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第一部
27話…S
しおりを挟むそのままベッドに飛び込み泥のように眠った。10時間近く寝ても目覚めは最悪だったし、何も食べてないのに吐き気ばかりこみ上げて暫くトイレに籠らざるを得なかった。出すものも無くなった後、「友人」にメールを出した。もう会えない、と。好きな相手を傷つけた自分には一時でも慰めをくれる相手を持つ資格がないと思ったからだ。ここ最近…静香への感情を自覚しつつあった頃から誘いを全て断ってた。
元々「互いに好きな相手が出来たら解消」という取り決めの元成り立っていた関係だったが、颯真は自分にそんな相手が出来るとは思ってはいなかった。まさかこんな形で関係を解消することになるとは。なまじ顔が良かったせいで寄ってくる女が多く、その時だけは誰かが自分を必要としてくれるのが心地よくて、高校の頃から同じことを繰り返し今日まで来てしまった。
身勝手極まりないが、全員あっさり承諾した。向こうも自分と同じで複数と関係を持っていたし、ただ「セックス」が共通の趣味の知人と言う認識だったのだ。変に縋られることがなく安心したが、全員が淡白且つガキな自分にそこまで執着する理由がなかったのだろう。だが、理恵からはこんなメールが届いた。
「今までは『ただのセフレ』だったから何も言わなかったけど、最後だし言わせて貰う。あなたのやり方では欲しいものは絶対手に入らないわ。あの編集の子が気になっているのなら尚更、その子供の様な態度は改めなさい。どうせあなたのことだから口うるさい女、とでも思っているんでしょうけど、もう二度と会うこともないから問題ないわよね」
届いた直後は何だ年上ぶって、と生意気にも憤ったものだがすぐに返信することは出来なかった。言い返せる隙が一切なかったからだ。数時間後、一応今まで世話になったことへの礼を含めたメールを送ったが返信はない。多分これからも届くことはないんだろうと漠然と思った。
自分は愛情に飢えているところがあったのだろう、その癖愛情を抱いても家族のように返してもらえないことを恐れ拒絶していた。だが無意識に少しずつ踏み込んでいった静香にゆっくりと依存にも似た感情を抱いていった。静香からしたら男とお茶を飲んだり、出かけたくらいで嫉妬された挙句強引に抱かれた、わけがわからないはずだ。なんでこんなことをしてしまったのか、好きなのに傷つける真似しか出来なかったのか。自問自答を繰り返したが、答えが出たところでしでかしたことの重大さは消えることはない。
*********
それから数日経ったある日、朝の9時から鳴るインターホンの音を聞きながら、颯真は不機嫌な顔で玄関へと向かう。寝起きであまり頭が働かなかったこともあり、普段なら客の顔をカメラで確認することも忘れ、そのままドアを開けてしまう。
「…何、誰だか知らないけど来るのは10時以降にしろ…って…っ」
半開きの目が大きく見開かれ、息を呑んだ。寝ぼけまなこだった颯真の意識は完全に覚醒した。何故なら手ひどく犯した担当編集がドアの先に立っていたからだ。櫻井は淡いグリーンのワンピースに身を包んだ彼女の姿を見た瞬間、表現のしようがない歓喜と困惑でごちゃ混ぜになってしまった。本当は会いたかった、けど会ってくれるわけがない、欲望のまま犯した男に二度と会いに来るわけがないのだと自分に言い聞かせていたのに。
「何で君が…」
目に見えて動揺し震えた声で答えた櫻井と対照的に静香はいつもと同じ落ち着いた表情で颯真を見上げていた。
「朝早くから申し訳ありません、連載中の原稿と書き下ろしの原稿の進捗を確認しに来ました」
軽く頭を下げ、まるでこの間の事なんてなかったのかと錯覚してしまうほど彼女はいつも通りだった。そんな彼女に資格はないと分かってはいるのに苛立つ自分を抑えられなかった。だから颯真はわざと彼女を傷つける言葉を吐いてしまう。
「っ君やっぱり変だろ!あんなことされて何でまた俺に会いに来れるんだ!…絶対担当を外れると思ってたのに…っ」
叫んだ後ここが玄関先だと言うことを思い出し、「…取敢えず入って」と静香を中に迎い入れた。ドアを閉め、彼女と玄関で2人きりになると否応なくあの時の事を思い出してしまい、頬と…最悪なことに下腹部が熱を持ち始める。会いに来てくれて嬉しい、もう二度と傷つけたくないという気持ちと自分から離れて行かないように、ぐちゃぐちゃに犯したいという最低な衝動が颯真の中でせめぎ合う。が、どうにか押さえつけ表面上は冷静な声で問う。
「…で、無理矢理犯した男に何でまた会いに来たの。普通なら担当外れて二度と会いたくないって編集長に頼むでしょ、今までにも同じこと言った編集者いたんだから理由も詳しく聞かないよ…ああ、もしかしてまた抱かれに来たとか?俺の下で気持ちよさそうに喘いでたもんね、癖になった?何ならまた抱いてあげようか」
だが冷静だったのは声だけで出てくる言葉は明確に静香を傷つけ貶めるものばかりだった。あんなことをして傷つけた自分をそのまま見捨てることなく、会いに来てくれた静香をまだ傷つけようとしている。…彼女は優しく責任感が強い、だから駄々っ子のように理不尽な怒りをぶつけた颯真に同情して見捨てられないだけだ。同情なんてされたくなかった、するなら別の人間に向けてやれとも心の中で吐き捨てた。なら、もっとひどい言葉をぶつけて完全に嫌われてしまえばいい。ビンタの4つや5つ受ける覚悟は出来ていたしそれくらい喜んで受け入れようと思った。
颯真は伏せていた顔を上げ、やっと静香の顔を見た。大層軽蔑しきった侮蔑に満ちた表情をしているはずだ、そうに決まっている。そうなるよう仕向けたのは紛れもない自分なのに、それを自分の目で確かめるのが怖かった。クズの上にどうしようもない救いようのない奴だと自虐した。
だと思ったのに、静香は真っ直ぐに…出会った時と同じ凛とした瞳で颯真を見据えていた。そこには軽蔑も嘲りも浮かんでいない。
「っ…そんな目で見ないでくれ!…最低な奴だと、自分を傷つけたクズだと罵られると思ってたのに…何でそんな顔出来るんだよ?」
耐えきれず口から出たのは悲痛な叫び。傷つけようとした颯真の方が傷ついている。恥もプライドもかなぐり捨てて泣き出したくなった。いっそ罵倒されれば気が楽になったのに…思えば初めから静香のこの真っ直ぐに見てくる瞳がどこか苦手だった。自分のやっている幼稚で愚かな行為を咎められている気がしていた。だから最初は殊更きつく当たっていた、若い女子なんてすぐに値を上げるだろうと高を括っていたのだ。思い返しても子供のような理由だ。
そんなどうしようもない颯真に、静香は仕方のない人だとでも言いたげな柔らかく、慈愛に満ちた笑みを浮かべた。
「何で、と言われましても…ここ暫く自分でも考えました。普通なら清水先生の担当を降りて二度と接触しないようにするでしょうね」
彼女の口から「二度と接触しない」と聞かされて櫻井の顏は絶望で歪む。静香は「最後まで聞いて下さい」と先走る颯真を諫めた。
「…先生のこと最初は手のかかりそうな方だと思いましたけど、関わっていくうちに先生のことを放っておけないと思うようになりました、それも先生の振る舞いに慣れたからだと思ってましたけど。先生と連絡が取れなくなりらしくもなく焦る自分に驚きました。自分でも良く分かってませんでしたけど…先生に襲われた時怖いとか何でと言う怒りの感情ではなく、自分を信じてくれない先生に対する悲しみが湧いて来て心が痛みました…決定的だったのはあの日気を失う前に見た先生の泣きそうな顔です。あれではっきりしました、自分はこの人を放っておけない、見捨てることは出来ない、と。これも先生に言わせれば『変』なんだと思います」
自嘲気味に語る静香の話を聞き終えた瞬間、
「っ…」
目頭が熱くなり、ツーっと一筋の涙が颯真の頬を伝う。急に泣き出した颯真を心配そうに覗き込む静香を見て、取敢えず引かれてはいないと一先ず安堵した。…どうにか抑え込んでいたのに静香のせいでもう耐えられなくなった。引かれようがどうでもいい、と腹を括る。
「…好きだっ…」
それを皮切りに堰を切ったように押さえ込んでいた言葉が溢れてくる。
「今まで散々振り回して心も体も傷つけた俺が言う資格がないのは分かってる、本当にごめん…だけどもう無理。雨宮さんのことがどうしようもなく好きなんだ、君がこんな俺の事を編集者としてでも考えて寄り添ってくれるのも、ふとした時に笑ってくれるの嬉しくてたまらなかった。いつからか俺に対してだけ笑って欲しいって身勝手なことも考え始めた。…新條と喫茶店で笑ってるのを見てどうしようもなく嫉妬して、俺を探す時新條も付き合ったって聞いた瞬間、嫉妬に狂って君のことを無理矢理抱いた…これで君は俺から離れて行くって全部自分がやったことなのに死にたくなる程絶望した…」
一度言葉を切った颯真は改めて真摯な眼差しで静香を見つめ続ける。
「なのに、君は何もなかったかのように会いに来るから…こっちは二度と会えない気でいたのにさ。君の顔を見た瞬間会えてうれしい、もう二度と傷つけたくないって気持ちと、俺から離れて行かないように滅茶苦茶にしたいって言う気持ちでぐちゃぐちゃになった。最低だろ…こんなクソみたいな奴を放って置けないとかそういうこと言うと都合の良いように解釈するから、言わない方が良いよ、現に俺期待してるから。…さっきまでは同情なんてされたくないって思ってたけど、君の言葉聞いて気が変わった…同情でも何でもいい、俺から離れて行かないで…もう絶対傷つけない、大事にする…だからっ」
自分で言っておいて本当に情けなくなった。年上としてのプライドも何もかもかなぐり捨てて、年下の女の子に縋りつくなんて。無理矢理自分を抱いた男に何を言われたところで響くわけがないし、ドン引きされて今度こそ見捨てられてもおかしくない。…颯真は諦めが早い人間だった。親から愛情を向けられることはないと悟った時も、優しかった兄が本当は自分を馬鹿にし疎んでいたことを知った時もすぐに諦めて向き合うことから逃げた。
今までの颯真ならば、やらかしたことを後悔しながらそのまま逃げていただろう。しかし静香だけは、どうしても諦められる気がしなかった。諦めることしかしてこなかった自分が、切実に「欲しい」と思ったのが彼女で。だから静香の良心に付け込む形で縋り彼女に抱いていた感情を全てぶちまけた。みっともなくても最後まで、彼女が自分を本当に見捨てるまで足掻こうと言うのだから意外としつこい男だと笑った。
だが、これで静香が本当に自分に愛想が尽き自分を見捨てるということになったら、自分の中で区切りを付けられる気がした。静香とのことがあったあの日からセフレとは全員手を切ったから颯真にはもう自分を表面上でも慰める存在は居ない。たとえ静香と二度と会えなくなったとしても彼女のことを忘れられる気もしなかったし、そうして颯真は自分の自業自得で傷つけた女性の事を一生引き摺って生きていくのだろうという確信めいた予感がしていた。
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