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第一部
16話
しおりを挟むボーっとした眼差しの中に何かを強請っているように見えた。漆黒の瞳の中には、さっき過去の事を吐露していた時見えた不安が未だに揺れている。それを認めた瞬間、静香はその場に立ち止まった。
見たものは無視して出て行くことも出来た。寧ろ友人でも何でもない立場の自分はそうするべきだった。しかし、その選択をせず居残ることを選んだ。さっきも感じたことだが、櫻井を1人にしたくない、と思ってしまった。恐らく櫻井も1人になりたくないと切望している。それ程心細いと感じているとも取れるが。
(借りがあるし、これくらい良いか)
少々逸脱した行為だと理解してはいたが、櫻井も快復したら今日の事は忘れて欲しいと言うだろう。彼の性格上、後で思い返したら恥ずかしさで見悶えることになる行動をいくつかしているから。
「…リビングに居ても暇なので先生が居ろというのなら居ますが?」
櫻井は静香の申し出に咄嗟に反論しようと、口を開く。が、何も言わない。険しい目つきのまま、考え込んでいる。挑発的な物言い且つ相手に選択を委ねる聞き方をしたせいだろう。こちらも正直に「傍にいた方が良いか」なんて聞くのは恥ずかしかったから、こんな聞き方しか出来なかった。もっといい方法があったと後悔する。
暫くした後、やや俯いたまま観念したように声を絞り出した。
「今日の俺の言動全部忘れてくれるなら…」
部屋に居てもいい、という意味で受け取っていいのだろうか。普段なら顔を歪ませて「そんなこと思ってない」と吐き捨てるところだが、静香の申し出を素直に受ける辺り櫻井の調子の悪さを物語っていた。彼も静香が全部都合よく忘れるなんて不可能だと分かっている。不可能な方法を条件として提示する程、傍に人が居て欲しいと願っている、と。そう思うと「素直じゃないですね」と茶々を入れるのも憚られた。言おうものなら「帰れ」と突き放されること間違いなしだ。口は禍の元、余計なことは言わないに限る。
静香としては床に座っても問題ないのだが、それは駄目だと櫻井が固辞したので壁側の机の椅子をベッド近くまで移動させ、座った。その間残り少なくなっていたうどんを啜っていた櫻井が、口の中にあるものを飲み込むと話しかけて来た。
「…色々やって貰ってこんなこと言うのもどうかと思うけど、チョロい奴は勘違いするからあまりやらない方が良いよ」
「勘違い?」
「…弱っている時に変に優しくされると気があるんじゃないかって思うってこと」
「…」
確かに、櫻井に言われて自分がどれほど人から勘違いされかねない行動を取っていたか、今更ながら気づいた。自分に置き換えて考えてみると、風邪で寝込んでいる時に異性の知り合いが訊ねて来て甲斐甲斐しく世話を焼いてくれたら…。
(親切な人だなと思う)
何か違う。やはり自分の感性は人と何処かズレているのだと、改めて思い知る。自分自身の事は置いておいて。客観的に見ても、一連の自分の行動は勘違いされて「そんなつもりはなかった」と言い訳しても通じるか危ういものだった。どれだけ後先考えない行動を取っていたのか気づかされた。思わせぶりな態度を取る人間は自覚ありなしに関わらず嫌われそうだ。
「確かに軽率な行動でした、以後気を付けます」
「分かってるなら良いけど…それでも放って置けない程俺死にそうに見えた?」
面と向かって、静香の行動の理由を聞かれると返答に困る。死にそうに見えたのは事実だし、放って置けないと思ったのも。櫻井の問いは全部事実なのだから、そうだと伝えればいいだけ。なのに喉に小骨が刺さったような引っかかりを覚える。
ここ最近似たようなことが続く。全くなんだろうと鬱陶しさすら感じ始めていた今日この頃。櫻井に気づかれないよう軽く咳き込むと、気を取り直して紛れもない事実を口にした。
「…それもありますけど、先生、年下は対象外とおっしゃってましたし、万が一にもそういう勘違いをすることもないと思って」
「…ある意味俺って信用されてるってこと?」
信用。そうなのかもしれない。本人の言ったこともだが、顔合わせの時に会った女性を見る限り静香は好みから外れている。それでも世の中には好み関係なく襲う人間も存在していることも事実。性格は兎も角櫻井はまともな倫理観を持ち合わせていると見ていたから、人の道を外れた行いはしないだろうと、こんな真似に踏み切ったところがあったのだ。どれもこれも偽りのない本心なのだが、どうにも胸の中がモヤモヤした。それを無視して「そうですね」と答えた。
「…ふーん。まあ俺も雨宮さんのことは信用…しても良いかとは思ってる」
「…?」
胸のモヤモヤがどこかに飛んで行った、それくらい櫻井の口から放たれた言葉が信じられないのだ。
「…何その顔。俺がこんなこと言うわけないと思ってた?」
ポーカーフェイスは得意だったはずなのに図星を突かれた。咄嗟に取り繕うことも考えたが、そうすると櫻井は逆にへそを曲げてしまうことが予想出来た。気を遣われることが好きではないと言っていたから。
「…はい」
「正直だな。まあこんな時じゃないと絶対言えないからその反応間違いじゃないけど」
熱で頭が働かなくて、平常時ではないから。自分がこのようなことを言えない人間なのだと櫻井は理解しているようだった。酒が入って気が大きくなり、素面では言えないことをペラペラ喋ってしまう人が居る事は知っている。彼は体調が悪いと普段より自分の中のガードが緩くなっているから、人に聞かせるつもりのないことも喋ってしまうタイプらしい。どちらもそれなりに苦労しそうだな、と思った。
「先ほどの言葉も明日には忘れた方が良いですか」
自分の家族の事を静香に漏らしてしまった時と同じく、不可能だと分かっていても口では忘れて欲しいと頼むつもりかもしれない。そう思い訊ねたのだが、彼の答えは「NO」だった。
「今のは良い、忘れないで」
今日聞いた中で一番はっきりとした受け答えだった。それだけ櫻井の中では「信用してもいい」という言葉は重みがあるように聞こえた。忘れるな、と言うことは紛れもない本心だと受け取ってしまっていいのだろうか。「こんな時じゃないと絶対に言えない」、口には出せないだけで、普段から思っていたのか。
自分としては「信用してやってもいい」と思われる程の事をした覚えはない。しかし、静香は何かが櫻井の琴線に触れたのだろう、と曖昧に解釈するに留めた。これ以上、この場所で深堀するのは危ない、と自分の中の理性の部分が警鐘を鳴らす。それでも思考の渦は止まってくれない。櫻井の「信用」は文字通りの意味だ。それ以上の意味は一切含まれていない、はずだ。
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