カプチーノ アート

むらさ樹

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カプチーノ アート

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買い物の帰り。

週に一度のペースで喫茶店に寄り、1人コーヒーをするのが私の日課になっているの。




カランカラン


小気味良い鐘の音が、お店のドアを開けた途端に耳に届く。

と同時に、“彼”の声が私を迎えた。




「いらっしゃいませ。
どうぞ、いつもの席へ」



「あ、ありがとう…っ」




一番奥の窓際のテーブル席にたどり着くと、私は上着を脱ぎ、買い物の荷物を足下に置いた。




子どもを幼稚園に送り、その足で出た買い物の帰り。


そんな平日の午前中はお客さんも少なく、いつもこの席は予約なく私の指定席にする事ができるの。


そしてここに来たら、注文するものはもう決まっている。


エスプレッソに、ふわふわに泡立てたミルクを入れた……




「お待たせしました。
カプチーノ。で、よろしかったでしょうか?」



「え……っ」



本来ならまず先に、お水を出してくるタイミングのハズ。


だけどテーブルに注文を取りに来たと思っていたさっきの彼は、鼻をくすぐるコーヒーの香りと共に、ソーサーに乗ったカップを私の前に置いたのだ。


「あ…すみません。もしや今日は、違うものをご注文でしたかね」



「い いえっ
カプチーノで、よかったです!」



フッと眉を下げて不安げに私の顔を覗き込んだ彼に、私は慌てて両手を振って否定した。



私がこの喫茶店に来て注文するのは、いつもカプチーノって決めている。

初めてここに来たのも、カプチーノが目的だったからだ。


ここのカプチーノはとても香りが良くて、ホッとあの頃を思い出してしまうの。



だから私がここに来た時は、毎回カプチーノというわけなのだ。




「…あぁ、よかった。
そろそろ来てくれる頃だろうなって、カップを温めて待ってたんですよ」



「あはっ
そうなんだぁ」



そう言って彼の見せてくれた優しい笑顔に、私も笑みを返した。

…というか。
その言葉に嬉しくなって、自然と顔がほころんでしまったのだ。


ここの喫茶店は小さな規模に比例してスタッフの人数も少なく、また顔ぶれも殆ど変わらない。

だから彼からすれば私は常連さんだろうし、逆に私もここに来れば彼の顔ばかり見ている。




「あの…あ、いらっしゃいませ!
では、どうぞごゆっくりおくつろぎ下さい」



「あ、はい。
ありがとうございます」




そうしているうちに、また次のお客さんが鐘の音と共にやって来た。


彼はペコリと小さく頭を下げ、もう一度優しい笑顔を私に向けると、そのままトレイを抱えて来店のお客さんの対応に向かった。


今からだんだん、お客さんが増えてくる時間なんだろうな。




「………………」



だけど今、彼は何か言いかけたようなんだけどな。




私がここに通うようになって、そろそろ3ヵ月になる。


初めはそんなつもりはなかったんだけど、今ではちょっと通う目的がずれてきているような気もする。



「いらっしゃいませ、何名様ですか?
どうぞ、空いてる席へ」



「あ、こちらでしたら、このセットをオススメします」



「ありがとうございます。
オーダー、ホット2!」




この一番奥の窓際の席は、店内の様子が全て見渡せる。

だから主に接客を担当している彼が来店客を出迎えたりオーダーを取っている姿も、全部ここから見えるの。



(…………………)



いまどきなかなかここまで営業スマイルを見せる従業員もいない最近としては、ひときわ気持ちのいい接客をしている彼。



カプチーノを飲みに来ているハズなのに、まるで私は彼を見に来ているみたいなんだ。



彼は何歳くらいなんだろう。

見た感じは25かもっと上のようだけど、結婚はしているような感じはしないかな。


そんな私は年齢より若く見える童顔だから、1人でいると独身に見えるだろうなぁ。




──『そろそろ来てくれる頃だろうなって、カップを温めて待ってたんですよ』



「……………………っ」



さっきの彼の言葉を聞いてから、実は胸の奥のドキドキがおさまらない。



あれは、彼流の営業文句なんだろう。


いつも毎週決まってこの時間に来てる常連客なんだもの。それくらい当たり前なんだろうな。

だけど────…



「………………っ!!」



彼の姿ばかり見ている自分にハッとし、照れ隠しに彼の運んでくれたカプチーノに視線を移した時だった。


カプチーノアート…ラテアートとかいうやつなんだろうな。

エスプレッソの茶色と泡立ったミルクの白色が、カップの上でアートを描く。



視線をカップに移した私の瞳には、そのアートが映っている。



(これは…彼の営業文句……?)




安らぎの一杯のカプチーノに浮かび上がっている、優しいハートマーク。

ラテアートなんてステキなサービスだし、かわいらしいハートは女性には嬉しくなるものだけど。



──『そろそろ来てくれる頃だろうなって、カップを温めて待ってたんですよ』



まさかそんな深い意味なんて、ない…よね?



「あっ、お会計ですね。
ありがとうございます!」




伝票を持ってレジの前に来た私に、彼はすぐに駆け付けてきた。


その距離が縮んでいくごとに、胸のドキドキが増してくる。


あ…どうしよう。
ラテアートの事、訊いてみようかな。でも……っ



「お待たせしました。
はい、ちょうどですね。ありがとうございま…」


「あの、見ましたっ
ラテアートのハート…!」



「───────…っ」



変な意味なんかでは、ないと思う。

それに、たとえそういう意味だったとしても、彼には私が幼稚園に通うような子どもがいるなんて知らない。


それに私は、彼を好きになってはいけないのに─────っ


「…ずっと、見ていたんです」



「────────っ」



レシートを差し出されたまま、私は彼と視線が繋がった。


まっすぐジッと私を見つめる彼の瞳が、私を離さない。



見ていたって、彼が、私を?


それ、どういう意味────…




「俺が出迎えると、あなたはいつも優しい笑みを返してくれた。
同じ接客をして、そういうの、凄く嬉しいんですよ」



「優しい笑みって、それはあなたの方が……」



「毎週必ずこのくらいの時間に来てくれ、いつもあの席でカプチーノを注文してくれますね。
だからすぐに覚えてしまって、勝手にカプチーノのお客さんって自分の中で呼んじゃってました」



「……………………っ」


…驚いた。

まさか彼が私の事を、そんな風に見ていたなんて。



「あなたの優しい笑顔が凄くステキで、いつも凄く元気もらってるんです!
本当に、ありがとうございます!!」



「────────っ」



嬉しくて胸がカッと熱くなったのが、自分でわかった。


ずっと追いかけて見ていた彼の笑顔が、私を追いかけて見ていたなんて。

そしてそれを、逆にそんな風に言ってくれるなんて…!




「…ハート付きのカプチーノ、いただきました。
とても美味しかったです」



「そ それは俺の感謝の気持ちと…あ、そうだ!
ちょっと待ってて下さいっ」



そう言うと、彼は突然店の奥にと姿を消した。

そしてすぐにレジまで走って戻り、私の手のひらにレシートと一緒に小さなカードを握らせた。



「今日は、ありがとうございました!
また来週…いえ、毎日でも構いません。またお待ちしています!!」







───────
──────

────

──




────パタン



「ぁ…………」



玄関のドアが閉まった音で、自分が家に帰り着いた事に気付いた。


壁に掛かった時計を見ると、もう昼前になっている。



「お野菜、早く冷蔵庫に入れなきゃ」



生ものは買ってないから大丈夫だとは思うけど、でも私はわざと気を紛らせる為にも、急いで買い物したものを冷蔵庫にしまった。


だって少しでも身体を動かさなきゃ、彼の事ばかり考えてしまうもの!

それでなくても今日はハート付きのカプチーノに、彼の……っ



「…………………っ」




私はお野菜を持つ手を置くとお財布を取り出して、レシートと一緒にしまった彼の名刺を取り出した。



改めてマジマジと見ると、そこにはあの喫茶店のロゴと一緒にオーナーという文字と彼の名前が記されていた。



(これが、彼の名前…。
そして彼は、あのお店のオーナーさんだったんだ!)


お店の連絡先や彼の名前だけで、それ以外は何も書かれていない名刺なんだけれど。

でも私は何度も何度も、その名刺に書かれた文字を目で追いながら読んだ。




「毎日でも構いません、か…」



そんな風に言われると、本当に毎日でも行きたくなる。

それはカプチーノをいただく為じゃない。彼の笑顔に、会いたいから。



「…………………」



でも私には主人がいるんだから、彼を好きになってはいけない。

だから逆に、彼を本気にさせてもいけないのよ。


惹かれてしまった彼の笑顔だけど、でもそれは彼の言葉を借りるようだけど、元気を分けてもらう為。


そう。カプチーノも、主人との繋がりを思い出す為なんだから…!


「───────っ!」



穴が開きそうなくらい見た名刺から視線をずらした時。
私の目に、向かいのリビングに立つ人影が映った。



「ぁ…………」



私を見つめ、柔らかくはにかんでいる顔は、間違いなく主人だった。



「あな た…っ」



チクリと感じた胸の痛みに、思わず持っていた名刺が手から落ちた。


私がずっと名刺を見つめていたのを、見られたかな…。




「…どうしたの? そんな顔して」



「………………っ」



うつむき加減の私に尚も柔らかい笑みで問う主人に、更にチクチクと胸が痛む。



違うの。
私はあなたの妻だものね。


大丈夫。私が愛しているのは、心に誓ったあたなだけ。

それは、本当よ。


「おいで。僕のところに」



「あなた…」



両腕を広げ私を迎えた主人に、私はそっとその胸に頬を預けた。


ふわりと腕に抱かれ、全身を包み込まれる。


忘れもしない。
私が心から愛した、あなたのぬくもり。




「寂しい思いをさせたね」



「ううん。
でもこうして、会いに来てくれた」



「…カプチーノの匂いがする」



「うん。
だって、あなたが大好きなものでしょう?」



せめてこの香りに包まれる事で、あなたを感じていたいからって。

そう思って週に一度、喫茶店に通うようになったのよ。


そう。私があの喫茶店に行くのは、あなたを忘れたくないから────…



「…だけど、僕に縛られてばかりいてはいけないよ。
君を幸せにしてくれそうな人が、近くにいるじゃないか」



「え………………?」



主人の意外な言葉に、私は顔を上げて見た。


目の前の主人の顔は、さっきとずっと変わらない柔らかい笑み。



でも今、確かに────



「僕の事をずっと想ってくれるのは、嬉しいよ。
でもそのせいで君から幸せを奪いたくないんだ」



「奪うだなんて、そんな…っ」



「君にはまだ幸せな人生を歩んでほしいんだよ。
僕の分も、ずっと────…」



その途切れた言葉を最後に、主人の身体が眩く瞬き…



「待って!
あな────」



やがて光の粒となって、消えた。



「た…………」



後に残ったのは、さっきまで感じた主人のぬくもりだけ。


夢なんかじゃない。


亡くなってしまった後も、主人は今でも私を想ってくれているんだ。




「あなた……」



クルリと振り返った先で、さっき手から落ちた名刺が私を見ている。



ゆっくりと歩み寄りその名刺を拾うと、私はギュッと胸に抱いた。



主人の大好きなカプチーノを扱う彼なら、主人の事を話せるかもしれない。


そう思うと、ホッと胸にあたたかいものを感じた______…













“カプチーノ アート”

*おしまい*
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