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第一部
10話
しおりを挟む瞬く間に一カ月が過ぎ、年が明けた。静香の年越しはというと実家に数日泊まって家族と交流(主に猫と)して一人暮らしをしているマンションに帰って来た。両親は仕事は楽しいか、体調は崩していないか、趣味に金を使いすぎて食事が疎かになっていないかと心配された。部屋には天井まで届きそうなくらい高い本棚を置いており、かなりの量の本が入るのに、既に隙間が少なくなっている。どうしても必要な物だけを残して後は実家においてきたのだが、小説漫画は気になるものを見つけたらポイポイ買ってしまうので本棚はいくらあっても足りない。
静香が就職してから住んでいる部屋は若い女性でも安心と言うセキュリティがしっかりしている物件で、駅まで徒歩10分以内、そこから職場最寄り駅まで電車で10分、駅から職場まで5分という立地なのだ。内定は早めに出ていたし、両親からも就職したら家を出ろ、と言われていたので早い段階で物件を探し始めた。会社まで徒歩圏内で行ける物件は家賃が恐ろしいことになっていたので、片道30分以内のここに決めた。
近いとは言い難いが大学時代の往復2時間よりずっとマシだ。全て自分でやらなければならないが、それを抜きにしても誰も居ないというのは気楽だ、家族と仲が悪いわけではないけれど。…普段は出来るだけ自炊するようにしているが、疲れている時はその限りではない。女子力が低い自覚はあるのでせめて料理だけは…と大学時代母から手ほどきを受けて友人から「美味しい」と褒められるレベルには達している。ありがとう母。
休みが少々長かったせいで「会社行きたくない」と憂鬱な気分になりかけたがそんなことは言っていられないので、普段通りに準備をして出社。一週間もすれば休みで鈍っていた身体の調子も戻って来た。
PCと睨めっこをしながら大量のメールを捌き、途中まで書けた状態で送られてきた原稿のチェックをしているとあっという間に昼の時間になっている。椅子に座ったまま両腕と身体を伸ばしていると横から「静香」と呼び声がかかる。顔を向けると財布を持った朱音が立っていた。普段朱音と昼食を取ることが多いので、訊ねてくるのは珍しくはない。しかし、朱音の様子がどこかおかしい。午前中なのに既に疲れた表情をしていた。こんなことはあまりないので心配になる。
「朱音、凄く疲れているみたいだけど何かあった?」
聞いた瞬間朱音が顔を近づけ「聞いてよ静香~」と弱々しい声を上げた。何か嫌なことがあったらしい。すぐにでも話を聞いてあげたいが職場では話づらいらしく周囲をしきりに気にしている。うちの編集部には人の会話に聞き耳を立てて、それを風潮するような人はいない。だが本人が気になるというので場所を変えて改めて話を聞くことにした。
会社近くのお洒落なカフェに移動した静香と朱音は席に着き、注文を取りに来た店員さんにAセット2つを頼んだ。店員さんがテーブルを離れた後、水を一口飲み、不快感を露わにした顔で話を切り出した。何でも営業先の書店員からしつこい誘いを受けているとのこと。その店員は30代半ばですらっとした凛々しい顔立ちで若い女性客にも人気だが、皆すぐがっかりした顔になる、店員の左手薬指に光る指輪を見て。つまり既婚者、そんな相手から誘いをかけられているということは不倫の片棒を担がされる一歩手前ということで。
書店員と営業の社員がお近づきになる、ということは珍しくはない。が、朱音はリアルの男性と距離を置いていることもあり仮に独身でもチャンスはなかっただろう。それ以前に既婚者とどうにかなるなどあり得ないが。
「…何か私既婚者から声掛けられること多いんだよね、見た目のせいかな」
朱音は目鼻立ちのハッキリした顔立ちで性格も気さくで男女問わず友人は多い。誰に対しても分け隔てなく接しており、距離が近いこと、少々派手な顔立ちのせいで「遊んでいる」と見られてしまうのか学生時代にも本命が居る男性から「遊び相手」として告白され知らない間に二股の片棒を担がされていることがあったそうで。社会人になってからも似たようなことが数回、「自分にまともな男は寄ってこないのか」とこの世の終わりのような顔をしていたことを思い出した。
「大丈夫なの、その店員。酷くなりそうなら相談した方が良いよ」
ドラマや映画でしか知らないが不倫を持ちかける人間は、自分にとって都合が悪くなったり相手が自分の誘いを拒否すると、立場を利用して根も葉もない相手の悪評を流したり、部署を移動させたりと人として最低な行為をすることがある。今回の場合相手は普通の社員だから権力に物を言わせて…はないだろうけど。このまま行為がエスカレートしていかないとも限らない。そうなる前に対処しておかないと。
「一応先輩にはそれとなく伝えてるけど…相手も馬鹿じゃないからさ周囲に人が居ない時にそういうこと言って来るのよ、なまじ周りからの評価も高いし勤務歴も長い。下手に刺激したら私に全部擦り付けられる危険もあるから、今は何もするなって」
「何それ、何かあってからじゃ遅いのに」
こういう場合ハッキリ断ると逆上して何をしてくるか分からない怖さがある。その先輩の言う通り嫌がらせをされることも有り得る、それを防ぐために様子を見るというのも分からなくはない、けれどそれまで朱音が不愉快な思いをし続けなければいけないのはどうなのだ。そもそも結婚しているのに他の人に誘いをかける神経が理解できない。朱音は静香より潔癖な性格だから嫌悪感も倍のはず。
「まあ、これ以上酷くなるようなら『既婚者は無理』ってバッサリ切り捨てるよ。あーでも無駄にプライド高そうだから、逆切れされたら面倒だな」
「スマホの録音アプリ使って、その店員が誘った時の会話録音して『これ店長に聞かせますよ?』っていえばいいんじゃない?脅しと牽制にはなるよ」
「あーそれいいわ、スマホ忍ばせておく」
「何か面倒な事になりそうなら相談してよ、親戚の弁護士紹介するから」
「出た、静香の華麗なる親戚。あと警視総監と検察官も居るんだっけ?…お堅い家庭で育ってそうなのにおっとりしてるよね、あんた」
静香の両親はどちらも所謂上流階級の出なので、親戚にもそれに連なるエリートが多い。だが両親は子供の好きなことをさせてくれたので、静香も弟もややマイペースに育った。静香の場合はマイペースに育ちすぎてしまった気がするが。幼稚園の時は周囲に合わせるということを知らず好き勝手に振舞い先生を大層困らせたとか何とか。幸い小学校に上がったあたりで矯正された。
「静香は育ちの良さが滲み出てるというか、おいそれと声かけられない雰囲気があるんだよね。絶対既婚者彼女持ちから声かけられない」
朱音が暗い目をして呟いた。過去自分に声をかけて来た男の事を思い出しているようで、顰め面になる。綺麗な顔が台無しだ。
「そんなの滲み出てないし、声かけられないのは取っつきにくいからだよ」
「ホント静香って自分の事に興味ないよね、結構先輩後輩人気あるよ。クールでミステリアスなところが良いって」
「何それ初耳」
「面と向かって言わないからね。さっきも言ったけど、気安く話しかけたら駄目みたいな雰囲気出来てるのよ。如何にもお嬢様って感じの」
それは言葉を選んでいるだけで、要するに近寄りがたい雰囲気を出している、というだけだろう。実際静香はクールでもミステリアスでもない。表情が乏しくマイペースでぼんやりしてるだけだ。
「それならそれで助かる。変に声かけられても面倒だし」
「…本当淡白だね、不憫だわ」
「え?」
「ううん、何でもない。それよりさ夜予定ある?まだ話したりないからさどこかでご飯食べない?」
確かに昼休み1時間だけでは話し足りない。静香も同じ気持ちだったので「良いよ」と返事をしておいた。
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