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第一部
22話
しおりを挟む残った休みは一日部屋に籠り積んであった本を消化しつつ、のんびりと過ごす。どっかの誰かのせい(言いがかり)で溜まっていた本を何冊かは読むことが出来た。歩き回った疲れもすっかりと取れ、穏やかな気持ちで最後の休みを終える。
休みが終わってからはそれなりに忙しかったが頭の片隅には櫻井のことが引っ掛かっていた。北海道か沖縄、もしや海外でバカンスを楽しんでいるのかと思っていたが。
「箱根に行ってた」
連絡が取れなくなってから3週間、やっと来たメールがこれだった時の自分の気持ちを誰か分かって欲しい。口から「は?」と呆れ切った声が漏れそうになるのを必死に抑え、思わずスマホを力強く握りしめた。このメールが届いたのは土曜の朝。常識的に考えると直接理由を聞きに行くのは週明けの方が良い。そう頭では分かっていたし、何なら電話をかければ本人の口から直接聞くという目的も叶う。だがメールが届いた瞬間の静香は「アポなしで訊ねる」と決意していた。
どうにも、今すぐ直接話さないと気が済まなかった。手早く身支度と整えて家を出る。その直前に新條に「箱根に居たそうです」と短いメッセージを送ると10分後に「え、マジ?というか俺にはまだ何も来てない」と櫻井が自分に何の連絡も寄こさなかったことを悔しがっているメールが届いた。悔しがる必要はない、櫻井が先に自分に連絡を取ったのは気まぐれだ。怒っているであろう自分を面白がり、更に揶揄うため。それだけだ。
ささくれだった心のまま、見慣れたマンションのエントランスに辿り着き相手を呼び出す。すぐさま聞きなれた、ほんの少し懐かしい声が返ってくる。
「…おはよう」
「おはようございます。お久しぶりです先生、休日の朝早くに突然申し訳ありません。大事なお話があるのですが」
櫻井の言葉を遮り、一息で言い切る。「大事な」を強調し恐らく普段のトーンよりも数段低い声の静香に顔は見えなくとも櫻井が息を呑んだのが分かった。静香が来た目的も当然分かっているので、すぐに自動ドアが開く。さて、言いたいことはたくさんある。頭の中で整理しつつ部屋へ向かう。
久しぶりに会った櫻井は全く悪びれた様子もなく、初対面の時を彷彿とさせる軽薄そうな笑みを浮かべていた。玄関に招き入れられた静香は厳しさすら感じさせる完全なる真顔。2人の間には結構な温度差があった。
「…改めてましてお久しぶりです先生。箱根に行かれたそうで、楽しまれましたか」
「久しぶり…怒ってる?」
「怒ってません」
「いや絶対怒って…まあいいや。箱根、楽しかったよ。といっても殆ど部屋で小説書いていたけど」
新條の予想が当たっていた。やはり観光することなく部屋に籠っていたらしい。見つけられないわけだ、しかも泊まったホテルの名前は聞き出したリストの中になかった。新規開拓したとのこと。そもそも素人が人探しなんて土台無理な話だったのだ。
「そうですか、ところで私の記憶違いでなければ長期でどこかに行かれる際一言連絡をくれるという話だったと思うのですが」
いきなり本題を付きつけると目を泳がせた後、「ああ、忘れてた」と一言。あ、わざとだと瞬時に察した。真意は分からないが、静香が多少なりとも心配すると見越した上で一切の連絡を断ったのだ。この時、言うつもりのなかったことを目の前の男に聞かせてやろうと決めた。確実に迷惑がるだろうが、知ったことではない。散々心配をかけ、振り回したのだ、これくらい許されてもいいはずだ、と。静香が目を細めると櫻井が顔を強張らせる。ヘラヘラとした雰囲気が今だけは鳴りを潜めた。
「忘れていましたか、そうですか私休みを取って探したんですよ。色んな方に先生の行先の心当たりを聞いて、全部回るのは不可能なので当たりを付けて箱根に。予想は当たってましたが、素人が人探しは無理でしたね。言っておきますが心配したわけではなく、ただ直接文句を言いたかっただけです」
言いたいことを吐き出して少しスッキリとした静香を見る櫻井の表情には驚愕の色が浮かぶ。目を見開き、口もポカンと空いたまま見つめている。迷惑がると思っていたのに、少し想像と違う反応。驚きの方が大きかったようだ。確かにただの担当編集がここまでするとは誰も思わない。締め切りを破りそうなわけでもない失踪癖のある作家を探し回るような真似。不愉快だと言われても仕方ないと思っていたのに。
予想に反し櫻井の顔に不快そうな様は見られない。寧ろ口角が薄っすらと上がっており、笑っているのだと理解した。
(何で笑ってるの?)
普通何でそんなことするんだと疑問に思うか、そこまでするかと引くかのどちらか。若しくは怒るか。そのどれでもないことに内心戸惑う。穿った見方をすれば静香が探し回ったことを喜んでるとも…それはないかとすぐさま否定した。互いに何も言わず沈黙が訪れたが、破ったのは櫻井の方。
「えーと、俺を探し回ったって本当?」
「こんな意味のない嘘吐きませんよ、本当です」
未だにらしくもない行動を取った自分が不思議でならないが、紛れもない事実だ。
「何で」
「心配したからです、先生からしたら余計なことをしてと思うかもしれませんが」
「いや、思ってないけど」
気まずいのか顔を逸らされる。そのままの状態で櫻井は続けた。
「わざわざ休み取ってそこまでする?」
そこを突かれると何も言えなくなる。自分でも答えに辿り着けていないのだ。あからさまに眉間に皺を寄せると心情を察したのか「やっぱりいいや、聞かない」とあっさり引き下がってくれてありがたかった。最後に「…今は」と付け足されていた気がするが聞こえなかったことにした。櫻井は後頭部を掻きながらこちらを向く。
「何と言うかそんなに心配かけるとは思わなかった、ごめん。もうしない」
「…」
無言で睨みつけると肩を竦め、苦笑いを浮かべた。
「ですよね、信じるわけないか」
どうしたものかと頭を悩ませ唸る櫻井をじっと眺める静香。自分が何をすれば言い分を信じてくれるか悩んでいる。その姿を見てほんの少し溜飲が下がった。元々そんなに腹を立てていたわけでもない。この辺りで折れておくか、と咳払いをした。
「もういいですよ、こちらも非常識な行動を取ってしまいましたし。この件に関してはこれくらいで終わりにした方が良いかと」
これ以上突かれると余計なことを口走る危険がある。櫻井としても、引っ張られるのは本意ではなかったようですんなり受け入れた。
「次同じことがあったら本気で怒ります」
「雨宮さんみたいに普段落ち着いている人が怒ると怖いって決まってるんだよな」
怒っている様を想像したのか自らの肩を抱く。どんな姿を想像しているのか知らないが、怒鳴ったりはしない、多分。この件はこれで終わったと踏み、肩の力を抜いてホッとした櫻井がおずおずと自分が籠っている間何をしていたか聞いてきた。
「何と言われても、休みは箱根に行ってましたしそれ以外は仕事です…ああ、新條先生と会ってました」
静香としては、後々新條本人や別の人から聞かされるより自分の口から言うべきだと思った。何故か自分と新條が関わるのが気に食わない櫻井のことだ、拗ねる危険があった。だからさっさと言った方がいいと判断したのである。
「…は?…何であいつと会ったの」
頭上から突如振って来たのは低く不機嫌な声。え、と思い見上げると櫻井の顔は苦し気に歪んでた。安心し緩んでいた表情から一転している。
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