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第一部
3話
しおりを挟む「泣きつくとは言っていないんだけど、誇張しないでくれないか?というか…雨宮さん気が強いって言われない?」
「言われますが…もしかして私のようなタイプはオロオロと慌てると思ってましたか?ご期待に沿えず申し訳ございません」
「…そういうタイプか…予想外…まあいい。威勢が良いのは長所だと思うけどそれもいつまで続くかな」
「先生もその無駄に高い鼻っ柱を折られないよう、お気をつけください」
「…君毒舌って…いいや。俺気を遣われるの好きじゃないから何でもハッキリ言ってくれる方が良い」
「分かりました。ではこちらも先生の希望通りにします、遠慮はいたしません」
2人の間にバチバチと火花が散る。まさに一触即発の雰囲気だったが、唐突に静香が「あ」と何かを思い出したような声を出すと持ってきていた紙袋を清水に差し出し、彼は怪訝な顔で受け取る。
「なにこれ」
「レモンパイです、長井さんが清水先生の好物だとお聞きしましたので」
「あー、別に良いんだけど一々」
「マナーですので」
渋々と言った態度で受け取ったが、静香はほんの少し頬が緩んだのを見逃さなかった。本当に好物らしい。この時だけは彼の纏う空気がいい方向に変わった。静香はようやく彼の人間らしい面を見た気がした。お菓子で喜ぶなんて可愛らしいところもある。これを指摘しようものなら、面倒なことになるのは目に見えているので口を噤むが。
その後、顔合わせ兼最初の打ち合わせを始めた。その際専用の機械で豆を挽き、コーヒーを淹れてくれた。砂糖やミルクは居るかと聞かれ「ブラックで」と答えると意外そうな顔をされた。
「甘いの飲みそうな雰囲気だったから」
どんな雰囲気何だろう。イマイチピンとこなかったがブラックと言うと似た反応を返されるので、そういう風に見えているんだと結論付けた。出されたコーヒーを一口口に含むと、思いの外苦かったが味に深みがあり香ばしい。普段コーヒーはドリップで淹れているが、比べ物にならないくらい美味しい。店で出すことも出来そうだ、というのは流石に言い過ぎだろうか。コーヒーは好きだが種類や味には詳しくない、素人の感想だ。
櫻井にも喫茶店云々は省き、美味しいと告げると仏頂面に少しだけ変化が現れ、目尻が下がる。どうやら嬉しかったらしい。表情豊かとは言い難いが感情の起伏まで乏しいわけではないようだ。初日に櫻井のことを一つ知った。櫻井曰くうちの出版社の最寄りの近くにある喫茶店から豆を買っているらしい。店の雰囲気も気に入っており、ちょくちょくあのあたりをうろついているため、見かけることがあるかも、と。
「挨拶とか面倒だから見かけても声かけなくていいよ」
嬉しそうな顔から一転、無表情でぴしゃりと言い放った。挨拶くらいはしようかと思っていたが、本人は必要ないというのなら仕方ない、と承諾した。
コーヒーを飲みつつ進められる打ち合わせ。最中にも根拠のない難癖を付けられ、噛みつかれることを予想していたがそんなことはなく、他の作家同様普通の雰囲気で打ち合わせを終える。静香の疑問を感じ取った清水が鼻で笑いながら教えてくれた。
「仕事はちゃんとするよ、仕事は。社会人の基本だし」
といけしゃあしゃあと答えた。一々言い回しが嫌味ったらしいが担当の意見を端から突っぱねることもなく、受け入れるべき箇所は受け入れ気になる箇所はどんどん意見を出す。
予め聞いていた清水の情報で「締め切りは破らない、スランプに陥った経験も皆無」というのを思い出した。成程、仕事はちゃんとしている上に結果を残すが、それ以外の言動に問題がある、なまじ人気作家だから咎めるもの難しい。ハッキリ言って質の悪い相手だ。
(入社2年目に担当させる人じゃないと思う)
編集長は年が近い静香なら清水の態度も軟化するのでは、と期待していたのだろうが、そう単純でも甘くもないのがヒシヒシと伝わる。これは帰ったら長井や編集長に詳しく話を聞く必要がある。どういう人間か、掘り下げることが出来れば信頼関係を築くことは出来なくとも、長井のように上手く付き合っていくことが可能になる。
これから清水とどう仕事をしていくべきかはまだ分からない。人となりも把握しきれていない。が、こちらから担当は降りないと啖呵を切った以上進むしかないのだ、と改めて気合を入れた。
*******************
編集部に戻ると「雨宮」と編集長に呼び止められた。編集長は背が高い美人で派手過ぎないメイクが本来の美しさを際立たせてる。サバサバと親しみやすい性格で他の編集部員からの評判も良い…たまに笑顔で無理難題を吹っかけては来るが。自分の席に座っていて静香が立ち上がり挨拶をした。
「編集長、お疲れ様です」
「おつかれ。清水先生との打ち合わせどうだった?めんどくさそうな人でしょ」
「…えーと。はい、そうですね」
自分の質問に否定をしなかった静香にハハハと楽しげに笑った。
「いやー中身中学生の問題児を上手いことあしらえていた長井の後任、ギリギリまで決まらなくて適当に雨宮に任せちゃったけど、どう?やっていけそう?」
今聞き捨てならない言葉が聞こえた気がするが、敢えて流すことにした。編集長が適当なのは今に始まったことではない。
「今のところ何とも。ただどうせ担当降りるだろ、と決めつけている態度が何か引っかかりまして。こちらからは降りませんと啖呵切ってしまいました」
「わー思い切ったわね、先生驚いてたでしょ」
「まあ意外そうな反応でしたね」
「あなた雰囲気がおっとりしてるから、ハッキリ物を言うタイプだって知ると驚く人多かったわね、先生も例外じゃなかったと。あ、雨宮のことだから先生の顔見ても平然としてたんでしょ?」
「確かにモデルみたいに端正な顔立ちの方でしたけど、仕事相手ですよ。騒ぎません」
仕事相手に色めき立つなんて社会人として褒められた行動ではない。そもそも静香はそういったことに関する関心が皆無なので心配する必要もないのだが。仮に何かしらの感情を抱いたとしても、仕事中はそれを相手に気取られない配慮をするのが基本だ。あからさまにアプローチをかけるという真似は周囲から白い目で見られる。
「いや、他社なんだけど若い編集が清水先生の担当になって、まあ結論から言えば入れあげて最終的にストーカー化、担当外された後は退職して実家に戻ったらしいわ。先生はそれ以来若い女は担当に付けるなって。これが3年前だったかしら」
「それは…お気の毒で」
静香は清水…櫻井にいい印象を抱いてはいなかったが、付き纏われた事実があると聞きほんの少しだけ同情した。しかし、今の話を聞くと疑問に感じる点が出てくる。
「若い女を付けるなと言われてたのに何で私を付けたんですか、2つ年下。アウトですよ、清水先生良く私の事追い返しませんでしたね」
編集長が意味深に笑う。何だろう、言いたいことがあるならハッキリ言って欲しいが、指摘したところで躱されるのが目に見えているので、さっさと諦め相手が言い出すのを待つ。
「先生の判断は私には分からないけど、雨宮は惚れるだとか絶対あり得ないでしょ。だから行けると思って。それに年下なら向こうの態度も軟化するかと淡い期待も込めてね」
「それは難しいです、信用しないぞオーラ凄いので。けれどこちらも一度言ったことを撤回するのは嫌なので、いけるところまで行きます」
「まるで戦場に向かう戦士ね、あ、長井から清水先生に関する情報預かっておいたから後で教える」
「ありがとうございます」
やはり情報は武器である。後で読み込んだうえでこれからどう接していくべきか考えるつもりだ。話は終わったと思い、椅子に座った静香に「あ、これだけ伝えておくわ」と付け加えた。
「あの問題児の前で家族、それに関する単語は口にしないようにして。初代担当がポロっと賞を取ったことは家族に伝えたのか聞いた瞬間、別人みたいな顔で『話す必要ありますか』って一瞬で壁作られたらしいから。歴代担当の間で共有されてる最重要事項」
それ程までに重要な情報、顔を合わせる前に伝えて欲しかった。もし静香がポロっと訊ねてしまったら、と思うとゾッとする。しかし、あの様子だと最初から穏やかに雑談は難しかった。その危険はなかったと思いたい。
「分かりました、家族に関することは厳禁…と。家族と折り合いが悪いのでしょうか」
ふとそんな疑問が口から漏れた。すると編集長は首を傾げる。
「詳しくは知らないわ、そんな個人的なこと言うと思う?」
「思いませんね」
「でしょ、だから兎に角地雷は避けて。臍曲げられたら面倒だから」
まるで聞き分けのない子供を評しているようだ。すると編集長がどこか遠い目をして零す。
「あの先生、絶対作家以外の仕事出来ないでしょ、けど才能はあるから金の成る木である限りは面倒見ようと思ってね」
凄い、良いこと言っている雰囲気を出してはいるが実際内容はえげつない。売れなくなったら切り捨てると言っているに等しい。
「身も蓋もないですね」
「現実的って言って欲しいわね、問題児の行く末がどうなるかは担当の手腕にかかってるから、よろしく」
突然プレッシャーをかけないで欲しいと軽く睨むが編集長はニヤニヤするだけ。全くと呆れつつもそんな編集長が嫌いではないから、こっちも笑うしかないのだ。
仕事終わりの19時過ぎ、静香は帰り支度を済ませ編集部を出る。文芸編集部は雑誌の校了前後や担当作家の締め切りが立て込んでいない限り残業はあまりない。漫画の編集部よりはホワイトだろう。だから静香は仕事帰りに映画に行くことも多いし友人と食事に行くこともある。が、殆どは真っ直ぐ家に帰る。今日もその予定だ。
編集部を出てエレベーターまで移動すると後ろから「雨宮」と呼び止められる。振り向くと凛々しい顔立ちの男性が駆け寄って来る。
「日下部くん、お疲れ様」
同期の日下部悠人。少年誌の月刊ブレード編集部所属で期待のエース。大学ではバスケをしていたらしく、がっしりとした体躯で整った顔立ちのため社内の女子社員の人気が高い。気さくで話しやすい性格のため、静香は同期の男子の中では一番話す方だ。社内で見かけると話しかけてくれるし、暇だといい偶に編集部に顔を出す。静香はとある理由から無意識に男とは距離を取っていたのだが日下部を含めた同期は自分を「同期」「仲間」として接してくれているため態度も軟化したのだ。
「雨宮もお疲れ。これから用事ある?」
「ないけど」
「良かった、これから何か食べに行かないか」
「いいよ」
予定はなかったので2つ返事で了承した。すると彼が嬉しそうな表情を見せる。あどけない子犬を彷彿とさせる笑顔がいいのだと先輩が言っていた。これはモテるんだろうなと見るたびに思う。
「じゃあさっそく」
「他の子にも連絡するね」
「…え」
スマホを取りだし同期のグループチャットを開きこれから暇な人は入り口前に集合して欲しいとメッセージを送ると、一番中のいい鈴見朱音を含め数人が行くとメッセージを送って来る。
「今他の奴にも声かけた?」
何故か日下部は目を何度も瞬かせ、バツが悪そうな表情を浮かべている。
「うん、あれ違った?いつも何人かにも声かけるから」
「…いや、違わない、大丈夫」
肩を落とし沈んだ表情で告げる。大丈夫な顔ではないと思うのだが、しきりに本人が大丈夫だと繰り返すのでそれ以上は聞かなかった。
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