人間不信気味のイケメン作家の担当になりましたが、意外と上手くやれています(でも好かれるのは予想外)

水無月瑠璃

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第一部

17話

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「恥ずかしいからこの話終わり」と櫻井が無理矢理話を断ち切ったことで思考中だった静香の意識は現実に引き戻された。気づくとうどんのどんぶりが空になっていた。それは静香がこの部屋にいる時間が終わった、ことを意味している。椅子から立ち上がり、ベッドを迂回してサイドテーブルに置かれたお盆を手に取る。

「食べ終わったら薬飲んで安静にして下さい。私食器洗ったら帰りますので。お大事に」

ペコリ、と頭を下げて部屋から出て行こうといた静香を櫻井が呼び止めたので、お盆をまた置いた。

「色々やって貰って申し訳ないから、何かお礼」

「良いですよ、さっきも言いましたがこの間の借りを返したかっただけですから」

「この間のとつり合い取れてないだろ、明らかに」

「そう言われましても、こっちも見返りが欲しくてやったわけではないですし」

これは本心、と言い聞かせる。世話を焼いたのだからこちらの要求も聞け、という一々交換条件を出すほど心の狭い人間ではない。何度も言うがこれくらいでお礼を、と言われても却って困るのだ。すると彼の眉間に皺が寄る。

「それも相手によっては都合よく解釈するから注意した方が良いよ」

「そうなんですか」

「男って本当に単純だから、何でもかんでも自分への好意だって結びつける馬鹿もいる」

成程、勉強になった。だとしても櫻井はそのタイプではないのだ。仮にそうだった場合わざわざ教えてくれないはず。それはそれとして、櫻井は納得していない様子。どうしても「お礼」をしないと気が済まないようだ。ふむ、困った。本当に何もしなくていいのだ。「編集の仕事」を過大解釈すれば体調不良の作家の看病を少しする程度、含まれているとも取れる。

これもやはり看病されたことがないという理由からだろう。何かしらしないと櫻井は満足しない。どうしたのものか。

と、そこでふと長井から預かっていた櫻井の取扱説明書の内容を思い出す。これは使えるな、と内心ほくそ笑んだ静香は一旦お盆を置いた。

「じゃあこうしましょう、私からの頼みを一つ聞いてください。お礼という形でも物を貰ったり、何かされたりというのは心苦しいので」

一瞬櫻井が傷ついた表情を見せた気がしたが、今は仏頂面に戻っている。やはり見間違いだったようだ。「…まあその方が良いっていうのなら、頼みって何」と渋々ながら承諾してくれた。

「先生、突然音信不通になって数週間から一カ月くらい連絡取れなくなることがあると聞きました」

その瞬間お茶を飲んでいた櫻井が思い切り咽た。慌てて背中を擦ると何故か咳が激しくなる。

「大丈夫ですか」

「ゲホゲホ…もう平気だから手離していいよ」

顔真っ赤だし、まだ咳は続いている。どう見ても大丈夫ではない。櫻井の声を無視し、背中をゆっくりと擦り続ける。口を抑えながら何か言いたげな視線を向けていた櫻井だったが、真剣に心配している様子の静香を見て大人しく今されてる行為を享受することにしたらしい。暫く経ち、漸く落ち着いたのを確認すると背中から手を離した。そう言えば同じように咽た弟の背中を擦ったことはあれど、友人にもしたことは余りない。男性に対しては初めてかもしれない。

自分の背中は勿論、同性の友人の背中に触った微かな記憶から比べると櫻井の背中はそのどれとも違った。がっちりとしていて硬く、熱があるせいで服越しでも妙に熱い。擦っている最中、邪な気持ちは一切ないのに体温が手から伝わりこちらの体温まで上がったのでは、と錯覚した。

苦しそうな櫻井が徐々に落ち着きを取り戻しつつあるのを横から眺めていると、何とも言えない気持ちになった。多分櫻井には気づかれていない。こちらを見る余裕はなかったし、顔にも出ていないはずだ。咽たせいで薄っすら赤くなった目で「ありがとう…」と礼を言う櫻井に対し、居た堪れなくなる。今更ながらこの担当作家の顔立ちが整っていることに気づく、このタイミングで。変なことは考えていない、と何度も自分に念押ししたし心の中で櫻井にも訴えた。

自分の中に生まれた名前を付けられない感情を誤魔化すために、「話を戻しますけど」とやや強い口調で話題を戻しにかかる。

「別に音信不通になること自体とやかく言うつもりはありませんよ。原稿書けなくて失踪、というわけではないそうですし」

原稿自体はその都度送られてくるし、締め切りまでに完成形もメールで届くらしい。だが絶対自分のいる場所は教えない。フラッと何事もなく戻って来ると「京都に行ってた」等と悪びれもせず答え、歴代担当は頭を抱えた。性質が悪いのは仕事に影響がない、ということだ。連絡を絶ち一カ月近く何処かに行くにしてもプライベートの領分なので、口を出すことも出来ない。ただ急に連絡が取れなくなりこちらが心配するだけだ。

締め切り前に失踪するのなら問題に出来るのだが。編集部では知られた話らしく、新しい担当は最初は慌てふためくが、周囲が「気が済んだら戻るから心配するな」と軽く受け止めており拍子抜けしたそうで。分かってはいても急に音信不通になったら心配するのだ。櫻井からしたら慌てるのを分かった上でやっているのだろうけれど。

「音信不通になるなら、前もってこれから何処か行くから一カ月くらい連絡を取らない、と予め伝えてください」

「それでいいの、普通辞めろっていうだろ」

「プライベートのことですから、こちらからとやかく言うつもりはありませんよ。だたやはり急に連絡取れなくなると心配なので、一言お願いします」

「…心配するのも仕事相手だから?」

仕事相手、をやけに強調する。今日何度目だろう、念を押されるように確かめられるのは。自分の隠しているものを暴こうとしていると感じるのは考えすぎだろうか。

「そうですよ」

敢えて硬い声で答えると、櫻井は静香の顔を見てすぐ目を逸らした。

「…まあ良いよ、どっか行くときは連絡入れるよ必ず」

不貞腐れた態度だと感じたが、こちらの頼みを一応聞いてくれたことに一先ず安心した。やはり気が気でないからだ。

「ありがとうございます…長居してしまい申し訳ありません。今度こそ帰りますので」

何度目の正直かお盆を持って、寝室のドアへと向かい会釈して出て行った。キッチンに戻っり、洗い物を済ませ、さあ帰ろうと準備しているとスマホがブーと鳴る。






『眠くなってきたから一眠りする。鍵は気にしなくていいよ、起きたらかけておくから。今日は本当にありがとう、気を付けて帰って』

というメッセージが届いていた。少々子供っぽいところのある人だが、お礼は言ってくれる。そもそも人として当然のことしかしてないのだが、初対面の良いとは難い印象のせいも相まって些細なことで見直すきっかけとなっている。我ながら年上の尊敬すべき作家に対して如何なものかと思う。

そして普通の事をされたというのに嬉しいと感じ、心が温かくなる自分も大概櫻井に対し甘いし変だ。これもやはり「らしくない」行動を取ってしまったせいだ。どう考えても看病のまねごとをするのはやり過ぎだった。

何だろう、櫻井を見ていると放っておけないという気持ちが生まれてくる。見た目ははかなげとは程遠い、上背がありがっしりとした体格なのに。時々親を探している迷子の幼子のような印象を受けるのだ。今回彼が少し漏らした家庭環境と照らし合わせると、その印象も間違っていなかったと思う。

この間から幾度となく考えているが、櫻井に対して抱いている「これ」が何なのか分からない。深く考えるなと警告する自分も、目を逸らすなと諭す自分、どちらも存在している。仮に答えを出せたとして、そのとき静香はどうするのか。

(くよくよ悩むなんて本当らしくない)

問題の先送りにしかならないが、今考えるべきことではない。幸いと言っていいのか微妙なところだが、静香は寝れば大体の悩みは気にならなくなる、あるいはいい解決案が浮かぶ。その長所を持ってしても櫻井に関しては、平行線の状態が続いてるとも言えた。全く、思春期の高校生かと笑い飛ばしたくなる。

自分の事なのにこれほどまで分からないとは、本当に面倒くさいことこの上ない。最近は趣味の読書も滞ってしまっている。早い所結論を出さないといけないのだが…。やはり目の前の問題に目を瞑る他ない。やることも多いし。まあ自分の事だ、変に考える時間がないほど仕事に没頭していればいずれどうでも良くなる。それは人としてどうなのか、と思わなくもないが。

帰る準備を終えて、リビングを出ようとした時「そう言えば」とあることを思い出し手に持ったカバンを置きキッチンに戻った。何故か4つも買い置きしてあったリンゴを手に取り、覚束ない手つきで皮をむき始め、食べやすい大きさにカットした後塩水につける。約10分付けた後皿に盛りつけた。多少しょっぱいだろうが茶色い物を食べるよりはマシなはずだ。

これは昔母が風邪を引いたときウサギ型のリンゴを切ってくれたことを思い出したからなのだが、残念ながら静香にそんな技量はない。切り方で味は変わらないから全く問題はない。ラップをかけたリンゴを冷蔵庫に戻しメールを打つ。

『リンゴを切っておいたので良かったら食べてください。ウサギのリンゴを期待していたら申し訳ありません。お大事に』

そして今度こそカバンを持ってリビングを出る。出る前にリビングの時計を確認すると20時を過ぎていた。最寄り駅から自宅最寄り駅まで20分、そこから家まで10分。家に帰って夕飯を作る余裕は十分にある。やはり今日はうどんかな、と今日の夕飯の事を考えながら櫻井の部屋を後にする。













数日後、無事熱も下がり体調も良くなったと櫻井から連絡が来た時は安堵した。静香がわざわざ出向かなくともお腹に何か入れて薬を飲んでいれば、治っていたのだろう。自分のやったことは意味があったかは定かではない。それとは関係なしに櫻井の調子が戻ったことは喜ばしいことだった。

延期になった打ち合わせも後日何事もなく終えた。本人の顔色も良かったし看病云々の事をわざわざ掘り返すこともなく、いつも通りだったと記憶している。静香に対して何か不満を抱えているだとか、原稿に行き詰まっているという素振りも全くなかった。

だから、櫻井が音信不通になるなんて思いもよらなかった。




 


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