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聖女の婚約破棄とその事情

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 ヒジリは、吐き捨てるようにサン・マリーに告げた。
そして、涙に濡れた顔でぽかんと自分を見るホーリーに苦笑いをうかべた。

「汚れているのは、君じゃない。彼女であり、そんな彼女を決して許さず、旧知の令嬢に与えるとは思えない罰を下そうとしている俺だ。こんな俺で申し訳ないが、俺には君が必要だ。どうか俺に、君の傍にいることを許してくれないか?」

 そう言ってホーリーの手をとったヒジリの顔を、ホーリーは生涯忘れることはないだろう。
彼は神の裁きを待つかのように、ホーリーの許しをひたすらに乞うていた。
その目は、ホーリーを求める熱で、熱いようだった。
その熱に、あの日から凍り付いていたホーリーの心がすこし溶かされた。

 ヒジリとは、穏やかな愛情を紡いでいると思っていた。
やがて王になる子どもと、神に愛された子どもとして、互いに手をとり、国のために生きるのだと。

 けれど二人の関係は、国のためにという前提があってのことだと思っていた。
国のために祈れなくなったホーリーは、もはやヒジリには必要でないと。
なのにヒジリはホーリーの手をとり、そんなホーリーの傍にいたいという。

「だって……、ヒジリは次の王様になるのはずだったのに」

「王太子には、第二王子スグルが付く。彼が俺に勝るとも劣らない優秀なヤツだというのは知っているだろう?」

「だって、ヒジリは!今までずっと王様になるためにがんばってきたのに」

「国のために働くことは、王にならなくてもできる。というか、国境にあるサカイの領主に就任することになった。あそこはつい先日まで敵国だったため、我が国の慣習が根付いていない。これまで搾取されることに慣れた領民と、賄賂が横行した役人たちを監視し、立て直すという役目をもらったんだ。これだって、じゅうぶん国の役に立つ職務だろう?」

 はらはらと涙をこぼすホーリーに、ヒジリは言葉を尽くして訴える。

「……あの地では、聖女の存在はほとんど広まっていない。君の夢を見たものも少ないだろう。俺とともに来てくれないか?」

 ホーリーの目を覗き込みながら、ヒジリはひとつひとつ訴えた。
その声を聴きながら、ホーリーはすべてを拒んでいたこの世を、もう一度受け入れたいと願ってしまった。
今はまだ、顔も知らない国民のために祈ることはできない。
けれどこの国をよりよくしようと懸命に働く彼のために祈ることなら、できる。

「私で、いいの……?」

かつての聖女はか細い声で、かつての王子に問うた。
王子は聖女の手をしっかりと握り、彼女へのありったけの愛をこめて告げた。

「君じゃなきゃ、ダメなんだ」
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