけど」
「あ、ごめん」
「全く悪いと思ってないですね…気が済んだのならそろそろ離して」
と櫻井の腕の中から逃れようとするも、急に後頭部に手を回されたと思ったら彼の顔が近づく。何をされるか察し、口を両手で抑えて押し返す。
「駄目です」
「まだ何もしてないけど」
「もう慣れましたよ、そのパターン。先生来てるのにそんなことしたら口紅取れて、何やってたかバレます」
「大丈夫、あいつ気づかない振りしてくれるから」
何も大丈夫じゃない、静香が何を危惧しているのか全く分かっていないその態度が腹立たしい。
「そういう問題じゃなくて、人が来ているのに色々やっていたと知られるのが恥ずかしいんです」
「…変なところで恥ずかしがるよな、逆に側に人が居る時にこういうことするの興奮」
「しません」
目を見てハッキリと否定すると引き下がると思ったのだが、考えが甘かったらしい。どうしても今キスしたいらしく食い下がる。前々から分かっていたが櫻井はキスをするのが好きだ。触れあうだけのキスも深いキスも…互いの呼吸を奪い合う激しいキスも。
「じゃあ1回だけ、軽いやつにするから」
「…そう言って1回で済んだことないじゃないですか、しつこいし酷い時は唇腫れるんですけど」
「あー、その節はごめん。9割俺が悪いけどさ、君も嫌々言う割に気持ちよさそうにしてるしエロい声出すからこっちも興奮するんだよ」
平然と宣われ、今までキスされた時の自分の恥ずかしい姿が思い出されて体温が上がる。割と容赦なく胸板を叩くと「いった!」と叫ぶもののいつもみたいに解放してくれない。静香の腕力が女子の平均より強いと言っても、体格差と腕力の差はどうしようもない。相手に怪我をさせるつもりで暴れれば逃れることが出来るけど、そんな真似は出来ない。攻撃の手が緩んだ隙にちゅ、という音と共に唇に柔らかいものが触れすぐ離れていく。頑なに解放されなかった腕の中からもあっさり逃れられ、呆気に取られている静香に櫻井は話しかけた。
「1回って言っただろ、満足したからそろそろ…」
と言いかけていた櫻井の動きが不自然に止まりゴクリと唾を呑み込む音が聞こえたと思ったら、強引に顎を掴まれ上を向かされた。え、と半開きになっていた口に熱い舌が侵入してくる。驚きの余り逃げようとするがすかさず腰に手を回され身動きが取れない。結局、唇が触れ合うことはなく、何度も味わった口内を念入りに蹂躙していったあと銀糸を引いて静香は解放された。息を乱し頬を上気させた静香が櫻井を睨みつけると、同じく荒々しく息を整えていた彼は。
「何か物足りなさそうな顔してたから。あと唇触れなきゃ大丈夫だと思って」
そんな顔していない。光の速さで約束を反故にし、悪びれもしない櫻井の態度に流石の静香も頭に来た。自分ばかり恥ずかしい思いをするのは不公平だ、と頭に血が上っていた静香は冷たい声で「じっとしてて」と敬語も忘れ命令した。最初は戸惑っていた櫻井だが静香の怒気を感じ取り、「はい」と弱々しい声で答え言われるがままその場に直立姿勢になる。少し背伸びをし、隙だらけの彼のTシャツの首元をグイと引っ張ると抵抗される前に吸い付いた。
「は!ちょ!何やって!」
慌てて静香を引きはがそうとするが、腕に力は殆ど入っていない。口で言う程嫌がっていない証拠である。内心気を良くした静香が強めにキスをすると身体をビクンと震わせる。首筋から口を離し確認すると、服でギリギリ隠せる位置に薄く赤い痕が付いていた。やったことはないし、やり方も良く知らず勢いでやってみたがそれなりの出来に満足している。
「…人が居るのに恥ずかしいとか言う奴がこんなの付けないだろ…」
頭上から大きなため息と共に呆れかえった声が降ってきた。顔を上げると櫻井は声音と裏腹に満更でも無さそうで、頬が緩んでいる。
「私ばかり恥ずかしいのは気に入らないので。それに前に付けられた時のお返しです、鏡を見るたびに何とも言えない気持ちになればいいんですよ」
ふん、と鼻を鳴らす静香に顔をしかめる櫻井。言い返そうと口を開くが結局飲み込み、次に聞こえて来たのは小馬鹿にしたような言葉。
「…いい性格してるな、モテないよ」
「付き合っている人が居るのにモテても煩わしいだけです、仮に私がモテたらどうするんですか」
櫻井は口を尖らせ、不貞腐れた態度で告げた。
「決まってるだろ、全力で邪魔するし、つけ入るスキがないくらい見せつける」
ブレない回答に思わず吹き出しそうになった。今笑ったら絶対不機嫌になると分かっているので必死で耐える。自分の言葉が恥ずかしいのか頬を掻きながら、「そろそろ戻ろうか」と声をかけられ書斎の扉へと向かう。彼の背中を追い歩き出す瞬間「颯真さん」と呼び止めた。「何?」と彼が振り返ると一気に距離を詰め、つま先立ちになると無防備な唇に自分の唇を重ねた。触れてすぐ離れていったが、静香が初めて自分からしたキスだ。油断していた時に思わぬ急襲に遭った櫻井は目を見開き、口もポカンと開け硬直していた。
「先リビング戻ってますね」
何事も無かったように告げると櫻井を放置したまま書斎を出た。閉めたドアに寄りかかり自分の唇に触れる。たった今触れた櫻井の唇は暖かかったが、自分の唇は徐々に熱を帯び始めた。自分からするのは想像以上に恥ずかしいが、不思議と充足感で満たされていた。
「お帰り、あれ颯真は」
1人だけ戻ってきた静香に新條は不思議そうな顔を向ける。櫻井の言っていた通り、2人が何をしていたか分かっているだろうに触れてこない。下手に茶化されたら思わずきつい言葉を浴びせてしまうところだった。この対応でさっき勝手にバラした件はチャラにすることにする。
「急にお腹が痛くなったってお手洗いに」
「マジ?あいつ変なモノ食ったんかな」
真顔で言い放った嘘をあっさりと信じた新條を見て内心ニヤリとする静香。約10分後に戻って来た櫻井に新條は「腹大丈夫か」としきりに心配し、何のことだか分からない櫻井も大体の事を察し「え、あー昨日アイス食い過ぎたから」と適当に誤魔化していた。その際何か言いたげに静香の方を見ていたが、知らんふりをした。
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