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聖女の婚約破棄とその事情

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 それは、ホーリーが神殿を辞して5日の後、結婚式までの間居住する屋敷で起こった惨事だった。

 王宮にほど近いその屋敷は、元聖女で次期王子妃のホーリーを主とするだけあって、堅牢な守りを誇る屋敷のはずだった。
 なのにどうしたことか、その屋敷を、王都に潜んでいた悪辣な盗賊たちが、盗賊団の垣根を越えて協力し、徒党をなして襲ったのだ。
屋敷を守る騎士たちも、別個の盗賊団が徒党をなして襲ってくる事態を想定してはおらず、多勢に無勢で、あっという間に屋敷の守りは破られた。

 惨事は、ほんの一瞬、一瞬だけのことだった。

 盗賊団がいかに多勢であろうとも、王都を守る騎士の数はそれを上回る。
屋敷の守りが破られたとの報告が入るやいなや、屋敷には王都の四方八方から騎士たちが、元聖女たるホーリーとその屋敷に勤める人々を守らんと集結した。
その中には、王宮でその知らせを聞いた婚約者ヒジリ王子も含まれていた。

 けれど彼らがホーリーのもとに駆けつけるよりもはやく、盗賊のひとりがホーリーのもとへたどり着いていた。
まるで何かに操られたかのようにただ聖女のもとへと忍び込んだ盗賊は、部屋でくつろいでいたホーリーをベッドに押し倒し、その夜着を破り、彼女を汚そうとした。

 結果的にいえば、ホーリーは男に汚されることはなかった。
盗賊の男がホーリーを汚そうとした時、ホーリーの必死の叫びを聞き駆けつけたヒジリが、盗賊の男を切ったのだ。
肩に大きなけがを負った盗賊の男は、仲間とともに取り押さえられた。

 それはホーリーにとって、ひどい悪夢のような一夜だった。
けれど悪夢は、それで終わらなかった。

 盗賊の男は、キキムという魔植物を植え付けられていた。
キキムは、植えつけられた人間の悪事を、被害者の知人に10日間夢として知らせ、被害者の無念を教える植物だ。
それは魔術師たちの集まる「塔」で、犯罪者に植え付けるために開発された魔植物だった。

 多くの場合、それは一度犯罪に手を染めたものに植え付けられた。
死刑にはならなかった犯罪者たちは、牢を出る際、キキムを植え付けられ、牢から解放される。
 もし彼らが再度人を危めたり、傷つけたりした場合、キキムが被害者の知人たちに夢で知らせる。
キキムで見た夢は、それ自体が証拠として取り上げられることはないが、それでも罪人をとらえるのに大きな助けとなっていた。
 また容疑者が自らキキムを飲み、潔白を訴えることもあった。
容疑者がキキムを飲んで一両日、被害者の知人が被害者の無念の夢を見なければ、容疑者の容疑は薄まり、捜査は再開された。
 キキムは、人にとって有益な魔植物だったのだ。

 けれどこの人助けの魔植物が、ホーリーには悪夢を呼び起こした。

 通常キキムは、人の生死にかかわるような出来事にしか反応しない。
誰かが殺された時や、命をなくすような怪我を負わされるような状況でしか発動しない植物なのだ。

 なのに、ホーリーの場合だけは、違った。
 それは、彼女が神々の守護が厚い元聖女だからだろうか。
だとすれば、それはなんと皮肉なことだろう。

 ホーリーは、盗賊の男に襲われた。
その身を汚されそうになった。
けれど、結果的には彼女への助けは間に合い、彼女の身には傷一つついていなかった。
本来なら、キキムが発動するはずはなかった。

 けれど、キキムは発動してしまった。

 ホーリーは、元聖女だ。
この国に住む者の多くが彼女を知り、彼女の祈りを受け、そして彼女への敬意を捧げている。
 つまり彼女の「知人」なのだ。

 そのためこの国のほとんどの人々が、彼女の身に起こったことを知ってしまった。
彼らは10日間、ホーリーの夢を見た。
 聖女として彼らがあがめてきた少女の上に男がのしかかり、彼女の夜着をやぶり、その豊かな胸や白い脚に汚らわしい手を這わせた場面を。

 神殿の奥深くで、世俗とは交わらず、純粋培養で育ってきたホーリーにとって、あの日の悪夢を多くの人々に知られてしまったことは悪夢以上の悪夢であった。
だれもが、自分の忘れたい出来事を知っている。
人に会うたび、ホーリーは考えずにはいられなかった。

 この人も、自分のあのことを知っている。
私のこと、どう思っているのだろう、と。

 耐えられなかった。
彼女は与えられた屋敷にこもり、誰とも顔をあわせなくなった。
ただ彼女の部屋から洩れる小さな泣き声だけが、屋敷を訪れる人々が確認できる彼女が生きているという証だった。

 そして、一月が過ぎたのだ。
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