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第二部
24話
しおりを挟むそれからは目まぐるしく日々が過ぎ去っていった。
週明けから、青崎樹を含む何人かの作家との打ち合わせと毎月発行している文芸雑誌の締め切りが重なり普段の倍忙しくなった。青崎樹も締め切りを破ったことこそないが、毎回ギリギリまで原稿を完成できない。本人曰く書いても書いてもこれでいいのか不安になる、とのこと。作品自体は面白いのでもっと自信を持ってもらいたいのだが、そう簡単ではないのだろう。青崎も関東に住んでいるので打ち合わせで何度か顔を合わせたことがあるが、兼業作家ということもあり何となく疲れている印象だ。それでいてやや後ろ向きな発言が目立つ。「仕事」の時は自信満々な櫻井と違い彼は常時、自分に自信が持てないのだろう。それでも気になることがあったら意見してくれるし、編集の言うとおりにするというわけでもない。これから先、作品を生み出していくうちに徐々に自信を付けていって貰いたい。
そして今日は雑誌の校了前日。
「石川先生の連載原稿まだ?」
「…それが他社の原稿にかかり切りで完成していないと連絡が」
「ちゃんと連絡取ってたの!?」
「それはちゃんと、その度に途中経過を見せてくれてましたし、あとは終わりの部分だけだと、まあその終わりが書けてないんですけど!」
「笑ってないで連絡取って!」
「はいぃぃぃぃぃぃぃ!」
(…うわ…)
地獄絵図である。今月、静香の担当作家は締め切りギリギリになることなく余裕を持って原稿を提出してくれたので、こんな傍観者的立場にいれるが。当事者だったら冷や汗ものだ。
もっとも本当に石川先生の原稿がギリギリまで完成しない、考えたくないが間に合わない場合うちの編集部総出で徹夜コースである。…うわぁ。今の編集長になるまではそれこそ校了前後は終電or徹夜が当たり前だったらしいが、現編集長が「徹夜するくらいなら午前中からやる!」と方針を変えたため、少しばかりホワイトになったとのこと。それでも20時を回ることは多々ある。
編集長は大きくため息を吐いた。
「…石川先生を見てると清水先生がどれだけありがたい存在か身に染みるわ。言動は兎も角締め切り破らないし。あの先生うちで2シリーズと連載持ってて、他社でも書いてるんでしょ…頭の中どうなってるのかしら」
「…分かりません」
「あんまこういう言葉使いたくないんだけど、ああいうのを『天才』って言うのかもね」
「…」
「そうですね」と当たり障りのない返答をしようとしたが、何故か愛想笑いを浮かべるだけに留めてしまった。何を持って天才と定義するのか、良く分からなくても「清水学」は執筆速度、作品のクオリティー、一定の売り上げを保つ点を鑑みても「天才」と言って差し支えないないだろう。しかし、彼の作品やそこに至るまでの道のり、全てをひっくるめてただ一言「天才」と纏めてしまっていいのか迷ってしまう。普段は滝のようにアイデアが湧き出る!と豪語している櫻井も、実は血反吐を吐く思いで物語を紡いでいるかもしれない。そんな素振りは一切見せないし、これからも真剣な顔でPCに向かう姿しか見せないのだろうな、とボンヤリと思った。意識を遠くに飛ばしていた静香はある編集の大声で引き戻される。
「すみません!石川先生また音信不通になりました!」
「スマホに仕込んだ位置確認アプリの確認!駄目なら興信所に連絡して何としてでも引き摺って原稿書かせなさい!!」
今日は終電コースかな、と遠い目をして考えた。ちなみに本気で逃亡する問題のある作家には位置確認アプリを仕込み、それも感知された場合プロの探偵を雇うこともあると言う。静香は一応親戚の営んでいる興信所を紹介しておいた。それから「すぐ見つかったから椅子に縛り付けて原稿書かせることが出来た」「SNSもアプリも全部チェックして問題ないと思ったのに、毎回毎回見つかるから諦めて真面目に仕事するようになった」等と涙ながらに礼を言われることが多くなり、作家ってそんなのばかりなのかと苦笑いを返すことしか出来なかった。
校了明けで死屍累々な光景が広がる編集部の自分のデスクに座っている静香の元に来客が来た。営業部の井上と名乗ったのは、30代半ばくらいの女性で清水のサイン会の担当になったと挨拶に来た。書店との交渉はこちらがやるので、数カ月後のサイン会の形態を具体的に決めていこうと。そしてやけに感心したように言われた。
「清水先生、サイン会は勿論インタビューもNGだったのよ。…少し変わった人だという噂は販売にも届いていたんだけど…どうやって承諾させたの」
神妙な面持ちで聞かれたので思わず身構えてしまう。が、隠しても意味がないので正直に話した。
「どうやってと言っても、先生顔を出すのが絶対に嫌で人前も苦手、でもファンと直接会ってはみたい、とおっしゃって。なら顔を隠してサイン会するのはどうですかと提案したんです」
井上はフフッと笑った。
「聞いている立場だとそこまで難しい問題には思えないけど、今までの編集は提案すらしなかったのよね、時田さんと長井さんはそもそも断っていたみたいだけど」
急に井上は周囲をキョロキョロと確認し、誰もこちらの話を聞いていないと分かると小声で教えてくれた。
「…前担当だった前島さんが大きい声で話しているのを聞いたことがあるの『あの顔で人前に出たくないって嫌味かよ』って。あまりいい気分にはなれなかったわ」
当時の事を思い出している井上は不愉快そうに眉をひそめる。釣られて静香も自然に眉間に皺が寄ってしまう。前島は前の前の清水の担当編集で現在は他の出版社に転職している。静香は話したこともないが、他の編集部員曰く作家の意思よりも利益を何よりも重視すると。実際彼の担当作品はかなりの売り上げを叩き出しているし他社への転職もヘッドハンティングされたという話だ。が、話を聞けば聞くほど櫻井との相性がいいとは思えなかった。
「他部署の事に口を挟むべきじゃないと思って黙っていたけど、もしかして本人から聞いてた?」
「ええ、まあ」
容姿が良いのだから顔出しでサイン会をやるよう強く勧められた挙句、やらないなんて勿体無い等と言われたとは聞いていたが、前島だったとは初めて知った。が、彼ならそう言うだろうな、という妙な納得感があった。他の編集が話していたことを思い出す。前島は昔付き合っていた彼女をイケメンに寝取られたトラウマがあるらしく、陰では容姿端麗な作家にきつく当たっていたという噂があった。端正な容姿の人にコンプレックスがあったのだろうけど、そんなもの作家に関係ない。そんなくだらない嫉妬心が元で櫻井は編集に不信感すら抱いていたのだ。腹立たしいことこの上ない。
「まあサイン会は作家本人が本気で嫌がったら無理にやることでもないけど、清水先生の場合顔出しNGの人気作家がメディアに出ることへの話題性の大きさが鑑みられたんでしょうね、承諾を得られれば編集のキャリアアップにも繋がるし。多分前島さん以外の担当者も本人のためにとか言って強引に勧めたのかも。寧ろ編集者としてはそっちの方が正しいんだろうね」
「でしょうね、私も割と青臭いことを言っていた自覚があります、どうせ2年目だし駄目で元々だと」
それが元で不興を買って担当を外されても失うものはほぼなかったから。すると井上は柔らかい笑みを浮かべた。
「青臭くて良いんじゃない、それで現にサイン会開けることになったんだから。話題性抜群よ確実に。今までの編集唇噛んでるんじゃないの?」
「そうでもないんですよ、皆寧ろどうやったんだ!って感じで」
「…これ言っていいのか分からないんだけど清水先生そんなに面倒な人なの?」
「…締め切り守って会社に利益出していれば何しても良いよね、という人でしたね最初は。しょっちゅう呼び出されるし振り回されるし…そんな人です」
井上は静香の話を聞いて「えぇ…」という顔をして引いていた。
「本当にどうやって話通したの…」
「…何ででしょうね…」
「何で張本人が疑問形なのよ?…風見編集長から聞いてはいたけど面白いわね雨宮さん。これからよろしくね」
右手を差し出されたので自分も右手を差し出し、握手をした。サイン会を無事成功させるぞ、という決意表明だ。
「完成原稿確かに受け取りました、これから誤字脱字チェックをして校閲に回して、内容修正のゲラをお送りしますね」と櫻井から届いた完成原稿のデータを受け取ったあと、返信メールを書いていた。
これで初校は受け取った。余程の事がない限り予定通り新刊は7月に刊行できるしサイン会も7月に開催できるだろう。まだまだやることは山済みだが、取り敢えず一息吐いた。
そして、櫻井以外にも7月に新刊を出す担当作家は3人おり、2人は締め切り2日前までに提出し終わっている。進捗状況も逐一確認し打ち合わせも重ねた。万が一にもギリギリということはないとは思うが、油断は出来ない。気を引き締めていこう。
と、思っていたら原稿添付メールの次に別のメールが届いていた。
「サイン会に関することで大事な話があります、出来れば直接会って確認したいのですが」
(大事な話…?なんだろう、ここ数日は無理だな、締め切り立て続けだし)
取り敢えずすぐには無理だという旨を記載し、数日後を目途にまた連絡すると取り急ぎメールを返した。
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