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第一部
29話…S
しおりを挟む言いたいことを言い終えた颯真は恐る恐る顔を上げる。静香の顔を見るのが怖かった、軽蔑され切っていたら今度こそ立ち直れない、と思っていたがそれでも彼女の顔を見たいという欲が打ち勝った。
やっと見ることのできた静香は大きな瞳を更に見開き、戸惑い…耳を仄かに赤く染めていた。まるで颯真に告げられた言葉を喜んでいるように見えた。
(だから、そういう態度を取られると期待するんだって)
髪から覗く赤く染まった耳を触りたい、…舐めたいという最低な欲が湧いてきて誤魔化すために乱暴に髪を掻きむしる。彼女は少し何かを考え込んだのか数秒宙を見つめた後、再び颯真を見上げた。
「先生は私の事が好きだったんですか?」
「え?」
心底意外だと言う風に訊ねられ、その瞬間張りつめていた空気が一気に緩んだ。予想していたどの反応でもなく、今度は颯真が戸惑う番であった。
「驚くところ、そこ?…普通ドン引くでしょ、自分を傷つけた男に好きとか言われたらさ」
ため息交じりで呟く颯真の声色には拒絶されなかったことへの喜びが滲んでいたことを静香は気づかない。静香は納得がいっていないのか首を傾げた。その仕草すら可愛い、と感じてしまうあたり大概自分は静香に惚れているのだ、と改めて自覚させられた。
「いえ、先生は私の事を嫌っていると思ってましたから、驚きの方が強くて」
「は?何で」
予測不能な返答に思わず叫んだ。もうずっと前から櫻井は静香に焦がれていた、それこそ嫉妬に狂って手酷く抱くほどに。
「私が恋愛経験がないからでしょうか、好きな相手を…襲うわけがないと思いまして」
言いづらそうに口ごもった静香に颯真は「ッ」と声を詰まらせることしか出来なかった。まごうことなき正論だったからだ。そりゃそうだ、好きな相手を傷つける行為はまともな人間なら絶対しない。「好きだから」「嫉妬したから」等という言葉は免罪符にならない。彼女の言葉は自分の犯した罪の大きさを再認識させるには十分すぎた。
が、本当に分からなかった様子の静香は納得したようにうんうん頷く。
「つまり、先生のような男性はそれなりにいらっしゃる」
「いやいや!こんなクズ野郎そうそう居ない…」
自分で言っておいて自分の発した言葉が深々と心に刺さる。特大ブーメランだ。耐えきれなくなり玄関にしゃがみ込んだ。
「…そうだね、俺はどうしようもないクズだ。君もたがだか半年仕事しただけの相手にこんなこと言われて迷惑だろ。…この際だ盛大に振ってくれ、大丈夫もう二度と君の前に現れないからっ…!」
何を考えたのか静香は自分もしゃがみ櫻井と目線を合わせると、ぎゅう、と抱きしめ背中に腕を回す。静香の顔が颯真の肩に埋まる形になる。ふわっと彼女の匂いが鼻腔を擽った瞬間、玄関先ということも相まって、あの日の自分の手によって淫らに喘ぐ静香の姿が脳裏に蘇る。今すぐ自分の首を絞めて息の根を止めたくなったが、彼女の労わるような声で現実に引き戻される。
「…迷惑どころか嬉しいと感じてるなんて、私『変』な上に趣味も悪いのかもしれませんね」
耳元で言外に自分の悪口を言われ、言い返したくなったが、それ以上に彼女の言葉を理解するのに少しばかり時間を要した。今日自分は夢でも見ているのかもしれない、だってこんなにも自分にとって都合のいい言葉ばかり言うわけがないのだから。…しかし、それでも浅ましい颯真は静香の言葉を嬉しいと感じてしまう。華奢な体を欲望のまま掻き抱きたくなるのをグッと堪え、震えた声で返す。
「…それ、本気?ここで拒否しないと、もう逃がしてあげられなくなるよ」
それは最後通告だった。が、彼女は自分から離れようとしない。震える颯真を安心させようとポンポンと優しく背中を叩く。言葉はなかったけど、離れて行かないと肯定された気がした。観念したように、はーっと大きく息を吐く。
「…俺はちゃんと逃げ道用意したのに、後悔しても知らないから」
颯真は自分を抱きしめる静香の身体をゆっくり離すと白く柔らかな頬に両手で触れる。互いの鼻が触れる寸前まで顔が近づく。
「絶対担当降りると思ってた。数日前、恨み言も何も言わずに帰ったから。もう俺の顏も見たくないんだなって…」
「…ああ、あれは犯すほど自分の事嫌っている相手と居るのが気まずくて。顔を見られなかったのは事実ですけど」
あっけらかんと話す静香に颯真は苦笑いを浮かべる。あれほど自分は悩んで…いや、彼女も色々悩んでいたはず。今日颯真に会いに来るだけでも勇気を要した、と思う。静香の態度からは読み取れないけれど。柔らかい静香の頬を指でスッと撫でるとくすぐったいのか顔を動かした。「可愛い」という言葉しか頭に浮かばずもっと見たい、と邪念が沸き上がった時颯真は大事なことを聞くのを忘れていたことに気づく。真剣な眼差しで静香を見つめる。
「…身体大丈夫…?」
小さい声だが、それでも彼女に聞こえるように。数日前のことについて思い出した静香は咄嗟に顔を逸らそうとするが、頬を挟まれているためそれは叶わない。目を伏せ、頬をじんわりと赤く染めながらも彼女はか細い声で答えてくれた。
「…当日は腰とかあちこち痛かったんですけど今はもう平気です、ただ」
「ただ?」
含みのある言い方が気になり、つい聞き返してしまう。静香は言いたくないのか唇を噛むが、颯真がそれを許さない。無理をさせすぎたから、日が経ってどこか痛むことがあるかもしれない。何かあったら、颯真は自分を永遠に許すことが出来なくなる。
「何、どうしたの、どこか痛むんなら病院に」
心配の余り強い言い方になってしまった。静香は「違います」と慌てて否定した。
「痛むとかではなく…首に付いた痕が。ギリギリ服で隠せたんですけど中々消えなくて」
「っ…」
羞恥で赤く染まった彼女の顔を見つめながら、颯真は己の愚行をまた思い出した。そうだ、あの日嫉妬に駆られ彼女の白い首筋に、自分の所有の証とも見える痕を残したことを。ちらりと彼女の首筋に視線を落とすと、確かに服で隠れて見えない。が、この言い方だとまだ残ってるのだろう、自分の付けた印が。微かに喜んでいる自分をぶん殴りたくなる、本当に最低だ。
「立って」
「え」
突然の命令に戸惑う静香だが、促されるまま立ち上がり、颯真も続いて立ち上がる。身をかがめ、彼女の首筋に手をやる。
「首、見せて」
「え…はい」
真剣な颯真に押されつつも、頷いた彼女の承諾を得たと判断しゆっくりとワンピースの襟元を下げた。数日ぶりにしっかりと見た静香の白い首筋にはまだ、薄っすらと赤い花が咲いていた。遅くとも1週間で完全に消えるだろうけど。
(ずっと消えなければ見るたびに俺の事考えてくれるのかな…)
無意識にそんなことを考え出した自分に心底引いた。邪念を紛らわせるために指で優しく痕を擦るとくすぐったいのか、ピクリと肩を震わせる。
「…ごめん」
それは今日二度目の心からの謝罪の言葉。
「こんな痕まで付けて、傷つけて…謝って済む問題じゃないけど、せめて殴って。気のすむまで」
沈痛な面持ちで自分を殴るように促す颯真に静香はギョッとし、首を横に振る。
「殴りませんよ、急にどうしたんですか」
「だって君…」
言おうとして口を噤んだ。初めてだっただろう、と言おうとして辞めた。あの日気絶した彼女の中から己を引き抜いたとき表面に糸のような赤いものが絡みついていたし、欠片しか残っていなかった理性の中で、これ以上彼女の身体を痛めないように敷いたパーカーにも赤い染みが付いていた。颯真が静香の処女を散らしたと言う紛れもない証。
静香が颯真のことを好きだったと言っても結果論、無理矢理抱いたことに変わりはない。女性にとって処女を捧げる相手や雰囲気は特別だと言う。それをこんな形で奪った、殴られ罵詈雑言をぶつけられて然るべきなのだ。押し黙った颯真が何を言おうとしたのか察したのだろう、静香も何かを言おうとして口を開けたり閉じたりを繰り返す。
「私気にしていないので、結果的に先生が相手で良かったと思ってます」
そう言って微笑む彼女が無理矢理笑っているのではなく、心から相手が自分で良かったと告げているように見えているのは、自分の身勝手な妄想ではないのか。こんな時でも颯真を気遣っているのではないか、度の越えた献身は毒にしかならないよ、と諭したくなった。自分の言葉に耳を傾けず、険しい顔を続ける颯真に静香は急にため息を吐いた。
「…私が気にしないって言っているんですから、良いんですよ…また信じてくれないんですか」
悲し気な表情でそう言われると、無理だ。元々の発端は自分が静香の言葉に耳を貸さず、信じられなかったことにある。そこを突かれれば、颯真はこれ以上この件について触れ続けることは出来なくなる。もう静香の言葉を疑うような真似は出来ないし、したくない。颯真は乱暴に髪をかき上げ、大きく嘆息する。
「分かった…雨宮さんがそう言うのなら気にしない」
そう告げると彼女はホッとしたように顔を綻ばせる。…嘘を吐くことに対し罪悪感で胸が痛むが、今は心の奥底に仕舞っておこう。颯真は再び見下ろした彼女の両頬を手で優しく包んだ。
「…キスしていい?」
真剣な顔で訊ねた颯真に静香は意地悪く笑った。
「初めての時は強行したのに、今回は許可取るんですか」
「…もう傷つけないって約束したからね」
こんな時でも静香は通常運転だ、けど颯真は彼女が赦してくれたおかげで今こうして触れることが出来ている幸せを嚙みしめた。そして手酷く抱いた記憶を上書きするようにこれからは死ぬほど優しくすると誓った。こんな自分を受け入れてくれた静香を二度と傷つけ悲しませないと。
颯真はゆっくりと静香の唇に自分の唇を重ね合わせる。初めてではないのに、今までしたキスの中で一番温かくそして…酷く甘い。気持ちが通じあった相手とするキスはこれほどまで心が満たされるのだと初めて知り、あまりの気持ち良さに戸惑う。合わさっていた唇が徐々に熱を持ち始め、互いの体温が唇を通して伝わる。言葉がなくとも静香が自分とのキスを心地よいと感じてくれているのが伝わり、どうしようもなく泣きたくなった。
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