あたし、今日からご主人さまの人質メイドです!

むらさ樹

文字の大きさ
上 下
10 / 34

しおりを挟む

なぜ、あれほど難しかったことが、これほど簡単にできたのか。


秀に起こった変化と言えば、一つだけだ。秀はただ、願った。
会いたい、と。


雪虎と呼ばれたあの子に、また。

それは幼子ゆえに純粋で、一途な願いだった。たとえ、根っこにあったのが、興味本位や好奇心であったとしても。
またもう一度、雪虎と会ってみたかったからこそ、秀は自由を求めた。
それが、功を奏したのか。

あれほど難しかった力の制御を、気付けばいとも容易く秀は行っていた。ただ。

そのための原動力となった、雪虎に会いたいと願う、渇望は。


幼い心にとって、すぐ。





…酷い―――――重荷となった。





なにせ、外に出てからも、ずっと。
秀の心の向きは、雪虎にだけ、真っ直ぐに進んでいて。

せっかく、自由になったのに。

なんでもできるのに。


すべて許されているのに。


秀は何一つ、自由ではなかった。
雪虎が憎くなるのは、すぐだった。

どうして。







―――――あの子は、私を縛るのか。







父が、雪虎を特別扱いするのも、納得できなくて。

許せなくて。



なのに、自分の心からあの子を決して外せないのだ。すぐにわかった。父も、そうなのだと。



気付けば、雪虎のすべてが疎ましくなっていた。

それでも、視線は必ず、雪虎の姿を追っていて。



雪虎が、だいじにしているという小汚い少女に向ける、表情を見た刹那。



たちまち、すべてがひっくり返った。

引きずり戻された。



あの時、はじめて雪虎を見た日へと、心が。



雪虎には、どうあってもかなわない。
完膚なきまでに、秀は敗北した。

否、勝ち負けなどどうでもいい。秀はもう、骨の髄まで理解している。



雪虎が雪虎として、生きて、そこにいる。もうそれが、それだけが、秀にとってのすべてなのだ。













「…旦那さま、よろしいですか」

助手席に乗っていた男が声をかけてくるのに、秀は目を開いた。
「なんだね」

「穂高の若君は、もう本州方面に出て―――――無事、故郷へ向かっていると連絡がありました」
秀は、ゆっくりと俯けていた顔を上げる。

助手席の男は、事務的に言葉を続けた。


「穂高家に、戻った暁には」




「手筈通りに」




ぞっとするような秀の声にも、臆することなく、月杜家に代々仕える男は頷く。

「了解しました。穂高家が始末に動く前に、月杜の者の手で片付けます」



月杜の手で始末したいなら、なぜ、わざわざ穂高家へ返すのか。

そのように思われそうだが―――――まずは穂高家へ戻すことに、意味がある。



秀は明かりが流れていく窓の外へ目を向けた。




雪虎は、こちらへ向かう前に、かかりつけの医師のところへ預けている。

付き添いを一緒にいた者数名に頼み、秀が踵を返したところ。



―――――どこ行くんだ…いや、ですか。



雪虎は、秀の前に、立ち塞がった。怒った顔で。だが。

いつも強い印象の目に浮かんでいたのは、心配だ。
幼い頃から、ああいった表情は変わらない。おそらく、雪虎は察したのだろう。




秀にとって、これからが今日最大の仕事の仕上げの時間だと。




―――――用事はもう終わったんじゃないんですか?

訊きながらも、どう言えばいいのか分からない、と言った態度で、雪虎は言葉を不器用に紡いだ。




終わった、と言えば、じゃあこのまま秀と一緒に行く、と返され。

診察があるだろう、と言えば、終わるまで待っていろ、と来た。




危険な場所へ、雪虎を連れて行きたくはない。

内心、ほとほと困っていると、雪虎は真っ直ぐな目で、核心をついてきた。





―――――危ないこと、しに行くんじゃ、ないだろうな。





その表情を思い出し、温かな心地になった半面。

車の中で、秀は独り言ちた。






「…トラを蹴った、だと」


呟きと共に、車内の空気が、凍えるほどに、冷えた。







秀の身を案じる雪虎の顔に、自身を傷つけた相手に対する恨みなど、もう微塵も残っていなかった。
殴り返して、彼の中では本当に、それで終わったのだ。

雪虎は一度やり返せば、もう、尾を引かない。ただし。



秀は、そうではない。



…秀が答えるまでは引かない、先ほどの雪虎は、そんながんとした態度で立ち塞がった。

彼が、真正面から、じっと秀の目から視線をそらさないのは、珍しい。


秀がすぐに答えなかったのは、そんな雪虎の表情を、もう少し堪能しようと思ったからだ。


だが、なぜそんな表情を雪虎が浮かべるのかは分からなかった。

だいたい、普段の雪虎の反応と言えば。
基本的に、秀を疎んじている。
なのに、その時の雪虎からは、秀から距離を取ろうとする意思を感じなかった。そのせい、だろう。





気付けば、手が伸びていた。





右手で、そぉっと頬に触れれば、ぴくりと雪虎の肩が揺れる。
戸惑った態度で、彼の視線が振れた秀の手がある方へ動いた。

秀は触れた指先で、頬の輪郭を撫で下ろすように、して。



雪虎の顎を掴んだ。そのまま、当惑した顔を上向かせ―――――…。







触れた、感触を思い出した秀は、車の中で、ふ、と指の甲で唇の輪郭をなぞった。

正直なところ、雪虎に害をなした相手は、すべて消し去りたい。なにせ、彼らは。

秀から雪虎という存在を、奪う可能性があったからだ。




その根にあるのは―――――恐怖だ。




笑うしかない。
鬼だなんだと恐怖と畏怖の対象でありながら、月杜秀は、たったひとりを失うことが耐えられないのだ。

だが、中学の頃、無茶なことをやらかしていた雪虎には、相当敵も多い。
もし、秀が。

気持ちのままに行動し、そのいっさいを片付けていれば、今頃、雪虎と同年代あたりの人間は、地元では不自然なくらいに数を減らしていただろう。

ゆえに、秀は耐えた。
子供の頃から、ずっと。

消し去りたい衝動を、堪え続けた。

だいたいそんなことは、雪虎は望んでいない。それを思えば黙っていることもできたのだ。だが、今回は。


穏やかだが、凍った刃のような声で、秀は続けた。





「いくら殺しても殺したりないが…仕方ないね」




たった一度、殺されるだけで済むならば、優しい方だろう。











しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

隠れドS上司をうっかり襲ったら、独占愛で縛られました

加地アヤメ
恋愛
商品企画部で働く三十歳の春陽は、周囲の怒涛の結婚ラッシュに財布と心を痛める日々。結婚相手どころか何年も恋人すらいない自分は、このまま一生独り身かも――と盛大に凹んでいたある日、酔った勢いでクールな上司・千木良を押し倒してしまった!? 幸か不幸か何も覚えていない春陽に、全てなかったことにしてくれた千木良。だけど、不意打ちのように甘やかしてくる彼の思わせぶりな言動に、どうしようもなく心と体が疼いてしまい……。「どうやら私は、かなり独占欲が強い、嫉妬深い男のようだよ」クールな隠れドS上司をうっかりその気にさせてしまったアラサー女子の、甘すぎる受難!

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

イケメン彼氏は警察官!甘い夜に私の体は溶けていく。

すずなり。
恋愛
人数合わせで参加した合コン。 そこで私は一人の男の人と出会う。 「俺には分かる。キミはきっと俺を好きになる。」 そんな言葉をかけてきた彼。 でも私には秘密があった。 「キミ・・・目が・・?」 「気持ち悪いでしょ?ごめんなさい・・・。」 ちゃんと私のことを伝えたのに、彼は食い下がる。 「お願いだから俺を好きになって・・・。」 その言葉を聞いてお付き合いが始まる。 「やぁぁっ・・!」 「どこが『や』なんだよ・・・こんなに蜜を溢れさせて・・・。」 激しくなっていく夜の生活。 私の身はもつの!? ※お話の内容は全て想像のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※表現不足は重々承知しております。まだまだ勉強してまいりますので温かい目で見ていただけたら幸いです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 では、お楽しみください。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

ハイスペック上司からのドSな溺愛

鳴宮鶉子
恋愛
ハイスペック上司からのドSな溺愛

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

【R18】幼馴染がイケメン過ぎる

ケセラセラ
恋愛
双子の兄弟、陽介と宗介は一卵性の双子でイケメンのお隣さん一つ上。真斗もお隣さんの同級生でイケメン。 幼稚園の頃からずっと仲良しで4人で遊んでいたけど、大学生にもなり他にもお友達や彼氏が欲しいと思うようになった主人公の吉本 華。 幼馴染の関係は壊したくないのに、3人はそうは思ってないようで。 関係が変わる時、歯車が大きく動き出す。

一夏の性体験

風のように
恋愛
性に興味を持ち始めた頃に訪れた憧れの年上の女性との一夜の経験

処理中です...