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第一部
4話
しおりを挟む入り口に集まっていた数人は日下部の気落ちした様子を見て大体のことを察し、静香に気づかれないように「雨宮にはハッキリ言わないと伝わらないぞ」と激励していたことを静香は知ることはない。
同期との夕食を終えた後帰る方向が同じ朱音と駅までの道を歩いていた。
「いやー美味しかった、やっぱ疲れた時は肉よ」
「朱音ほんと肉好きだよね、皆の中で一番食べてたし」
「あんたも負けず劣らず食べてたけどね、その細い身体のどこに消えてるのか」
「朱音には言われたくないな」
朱音は身長165㎝とやや高めで出るとこは出て、引っ込むところは引っ込んでいる女性の理想体型をしている。服もメイクも常に流行の最先端を取り入れており、その辺りが適当で微妙な女子力しかない静香は見習いたいと思っている(思っているだけ)。食べてもあまり太らないのは自分も同じだけど、胸だけが大きい静香から羨ましい。
「静香もスタイルいいじゃん、まあ良くないこともあっただろうけどさ」
静香のそれなりに深刻な悩みも朱音は自慢だと揶揄しない。そういうところに安らぎを感じている部分があった。
「前から思ってたんだけど、静香ってワンピースとスカート履くこと多いよね」
「うん、楽だから。ワンピース一枚でコーディネート完成するでしょ、毎朝何着ていくか悩まなくていいからね。スカートは動きやすいから」
トイレに行くとき楽だからとは言わない、言ったら渋い顔をされるのが目に見えているからである。
「相変わらずものぐさ、足細いんだしミニとか履けばいいのに」
「あんな下着見えそうなやつを?絶対無理」
「誰もあそこまで短いの履けとは言ってないよ」
早とちりをした静香を宥める朱音。まるでボケとツッコミのようだと評されていた。
「静香って大学の頃から変わらないよね、映画読書猫。逆にブレなすぎて羨ましい」
「それ褒めてる?」
「褒めてるよ、社会人になると色んな意味で変わる人多いでしょ。自分磨きやら恋愛やら人脈作りやら。静香はさ、何かないの?担当作家とさ」
ボカしているが言いたいことは分かる。絶対ないと分かってわざと聞いているのだ。
「朱音が好きな『ドs作家にいじめられたい』みたいなこと起こりえないよ」
「…外では口にしないでって言ったよね」
「小声だし回り騒がしいから大丈夫だよ」
急に声のトーンを落とされた。少し怒っている。朱音は少し…かなり過激な描写のある漫画小説を好んでいる。男女から同性、人外獣など濡れ場があれば何でもござれの雑食であり上級者だ。本人は周囲には隠しているが、静香には大学時代家に呼んだ時ベッドの下からはみ出していた漫画を見られてしまった。それ以来吹っ切れたのか静香には最近嵌まっているシチュエーションを赤裸々に明かしてくれる。正直道具がどうの体位がどうのは良く分からないが、本人が楽しそうだからいいか、というスタイルである。
静香とて本人が隠していることをむやみやたらにペラペラ喋らない。今は周囲に人は居るが騒がしいし小声で言った。聞かれてはいないはずだが、配慮が足りなかったかもしれない。一応謝ると、特に気にしていないと答えた。
『ドs作家にいじめられたい』はうちの出版社から出ている人気漫画だ。絵が綺麗で濡れ場も艶やか、ストーリーも奇をてらっていない王道。ストーリーはタイトルの通り新人編集のヒロインが担当することになった人気イケメン作家がトンデモなく横暴で俺様、男慣れしていないヒロインは苦手意識を持ちつつ仕事をしていたが、徐々に仲が縮まる。ある日酒を飲んだら勢いで一夜を共にしてしまい、その際作家がベッドの上ではとんでもないドsだと判明。衝撃のあまり担当を降りようとするも何故か相手に執着されてしまい…というやつだ。ヒーローが犯罪スレスレレベルでヒロインに執着するものはいつの時代に人気だ。朱音もそういう傾向の物を良く好む。本人曰くヒーロー側に愛があれば無理矢理でもイケるとのこと。成程、奥が深い。
出版社勤務とはいえ朱音は編集部ではないから逆に理想を抱いてる節すらあるのだ。編集はどこぞの見目麗しい作家と恋に落ちるのではと。確かに担当作家と結婚する編集はいるが、その過程に漫画のようなロマンスも何もないと思う。
「漫画みたいなこと起きないよ、ないない」
仮に起こったとしても、朱音が好きな漫画のように相手の意思も碌に確認せず身体の関係に持ち込むのは人として駄目だ。あれはフィクションだから面白いのだ。
「いやあそこまではないって分かってるけど、担当作家って仕事上のパートナーみたいなものでしょ?上司と部下があるんだから起こりそうだけど」
最近はオフィスものにも嵌まっているようだ。イケメンで仕事が出来て自分にだけベタボレな優良物件はそういないし御曹司も不動産王もCEOもその辺に転がっていない。顔のいい作家は一定数居るだろうけど、だからといって何も起こらないのだ。
「朱音も恋愛物好きな割にリアルの男の人に興味ないよね」
「…男は二次元に限るし人の恋バナ聞いている方がずっといい」
昏い目でそう呟かれる。朱音は大学時代付き合っていた彼氏が他大学の女子と二股かけていてそれで大層なトラブルに巻き込まれたことがある。だから、ハッピーエンドの恋愛物を好むのだろう。現実には何も期待していないから。それ以前もあまり良くない男性ばかりに突き当たっていたらしく、そう思うに至っても無理はない。本人は男運が悪いと言っていた。
「私も人の話聞いている方が好き」
「いやー静香みたいに淡白なタイプがある日突然熱烈な恋に落ちたりするのよ」
「ないない、そんな相手もいない」
「イケメン作家の担当になったりしないの?」
イケメン、という言葉で今日新しく担当になった作家の顔が頭に浮かぶ。しかし、天地がひっくり返っても有り得ない。櫻井に対する印象は良くないし、向こうも向こうで「そういう」相手には困っていなさそうだった。仕事相手に手を出す理由は皆無。朱音が好きな話題は提供出来そうにない。
「イケメンだとしてもない」
「真面目~」
適当に答えた静香を朱音は揶揄いながら、駅までの道のりを歩いた。
数日後、清水からメールが届いていた。大量のメールが毎日届くので合間合間に確認しないとメールボックスの表示数が恐ろしいことになる。何となく嫌な予感が頭を過ぎったが見ないわけにはいかない。メールの中身を確認すると
「東雲の次の巻、遊園地を舞台にする予定なんだけど、遊園地の内部をより詳細に描写したいから写真を撮って来て。ああいうガヤガヤした人が多い所気分悪くなるから。遊園地は雨宮さんの好きに選んで。よろしく」
…何だろうこれは。編集は担当作家の要求に「常識の範囲内」で応えるべきである。ではあるのだが、これは丸投げが過ぎる。基本執筆に必要な資料(紙媒体など)は作家本人が探したり、編集が探してこれはどうだろうかと勧めるケースが殆ど。中には出不精、というか引きこもり気味な作家の代わりに特定の場所や地方に出向くこともあるにはある。だが、櫻井は絶対引きこもり気味ではないし、恐らくこれは「試している」のだろう。自分の要求をどこまで飲んでくれるのか。
予め長井から聞いていたから驚いてはいない。今までも旅館、ホテル、水族館、動物園、廃墟、船…を1人で写真を撮って来いと要求をしたらしい。そう1人で。写真を撮るだけなのだから誰か同伴してもバレないのでは、と思ったが櫻井は些細な反応から嘘を見破れるとのことだ。何それ怖い。実際ある担当は友人に付き合ってもらったことがバレ後々面倒事に発展…からの担当替えが起こったそうで。静香はポーカーフェイスは得意な方だが万が一の場合がある、こんなことで一々揉めるのも面倒臭い。つまるところ、一人で遊園地に行くしかないのである。
ちなみに遊園地が舞台となる「東雲先生は死に引き寄せられる」は生まれつき人の死が常に近くにあった大学講師の主人公が大学同期の熱血刑事に引きずられながら、行く先々で起こる事件を解決するというストーリー。兎に角行く先々で人が死んだり死に掛けたりと「呪われている」主人公が自分に降りかかる疑いを晴らすために奮闘する。主人公と刑事の痛快な掛け合い、人間の醜さ、生々しさがこれでもかと描写されているがそれが癖になると嵌まる人が続出した。うちの編集部の看板作品だ。看板作品を書いていただくためなので編集としては身を粉にして働かないといけない。しかし。
(1人で遊園地ってハードルが高いな)
1人焼肉、1人回転寿司とは比べものにならない。幸いな点と言えばどこの遊園地か、を指定されていないところだ。千葉の遊園地に行け、はどうあがいても人を連れていっただろうし持てる力を行使して誤魔化していた。千葉の遊園地や関西の遊園地は年パスを使い1人で行く人がそれなりにいることを静香は知らない。
(…都内に遊園地何個あったっけ)
それなりの広さと知名度の遊園地を調べればいいのだが、静香は遊園地には数えるほどしか行ったことがないので詳しくない。どちらかというと博物館や美術館に行くのは好きな子供だったし、行列に並んでまでアトラクションに乗ることが煩わしいと感じていた。高校の修学旅行で行ったのが最後か。
(そこそこ広い、遊園地で調べれば何かヒットするかな)
メールを閉じ、検索エンジンで遊園地を調べ始める。
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