人間不信気味のイケメン作家の担当になりましたが、意外と上手くやれています(でも好かれるのは予想外)

水無月瑠璃

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第一部

12話

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駅から離れた居酒屋が立ち並ぶ通りに足を踏み入れた櫻井はようやく手を離した。時間にして数分だろう、もっと長い時間繋いでいる気がした。離れる寸前少し寂しいなと思った自分に驚いた。手を離した櫻井はこちらを向くとバツが悪そうに「…こんばんは」と挨拶を返される。このタイミングで挨拶、と静香はポカンとしてしまうがすぐに「こんばんは先生」と答えた。あからさまに目を合わせようとしない櫻井の顔を見据える。

「先ほどはありがとうございました。しつこいので困っていたんですよ」

「いや、あれくらい…それより連れって言ったり勝手に引っ張って来てごめん。誰かと待ち合わせしてた?」

「はい同期と。連絡入れておくので大丈夫です」

すると急に櫻井が目を細め、訊ねてくる。気のせいか不機嫌そうだ。

「…同期って女子?」

「はい、そうですけど…」

意図が分からないまま言うと仏頂面の口元が僅かに綻んだ。何故そんなことを聞くのかと問い返す前に、今度は話題を変えて来た。

「ああいうの、頻繁にあるの」

ああいうの、とはナンパのことか。数えるほどしかない、今まで無視していればやり過ごせていたから、あそこまでしつこいのは珍しいと正直に答えると。

「大抵は無視すれば大丈夫だろうけど、しつこい奴に当たった場合は電話するフリしたり、隙を見て立ち去ると良いってどこかで読んだ、あとは警察行くって言えばビビッて逃げる」

やけに真剣な眼差しでアドバイスされた。心配してくれているのが伝わり、段々気恥ずかしくなる。表情筋に力を入れ、変な顔を晒さないように「今度ナンパされたら実践します」と言うと「そう」と素っ気なく返された。真面目な顔で気遣ってくれたかと思いきや、次の瞬間別人のように変わる。忙しい人だなと思った。

「しかし、あの人達結構酔ってましたね、私に声かけるくらいですから」

「…それ本気で言ってる?」

静香としては他意はなく、ただ単に思ったことを口に出しただけなのに櫻井は怪訝な顔で聞き返してくる。本当に驚いているようにも、信じられないものを見る目にも見えた。

「本気ですけど…?」

「…無自覚なのもここまでくると腹が立ってくるな」

「はい?」

「何でもない、ただの独り言」

ボソボソと小声で囁かれたためよく聞き取れず、聞き返してもはぐらかされてしまった。櫻井は静香から視線を逸らし雑貨屋のショーウインドーを眺めている。教えてくれる気はないらしい。そのまま黙ってしまった。

「そういえば先生、この辺りでお買い物でもしていたんですか」

どう表現していいか分からない変な雰囲気を変えようと櫻井があの場に居た理由を聞く。彼は左手に紙袋を持っていたので、どこかに行った帰りだと分かってはいた。プライベートのことを気安く訊ねていいものか一瞬悩んだが、今だけは聞けるという根拠のない自信が自分の中に生まれ、後押しした。その予感は当たっていた。

「コーヒー豆切れたから買いに来た。あと、原稿に集中出来ないから息抜きで映画見て来た帰り…あ、集中出来ないのは時々あることだから心配しなくていい」

心配そうに自分の顔を見上げる静香が聞いてくる前に先手を打つ。確かに集中出来ないことは他の作家にも良く起こることだ。締め切りに間に合わないということなら早急に話し合う必要があるが、今は余裕がある。何より本人が大丈夫と言うのならば、とそれ以上訊ねるのは控えた。

「帰ろうと駅に行ったら見覚えのある茶髪が絡まれてるのが目に入って。それでああいうことに…思い返すと恥ずかしいな」

耳がほんのりと赤くなる。櫻井の容姿も相まって一連の行動は絵になるものだろう。相手が静香では力不足だが。

「あんなに人が居たのによく私だと分かりましたね、こんな髪色の人結構いたと思いますけど」

「そりゃ分かる、会う時ずっとみ…」

と急に口を噤んでしまった。最近の彼は喋っている途中で辞めてしまうことが多い。

「…何でもない、それより待ち合わせしてるんだろ、早く行けば」

今回も急に言葉を打ち切り、静香に早く行くように促す。赤くなったりスンと無表情になったり忙しい人だ。表情筋の動きは活発ではないが何を考えているのかは薄っすらと分かるようになってきた。今の彼は先程静香を連れ出した一連の行動を思い出し照れており、その照れ隠しで静香をさっさと帰らせようとしている。静香も少々むず痒く感じ始めてるので櫻井とこの場に居続けるのは出来れば避けたい。静香は改めて櫻井に向き直ると軽く頭を下げる。

「そうですね、ここで失礼します。先生はどうされるのですか」

「暫くこの辺ふらついてる、さっきの奴がまだ駅に居たら面倒だし。そっちも駅前避けて行った方がいいよ」

「そうですね、申し訳ありませんご迷惑をかけて」

「あのまま立ち去っていれば良かったのに余計な事言って怒らせたのは俺。そっちが気にする必要ない」

言われてみれば、男達を呼び止めてあんなことを言う必要はなかった。静香は迷惑だと思っていないが、火に油を注ぐ結果となってしまった。現に櫻井は今すぐ駅に向かえない状況に陥っている。粘着質そうな雰囲気を感じ取ったので、駅で待ち伏せしている可能性もゼロではない。

「あのまま立ち去ると思ってたら、わざわざ呼び止めて驚きました」

櫻井は口は悪いし余計なことを言うこともあるが、タチの悪そうな相手を敢えて煽る真似をするとは思わなかった。逆上した相手に暴力を振るわれたらどうしようという不安が一瞬過ぎったくらいだ。

「何かあったら大変ですから、ああいう行為は控えた方がよろしいかと」

「…心配してる?」

仏頂面の目は微かに見開かれる。その反応は静香が櫻井の心配をすることが意外だと思っていたに等しい。櫻井は自分の事を冷血漢だとでも認識していたのか。自分の中で櫻井に対する見方が良い方に変わっていったというのに、スンと心が冷えていく感覚がする。助けて貰った立場だが、素直に本心を使えるのは癪になってきた。

「心配します、仕事相手ですから。手を怪我でもしたら大変ですよ」

だからわざと仕事相手、の部分を強調した。本当は櫻井に危ない目に遭い、怪我をして欲しくないと思ったからなのだが伝えるつもりはなかった。そして櫻井は静香の返事が不服そうだ。端正な顔は曇り、口からはあ、とため息を漏らす。

「…そう、じゃあ俺こっち行くから」

言い残すと静香に背を向け、反対方向に歩き出す。静香はその背中を黙って見送りつつも自分の言動に後悔していた。もう少し愛想よく伝えることも出来たはずなのに、何故あんな言い方しか出来なかったのか。仕事相手だと明確に線引きをしているという発言…いや、櫻井は仕事相手だ、本当の気持ちとは別だが何も間違っていない。たまたま通りかかった担当編集が絡まれて大変そうだったから助けてくれた、それ以上でもそれ以下でもない。

それ以外ありえない、と自分の中で一つの答えを納得させると胸の奥に何か違和感が生まれた。モヤモヤして不透明で…何だこれは。心なしか痛みも感じる。これはもしかして不整脈というやつか。

(…健康診断で引っかかったことないのに)

胸の辺りに視線を落として、気のせいだったらいいと思っていると櫻井が急に踵を返し、こちらに凄い勢いで戻って来たようで、目の前に立ち止まった。ん?と顔を上げると、自分から戻って来たのに彼は顰め面で静香を見下ろしている。何か、と口を開く前に相手の口からぶっきらぼうな声が降りてくる。

「…このまま帰るのも癪だから言っとく。さっきの男達の言ったこと、気にする必要のない心底下らないものだし雨宮さんも気にしていないだろうけど…」

例の外れだとか性格悪いという言葉の数々の事だ。言われなくとも気にしない。自分は結構図太い性格だ。櫻井も短い付き合いの中で理解してたようだ。なのにわざわざ念を押している理由が分からない。まさか、これを言うために引き返してきたわけではあるまい。予想通り櫻井の言葉はまだ続いた。

「一個だけ同意した言葉がある…」

そこまで言って言葉を一旦切る。ここまで言っておいて言いたくないのか下唇を悔しそうに噛んでいた。啖呵を切ったけどやっぱ撤回したい、けど言い出した手前引っ込めることも出ない、と葛藤しているのが伝わってくる。

(言いたくなさそう、そんなに嫌なら言わなくても良いのに)

何を言いたいのか知らないけれど無理しない方が、と声をかけようかと迷っていた時だった。

「可愛いって言葉、それだけは同意見だった。じゃあまた」

仏頂面のまま、やけくそ気味に言い残すと、もう用はないとばかりに背を向けた。スタスタと立ち去りあっという間に姿が見えなくなる。その場に残された静香は目と口をポカンと開けたまま立ちすくむ。唐突に彼の口から放たれた言葉の意味を理解する前にある疑問が頭の中を過ぎった。

(さっきの人達そんなこと言ってた…?)

正直自分への愚痴ばかり吐いていたと記憶しているので、仮にそういうことを言っていたとしても覚えていない。が、櫻井がありもしない嘘を言う理由も見当たらない。釈然としないものがあったが、ここは本当に言っていたと納得することにした。

だがその事実と櫻井の発言を照らし合わせると、脳が理解するのを拒む。前にも同じことを言われたこともあるし、今回のもこちらを揶揄う目的で聞かせたのだと何の迷いもなく断言出来た、前までなら。会ったばかりの頃は兎も角櫻井は少し丸くなったと思う。そんな彼がわざわざ戻ってまで静香を慌てふためかせたいがために、そんな真似をするとは思えなかった。

(前までならリップサービスだと簡単に受け流せたのに)

以前なら出来たことが、出来なくなっている。そんな自分の中の変化ももう少し冷静ならちゃんと分析することも出来ていた。が、思いの外櫻井の言葉に動揺し判断力が欠如していた。静香の頭の中ではあの仏頂面から放たれるには程遠い単語が反芻している。徐に頬に触れると、ほんのり熱を持っていた。今日の気温はかなり低く、吐く息も白くなる。かれこれ20分近くは外に居るので頬はすっかり冷え切っているはずだ。だというのに、静香の頬は熱い。

(…まさかね)

一瞬頭の中に浮かんだ可能性をすぐさま叩き潰した。万が一にもあり得ないからだ。櫻井の真意はこの際深く考えない方が得策だ、勝手に揶揄い目的でするはずがない、という根拠のない思い込みが間違いであり、静香の返答に不満を抱いたからあんなことを言った。十二分にあり得る話だ。そもそも年下に興味がないと断言していた相手の言う言葉に深い意味を見出そうとするのが誤りなのだ。熱くなった頬に関しては目を瞑り、気のせいだと。この話をこれ以上考えるのは止めにしようと頭を振る。邪念を振り払うかのように。

その後スマホが鳴り、電話に出ると「静香?駅に居ないみたいだけどどこに居るの」という朱音の声で思考の渦から抜け出せた。ハッ、とし時間を確認すると19時半近くになっている。彼女には「トラブルが起きて駅から移動するけど、後で連絡する」とメッセージを送ったっきりだ。櫻井のことですっかり頭から抜け落ちており、慌てて謝った。

「ごめん、変なのに絡まれて駅から離れてたんだ、先店行っててくれない?」

「え?大丈夫だった?」

気遣う声音の後に、静香は無表情でガン無視するから大体の奴は逃げ出すし、大丈夫か、と続く。今回はちょっとしつこかったが逃げ出せばどうにかなってはいた、櫻井が割って入ってくれなくとも。それでも櫻井の親切心は素直に受け取っておくべきだと思っていた、真意の読めない言動については置いておいて。

気分を切り替え、足早で朱音の待つ店に向かうために歩き出す。

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